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創刊50周年の同人誌「序説第31号」(9月1日発行)が、発行日直前のきょう30日(金)、日光霧降高原の私のところに宅配便で届きました。今回は「創刊50周年記念号」としているので、ふだんよりややボリュームがある138頁。頒布価格500円。あす31日(土)には上州・前橋で同人が各地から集まり(茨城、群馬、福島、栃木の各県から)、序説第31号発刊懇親会(1泊2日)を開きます。夕方、温泉につかってから、美味しい酒をくみかわすことにしていますー。台風10号の動向をチェックしながら、北関東自動車道経由で。
1年に1回の同人懇親会、今秋の10月10日(木)~10月16日(水)に「日光市杉並木公園ギャラリー」で「序説創刊50周年記念展」を開く。同人の美術家などが描いてきた創刊号から第31号までの表紙画などを展示する。今回はその打ち合わせも兼ねて。それにしても同人たちで全共闘系の自治会を生み出した学生時代から半世紀も元気によく交友してきたもんだなと。それも50年前に創刊号を立ち上げた同人の一人も欠けることなく。と、思うことしきりです。
甲状腺エコー検査、那須塩原検診(10月26日)、矢板検診(10月27日)の案内情報が9月25日発行「広報にっこう10月号 有料半段広告」(2万5000部)に掲載されることになり、きょうその校正刷りが送られてきました。広告料1万470円は主催の「関東子ども基金」(茨城県、常総生協内)が負担してくれます。広告も関東子ども基金が制作しています。
広告代を負担してくれるのは、思ってもみなかったことでありがたい。そのため広告を申請した「さよなら原発!日光の会」から関東子ども基金への協力金として、5千円をカンパすることにしていますー下図は「広報にっこう10月号」の有料広告予定ページです。検診の費用はいずれも1000円(千円)。検診する医師も運営もボランティアのため。県内どこからでも受診することができますー。
甲状腺エコー検査宇都宮検診(9月8日)の情報案内が「広報にっこう9月号 ひろば」(8月25日発行、2万5000部)に掲載された。日光市㏋に「広報にっこう」最新号がPDFで全ページアップされており、知りました。宇都宮検診案内情報は最後の31ページに。
掲載無料の小さな案内情報だが、25日発行の広報誌を手にして、すでに日光市民から宇都宮会場の甲状腺エコー検査希望者があるという。私のところは回覧板で広報誌が回ってくるが、まだ手元には届いていない。日光市民の大半の手に渡るのはこれから。さらに受診希望者が増えるようにと。
甲状腺エコー検査は診察する医師も会場運営もボランティアのため、費用は1000円です。主催は「関東子ども基金」(茨城県、常総生協)だが、運営は「にじいろみらい宇都宮」の宇都宮や真岡、益子の市民団体が担っている。今回の情報掲載を申請したのは「さよなら原発!日光の会」で、「常総生協」や「よつ葉生協」と同じく、「日光の会」も宇都宮検診の「協力団体」のひとつになっている。
パソコントラブル、オフィス停止と老朽化のため、東芝から富士通のノートパソコンへ。メールもワードもできなくなったフォロー期限切れのマイクロソフトのオフィス。それも内臓済みだ。作動がまるで見違えるように違う。とにかく早いこと早いこと。列車に例えると、各駅停車と新幹線の違いくらい。パソコンに詳しい友だちが「メルカリ」経由で手軽な機種を勧めてくれた。1万6000のドキュメントや1万3000のピクチャーなどを新旧パソコンでどう移し替えるかー。
この難題のほか、blog「霧降文庫」、アウトルック、Word、Facebook、Twitter、アサヒデジタル、本屋タウンなどの各アプリをそれこそ何なくとサクサク移し代えてもらった。スタートからエンドまでわずか2時間。自分ではとてもこうはいかない。
この友だちの本業は外国人観光客などで忙しいゲストハウス経営。確かにふだんからメール環境にあるが、それにしても詳しい。でもその彼に言わせると、「若い人はさらに当たり前に対応していますよ」とか~。なお、このパソコンは官公庁の払い下げ品を「パソコン修理歴18年」だというメルカリ出品者が「調整」したものらしい。だからこのパソコン代は2万3000円なりでしたー
これは「遠い昔」や「遠い場所」の話ではないー。オビにそうあるが、確かに。ナチスが、ヒトラーが、「全権委任法」を成立させ、ヒトラーの独裁を法的にも正当化させ、確立させた最大のポイントが、1933年3月23日のことだ。社会民主党の94名が反対したが、3分の2以上の441名が賛成した。
この新書「ナチズム前夜 ワイマール共和国と政治的暴力」(原田昌博、集英社新書)。8月14日に発刊されたばかりだ。かつて、林健太郎「ワイマール共和国 ヒトラーを出現させたもの」(中公新書)を興味深く手にしたが、新書でワイマール共和国の崩壊に至る情景を全面から描くのは久しぶりかも。
それもナチスなど当時のドイツがいかに政党をバックに拳銃などの凶器による殺人もいとわない暴力的な世界にあったか、それも白昼の街頭や集会、デモ、酒場で。警察事件報告や著名人日記などから、これでもかというぐらい次々と再現させている。それも政治的、日常的、国家的とレベルを腑分けしながら。そのところに大きな特色があり、ため息をつきながらだか、一気読みさせられた。
392ページと新書としては大著だが、内容が豊かでそう思わせない。いやいや、エピソードいっぱいの労作だと思わされた。ベストセラーになることを願う。まゆをひそめざるをえない現代の政治的動向と重ね合わせながら、そこにあった悲劇の歴史を現場に立ち会うように知ることができるのではないか。
核時代の新しい対応に関して、「まず第一に国際法の体系を変えなけねばならない」と言う人がいるが、私はそうは思わない。「いや必要なのは友好的な感情だけだ」という意見にも、賛成しかねる。私は、第一に核兵器は人類すべてに関わる「危機」なのだという共通の認識が必要だと考える。ちょうどナチズムが連合国全体にとっての「問題」と見なされたように、核兵器も人類全体の「問題」なのである。
中公新書「オッペンハイマー 原爆の父はなぜ水爆開発に反対したか」(中沢志保)ー。初版は1995年8月25日、私が買ったばかりのこの新書は、今年の2024年5月10日の再版。30年前の本が再び陽があてられたということだが、大評判の映画「オッペンハイマー」の公開と合わせた動きだろうかー。
最大3000人もが仕事をしていたというロスアラモス研究所の初代所長。原爆開発の総責任者を務めた科学者だが、語学にも堪能だったという。ハイスクール時代にギリシャ語をマスターし、プラトンを読んでいたこと、東洋の哲学書を読むためにサンスクリット語の習得を楽しんでいたこと、ダンテを原文で読むためにイタリア語を習っていたこと、オランダ語はやさしいよと言っていたことなど(いやはや驚くべき才能だなと)、水爆開発には確かに確固として反対していたこと、確か35もの公的機関の役職に就いたが、すべての公職から解かれてしまうこと、それは水爆開発反対という姿勢が、水爆開発推進派から危険思想とされ、「レッドパージ」に遭う結果に。だが、人生終盤に暗殺される前のケネディ大統領の指名を受け、ジョンソン大統領のもとで名誉回復がなされたことなどなどー。
新書にしては読みどころがいろいろあり、一気に読み進めた。最も印象的だったの1945年11月2日、ロスアラモス研究所長辞任のときのスピーチだ。同書によると、500名を超える科学者が集まった大きな映画館でオッペンハイマーが長いスピーチをした。この新書ではその要約が5頁にわたって紹介されている。冒頭にあげたフレーズは、その要約の中でも私がとくに関心を寄せたところだ。ヒロシマ、ナガサキの原爆投下から間もない1945年の時点で、「原爆の父」が、核兵器が内包する危険を人類の立場から力説している点だー。
このところ昼飯はいただきものでつくっているー。最近もいただいた栃木県産「そば」や群馬県太田産のたくさんの「ピーマン」を生かそうと。少し考えてから「野菜天ざるそば」をつくろうと。台風一過、各地で猛暑の報道がいつものように。「避暑地」と言っていい涼しいはずの霧降高原でも室内は28度にも。ここまで上がるのはめったにない。ぐったりしそうなので、ほんとに夏本番でしか出番がない年代ものの扇風機がフル稼働だ。どうも今夏は例年以上に暑い夏のようだ。この残暑には野菜天ざるはぴったりかも。BGMは「スラヴ舞曲第10番」(ドヴォルザーク)、「若い王子と王女」(コルサコフ)、「冬のラルゴ」(ヴィヴァルディ)など12曲の「α波クラシック」ー。
たまたま三冊の中公新書の読書を同時にスタートさせた。いずれもTwitterにアップされていた「読書案内」に触れて。ネット本屋「本やタウン」経由TSUTAYA今市店で入手した。最初に今春4月25日発刊「日ソ戦争」(麻田雅文)、さらに2022年7月発刊「大東亜共栄圏」(安達宏昭)へ。
とくに「大東亜共栄圏」は3分の2まで読んだところだが、泥沼の戦争が続く中国との外交交渉やフィリピン、ビルマなど、東南アジア各地域の独立問題などについての重光外相と東條首相の考え方などをめぐる論述が興味深い。すでに鋭く歴史に切り込む労作だという印象があるが、最後まで読み通してからきちんと評価したい。
さらに初版は1995年夏だが、今春再刊された「オッペンハイマー」。評判の映画を観たいと思っているが、なかなか機会がないので、ともあれ本だけでもと。どれも第二世界大戦、満州、太平洋戦争、核、原爆、ポツダム宣言に絡んだ軍事本。今年もやってきた暑い八月の空気とウクライナ戦争、ガザの戦闘がこうした軍事問題に向かわせているのかどうか?さらに出版元はどこか知らないが、「ナチス前夜」という魅力的なテーマの新書が発刊されているはず。これも近く手にしたいー。
禁じられた撮影…B29捉えた新映像をAIでカラー化“日本人が見た”太田大空襲【報道ステーション】(2024年8月16日) - YouTube
昭和20年2月10日の群馬県太田市大空襲。84機のB29.初めての空襲で160人以上が犠牲になったという、中島飛行機太田工場の撮影班が記録したとある。この映像は幻の攻撃機「連山」の初飛行の記録に続く1分30秒間。地上から見た編隊で飛ぶB29の高い空の光景と空襲から避難する当時の太田の人たちー。「次の世に記録に残すためにではなかったか」という識者のコメントがあるー。私の親父も中島飛行場に勤務していたというが、終戦時は特攻基地で知られる九州鹿屋基地の飛行整備兵だったはず。確か「鹿屋飛行場に来襲した米軍機グラマンの機銃掃射から逃げまくった。グラマンのパイロットの姿が、いや、顔が見えるほど近い距離だった」と語っていた。そう言われたのをよく覚えている。太田生まれの太田育ち、団塊の世代の私も初めて見た驚きのびっくりの映像だ。
来週
久びさに聞く秋刀魚の大漁話はいいね。かつて転勤族として2年半暮らした北海道釧路市の居酒屋でふつうに注文していた秋刀魚の刺し市にまた出合いたいと思ったのでした(釧路の前は神奈川県厚木市で2年、釧路の後は岩手県北上市で3年)。秋刀魚の刺し身を味わうと、「秋刀魚がこんなに美味しいとは」、と驚くこと請け合いです。もっとも私が出入りしていた釧路の居酒屋のご主人は元全日空ホテルの料理長だったというから、その調理の腕が刺し身の美味さをさらに高めていたかもー。
原発事故から13年 この機会に受診してみませんかー。甲状腺エコー検査、那須塩原検診(10月26日)、矢板検診(10月27日)の両会場の案内情報。日光市が発行している「広報にっこう10月号」(9月25日発行、日光市内2万8000部)の有料半段広告に掲載用データを日光市秘書広報課に送付しました。宇都宮検診(9月8日)については、「広報にっこう9月号」(8月25日発行)の無料情報欄「ひろば」に掲載されることになっています。掲載データは「関東子ども健康調査支援基金」(茨城県守谷市、常総生協内)の作成です。半段有料広告費1万円強も、ありがたいことに関東子ども基金が負担してくれるそうですー。とりあえずお知らせまでー。
カナダで暮らす娘が小6と小1の姉妹を連れて、夏本番の日光霧降高原へ。上州に暮らす姉夫婦と合わせて5人が一台のマイカーで。日光の「天然かき氷」を味わってから我が家へ。昼飯に定番の「ざるうどん」と自家製「コロッケ」をふるまった。小6の長女が最近、父親に勧められて「二十四の瞳」の映画を観て、本も読んだという。その流れで私の愛読書「旅のラゴス」(筒井康隆)をプレゼントしようとしたが、あいにく書棚になかった。なので、ぜひ、いつか読んで欲しいと伝えたうえ、「どくとるマンボウ青春記」(北杜夫)、「遠野物語」(柳田国男)、「伊豆の踊子」(川端康成)の3冊を贈った.その夜に「旅のラゴス 」を買い求めたという連絡があったー。もっとも題名を「聞き違えたようで、連絡からは「旅のロゴス」と書いてきたが(笑い、確かにロゴスのほうがわかりやすいがー)。それにしても、一番読んで欲しかったのは「旅のラゴス」。高度な科学の世界がいつか変わり、「空間転移」などの超能力も発揮できるいわば懐かしい別の世界が舞台。その世界を南から北へ旅する青年ラゴス、その彼が、あるときは旅人して、あるときは奴隷に、あるときは王国の王様になる。あるいは学者になり、探検家にもなっていくー。学びながら、何かを求めていく過程で有為転変のさまざまな人生経験を重ねていく。それをぜひ味わって欲しいなとー。
1945年8月14日に大量虐殺事件「葛根廟事件」があったのだー。たまたまラジオを聞いていたら、玉音放送前日に、ソ連参戦のため、引き揚げ避難中の日本人民間人が戦車などのソ 連兵に襲われ、1000人以上の女性や子どもたちなどが虐殺された事件を知った。生き残ったのは百数十人とされる。生存者12名の証言を元にしたドキュメンタリー映画「葛根廟事件の証言」がつくられ、つい2019年に公開されていた。満州からの逃避行のむごさは証言や映画で承知していたはずだが、恥ずかしながらこんな大きな事件を知らなかった。改めてこの大事件を伝え、さらにほかにも同様の事件があり、「満州避難三大悲劇」と呼ばれているという。それらも調べながら、このドキュメンタリー映画もぜひ観たいとアップへ。
(ドキュメンタリー映画「葛根廟事件の証言」の作品紹介から)
太平洋戦争が終結する前日に満州で起きた、旧ソ連軍による民間日本人の大量虐殺事件「葛根廟事件」を題材にしたドキュメンタリー。1945年8月14日、旧満州から引き揚げ避難中の日本人の一団が、ラマ教寺院葛根廟(内モンゴル自治区)付近で旧ソ連軍に襲撃され、1000人以上が死亡した。生存者は百数十人に過ぎないとされ、犠牲者の多くは女性と子どもだった。敗戦の混乱時に満州で日本人が遭遇した惨劇の中で最も犠牲者が多かった事件と言われるが、報道で取り上げられることは少なく、その存在はこれまであまり知られることがなかった。生存者ら12名の証言をもとに事件をたどり、被害者の人生をどのように変えたのかを描き出す。福岡インディペンデント映画祭2018でドキュメンタリー部門最優秀作品賞を受賞。
2019年製作/74分/日本
劇場公開日:2019年12月21日
きょう12日の朝日新聞「文化」面で上野千鶴子さんが「ウーマンリブって?田中美津さんのことよ 田中美津さんを悼む」という記事を寄稿していた。見出しは「思想に与えた肉声 女の自由を求め日常で戦った」ー。そこに彼女の足跡について、こんな紹介もしている。
豚バラ肉を生姜焼き風に調理すると、意外に美味いということがわかったの巻ー。味付けは醤油、りんご酢、料理酒、砂糖のみ(葡萄酒、ミリンを加えるとさらにいいかも―)。あまり期待していなかった分だけその旨さが倍増という感じ。たまにはキャベツかレタスをつけたバラ肉料理もやるのもいいなと感じたのだった。本日は納豆、キュウリ、冷奴もつけて。たまのシジミの味噌汁が効いているかも。どうもいやに暑いと思ったら、部屋の気温は29度近くにも。東北上陸へという台風5号の影響なのかどうか?雑事のやることがあるのだが、暑さしのぎのため夕方までタレイラン、デムーラン、ロベスピエール、ミラボー、ダントンも登場してくる「小説 フランス革命そのⅢ」の読書へ。BGMは眠気を誘う「牧神の午後への前奏曲」(ドビュッシー)など全14曲の「熟睡クラシック」ー。
8月10日(土)13時~14時半ー。「非核平和コンサート 2024」(in日光市道の駅ニコニコ本陣広場)。疎開ピアノの音色を聴きたいと、参加した。用事があったのでイベントの途中からだったが、太平洋戦争で東京から旧藤原町川治小に児童とともに疎開していたピアノー。川治温泉の地元自治会のリーダー・関本昭さんによると、川治小閉校をきっかけに自治会経由で腕のいい調律師の手で再生された、そのピアノを大切に保管してきた歴史や一度は東京に里帰りしたこともあるエピソードも聴くことができた。
そのピアノを見事に今市少年少女合唱団の一員か、高校1年生の中島安邦さんが弾いてくれた。その音色には正直に感嘆した。ピアノを弾く腕も良かったのだと思うのだが、こちらが思っていた以上のとてもいい響きを味わえた。戦火に散った一家4人の物語を今市少年少女合唱団と仲間たちが、語りとともに「哀しく明るく」歌い上げる児童合唱「ちいちゃんのかげ送り」、会場の参加者と一緒に歌う「花は咲く」「ふるさと」ー。
パンフによると、最初に「日光市非核平和都市宣言」や作文披露、オープニング曲「千羽鶴&折り鶴」も。イベントの構成や選曲がしっかりしていたうえ、合唱団のリーダー、小林芳枝さんが目配りの効いたわかりやすい司会を進めていたことで、あっという間の1時間半だった。会場はカンカン照りの広場だか、客席は大きなテント内。夏の涼風が通り過ぎていたこともあり、快適であくまで爽やかな残暑の夏の非核平和コンサートだったー。
私が事務局を務めている同人誌「序説」ー。その創刊50年記念号である第31号が発行へ最終コーナーを迎えた。半世紀前、1974年12月創刊の序説の第31号表紙見本が宅配便で手元に。「創刊50年記念号 私の一篇」と「序説創刊50年に寄せる」で、群馬、栃木、茨城、福島の各県に暮らしている同人がそれぞれ寄稿しているー。私は評論「『見る前に跳べ』真理は誤謬から」とエッセイ「創刊50年と『キリシマサトシ』を寄稿した。事務局の「編集後記」も50年間も使っているペンネーム黒川純で書いているがー。発行は3週間後の9月1日(日)。昔、といっても小学生のときだが、地元の映画館で予告編があったとき、その最後に必ずスクリーンの字幕にあったのが、この文句。どういうわけか、印象深いのはなぜか?ー。「乞うご期待」(笑い)ー。
ただいまこれまであまりなじみがなかった「フランス革命」へ。「物語 フランス革命」(中公新書 安達正勝)と「物語 フランス革命」(佐藤賢一 集英社)「Ⅰ 革命のライオン」、「Ⅱ バスティーユの陥落」、「Ⅲ 聖者の戦い」ー。「自由、平等、友愛」あるいは「国民主権」で知られる大革命、フランス革命は1789年から1799年までの10年間というー。革命が生んだ「天才」ナポレオンがまたたくまに皇帝になっていくまでという区分だ。日本はまだ徳川幕府第11代将軍家斉の寛政時代から始まるという。
ルイ16世も王妃マリー・アントワネットも反革命家も政敵たちもギロチンにかけ、結局は失脚させられて自らもギロチンに消えた恐怖政治の代名詞、ロベスピエールー。その弁護士の彼も最初は熱烈な死刑廃止論者だったのをこの新書で初めて知るー。設立された悪名高き革命裁判所は、1793年の最後の3ヶ月、10月―12月に395人の被告のうち177人に死刑の判決を下した。二審はなく、即ギロチンへ。半数近くが死刑になったというからさすがに。確かに反革命や対外戦争で疑心暗鬼の末といいながら、革命の大義に矛盾する不名誉な恐怖政治が続いたときもー。
8月6日ヒロシマ、8月9日ナガサキー。この日はこの映画「ひろしま」を。1953年だから、「原爆の子」(新藤兼人監督)と同じ年に制作されていたのは、初めて知りました。題名は知っていたが、差浅学菲才にして、観る機会はなかった。この機会にきょうにもぜひ観ることに。このBLOG「霧降文庫」でもいわゆるシェアしますー。
以下はtwitterで視た記事のコピーです。
ほんとに久しぶりに作った「ナポリタン」ー。ピーマンとハム、ウインナーを炒め、パスタにトマトソースを加え、さらに少し炒めただけ。大昔にアルバイトしていたJazz喫茶店「オーネット」でお店にある「3000枚」のJazzレコードからリクエストされたレコード(マイルス、エバンス、コルトレーン、コリア、オーネット、マッコイ、ガーランド、ペッパー、ピーターソンなど、それこそ多彩)その日の気分で選んだレコードを回しながら、お手軽に調理していた。それをお客さんのJazzファンに出していたナポリタンの作り方そのままに。
そういえば、来店するといつも珈琲とナポリタンを注文し、熱心に「精神現象学」(ヘーゲル)を読んでいたのが、三派全学連のある党派の政治局員のU君だった。彼は「ヘーゲルの『歴史哲学』は読むべき本だと思う」と話していた。そんな交友の日々を思い出したー。それにしても市販のナポリタンソース(市販のものは、どうして美味くないのかな?)を使うよりよっぽど美味しくできました。BGMはこのところ気に入ってかける機会が多い「歌の翼に」(メンデルスゾーン)、「ジュピター第二楽章」(モーツァルト)、「新世界より第二楽章」(ドヴォルザーク)など11曲のヒーリング音楽ー。
9月8日(日)に宇都宮市清原地区市民センター第1・第2学習室で実施される「甲状腺エコー検査宇都宮検診」の記事情報が日光市が毎月発行している「広報にっこう9月号」(8月25日発行)の情報欄「ひろば」に掲載される。市内全域2万8000世帯に手渡されるため、情報拡散としてはありがたい。主催は「関東子ども健康調査支援基金」(茨城県守谷市 常総生協内)、運営は市民団体「にじいろみらい宇都宮」。協力に「常総生協」、「よつ葉生協」、それに私たちの「さよなら原発!日光の会」も。診察する医師も検査会場の運営もボランティアであり、関東子ども基金が助成するため、費用はひとり1000円で済む。対象地域の限定はないため、県内外のどこからも受診できる。記事情報は必要最低限にとどまるが、記事情報にあるQRコードをチェックすれば、申し込み方法など詳しいことがわかる。「広報にっこう9月号」に掲載される記事情報とともに「甲状腺エコー検査宇都宮検診」を紹介します。
またやっくる8月6日と9日。1953年の映画作品「原爆の子」を観る。新藤兼人監督、主演は若い頃の音羽信子。両親と妹を原爆で失った教諭という設定だ。「第22回原爆写真展」(日光市杉並木公園ギャラリー、今市平和委員会主催)で。上映時間85分だが、あっという間に。ピカドンから8年目のまだ瓦礫が散乱する広島原爆ドームを知る。被曝で盲目になった老人、下敷きになり片足が不自由な花嫁、原爆症で死にゆく少女、不妊症になった友だち、病床で亡くなる父親、そして主人公も飛び散ったガラス片を片腕に。何年経ってもさまざまな人たちがヒロシマの被害を受け続ける。瀬戸内海の小島の小学校教諭の主人公、石川先生がかつて広島で教えた保育園の児童たちを訪ね歩く物語だ。ふと、やはり瀬戸内海の小豆島を舞台にした「二十四の瞳」の大石先生と子どもたちのストーリーを思い浮かべさせた。70年前の作品にようやく出逢えたという感じですー。DVDは6000円だったそうですー。
私もきょう8月2日(金)、オンライントークZOOM参加を申し込みましたー。
以下に原子力市民委員会の案内メールをアップします。
CCNE連続オンライントーク「原発ゼロ社会への道」2024 原子力市民委員会
第8回 東海第二原発の再稼働を考える ──福島原発事故の教訓は忘れ去られるのか
5月末からシリーズでお伝えしてきた《再稼働?あり得ない!》シリーズ、第4弾は茨城篇、日本原子力発電株式会社(日本原電)が再稼働をめざしている東海第二原発をめぐる状況をとりあげます。日本原電といえば、同社の敦賀原発2号機(福井県敦賀市)が敷地内の活断層の存在が否定できないことから新規制基準の適合性審査に合格できず、原子力規制委員会が再稼働を認めない判断を示したばかりです。日本原電はまだ粘る姿勢を見せていますが、廃炉になる公算が大きいと言えます。そうなると、同社所有の原発でただ一つ運転可能な原子炉として残るのが、茨城県東海村にある東海第二原発です。(敦賀1号は廃炉決定ずみ。日本最初の商業炉として1966年に営業運転を開始した東海原発は1998年に運転終了し、現在は廃炉作業が進められています。日本原電は敦賀3・4号機の増設を計画していますが、まだまだ「準備中」で着工の目途は立っていません。)
東海第二に対しては、住民が運転差止訴訟をおこし、水戸地裁は2021年3月の判決で、「東海第二原発の運転をしてはならない」と日本原電に命じました(現在、東京高裁で係争中)。この地裁判決は、原子力施設の安全性についての国際標準である「深層防護」の考え方に正しく則ったという点で、当然の内容ではあるのですが、画期的なものでした。判決では、避難体制が整っていない事実をもって、原発差止請求の根拠となる「具体的な危険」であると認定しましたが、そのことは、本年元旦の能登半島地震によって鮮明に裏付けられました。 しかし、その後、伊方原発や島根原発など各地の原発の差止訴訟で、「深層防護」を蔑ろにするような司法判断が続いてしまっていることからも、東海第二訴訟の控訴審の行方がますます重要となっています。
また、昨年、内部告発によって露見した東海第二原発の防潮堤の「施行不良」問題は、調査が進むにつれ、大変ひどい「手抜き工事」がおこなわれていた実態が判明し、工事のやり直しも避けられない情勢です】。 一方で、東海村村議会では「再稼働請願」が採択されるなど、推進に向けた動きが止まっているわけではありません。今回のオンライントークでは、茨城大学の原口弥生さんを話し手にお迎えして、東海第二原発をめぐる錯綜とした状況について、事実関係や住民の懸念について、解説していただくとともに、〈福島原発事故の教訓〉という視点でみたとき、これらのことが何を意味するのか、という点も考えたいと思います。
■日 時:2024年8月6日(火)17:00〜18:00【オンライン(Zoom)開催】
■プログラムと出席者:
1.東海第二原発の再稼働を考える ── 福島原発事故の教訓は忘れ去られるのか
/原口 弥生さん(茨城大学人文学部長、原子力市民委員会アドバイザー)
2.質疑応答・意見情報交換
■申 込:下記よりお申込みください。
https://us02web.zoom.us/webinar/register/WN_0RA6Bpw7Qjy1RLAHFsGjJw
(ご案内が届かない場合は、email@ccnejapan.com までお知らせください)
※ この企画は、後日Youtubeで公開します。Zoomのウェビナー形式で開催し、ご質問やご意見は当日の質疑応答(Q&A)もしくは、後日メール・FAXなどで受けつけます。
■主 催:原子力市民委員会(CCNE)
たまには詩心も。それにはやはり山之口藐さんかー。「戦後詩の長女」と呼ばれる詩人・茨木のり子さんは藐さんのことを「精神の貴族」とか評していたはず。それにしてもご自身でも書いているが、藐さんの「貧乏もの詩人」の詩は、なんというかー。ともあれ、その代表的な「貧乏もの」の詩をアップしたい。
詩 年越の詩(うた)
山之口貘
詩人というその相場が
すぐに貧乏と出てくるのだ
ざんねんながらぼくもぴいぴいなので
その点詩人の資格があるわけで
至るところに借りをつくり
質屋ののれんもくぐったりするのだ
書く詩も借金の詩であったり
詩人としてはまるで
貧乏ものとか借金ものとか
質屋ものとかの専門みたいな
詩人なのだ
ぼくはこんなぼくのことをおもいうかべて
火のない火鉢に手をかざしていたのだが
ことしはこれが
入れじまいだとつぶやきながら
風呂敷に手をかけると
恥かきじまいだと女房が手伝った
もう面白くて、情けなくて、笑ってしまい、泣けそうで~。貘の詩にはこんな詩が、貧乏の詩がかなりあるが(「ものもらひの話」とか、ずばり「借金を背負って」など)、「年越の詩」は別格のように思える。
確かに「詩人」とくれば、「金持ち」ではなく、「貧乏」。さらに青白い顔で、やせていて、力がないといったイメージか(貘の顔は哲学者のようだが~)。「貧乏」なので、詩人の資格があると、言ってみてしまう。そのうえ「貧乏もの借金もの質屋ものとかの専門みたいな詩人」とも。
時代小説に「武家もの」とか「町人もの」とか、そういわれる分野がある。だが、まさか、詩に「貧乏もの・・・もの・・・ものとか」もあるまいに。でも、貘が書くと、ほんとうに詩にそんな専門の分野がありそうな気がしてしまうから、不思議だ。
同時に年末に火鉢まで質屋に入れようとするのに、妻もあきれた様子で手伝う場面も詩に。それでもなんだか、暗くなく、透明な空気が流れている。これほど貧乏なのに、そうして自分も貧乏であることがわかっているのに、貧乏くさくない。これは、貘の、さらに貘夫婦の愛すべき人柄なのだろう。
私にしても、学生時代はいつもぴいぴいしていた。せっかく訪ねてきた友人と焼き鳥屋に行こうとしても、だいたい資金はゼロ。仕方なく、本棚から「高橋和己全集」とか「吉本隆明全集」から抜き出した何冊かを抱えて、古本屋へ(今となってはそれらの本を手放したのが惜しい)。そのわずかな金で飲みあったことが何度もあった。
そうして飲んだ焼き鳥屋の日本酒の美味かったこと(青春の苦い味があったからかもしれないがー。今でもときどき、その美味さを思い出すほどだ)。だが、まだ学生の独り者だっただけに、古本屋や質屋に通うのも、それはそれでありだ。ところが、貘は所帯を持ってからも、そうだったというのだ.。
本気だか、冗談だか。ほとんどわからない、めんくらったこの手の貘の詩に「自己紹介」がある。わずか6行の詩だが、さまざまに思いを巡らせることができる詩だ(ただ、「砂時計」は、この詩にある「びんぼう」と「自惚れ」の関係については、、半可通で理解しているのかもしれない)
詩 自己紹介
山之口貘
ここに寄り集まった諸氏よ
先ほどから諸氏の位置に就て考へてゐるうちに
考へてゐる僕の姿に僕は気がついたのであります
僕ですか?
これはまことに自惚れるやうですが
びんぼうなのであります。
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