「ヒューマニズムとテロル」を再読へと思わせた 『戦後フランス思想ーサルトル、カミユからバタイユまで』
サルトル、カミユへの関心から手にした新刊の中公新書『戦後フランス思想』(伊藤直 2024年4月25日発行)ー。同時代のボーヴォワール、バタイユの軌跡や彼らの交友も知ることができ、「浅学菲才」の身にはありがたい新書だ。私的には中でもメルロ=ポンティに関する第4章「世界と歴史へのまなざし」に眼が行った。
それもポンティの著作「ヒューマニズムとテロル」に関して。この本は1970年代前半、私が学生だったとき、学生や会社員たち数人で読書会をつくったときがあるが、そのテキストがこの本だったためだ。なぜ、「ヒューマニズムとテロル」を選ばせたのか、今となっては思い出せない。ただ、70年安保の熱気は続いており、「暴力」の問題をどうとらえるかは、課題だったのは確かだ。
そのとき表題に惹かれていたこともあり、この本が実は戦後間もない1947年だったとはー。「戦後フランス思想」で今回知ったほど。またこの本をめぐり、カミユとポンティが仲たがいしたことも知った。当時、難解な文章であることは覚えているが、内容まで理解したという記憶はない。それもそのはず、ポンティの文章は「いくら読んでもわからない」という評者もいるぐらい難解だと書かれている。
ともあれ、「戦後フランス思想」によると、「ヒューマニズムとテロル」は、共産主義体制の暴力を告発したハンガリー出身の作家、アーサー・ケストラーの「真昼の暗黒」(1945年のフランス版は「零と無限」)の批判的な考察から誕生したという。この経緯も知らずに読書会と称するものを開いていたのだかた、あまりにも若すぎたというべきかー。
いずれにしろ、スターリン批判というべき告発の書を批判的にとりあげるという内容は、だいたいがそのスタンスがわかろうというもの。今回の新書でも当時のソ連が振るっていた暴力について、ポンティの答えは「白にも黒にも見えかねない両義的なものであり、それゆえに左右両陣営から『暴力的な数々の非難』を被ることにもなったー」とある。
それにしても、一度は手にした「ヒューマニズムとテロル」。今回を機会にもういちど、きちんと読みたいと思わされた。それにしても、この本は1960年代に出版されたのではなく、1947年だったというのは、驚きではあった。また半可通で読んでいたポンティの代表作「知覚の現象学」も再読しないと、とも。
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