桜町文庫の窓(5) 磯山オサム+ハル
官軍嫌い・杉浦日向子と明治維新
てやんでい、二本差しが怖くて色川の鰻が食えるかと言いてえところだけれど、このところトンと二本差しをみねえ。髷だって時世に遅れてるって。文明開化か散髪脱刀令か知らねえが、きのうおとついまで攘夷・攘夷と騒いでいた連中が、脱亜入欧だとぬかしやがる。お天道様は東からあがらあ。このお江戸を東の京と言いくるめるめえに、おめえ達の攘夷はいったいどこにいっちまったんだ。と杉浦日向子『百日紅』の絵師、善ちゃんこと善次郎だったら声をあげるだろう。
杉浦日向子には、『百日紅』ほか江戸の世情や幕末を描く作品が多い。
旗本の子弟の、医学を学ぶための長崎留学を描いた『東のエデン』や『ニッポニア・ニッポン』。『とんでもねえ野郎』は、貧乏御家人の愛すべき放蕩。『合葬』は、彰義隊に参加した少年隊士三人の最後を描いている。
『百日紅』は、幕末近く葛飾北斎とその娘お栄・絵師修行中の善次郎を主な人物とする作品。
北斎の娘お栄は、浮世絵師の葛飾応為。北斎晩年の作には、お栄の代筆もあると伝えられる。絵師修行中に北斎宅に出入りする、徳川家臣を捨てた遊び人・女たらしの善次郎こと、後の渓斎英泉。三人がそれぞれの絵に対する思いと葛藤を、江戸末期の風情をからめて伝える。
強く印象に残るシーン。
お栄が盲目の異母妹〈なお〉と、蚊屋のなかで添い寝をしている。
《ねえちゃんねたか?
おきてるよ
蚊屋のうえになにかいるよ いるよ
おおきな虫だった・もう大丈夫
虫 きれいな虫 やさしい?
やさしいよ
かわいい? かわいいよ》
〈なお〉はお栄の顔に頬をよせて呟く。
《死んだら地獄に行くよ
地獄では お地蔵様に石を積んであげるのが仕事だ なぜって 決まっているからしかたがない・・・》。
杉浦日向子は自分の最後の言葉を、お栄の
の妹の言葉に託した。
日本国内最大の内乱の戊辰戦争は、一八六八年一月二七日(慶応四年)鳥羽伏見の戦いから始まり、六九年六月二七日(明治二年)函館・五稜郭の陥落で終わる。
江戸城の明け渡しが六八年四月一一日。江戸を東京と改めたのが、七月一七日。九月八日に慶応四年から明治元年となった。
戊辰戦争のなか江戸の庶民は、時代の変化に大きく晒され、明治新政府は江戸の名を消し、西洋文明に遅れるものとして江戸文化を否定した。
新政府は、士農工商の廃止や差別された人々を〈新平民〉とする、明治四年の〈解放令〉など、政治体制の変革だけではなく、身分制度の改革も行った。
しかし明治六年一月、大道芸や門付け・厄払いなどが〈生活を幻惑させるもの〉や〈乞食に類するもの〉として禁止、厳しい取り締まりを始めた。もちろん当局の目を潜り、生き延びた芸もあるが、瞽女や辻万歳・見世物や旅芸人などが消え、その芸能が衰退していった。
渡辺京二は『江戸という幻影』の中で、滅ぼされた文化を《私は江戸時代には学ぶべき点があるとか、再評価すべきものがあるとか言いたいのではなかった。私はただ、近代が何を滅ぼして成立したのか、その代償の大きさを思ったのである》と言い、《失った文明がどうしょうもなく美しかった》と書いている。
明治新政府は、〈門付け〉や〈辻万歳〉などを、西洋文明と比較し劣るもの・恥ずかしいものとしてとらえ、庶民から見えない場所へ追いやった。
村から村へ旅する人々が消えた。
沖浦和光の『旅芸人のいた風景』には、旅芸人を『その素性もよく分からず何を持ち込んでくるか分からない。村人にとっては油断のならない流れものだった。しかし裏返して考えてみると、たまさかやってくる旅芸人は、日ごろの惰性的な生活に活を入れるありがたい使者であり・・・村社会に風穴を開けてくれる外部からの文化伝達者でもあった』としている。
脱亜入欧・文明開化の名のもとに、新政府は、新しい差別構造を作った。杉浦日向子の『お江戸暮らし』のなかでは、《士農工商などという四文字熟語は明治以降、突如ポピュラーになったものだ。江戸のころは単に「士民」とだけ称していた。武士とそれ以外のもの。双方は支配・被支配の関係ではなく分業意識があった・・・民はそれほど愚かではない》と記している。新政府の姿は、都心部の、ホームレスを追放するために横になれないベンチを置く、差別される者をさらに排除する現代の行政と通じるものがある。
杉浦日向子(一九五八~二〇〇五)は、漫画家・文筆家のほかに江戸風俗研究家と呼ばれた。学ぶことなしと日大芸術学部を一年で中退後、時代考証を学び二二歳で漫画家となった。
河出文庫『江戸におかえりなさいませ』の
インタビューによると、大学をやめたころ〈時代考証〉の仕事をやりたかったが、出来るまでに十五年ほどかかると言われ諦めた。マンガのことはよくしらなかったが、書いてからガロに投稿を始めたと語り、八〇年に『虚々実々通言室之梅』でデビュー。正確な時代考証と、登場人物と風や闇などの自然描写が、マンガというより一枚の絵〈絵物語〉を思わせる作風となった。
三四歳、杉浦日向子は漫画家を引退し隠居の宣言をする。
ちくま文庫『杉浦日向子ベスト・エッセイ』の『隠居志願』には、十七歳で通ったジャズ喫茶のママに手相の生命線から三十四歳までの命と告げられことが書かれている。
二十歳で禁煙をして、十三年間続けた漫画家を辞め、三四歳、それを隠居元年とした。
隠居一年生の仕事は、《働かない・喰わない・属さない》としている。
『百日紅』に登場する絵師見習いの善ちゃんは、北斎の娘お栄の、ちょっと気になる存在。ちくま文庫のエッセイ集『大江戸観光』の『江戸への恋文』の中で、杉浦日向子は善ちゃんに洒落と言いつつ〈恋文〉を贈った。
一部を紹介すると、《善ちゃんは、エッチな絵もたくさん描いていて、でもそれはヘンタイ趣味じゃなく肯定的好奇心に満ちて、子供向けに描いたおもちゃ絵、ひとびとのつつましい暮らし、そんなところに善ちゃんの気持ちが伝わってくる・・・他の人から英泉はと言われるけれど、善ちゃんをつかまえることのできる大きくて強い腕がほしいよ。じれったいよ。もしも、善ちゃんの肩に、私の手が届いたら、その時は、ちょっぴり笑ってほしいな。じゃ、またね》。長い引用になったが、お栄と杉浦日向子の、善ちゃんこと渓斎英泉(一七九九~一八四八)に対する思いが伝わる。
『合葬』は、初期の代表作。一九八二年七月から八三年四月まで、漫画誌〈ガロ〉に掲載された。
江戸城もすでに明け渡された一八六八年五月十五日、彰義隊と新政府軍との〈上野戦争〉は、一日でおわる。
『合葬』杉浦日向子の前書き〈ハ・ジ・マ・リ〉の一部。
《合葬は、上野戦争前後の話です・・・隊や戦争が主ではなく、当事者の慶応四年四月~五月の出来事というふうに考えました。・・・江戸の風俗万般が葬り去られる瞬間の情景が少しでも画面にあらわれていたら、どんなに良いだろうかと思います》。
力で世情を押しつぶす新政府軍。滅びゆく影を想像しない、〈野暮〉な官軍の姿を杉浦日向子は是としなかった。
『合葬』、彰義隊に参加した三人の少年。
吉森(笠井)柾之助、嘉永五年(一八五二年)生まれ十六歳。旗本三百石の養子に入るも追い出され、生家にも戻れず行き場のないまま、彰義隊に入隊。
秋津極、嘉永四年生まれ十七歳。旗本の長男。徳川家を守るため弟に家督を譲り、許嫁を離縁。覚悟の入隊をする。
福原悌二朗、嘉永四年生まれ十七歳。旗本の次男、長崎留学中の医学生。極に離縁された娘の兄。離縁を思い留まらせるために、彰義隊の詰所に極を訪れ、戦いに巻き込まれる。隊士として、官軍に撃たれ死去。戦いは〈私情に走り大局を見失っている〉としていた。
戦いは一日。
わずか六時間を〈上野戦争〉と呼ぶ
それは、義ではなく滅びるものの自剄
『合葬』の作品中、杉浦は《維新は実質上維新〈これあらた〉なる事はなく、末期幕府が総力を挙げて改革した近代軍備と内閣的政務機関を、明治新政府がそのまま引き継いだものにすぎない。革命ではなく復位である》
と注を付けている。
上野戦争は、江戸城を明け渡し徳川慶喜が水戸に退去し、幕府の消滅後の戦い。当初寛永寺には浪士も含め三千から四千の隊士がいた。内部分裂もあり開戦時に残ったのは、少年達を主流にした八百人ほど。世の移り変わりの決まった後の、一日の戦いで、寛永寺境内の彰義隊の死者は二六六人。新政府軍は三十人。残党狩りは熾烈を極め、寛永寺内の死者は、埋葬を許されなかった。
作品中、吉森柾之助と銃による手傷を負った秋津極は寛永寺を脱する。かつての出入り商人の店で一夜を頼むが、残党狩りを恐れた商家から助けを拒まれる。さらに二人は逃げ、極は納屋の中で切腹、十六歳の柾之助が介錯を行った。
作品の終わりちかく。その姿では〈公方様の兵隊〉と分かると、町の人々に着替えさせてもらい、極を埋葬した柾之助は、ひとり会津を目指す。
最後の言葉。
《会津に向かっているのかどうか
わからなくなっていた
疲れているが 歩みは止まらない
止まらぬどころか
ついには
はずみをつけて速さがましてくる
ついには地をけって
天駆くるかのような心地となり
額を
頬をきる風を
感じていた》
柾之助が野に倒れ、たくさんの鳥が飛び、刀を包んでいた菰が地で風に吹かれている。時が過ぎ、少女と旅人が、倒れている柾之助を見つけ抱き寄せる。少女は座って柾之助を見ている。旅人は少女にうなずき「ホレしっかりしなせい」と柾之助に声をかける。
作品末尾。旅人は柾之助を背負い野道を行く。
《慶応四年七月十七日
新政府は江戸の名称を東京とし
ついで九月八日年号を明治と改める
当時反骨の江戸っ子はこんな
落種をよんだ
―上方のぜいろく共がやってきて
とんきやう(東京)などと
江戸をなしけり
うえからは明治だなと云ふけれど
治明〈オサマルメイ〉と
下からは読むー
かくて江戸は過ぎ
遠のいて行く》
野を行く旅人と少女の上の空に、この文章が書かれている。
柾之助がめざした会津は、新政府に対抗した奥羽越列藩同盟の主流。旧幕藩体制の守旧派・朝敵とされるが、これは江戸の庶民が〈身分制度に縛られ、暗い日常を過ごしていた〉と同じく、新政府により作られた評価。
〈もうひとつ研〉の『赤松小次郎ともうひとつの明治維新』では、文中『西軍の天皇・国家の私物化にたてついた奥羽越列藩同盟』の章のなかで、同盟はなにをしようとしていたのかを、関良基が以下のように解説している。
《私たちが学校教育の中で押し付けられたのは、幕臣が徳川政権に忠義を尽くして戦って死んでいったという・・・幕府を守る守旧派、保守派というイメージなのですが、実は西軍は天皇を私物化して、国家を私物化してしまうこと、そんなことを許してはいけない、もっと公議にもとずいた政治をするんだと言って西軍にたてついたわけです・・・同盟側が忠義を貫いた封建思想の塊というイメージは全くおかしい》と続けている。
事実、奥羽越列藩同盟は〈奥羽公議所〉を作り、〈議会政治〉をめざしている。
滅ぶ同盟側が、後の明治自由民権運動に繋がる政治思想を持ちつつあり、幕府側諸藩の藩士や幕臣からも幾つかの〈立憲制〉・〈立憲政体論〉が出されている。
なかでも、上田藩士の赤松小三郎の徳川政権や薩摩・長州藩にに提出された〈立憲構想〉は、戦争をせずに、薩摩や徳川が議会を構成して、選挙で新政権を作ろうというものだった。
赤松は普通選挙による議会政治を提案したが、一八六七年(上野戦争の前年)、京都で薩摩藩士の中村半次郎によって暗殺されている。薩摩藩で、兵法の講義を行ったこともある上田藩士の赤松は、官軍側の幕府への武力討伐のじゃまとされた。
幕藩体制を倒した明治新政府は、新しい時代の方向として、国家神道を基盤とした〈王政復古〉を選んだ。
江戸・徳川幕府は二百六十年ほどのあいだ、経済的成長は少なかったと考える。しかし政権は対外戦争を起こさず、庶民は豊かではなかったが少なくとも平和であったろう。明治新政府は、脱亜入欧のもとアジアの盟主を自認し、対外的差別を行う国となり、戦争の時代が続いた。
『杉浦日向子の『うつくしく、やさしく、おろかなり』では、《江戸の昔が懐かしい、あの時代が良かった、とは、わたしたちの圧倒的優位性をしめす、奢った、おざなりの評価だ。そんな目に江戸は映りはしない》としている。
杉浦日向子は、惚れた江戸を、
《うつくしく、やさしく、おろかなり。
そんな時代がかつてあり、
ひとびとがいた。
そう昔のことではない。
わたしたちの記憶の底に、
いまも、眠っている》
と伝える。
上野戦争からまだ一五六年
おろかさがゆるされる時代の
江戸とそのひとびとを想う
文庫の窓(参考資料)
1 『百日紅』上下 一九九六年・ちくま文庫 著者 杉浦日向子。漫画サンデーに八三年より八六年まで連載。代表作の一つ。二〇一五年アニメ映画化されたが、杉浦の絵画的表現を、動画では表すことが出来なかった。
2 『合葬』 一九八七年・ちくま文庫 著者 杉浦日向子。『長崎より』が加えられ、当初は青林堂より刊行。初期の代表作品。極役に柳楽優弥を迎え、 二〇一五年に実写映画かされたが、原作の風景描写などの繊細さを超えられなかった。
3 『江戸という幻影』 二〇〇四年・弦書房 著者 渡辺京二(一九三〇~二〇二二)
批評家・評論家。江戸時代というより、その時代に生きた人々を伝える。石牟礼道子の創作を支えた人として知られる。日光市の霧降文庫にて購入。
4 『旅芸人のいた風景』 二〇一六年・河出文庫 著者 沖浦和光(一九二七~二〇一五)桃山学院大学名誉教授・学長を務める。
マルクス的な立場より、差別問題などを研究。東大生当時第一次全学連の設立に関わり、のちに統一社会主義者同盟の中心的メンバーとなる。専攻はアメリカ文学であったが、民族学や社会思想へ移り『現代の理論』をベースに執筆を行った。当書では、渡世人・行商人・旅芸人達を懐かしむのではなく、彼らが消えていかなければならなかった、明治新政府の取った政策を記している。遊芸人など差別を受ける人々を〈小さき人〉として寄り添う。他の著作に『天皇の国・選民の国』など。
5 『赤松小三郎ともうひとつの明治維新』 二〇一九年・歴史教科書に対する〈もうひとつの指導書〉研究会発行。 関良基(拓殖大学教授)の〈江戸末期の立憲政体論〉の講演を主とした研究集会の記録集。二四年六月八日の朝日新聞書評欄に、関良基の『江戸の憲法構想』という新刊が紹介されている。佐渡市在住の良き友人より進呈された。
6 『うつくしく、やさしく、おろかなり』 ―私の惚れた江戸― 二〇〇九年 ちくま文庫 著者 杉浦日向子 文中の『うつくしく・・・』は、一九九三年、ちくま日本文学全集五七の岡本綺堂の解説として書かれた。《江戸の粋と遊び》など、暮らしと食事情が江戸への愛情をこめて書かれている。
7 『江戸東京の明治維新』 二〇一八年 岩波新書 著者 横山百合子。 一九五六年生まれ、国立歴史民族博物館教授。明治新政府の統治と、それに対する庶民の受け止めかたなどを主題とする。〈屠をめぐる人びと〉の章で、明治四年の〈賤民廃止令〉を解説。参考とした。
8 『杉浦日向子―江戸から戻ってきた人― 』 二〇一八年 文芸別冊・増補新版。 エッセイ、単行本未収録の吉本ばななや村上龍などとの対談、著作リストが掲載されている
追悼文集。
〈桜町文庫〉は架空の書店です。ハルは二〇一二年生まれ、長毛種の美形ネコ。猫の小学校も卒業した、文系の助手です。
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