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2024年7月16日 (火)

「『見る前に跳べ』 真理は誤謬から」について    常識の逆転が生み出す「生活の知恵」

創刊50周年記念号「序説第31号」91nxx8widl_ac_uf10001000_ql80__20240717004101     あとがき

 困難な物事を成し遂げるには、時期尚早だから先送りするのではなく、今はその時期尚早の行動こそが求められているのだ、その時期尚早の行動こそがそれに近づく方法であり、時期尚早の行動をとらざるを得ないのだ。それも成し遂げるためには失敗しても何度でも繰り返し時期尚早の行動に移るべきだ。いや、むしろ、もともとそうと考えたときは時期尚早こそが求められており、その行動の過程で、積み重ねたその行動の結果から、求めていた果実が生まれるのだー。

 創刊50周年記念号に寄稿した私の「『見る前に跳べ』 真理は誤謬から」は、「時期尚早」をめぐる差し迫った情況の際の判断の仕方、対処について考えをめぐらしたものだ。それもラカン派マルクス主義者の思想家、スロバキアのスラヴォイ・ジジェクの著書『事件!哲学とは何か』にある逆説的な文句「真理は誤謬から」を案内人として。そのきっかけは、権力の掌握をめぐり、今は時期尚早だというエドゥアート・ベルンシュタインに対するローザ・ルクセンブルクの反論のポイントから。その反論の構え方を何かの拍子にふと思い起こすことがあったからだ。

 「『見る前に跳べ』―」で書いているが、第一次世界大戦前のドイツ社会民主党の党内を二分したいわゆる「ベルンシュタイン論争」の一環だ。この論争は以前から妙に気になっていた。今回改めて未完のドイツ革命とローザの考え方をそれなりに追いかけることで、何とか納得がいくようにしたいと思っていた。その結果、私なりにローザの言い分を広く解釈していくと、冒頭にあげたような時期尚早をいわゆる早合点ではなく、拙速ではなく、むしろ前向きに、肯定的に、あるいは結果的にその方がいいのだという見方もできるというようにとらえた。

 この時期尚早論について、この発想を肉付けするというか、それなりにわかりやすくなる例え話のひとつとして、ドキュメンタリー映画「モルゲン 明日」を「さようなら原発!栃木アクション」の上映作品として選定していくかどうかの経緯を紹介するというやり方をとった。ただ、言えるのは、この例としてはふだんの日常にある別のどんな物事でもよかったのだ。たまたま今春の映画選定の会議に私がこの映画を推薦していたが、作品がやや古いため、これを強く推すことについて、やや迷ったという経験が頭をかすめたためだ。その判断の背景を紹介していけば、より具体的で、身近なものになるだろうと思えたのだ。

時期尚早というと、たいがいが否定的な用語として使われるのが常だ。だが、言いたかった、伝えたかったのは、物事を進めようとするとき、実は、発想を変えると、見方を違えると、逆に時期尚早という誤謬、つまり判断ミスになりかねない前のめりのその行動が、真理とは逆を行く判断が求められる場合、場面、状況があるのではないか。そういういわば生活の、知恵みたいなものを自問自答しながらだが、示したかったということだ。さて、問題は果たして今回の論考でそれが成功したかどうかだが?(冨岡洋一郎)

 

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