発想の転換を促す野口健の清掃登山 「冒険者達」冨岡弘(「序説」第31号から)
「私の一篇」(同人誌「序説第31号」ー9月1日発行ー)
冒険者達 冨岡弘
アルピニストの野口健さんがエベレストの清掃登山に出発するとの記事が新聞にのっていた。記事を抜粋すると「今年で三回目となるエベレストと富士山の同時清掃登山についてアルピニストの野口健さんらが環境省で会見した。清掃後、地球温暖化で崩壊が危惧されているヒマラヤ氷河を視察、G8環境大臣会合で報告する。」という内容で、清掃する場所はネパール側ベースキャンプの標高五千二百メートル付近らしい。富士山では女優の若村麻由美さんがリーダーとして参加する。野口氏が以前から清掃登山をしていることは、多くの日本人が知っているはずである。環境問題が世界的に重要視され、地球温暖化抑制のための二酸化炭素排出削減の努力を国単位あるいは企業単位で取り組もうとしている。昨今マスコミで環境問題はあたり前のごとく取り上げられているのだが、私が新聞記事で興味を持ったのは、環境問題よりむしろ野口健という登山家が、山を清掃するために登山するという行為についてである。野口氏の行為は、現在を生きる我々にとって大きな発想の転換のヒントに成るのではないかとふと思ったからである。
元来登山家、一般的に言えば冒険家と呼ばれる人たちは、未知で未だ誰も成しえていない冒険をすることが、その目的の大部分を占めているはずなのだが、何故あえて清掃なのかが、ちょっとひっかかったのだ。
ところで、我が国にもう一人誰でも知っている有名な冒険家がいる。その人は三浦雄一郎である。彼は今年七十五歳になるのを記念してか、エベレストの登頂を計画しているらしい。彼の計画はこれまで世界中の冒険家達が挑んできた、解りやすいカテゴリーに属する。あくまでも新しい記録をうち立てるための登山なのだ。七十五歳でのエベレスト登頂は世界最高齢にあたるのかは、私は知らないが、とにかく世界中の冒険家達が目指す他に誰も成し得なかった記録への挑戦。そのことが、冒険の最大の意義であり最終的な目的であるはずだ。冒険家にとって、目的達成に必要とされることでまず思い浮かべるのは、体力・気力・忍耐力・判断力などで、他にも色々あろうがそんなことが重要であると考えられる。しかし近年それ以上に重要なのがアイデア力ではないか。他の人が未だ誰もやっていないこと、そのことを考え出す発想力がどうしても一流の冒険家になるために必要なのである。百年前の登山家ならば未踏峰の山は世界中に幾らでもあったであろう。ただただ純粋に登ればよかった。しかし、近年では地球のありとあらゆる場所に人間が進出して、未知の領域は益々少なくなる一方である。当然それに比例して新鮮な驚きをもって迎えられる冒険も、減少傾向になるはずである。
ここで二人の有名な日本人冒険家の具体的記録を記してみたい。一人は先ほど少しとりあげた三浦雄一郎、もう一人はおなじみ堀江謙一である。
三浦雄一郎
1966年 富士山直滑降(スキー界で初のパラシュートブレーキを使用)
1967年 マッキンレー山滑降
1970年 エベレスト 8000m世界最高地点スキー滑降
1977年 南極スキー滑降
1978年 北極圏バーボーピーク滑降
2003年 エベレスト山8848m次男とともに登頂
2004年 父 (敬三) 100歳 、子供達、及び孫の、100歳から1歳の一族での、ア
メリカロッキー山脈をスキー滑降
堀江謙一
1962年 ヨット(マーメイド号)で単独太平洋横断
1974年 単独無寄港世界一周
1982年 縦回り地球一周
1989年 世界最小の外洋ヨットでサンフランシスコ~西宮間
1992年 足こぎボートでハワイ~沖縄間
1996年 アルミ缶リサイクルのソーラーパワーボートでエクアドル~東京
1999年 業務用ビール樽を利用したリサイクルヨットでサンフランシスコ~明石
海峡大橋間
2004年~05 単独無寄港世界一周 サントリーマーメイド号の航海
堀江謙一の足跡を辿ると冒険家がいかに工夫してアイデアをしぼりだしているかが、手に取るようにわかるはずだ。1962年・74年・82年の初期の航海は割合まともな冒険らしい冒険ではないか。まさに体力・気力・忍耐力の裏技なしの野球に例えれば直球勝負である。62年のマーメイド号の太平洋横断は、私が二十歳の頃の記録であり当時の記憶を辿れば、やはりすごい人が日本にもいるなあと驚いた覚えがある。しかし、89年以降の航海はどちらかと言えば変化球での勝負といえるのではないか。それぞれの記録がなかなかアイデアに富みユニークながら、苦労しているなあといった印象である。堀江さんが何故こんなに海にこだわり、しかも小さなヨットで何度も航海に臨むのかは私のような凡人には理解し難いが、これが冒険家の宿命とでもいえるのか。
もう一人の重鎮を忘れてはいけない。プロスキーヤーの三浦雄一郎である。堀江氏が海ならばこちらは陸である。やはり彼のプロフィールをみれば、なかなかのアイデアマンということが、ひと目でわかるはずである。パラシュートで急勾配な雪面を滑降する彼の雄姿を映像で見たことのある日本人は、多くいるはずだ。ただ滑るのではやはりプロとして面白くない。日本や世界の人々の視線を惹きつけるには、ちょっと驚愕するアイデアが必要であることを彼は十分意識していたはずである。ある意味堀江氏よりも一般大衆を意識したパフォーマンスであり、冒険をエンターテーメントとして定義づけようとしたのか。2004年の記録などはなかなかほほ笑ましく、父の敬三氏の影響か冒険を運命づけられた家族らしい、挑戦であった。
堀江・三浦両氏のアイデアのユニークさはさておき、共通するのは命の危険をかえりみず何度も冒険に挑戦し、成功させてきたことである。百年前の冒険家とユニークさにおいて少し違いもあろうが、命を懸けた冒険家としてほぼ同質のカテゴリーにくくられるのではないか。両氏の冒険は冒険家としての王道そのものなのだ。
次に野口健のプロフィールを紹介してみたい。
十六歳で登山を始め、十年目で世界最高峰のエベレストの頂上を極めた。
七大陸最高峰最年少制霸。
1990年 モンブラン(十六歳)
1990年 キリマンジャロ (十七歳)
1992年 コジウスコ (十九歳)
1992年 アコンカグア (十九歳)
1993年 マッキンリー(十九歳)
1994年 ビンソン・マシフ (二十一歳)
1999年 エベレスト(二十五歳)
1999年以降ゴミ問題や2001年には日本隊に参加し遭難したシェルパの遺族を補償するためのシェルパ基金の設立。 2007年エベレストを中国側から登頂に成功。ネパールならびに中国側からの登頂に成功したのは日本人で八人目。初期の七大陸最高峰最年少制覇は、堀江・三浦両氏の冒険家としての路線と同じタイプであり、命がけの試みであった。七大陸制覇で彼の当初の目的は達成されてしまったのか、1999年以降の行動に大きな変化がおこる。清掃登山である。エベレストのベースキャンプ付近に多くの登山家が残していったゴミの回収である。以前テレビの映像で驚かされたのは、世界中の登山家がエベレストを目指しベースキャンプとして使用している場所には、カラフルなテントがなんはりも点在し、お店はないであろうがちょっとしたテントの集落ができあがっている。これでは、沢山のゴミがでるわけである。人間世界では、崇高とされる計画なり行動の足元をみたとき、全然違う現実世界がたちあらわれることが往々にしてある。遠くの白銀に輝くなんとも魅力的な山々に見とれてしまい、足元の小さなゴミの山にきづかない。野口健は遥か遠くの山そして自身の足元も、両方ある時期からみえてきたのである。ここが従来の冒険家と一線を画する彼のユニークなところで、時代の空気も環境問題が頻繁に議論の対象としてとり上げられている昨今、彼のセンスは現在を生きる我々に最も必要とされるセンスではないか。 大志に向かい張り切って行くのはよいが、やはり身近な現実も大切なのだ。先進国と呼ばれている国々にとっても同様なセンスが問われている時期なのではないか。今の中国やインドにそんな事を言っても熱いボルテージに水をさすようなもので、嫌われるのがおちだろうが。世界中どんな処に行っても、人間が存在する限りゴミも存在するように、多種多様で小さな問題も存在するはずである。野口健の清掃登山は地味な行動であるが、なかなかのインパクトを私に与えてくれた。
(冒険者達は2008年に序説15号に掲載したもので、今回文章の一部を少しだけ手
を加えて掲載しました。)
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