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2024年7月17日 (水)

創刊50年と「キリシマサトシ」      エッセイ序説第31号「創刊50年に寄せる」

序説第31号  創刊50周年記念号に寄せる  富岡洋一郎

創刊50年と「キリシマサトル」

 

 同人誌「序説」創刊から50年―。確かに創刊は1974年12月だから、もう実際に50年、つまり半世紀になるが、なんだかそんなに時間が過ぎたということがにわかに信じられない。当時を振り返ると、私は大学6年生のとき。外では沖縄返還協定粉砕闘争(私は大学3年生だったときの沖縄闘争で逮捕、拘留、起訴、裁判、判決という日々がある)、さらにベトナム反戦や三里塚闘争などがあった。内では、大学の学科増設反対運動、全学活動者会議の結成、臨時学生総会、その延長の大学自治会争奪戦、その自治会を取った直後の大学文化祭(私は大学文化祭副実行委員長だった)、この間に同盟休校する応援を「村人」に依頼され、数校の学生でつくったにわか教師団のひとりとして、大学を休学して中学校の国語の代用教員生活も送っている。

 創刊当時は、確か、私からすれば、「もうひとつの大学」とも言えそうなJAZZ喫茶「オーネット」での半年間のアルバイトを終えた直後かも。敗北的に終わった全共闘系の大学闘争の残り火を何らかの形で残しておきたいという思いがあった。苦い体験を共有する仲間で教訓というか、記憶というか、世の中の空気や政治、社会をすんなり受け入れられず、それを批判し、反発してきた意志の継続をという側面もあったろう。加えて存在そのものが「社会問題」だった私たちだが、「明日へ向かう力の予感」が背中を押したのではなかったか。

だからか、創刊号の目次を確認してみると、この当時はひところの勢いは失っていたが、生き残っていた「大学解体論」の論議もバックに私は「連載第一回 自己解体史論序説」といういかめしい文章を寄せている(このときの筆者名は「黒川純」。この論は途中で挫折してしまったがー)。

 序説第一期(1974年~1981年)で私はもっぱら労働そのものをテーマにした「労働論ノート」を連載していた。初回から第8回と続いているが、その期間は小さな労働業界紙「海運労働新報」(東京)の労働記者時代と重なる。その後、地方紙「栃木新聞」(宇都宮)の事件記者、中央紙「朝日新聞」(東京)で東日本各地へ。同人いずれも働き盛りとなったときに「序説」は休刊した。序説第二期(2006年~)は、自治会副委員長だった親友である磯崎公一君がまだ50歳前後のときに大腸がんで亡くなったことがきっかけだった。横浜での葬儀で久しぶりに顔を合わせた同人たちで序説再刊を話し合ったことからだ。

 第一期は8年、第二期序説だけでもすでに18年。創刊からだと50年も。ソ連の崩壊と冷戦の終了、昭和天皇死去、阪神大震災、地下鉄サリン事件、イラク戦争、民主党政権誕生、東日本大震災と福島第一原発事故、コロナ禍、プーチンのウクライナ戦争、イスラエルのゴザ攻撃と、世界も日本も大事件が絶えない。

その「50年」を思うと、重要指名手配を受けながら「49年」も逃走を続けた過激派「東アジア反日武装戦線」の「さそり」のメンバー、桐島聡容疑者(70)のことが妙に頭をよぎる。というのも、大道寺将司・元死刑囚(病死 獄中で書かれた彼の『大道寺将司句集』はすごく読ませた)らによって結成された彼らの一連の事件でも特に大事件として報じられた三菱重工ビル爆破事件(8人が死亡、380人けが)が起きたのは1974年8月。序説創刊のわずか4ケ月前だったからだ。

 1972年春の「連合赤軍事件」の発覚を受けた新左翼運動、全共闘運動は下降線にあったため、東アジア反日武装戦線の登場には驚いたことをよく覚えている。そのグループのひとり、桐島聡容疑者が半世紀も逃げ続け、朝日新聞(2月27日)によると、今年1月25日、末期の胃がんで入院した病院で「最後は本名で迎えたい」と、名を明かした。その死は4日後の1月29日だった。

 公安部の聴取に彼は神奈川県藤沢市の土木会社に120231021140342383560_350806de75c380d437 「内田洋」と名で約40年間、住み込みで働いていた。メンバーとの連絡は取らず、半世紀の逃亡生活では「ず

っとひとりで暮らしてきた」という。この報道で、彼は広島県内の高校を卒業し、1972年ごろに明治学院大に入学していたことを初めて知った。

 日刊「ゲンダイ」(6月27日)によると、日本赤軍の元メンバーで映画監督の足立正生氏(85)が桐島聡容疑者の人生に焦点を当てた新作「逃走 貫徹(仮題)」の制作に入る。最後の4日間を自らの人生を重ね合わせて描くという。「彼の生きざまは、地獄の沙汰では済まない残虐世界だったのか、しかし、同時に死の間際に『私はキリシマサトシだ!』と名乗り出て表現し、獲得しようとしたものは何か」。制作の狙いについて、足立監督はこう語っている。

 この50年、世界も私たちもさまざまなことに向かい合ってきたが、振り返れば、それほど長くは感じていない。むしろ、思う以上に意外と短かったのではないかという感覚がある。それとキリシマサトシの逃亡生活50年を重ね合わせてしまう。ほとんど同世代であることも、彼に関心を寄せる理由でもある。創刊「50年」という年月について、思いめぐらせると、今春、過去から突然、私たちの前に現れ、時の人になった彼の人生とは何だったのかと、腕組みしてしまう。

 

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