無料ブログはココログ

ブログランキング


  • 人気ブログランキングへ

« 2024年10月 | トップページ | 2024年12月 »

2024年11月

2024年11月30日 (土)

12月から「霧降文庫」」は冬季休業へ   2024年度はお世話になりましたー

「霧降文庫」(日光市霧降高原)は、12月1日(日)から冬季休業に入ります。例年と同じく、寒さの季節に入るため、ベランダでのオープンは難しいためですPhoto_20241130214102 。再開は2025年ゴールデンウイークから。5か月間のお休みとなります。2024年度はさまざまにお世話になりました。御礼を申し上げます。また、新緑が輝き始める頃に再びお会いいたしましょう。それにしても今秋の我が家の紅葉は例年以上に見事だった。それも惜しみつつ、その光景もアップしておきますー。

 

Photo_20241130214101 Photo_20241130214103 

2024年11月29日 (金)

どこまで市民運動に助けられてきただろうか   樋口英明元福井地裁裁判長が栃木アクションで

Photo_20241129183701 1 先入観について

  皆さんこんにちは。元裁判官の樋口です。

名古屋から新幹線「のぞみ」に乗ろうとしたら、新幹線が動いていなかったのです。やっと動き始めても1時間半の遅れがありました。東京に向かっている途中で「東北新幹線も遅れている」との情報が入り、東京駅での乗り換え時間も考えると「絶望的かな」と思ったのです。ところが、東北新幹線が遅れていたおかげで、その遅れていた新幹線に全く待つことなく乗ることができました。皆様をやきもきさせた分、皆さんに役立つ話をしなければと思っています。

ここに集まられた方はほとんどが脱原発の強い信念をお持ちの方だと思います。脱原発派に正義があることは明らかです。原発はトイレ無きマンションといわれますが、近づくだけで20秒で死んでしまうような毒物を10万年以上にわたって後世に残すことが許されるわけがないのは当然のことです。トイレどころの話ではないのです。原発が倫理に反するのは明らかです。しかし、倫理観のない人に倫理を解いても極めて効率が悪い。

今日私がお話しするのは「原発の危険性」の話です。倫理観のない人でも危険性は分かるはずです。今日皆さんにお話しするのは、皆さんの周りの人に伝えることができるわかりやすい原発の危険性の話です。

  昨日、大谷翔平選手が2年連続で3回目のMVPを取りました。その大谷選手の座右の銘は「先入観は可能を不可能にしてしまう」です。「プロ野球では、ましてや大リーグでは二刀流は不可能である」という先入観が多くの選手の才能の芽を摘んできたと思います。しかし、高校時代の佐々木監督も日本ハムの栗山監督もそのような先入観を持っていませんでした。それで、大谷選手は大きな飛躍ができたのです。

脱原発にとって、一番の敵、障害物は何かというと、原発回帰に舵を切った政府でも、電力会社でもないのです。一番の敵、障害物は私たちの心の中にあるものです。脱原発においても第一の障害は「国が進めている以上、原発は必要なのだろう」という先入観です。「我が国は民主主義国家であり、正常な選挙が行われている。そこで選ばれた国会議員が国民の安全を考えないわけがない。総選挙でも原発のことが争点にならなかったのは原発が安全だからだ」と若い人達は思っているのです。これも先入観です。「原子力規制委員会は福島原発事故の教訓を受けてできた組織だから、それなりの厳しい審査をしているはずだ。原子力規制委員会が許可をして現在動いている原発はそれなりに安全だ」これも先入観です。「裁判官とか、大臣とか、重い責任を負っている人は、それなりの見識、責任感、賢さを持っているはずだ」という先入観。これらが脱原発の敵であり、障害物だと思います。

 その中でも一番の強敵は何かというと、「原発問題は難しい問題だ」という先入観です。これは脱原発派であろうが、原発推進派であろうが、無関心な人であろうが、全員が、「原発問題は難しい問題」だという先入観を持っています。しかし、それは間違っています。私は実際に原発訴訟を担当して原発問題は決して難しい問題ではないと確信したのです。

2 原発問題の本質は2つだけ

  原発問題は極めてシンプルです。分かってほしいことは2つだけです。たった二つだけです。①一つ目は、原発はどんなときでも人が管理し続けなければならないということです。管理しないと暴走するのです。②二つ目は暴走した場合の被害はとてつもなく大きいということです。この二つだけなのです。

3 原発は人が管理できなくなると暴走する

  原発は、自動車とか、家電とか、あるいは火力発電所とは全く違うのです。何かトラブった時、地震でも、火事でもいいので、トラブった時をイメージしてください。例えば自動車を運転していてトラブりました。車を止めて、JAFを呼べば、それで終わりです。家電でも同じです。扇風機を回して、なんか音がおかしくなったら、コンセントを抜いたら終わりです。火力発電所でも、地震が来たら火を止めれば終わりです。新幹線でも停電したら止まって安全になります。これが私たちの常識なのです。だけど原発だけはそうじゃないのです。原発は止めるだけではダメなんです。止めた後も、水と電気で原子炉を冷やし続けないといけないのです。停電してもメルトダウン、断水してもメルトダウン。原発は私たちの常識が通用しないのです。

 福島原発事故では、何が起きたかと言うと、原子炉が地震や津波で壊れたのではないのです。地震で外部電源が断たれ、津波で非常用電源が断たれました。すなわち、単に停電しただけで、原子炉を冷やすことができなくなってしまい、原発が暴走したのです。「全電源喪失」というと、何か凄いことが起こったのではないかと思ってしまうけれど、単に「全面的に停電しました」というだけのことです。

4 暴走したときの被害はとてつもなく大きい

停電したことで、原子炉を冷やすことができなくなって「東日本壊滅」の危機に見舞われたのです。福島第一原発の吉田所長も2号機の格納容器が破裂するだろうと思って、東日本壊滅を覚悟したのです。

しかし、考えられないような数多くの奇跡があったことで「東日本壊滅」を免れたのです。数多くの奇跡のうち一つでもなければ東日本は壊滅していたのです。ぎりぎりで東日本壊滅を免れたとはいえ、「原子力緊急事態宣言」は今も続いています。337平方キロメートルの土地が帰還困難区域として立ち入りが禁止されています。337平方キロメートルと言ってもお分かりにならないと思います。この宇都宮城址公園の9千個分です。尖閣列島の50個分です。

5 本質が分かれば結論が分かる

①人が管理し続けなければ暴走する、②暴走したときの被害はとてつもなく大きい。このようなものはほかにはないのです。我々の常識が通用しない技術です。

①、②の二つを理解しているかどうかで最近の動き、例えば、老朽原発が許されるかどうか、自民党政権の「敵基地攻撃能力」の政策は正しいかどうかも分かるのです。また、原発訴訟の判決が正しい判決かどうかも分かるのです。

6 老朽原発について

   現政権は、原発の本質がわかっていません。これまで原発は40年ルールというのがあって、40年間の稼働とするのが原則だったのです。このルールは当時の民主党、自民党を含む全政党が一致して決めたものです。ところが岸田政権は、このルールを変えてしまいました。そもそもなぜ原発は40年間しか動かしたらいけないのかは原発の本質が理解できると分かるのです。50年前の自動車に乗っている人もいますが、誰もそれをだめだとは言わないでしょう。なぜかというと50年前の自動車に乗っていても、トラブったらエンジンを止めてJAFを呼べば解決するからです。家電が故障してもコンセントを抜けばそれで解決します。

古い原発は古い大型旅客機に似ているのです。50年前の大型旅客機に乗りたいと誰も思わないはずです。飛行機は、原発と同じように、人が管理し続けないといけないのです。

ちょっと想像してみてください。50年前の飛行機を操縦していたら、突然燃料漏れが生じました。何とかして近くの飛行場まで行って緊急着陸しなければならない。何とかして近くの飛行場まで行けたのですが、その時に緊急着陸しようと思ったら、高度計が壊れていた。しかたがないので目測で着陸しようとしたら、その時に車輪が出ないということに気がついた。このように老朽化するということは、いわゆる想定外のことが次々に起こるということが想定されるということなのです。

原発はよく止まります。裁判所が止める時もありますし、原子力規制委員会の審査に時間がかかる場合もあります。その止まってる間や動いていない期間は40年に含まれないということで期間制限を外そうとしています。これは根本的におかしな話です。我々も眠ってる間も老化していきます。40年ルールを外すということは、人が管理し続けないといけないという原発の本質を理解していないということです。

7 コスト論は正しいか

経済界はすぐにコストの話を持ち出します。私が担当した大飯原発差止訴訟においても関西電力は「原発が止まるとその分火力発電所の燃料代として石油や天然ガスを輸入しなければならないから貿易赤字になってお金が失われる。国富の流出や喪失になる」と主張しました。

それに対して、私は、「この問題について国富の流失や喪失の議論があるが、たとえ大飯原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしてもこれを国富の流出や喪失と言うべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根をおろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」と判決に書きました。この考えは全く変わっていません。原発に関してコスト論は論じるべきではないのです。

しかし、相手方は極めて執拗にコスト論を言ってきます。そこまで言うのなら、売られたけんかは買わないわけにはいかないということでコスト論を論じてみます。

東京電力の年間の利益は約2500億円程度です。福島原発事故の経済的損失は、健康被害が一切なく健康被害について賠償の必要がないことを前提に最も控えめに見積もっても25兆円です。25兆円を2500億円で割ると100になる。つまり、一つの事故で巨大企業の100年分の利益が吹き飛んでしまうことになる。このような発電方法のコストが安いといえるわけがないのです。

仮に、東京電力の福島第一原発ではなく、ここから60キロメートル東にある日本原子力発電株式会社の東海第二原発が福島原発事故と同規模の事故を起こした場合、地域の不動産時価等が福島とはまったく異なることから、25兆円を遥かに超える660兆円余の経済的損失を生じると試算されています。我が国の予算総額は約110兆円ですから、6年分の予算が飛ぶことになります。我が国は確実に破産するのです。また、福島原発事故で吉田所長が覚悟したように2号機の格納容器が爆発した場合の経済的損失は約2400兆円であったと試算されています。我が国は破滅します。

これらの金額を聞いただけで、原発の問題が尋常でない問題であることは明らかです。原発の問題はエネルギー問題でも、環境問題でも、人権問題でもあります。しかし、この数字は原発問題が国の存続の問題、つまり原発問題が基本的には国防問題であることを示しています。

8 原発は自国に向けられた核兵器  

ロシアとウクライナの戦争で原発問題が国防問題であることがますます明確になりました。ロシアとウクライナの戦争で最も重要なことはロシアがウクライナのザポリージャ原発を攻めたということなのです。「攻めるぞ」と脅されただけでウクライナは明け渡すしかないのです。ウクライナが原発を守るために大砲をぶっぱなした途端に、ロシアから大砲とミサイルが飛んできます。それが原子炉に当たったら終わりだし、電気施設に当たっても冷やせなくなって終わりだから、ウクライナは抵抗することができない。従業員も、逃げ出したくても、たとえ逃げ出すことができたとしても、逃げ出せない。なぜなら自分らが逃げ出すと、原発が管理できなくなって暴走するからです。だから逃げ出せない。進退窮まることになるのです。原発の存在は、防衛上、最も不利なのです。

日本は54基もの原発をしかも海岸沿いに並べてしまったのです。その時点でどの国と戦争しても勝てません。原発を動かそうという話と敵基地攻撃能力を持とうという話は矛盾するのです。あえてこのことを説明すると、岸田さん達は「テロリストや仮想敵国が日本の原発を狙うことはない」というテロリストたちに対する高い信頼を持っているということです。それ以外に合理的な説明ができないのです。

原発は自国に向けられた核兵器です。それを除去するのに何十兆円という膨大な防衛費も難しい外交交渉も不要です。自国に向けられた核兵器を除去することは、「豊かな国土を守り次の世代に受け継がせよう」とする意思さえあれば簡単に踏み出せる道です。

9 原発差止訴訟の本質  

原発も難しい問題だ、ましてや原発訴訟はとてつもなく難しい問題だと誰しも思いがちです。これも先入観です。

家が倒れたりするような強い地震ではなくても停電や断水は生じます。だから配電や配管の耐震性を高めるのは難しいのです。しかし、原発では配電や配管の耐震性が問題となります。そこで、大飯原発の訴訟における原告住民の言い分は「大飯原発の敷地に強い地震が来ると、原発は耐えることができずに事故になります。どうぞ我々を守ってください」というものです。これに対して、関西電力は次のように答えました。「大飯原発の敷地に限っては強い地震は来ませんから安心してください」。この電力会社の言い分を信用するかしないかが原発差止訴訟の本質です。本質さえ分かれば何も難しい問題ではありません。

10 脱原発への展望 

2024年は1月1日の能登半島地震の衝撃から始まったといえます。震源地である能登半島先端部にある珠洲市やその西隣の輪島市では極めて多くの家屋が倒壊しました。隆起は最大5メートルにも及び海岸線が遠のいたことで、福井県の面積より狭かった石川県の面積が福井県を上回ることになったのです。そして、その震源地に珠洲原発が建てられる予定だったのです。もし、そこに珠洲原発が実際に建設されていたとしたら、福島原発事故を上回る事故となっていたでしょう。28年間にも及ぶ住民の粘り強い反対運動に感謝しなければなりません。

実はそれだけではなかったのです。元日の能登半島地震で一番強い揺れを記録した志賀町富来とぎ地区は志賀原発の当初の立地予定地であったのです。しかし、富来地区の住民の反対によって、富来から約10キロ南に現在の志賀原発が建設されたことが志賀町のホームページに紹介されています。富来では震度7でしたが、志賀原発の敷地では能登半島地震の揺れは震度5強にとどまったのです。それでも復旧に2年半を要するような被害を被ったのです。震度5強の上には、震度6弱、震度6強、震度7があります。震度7に襲われた富来に志賀原発が建設されていたら福島原発事故に続く悲劇は避けられなかったはずです。

一体我々はどこまで市民運動に助けられてきたのでしょうか、我々は一体どれだけ幸運に恵まれてきたのでしょうか、果たしてこの幸運はいつまで続くのでしょうか。政府や電力会社はそして我々もいつまで幸運に頼るつもりなのでしょうか。

多くの人が早期に我が国のすべての原発を止めて脱原発を実現することは極めて困難あるいは不可能だと思い込んでいます。しかし、私はそうは思っていません。

今日お集まりの多くの方々のうちのほんの一握りの人でも良いのです。その人が私の話を聴いて「原発の危険性」が分かったのなら、そのことをあなたの大事な人、二人に伝えてください。嫌いな人に伝える必要も、3人に伝える必要もありません。その際、「あなたも私の話が分かったのなら、あなたの大事な人二人に伝えてください」と言ってください。そうすれば1年以内に1億2000万人の人に伝わります。そのことをお願いして私の話を終わります。ご清聴ありがとうございました。

 

しました。隆起は最大5メートルにも及び海岸線が遠のいたことで、福井県の面積より狭かった石川県の面積が福井県を上回ることになったのです。そして、その震源地に珠洲原発が建てられる予定だったのです。もし、そこに珠洲原発が実際に建設されていたとしたら、福島原発事故を上回る事故となっていたでしょう。28年間にも及ぶ住民の粘り強い反対運動に感謝しなければなりません。

実はそれだけではなかったのです。元日の能登半島地震で一番強い揺れを記録した志賀町富来とぎ地区は志賀原発の当初の立地予定地であったのです。しかし、富来地区の住民の反対によって、富来から約10キロ南に現在の志賀原発が建設されたことが志賀町のホームページに紹介されています。富来では震度7でしたが、志賀原発の敷地では能登半島地震の揺れは震度5強にとどまったのです。それでも復旧に2年半を要するような被害を被ったのです。震度5強の上には、震度6弱、震度6強、震度7があります。震度7に襲われた富来に志賀原発が建設されていたら福島原発事故に続く悲劇は避けられなかったはずです。

一体我々はどこまで市民運動に助けられてきたのでしょうか、我々は一体どれだけ幸運に恵まれてきたのでしょうか、果たしてこの幸運はいつまで続くのでしょうか。政府や電力会社はそして我々もいつまで幸運に頼るつもりなのでしょうか。

多くの人が早期に我が国のすべての原発を止めて脱原発を実現することは極めて困難あるいは不可能だと思い込んでいます。しかし、私はそうは思っていません。

今日お集まりの多くの方々のうちのほんの一握りの人でも良いのです。その人が私の話を聴いて「原発の危険性」が分かったのなら、そのことをあなたの大事な人、二人に伝えてください。嫌いな人に伝える必要も、3人に伝える必要もありません。その際、「あなたも私の話が分かったのなら、あなたの大事な人二人に伝えてください」と言ってください。そうすれば1年以内に1億2000万人の人に伝わります。そのことをお願いして私の話を終わります。ご清聴ありがとうございました。

 

 

2024年11月28日 (木)

人生は思わぬ出来事に遭遇する    私も心筋梗塞緊急カテーテル手術

1675 Photo_20241129184901 一週間ぶりの「ざるうどん」の味はなんともいえないいい味です。きょうまで一週間、心筋梗塞緊急カテーテル手術で、獨協医大日光医療センターにおりました。いわゆる九死に一生の生還です。何はともあれ、いつもの「ざるうどん」が欲しかった。リハビリが待ってますが、後遺症もなく、日常生活へ。ネットも再開へとー。それにしても心筋梗塞は他人事と思っていたが、我身にとは。びっくりですが、思わぬことに遭遇するのが人生だからと。まだまだ元気です

2024年11月27日 (水)

「木枯らし紋次郎」タッチがいいのかも   また観たい市川崑監督の「股旅」

Photo_20241129190101





ジム・ジャームッシュ監督の作品を思い起こしそうな股旅ものの名作だと思う。「木枯し紋次郎」タッチがいいのかも。3回ぐらい観たと思うー。また観たいなと。「股旅」ー。FACEBOOK 映画好きな人々の部屋 から以下を引用しますー。






3人、テキストのイラストのようです











股旅        市川崑監督


ヤクザの世界で名を売ろうと、社会の底辺で懸命にもがく3人の若者の姿を描いた、

異色のアウトロー時代劇。

前年、TVシリーズ「木枯し紋次郎」を手がけた市川崑監督が、70年代の閉塞した世相を反映させたアンチ・ヒーロー像を描く。

一人前の渡世人をめざし、生まれ故郷を飛び出した源太、信太、黙太郎の3人だったが、

厳しい世の中、喰うのもままならい。ある日、空きっ腹をかかえ、流れ着いた先、二井宿・番亀一家の世話になるのだったが。。。。

市川崑監督がATGで映画撮るのも

ありかな

ショーケンいいなー

小倉一郎も尾藤も

スパッ  じゃないメタメタな殺陣がいいなー

百姓が嫌で渡世人になったんやなと

男の友情と裏切りがで綴られる。

ヌーヴェルヴァーグ、アメリカン・ニューシネマやなと

それをねらったんかなー

ラストも

ぶつ切り

イージー・ライダーやん

楽しめましたね

2024年11月26日 (火)

「霧降文庫」の最終日は30日(土)   2024年度は12月から冬季休業へ

「霧降文庫」は30日(土曜日)で今季の終了です。12月から冬季休業へ。5ヵ月間の冬休みです。週末は晩秋の霧降高原へ遊びにおいでください。再開は来年ゴールデンウィークから。冬ごもりがいよいよ目前に近づいています。トッドは「反面教師」として読みましたが、いやはや、どうして高名な歴史家であるのか?日本の核武装の全面的主張など、疑問に思う意見があちこちに。一気読みできる新書ですがー。「司馬遼太郎短編全集」は序盤から中盤へ。「第5巻」は剣豪・宮本武蔵の仕官への望みなどをめぐる剣客人生を描いた「真説宮本武蔵」がやけに興味深く。武蔵も天草四郎で知られる「島原の乱」に攻撃陣で参加していたことはこの短編集で知りました。加藤清正の幼馴染の家老をテーマにした「太夫殿坂」もなるほどねと。今はかつて四国の覇者だったが滅んだ長曾我部元親の遺児をテーマにした「信九郎物語」などの「第6巻」を手に。

 

Photo_20241129190802 Photo_20241129190801

2024年11月25日 (月)

1週間の味気ない病院食から離れ    美味しい昼飯ができましたー。

1 Photo_20241130172101 Photo_20241130172201 美味しい昼飯ができました。やや「豪華」なのは19日から一週間の味気ない病院食を終えたため。どうすればあれほど美味しくない調理ができるのか? 本来なら美味しい食事時間を過ごしたいが、病院食ではそうはいかないー。友達によっては「フリカケ」を持参するとのこと。生活の知恵なので、次に入院するときは私も「フリカケ」持参で。今回は退院を機にいただきもののヤマトイモや卵の料理を使うことに。久しぶりに納豆も加えて。小松菜の味噌汁で。BGMも久しぶりの「ヒーリングクラシック」を

2024年11月18日 (月)

紅葉本番が霧降高原の我が家にも    見事なのでFacebookのカバー写真にしました

日光霧降高原の紅葉本番が我が家にも立ち寄るようにー。いつの間にかという感じで。うららかな秋という表現が似合うかもしれない。いよいよ晩秋にという気分も立ち上がる。そういえば、立冬も過ぎたのでしたね Photo_20241118215101 Photo_20241118215001

2024年11月17日 (日)

2度も読んでしまった高橋純子編集委員の政治記事  「与野党伯仲国会、ガタガタグズグズ上等です」

面白いので、2度も読んだ記事です。高樫純子編集委員はいつもながら夜ませます。いつもなら、さらに講談調というか、落語的というか、その語感を全面的に。それをやや抑えながらの政治論、民主主義論。これも自公の過半数割れのおかげ。まっとうな国会へ。それをばかげた「自爆解散」で政権を手渡した新しい立憲代表と結果的に自民一強をぶっこわした新しい総裁に「頑張れ」と、声をかけるー。与野党う伯仲国会ならではの「無限サイクル」を提唱する「久しぶりに納得のまっとうな記事だなー」とー。

与野党伯仲国会、ガタガタグズグズ上等です 高橋純子編集委員

編集委員・高橋純子

写真・図版
首相指名選挙の決選投票で首相に選ばれ、一礼する自民党の石破茂総裁(中央)=2024年11月11日午後4時11分、国会内、上田幸一撮影

 緊。張。感。きん。ちょう。かん。

 一文字ずつかみ締め、小躍りならぬ極小躍り程度のささやかなステップは踏んでしまった10月28日、総選挙の結果が確定した朝。政治が緊張感を取り戻す、国会に緊張感が生まれる。この十余年、この国の政治を覆っていた黒い霧が少しは晴れるかも、しれない――。

 野党第1党の代表、ドジョウを自称する御仁への警戒心は私とて有している。首相時代に「自爆解散」して政権を明け渡したしょうもない過去の持ち主。腰を据えて与党ときっちり対峙(たいじ)できるのか。♪坊ちゃん一緒に遊びましょう~なんてすり寄って、そのうち鍋で煮込まれてしまうのではないか。

 泥鰌(ドジョウ)鍋囲みて誰が生き残る(柴山猛)

 でも、それでも私は期待している。野党第1党が148/465というボリュームで〝でん〟とある国会に。だってこの十余年、国会はまるで政府の下請け機関、議事堂ではなく、決をとるだけの表決堂に成り下がってしまっていたんだから。私、憤死させられそうだったんだから。

 政治学者の丸山真男は、国会の政治的機能は大きく二つあると言っている(「この事態の政治学的問題点」)。

 ひとつは、国民の間にあるさまざまの利害、あるいは意見の争いを統合・調整する機能。これはまあ、御大の口を借りずとも私でも言えちゃうが、もうひとつ、「教育的機能」には蒙(もう)を啓(ひら)かれひざを打つ。国会審議を通じて、国民の関心を不断に呼び起こし、それと同時にいろいろな問題点を明らかにしていく。それがそのまま、国民に対する政治教育としての意味を持つのだ、と。

 国会での討議を通じて、争点や問題の所在が明確に国民の前に照らし出される→国民の意見ないし世論が、無自覚的なものから、自覚的な反省的なものへと高まっていく→それがまた国会に反映していく→国会での討議を通じて……

 「こういう無限のサイクルが、一方では国民の公共事に対する自発的な関心を高め、自分たちの声がとり入れられるというところから国民の参与感が増大する」

 関心そして参与感。ああ、現下の日本政治に最も欠けているものではないか。

 「安倍一強」下の国会は、ごまかす、はぐらかす、ウソをつく。あげくの果ての採決強行→国民が、自分の意見を持ち、政治に反映させることを諦める→その諦念(ていねん)を反映し「一強」はますます増長→ごまかす、はぐらかす……これがこの十余年の無限サイクル。関心や参与感を醸成するどころか、腐らせてきた。

 しかし、である。これからの国会は、徹底的に議論し、妥協点を紡ぎ出すという「当たり前」をやるより他に道はない。民主主義とは、できるだけ多くの納得を調達するプロセスである。民主主義=多数決と思い込まされてきた若い世代がそのプロセスを目撃することによる教育効果は大きい、というか、最大限大きくする責任を、「安倍一強」の生みの親でもある野党第1党の代表と、「安倍一強」をはからずも崩壊させた首相は、共に担っている。頑張れと言っておく。

 国会は今後、ガタガタグズグズする。「決められない政治」「委員会開催に○円かかるのにいつまで議論しているんだ」、果ては「『一強』時代は良かった」的なことを言う者が必ず湧いてくる。だけどそれって「昔は良かった、気軽に女子社員のからだを触れた」と懐かしんでいるセクハラ野郎と同レベルなんで、同志のみなさま動揺無用。ガタグズ上等!(編集委員・高橋純子)

 

 

 

2024年11月16日 (土)

エッセイ 「認識不足だった泊原発訴訟の重大さ  反省から脱原発の市民運動へ」

Photo_20241116004401 朝日新聞地域報道部・通信部OBOG会原稿

地域取材・通信部思い出集(仮題) 2024年11月14日(木)

認識不足だった泊原発訴訟の重大さ

反省から脱原発の市民運動へ

業界紙、地方紙を経て朝日新聞に入ったのは1988年春。札幌報道部の道警グループ司法担当に配属された。司法記者クラブを拠点に札幌地裁と高裁、札幌地検と高検、各弁護士事務所を訪ね歩いた。裁判長忌避を特ダネにした「北海道じん肺訴訟」、各社に出し抜かれた「原野商法提訴」。「接見交通権訴訟」などに取り組んでいたことも思い浮かぶ。抜いたり、抜かれたりの日々。「君は特ダネ記者なのかね、それとも特落ち記者なのかねー」、整理のベテランにいじられたのもこのころだ。

 

札幌高裁では岡本健裁判長の判決を聴く機会がよくあった。その岡本裁判長が還暦を機に依願退官し、板前に転身し、居酒屋店主になった。1993年のことで、静岡に向かう新幹線の電光掲示板で知り、びっくり。「直接、人に喜んでもらえる仕事をしたくなった」という。著書に『今やらんとあかんのや』があるが、「そんな人生の選択もあるのだねー」と感心したことを覚えている。

 司法担当として、何よりも忘れられない裁判がある。「泊原発運転差し止め訴訟」だ。泊原発訴訟は北海道電力が泊村に建設中の1号炉(57・9万KW、加圧水型、1989年6月運転開始)の運転をやめさせようと、1988年8月31日に札幌地裁に起こした。1986年4月のチェルノブイリ原発事故のため、世界各地で反原発の機運が盛り上がっていた。2011年3月11日の福島第一原発事故以降、国内各地で原発訴訟が相次いでいるが、この当時、原発の運転差し止めを求めた民事訴訟はまだ珍しかった。

泊頑発訴訟は1120人が原告登録した。北海道から離れて7年目に釧路支局長へ。当時、快く企画取材に応じてくれた専修大北海道短大教授の森山軍治郎さん(2016年11月、74歳で死去)が代表原告5人のひとりだった。「泊原発の廃炉をめざす会」に寄稿した「遺稿」によると、弁護士を立てない「素人裁判」だった。それを思い出した。確かに、泊原発訴訟の取材では弁護団ではなく、特に世話になったのは、当時の札幌地区労議長(いや、事務局長だったか?)の重野広志さん(2007年8月、70歳で死去)だった。

泊原発訴訟のキイワードは「環境権」と「人格権」だった。それを鮮明に覚えている。原発がかなり危ういものであることは承知していたが、私も「安全神話」にからめとられていたことは否めない。ドキュメンタリー映画『10万年後の安全』で描かれているように原発の放射能汚染は気の遠くなるような後世代までそのつけを負わせてしまうこと、原発事故が起これば、社会のシステムが転換してしまう途方もない破壊と被害をもたらすことなど。振り返ると、泊原発訴訟が問いかけたそうした重大さについての認識が不足だったと言わざるを得ない。

その反省と市民団体取材の経験から「定年後は市民運動へ」と決めていたこともあり、3・11後に発足した超党派の市民団体「さよなら原発!日光の会」(会員約100人)の代表を引き受けた。もう12年も続く。東海第二原発の現地視察に貸し切りバスで行ったことがあるが、車内で「泊原発訴訟の取材を担当したが、今思うと、原発問題に対する姿勢の甘さがあった。その反省からこうした脱原発運動へ」。そのように伝えたが、その思いは今も変わらないー。

提訴に立ち合った泊原発訴訟は1999年2月、札幌地裁が原告側請求を棄却し、敗訴に終わった。しかし、2011年11月、1201人が泊原発の1号~3号炉の運転差し止めや廃炉を求めて札幌地裁に提訴。つい2022年5月31日、同地裁は「原告らの人格権が侵害されるおそれがある」として、運転差し止めを命じた。舞台は札幌高裁に移っており、私の脱原発運動の原点とも言える泊原発訴訟はまだ継続中だ(富岡洋一郎)。

 

2024年11月15日 (金)

たまには「カルボナーラ」もいいよねー   ほうれん草とウィンナーとベーコンがお似合い

たまには「カルボナーラ」の昼飯で。ホウレン草の期限がきたこともあり。ウインナーも使いたいと。ゆで玉子と冷奴と生姜は常備食として。食が細くなったのか、最近はパスタの1/3は食べきれない。BGMはいつもの「ヒーリングクラシック」。「新世界より」第二楽章(ドヴォルザーク)など全11曲…

 

Photo_20241116003001 Photo_20241116003002 Photo_20241116003003

2024年11月14日 (木)

好天日はひたすら薪づくりの日々  霧降高原別荘地の友だちの伐採現場から

好天の午後は友だちがご近所で伐採している現場から薪材の運び出しー。かなりの量に。このところ連日、薪材の運び入れが続き、薪づくりそのものが追いつかない。うれしいのはうれしいのだが。さぁ、冬の支度へー。

Photo_20241116003703 Photo_20241116003702 Photo_20241116003701

2024年11月13日 (水)

「作り方」に従い「幸楽苑」ラーメンを    なかなかお店の味にはかなわない

「作り方」に従いー。お店で買った「幸楽苑」ラーメンを。さてさてお味はどうか?。う~ん、やはり、当然だが、今市店のお店の味に近いことは近いが、やはり、お店の味にはかなわないー。ただ、点数は70点ぐらい。とりあえず合格点をつけようかなとー。

 

Photo_20241116190701 Photo_20241116190801 Photo_20241116190802

2024年11月12日 (火)

母親の「おあいにくカレーだよ」を思い出した   シイタケを切らした野菜炒めの昼飯で

野菜炒めが食べたかったので。あいにくシイタケを切らしていたがー(小間肉がないカレーのとき、母親は「今日はおあいにくカレーだよ…ー」と笑いながら、言っていたがー)。小松菜の味噌汁、冷奴、キュウリ、海苔、生姜とシンプルに。BGMは「やすらぎの夕べのアダージョ」。「真夏の夜の夢」など全10曲…ー Photo_20241116202501 Photo_20241116202601 Photo_20241116202602

2024年11月11日 (月)

たくさんの観客が「素晴らしい映画でした」と   ドキュメンタリー映画「モルゲン 明日」日光上映会

10月26日(土)に日光市中央公民館中ホールで開いたドキュメンタリー映画「モルゲン 明日」(坂田雅子監督 上映時間71分 2018年制作)日光上映会(無料)には日光市民など45人が参加した。上映アンケートに26人が回答を寄せてくれたが、「素晴らしい映画でした」、「予想以上に中身が詰まった映画でした」とか、「もっとたくさんの人たちに観せたい」という異口同音の声が何人から寄せられた。

それもそのはず。上映終了後に会場のあちこちから拍手が沸き起こっていた。私もそうだが、観た人たちの大半が原発ゼロを決めたドイツを描いた「モルゲン 明日」に感動していたようだった。それが上映アンケートでも示されていた。アンケート結果を以下に紹介します。Photo_20241116204601

2024.10.26 映画「モルゲン明日」(日光市中央公民館中ホール) 

アンケート結果 (回収 26通)注、複数回答や未回答あり

   1 講演会を知った方法

        会の送付チラシ        

        個別配布チラシ        

        ウェブサイト         

        新聞記事           

        知人の紹介          

        その他 5(新婦人1、市広報1、生協2)

   

   2 映画の難易度

           よく理解できた         13

           ほぼ理解できた         10

           あまり理解できなかった    1

           難し過ぎた          1

           物足りなかった        0

           その他            0

 

3 映画の内容

        大変参考になった      11

        参考になった        12

        あまり参考にならなかった   1

        つまらなかった        0

        その他            0

 

   5 原発は今後どうすべきか

           すぐにでも廃止       15

           再稼働せず徐々に依存度減   6

           原発は必要、再稼働すべき   0

           その他            2

      

   6 1123日のパレードに

           参加する           8

           参加したいと思う       3

           今回は参加しない      12 

4 感想、意見  

・ドイツのメルケル首相は素晴らしい。地震大国・日本に原発は要らない。将来が不安である。

・このことについてしっかり勉強したことがないので、どうすべきか学び考えていきたいと思った。

・福島の原発が片付くこともできないのに、また再稼働しようとする日本にがっかりしている。映画はとても良かった。

・ドイツの運動のダイナミックさに圧倒された。個人の意思を表明するという民主主義の根本が根付いていて、その点で日本の遅れを感じさせられた。

 ・こんな重要なことを一部の科学者に任せているなんて。一人一人の認識 子供達への教育…13年たっても何の解決もできないフクシマ。多くの人に見て欲しい。

・市民の力、政治の大切さが強調された素敵な映画でした。貴重な機会をありがとうございました。

・素晴らしい!たくさんの人に観てもらうにはどうすればいいのか?

・原爆被災者の会がノーベル賞を受賞しました。継続は力を示しました。一人一人の力は小さくとも、合わされば大きなエネルギーを発揮する証明ともなりました。              

・やはり「廃炉の問題」はドイツでもとても大変だと思った。「廃炉の問題」ができるようになるまで、再稼働は許せない!!

・感動した。意見交換の時もその余韻にしたっていたが、映画とも原発とも関係ない発言が長々と続いて一気に冷めたのが悔しい。

・ドイツの原発廃止までのプロセスに関心があったので、概ね知ることができたので良かった。では私たちはどのように倣えるか?もっともっと多くの市民が自覚し行動に移ることを願います。市民活動が弱い日本?でどのように動いていけるか?

・とても感動しました。感謝してます、特に坂田監督へLOVE

・もっと大勢の人に観ていただく方策を何とか。

・ぜひ多くの皆さんに観ていただけるようなき機会を作っていただけたらと思いました。

・予想以上に中身が詰まったすばらしい映画だと思った。

・とても良かった。

・たいへん考えさせられる映画でした。

                  参加者年代          

         40代 2

         50代 1                 

         60代 3             

         70代 9                

         80代 2              

                                          

         

 

60年以上も前から原子力の危険性を言及していた  「沈黙の春」のレイチェル・カーソン  

「沈黙の春」で名高いレイチェル・カーソンが原子力の危険性について言及していたー。というには、初めて知りました。t留学者・ハイデッガーが原子力の、核の危険性について早くから語っていたというのは、承知していたが、環境問題で名高い官女も。Facebookで流れていので、すぐにシェアしました。その高木道郎さんの記事を下記に示します(高木さんにはBLOGにもアップしたことを伝えます)。

1960年代に環境問題を告発したアメリカの生物学者がいました。
環境問題・環境保護といった思想は彼女からはじまりました。
レイチェル・カーソンはすでに原子力の危険性についても言及しています。
✿「放射性物質による環境汚染は、あきらかに原子力時代と切り離せない側面です。それは核兵器実験ばかりでなく、原子力のいわゆる「平和」利用とも切っても切れない関係にあります。こうした汚染は、突発的な事故によっても生じますし、廃棄物の投棄によっても継続的に起ってもいるのです。私たちの世界に汚染を持ちこむという問題の根底には道義的責任——自分たちの世代ばかりでなく、未来の世代に対しても責任を持つこと――があります。まだ生まれていない世代にとっての脅威はさらに計り知れないほど大きいのです。彼らは現代の私たちがくだす決断にまったく意見を差し挟めないのですから、私たちに課せられた責任は極めて重大です」(by レイチェル・カーソンの遺言/上遠恵子訳)
✿「1963年(亡くなる前年)10月、カーソンは、サンフランシスコでのシンポジュウムで「環境の汚染」という講演をしています。化学物質による汚染ばかりでなく、放射性物質による汚染について警告を発しています。54年(現在からだと61年)も前の警告は、原発事故を経験した現在にも迫ってきます」(by 上遠恵子/レイチェル・カーソンの翻訳者&研究者)
はじめて読んだレイチェルの作品は『潮風の下で』でした。
✿「その島は、静かに忍び足で東の入江をよぎってきたたそがれよりもほんのわずか深い影に包まれていた」
という書き出しは、すぐに私を夢中にさせました。
彼女が描いてみせる海のなんと豊かで繊細なことでしょうか。
海で展開されるさまざまな生き物たちの物語。
しかし、そういう海の物語を紡ぐうちに
彼女はそんな素晴らしい世界が危機に瀕していることを知り
当然のなりゆきのように環境問題という新たな課題に向き合ったのです。
あまり知られていませんが
彼女が未来の環境問題として懸念していたのが放射能汚染でした。
そして、不運にも彼女の予見は的中してしまったのです。
すべてのリアクション:
3
Photo_20241118213001 Photo_20241118213002

 

2024年11月 9日 (土)

「原発政策、いまこそ転換」「政策転換、再エネ推進」  栃木アクション2024まであと半月ですー

さようなら原発!栃木アクション2024まであと半月ー。11月23日(土)13時~宇都宮城址公園。メインスピーカーに樋口英明元福井地裁裁判長。14時~宇都宮市内2・2キロの脱原発パレードへ。「原発政策、いまこそ転換」、「政策転換、再エネ推進」、「原発廃炉、今すぐ廃炉」等のコールで。 Photo_20241109223401 Photo_20241109223402

2024年11月 8日 (金)

いただいた太田市大舘特産「やまといも」を食す   独特な甘さの「さつまいも」天ぷらも

群馬県太田市大舘の姉の家でいただいた食材を活かそうとー。「やまといも」おろしと「さつまいも」の天ぷらで昼飯を。やまといもは、太田の大舘特産だが、実際、あの粘りが美味い。それに生卵をまぜた味もまたなかなかだ。日光のスーパーの野菜コーナーをのぞいたら、やまといもはかなり高額な野菜であることを知る。さつまいもの天ぷらはあの独特の甘味がいい。たまにはさつまいもの天ぷらが欲しくなるのだね。それにしても、このところ、思わず何だかいただきものの昼飯シリーズを書いているんだなとー苦笑する。

Photo_20241108203701 Photo_20241108203702 Photo_20241108203703

2024年11月 7日 (木)

第3巻からがぜん面白くなる短編集だね    薪割りの合間に「司馬遼太郎短編全集」へ








Photo_20241107194901 長く積ん読だった「司馬遼太郎短編全集」を第一巻から読み始めました。初期1950年ー1957年の物語は主にモンゴル高原などが舞台だが、あらすじがいかにも大味。まだまだ手法が練れていないのだねという印象が否めない。だが、今、手にしている第三巻1960年になると、がぜんぐいぐいと読ませるつくりに。幕末ものの「丹波屋の嬢さん」、平安時代の「外法仏」、やはり幕末を背景にした「みょうが斎の武術」などがそう。起承転結がそれぞれに意表を突いており、ともかく面白く読ませる。確か全集は十数巻のはず。司馬の「全講演集」(全5巻)を読み終えて感じるのは、彼の基本的な社会の見方、イデオロギーはかなり肌に合わないなと。というか、どちらかというと批判的にならざるを得ない。ただ、「坂の上の雲」など数々の小説には魅せられてきた。今冬はその短編の数々を薪割りの合間に楽しみたい。























すべてのリアクション:
Kan Matsumura

 

2024年11月 6日 (水)

本日も優れもの「おにぎり器」でおにぎりの昼飯を    次回は俵型でお稲荷さんづくりへか

優れものの「おにぎり器」で形の良い「おにぎり」をきょうも。ただし、きょうはいただいたサツマイモで天ぷらをつくりたくて。これをFACEBOOKでアップしたら、日光のともだちのひとりから「懐かしい。昔、家にこのタイプと俵型がありましたー」と。「えっ、そんなに昔からこの優れたおにぎり器があったのか」ーと。知らぬは私だけかも。確かに「100均」ではこのタイプと俵型のおにぎり器があったのを思い出した。ならば、次は俵型でもおにぎりをつくろうとー。いや、俵型だと、お稲荷さんができるかもしれないとー。

 

Photo_20241106194704 Photo_20241106194701 Photo_20241106194702 Photo_20241106194703

2024年11月 5日 (火)

立冬を控え、薪づくりが本格化    体力低下がよくわかる薪づくりー

立冬を控え、薪作りも本格化ー。休み休みで少しずつ。この数日で薪小屋ひとつ分まで積み上げた。これからさらにもうひとつの薪小屋も(いやー大変だね〰️ー)。それにしても体力が落ちているのがよくわかる薪作りです~ Photo_20241105191601 Photo_20241105191602 Photo_20241105191603

2024年11月 4日 (月)

だれでも美味しいおにぎりができますー    「百均」にあった優れもの「おにぎり器」

この「おにぎり器」で「おにぎり」をつくりたかったのです。「最後の同窓会」の翌日、上州の姉の家で知り、すぐに「百均」へ。これならだれでもかっこよいおにぎりができる。単純な仕組みだが、優れものだ。知りませんでした~。Photo_20241105191001 Photo_20241105191002 Photo_20241105191003

2024年11月 3日 (日)

11月2日(土)に尾島中学校の「最後の同窓会」   紅顔の少年少女が懐かしいおじいさん、おばあさん

A 尾島中学校(群馬県新田郡尾島町立)の「最後の同窓会」。卒業から59年かPhoto_20241103212201 Photo_20241103212202 Photo_20241103212203 ー。昨日の11月2日、東武太田駅前の太田グランドホテルで。同級生約265人のうち、49人が参加。幹事に聞くと、すでに44人が死去しているという。「最後の同窓会」と聞いて、参加したが、さらに「有志の会」で。2年後から2年ごとに昼食会で開くとかー。ともあれ、紅顔の少年少女が今やいずれも懐かしいおじいさん、おばあさんたちになっていましたー。

 

2024年11月 1日 (金)

2日(土)、3日(日)の「霧降文庫」は臨時休業です  上州で「最後の同窓会」に参加のため

「霧降文庫」の2日(土)、3日(日)は、臨時休業しますー。2日午後に故郷、上州太田市で尾島中学校の「最後の同窓会」に参加のため。今夏、届いたはがきによると、3年か5年の間隔で開いてきた中学校の同窓会だが、今回が「最後にします、今後は有志で開いて」とあった。確かに中学校を卒業してからもう60年ー。確かにそろそろ「閉店」の時期だねーとも。前回、確か5年前は、このとき「福島視察」(「原発いらない栃木の会」主催の1泊2日)と日程が重なっていたので、私は参加せず。つまり今回の同窓会はたぶん8年ぶりになるかも。Asakawamaki_toct26998jpg-1_20241031200201 20080106121650_20241031200301 Photo_20241031200601 ともあれ、ついでに9月1日発行の同人誌「序説第31号」(創刊50周年記念号)を10冊ほど持参するつもりだ。よく知る旧友たちに配るつもりだ。なにしろ、ひとつの町にひとつの小学校とひとつの中学校。団塊世代の約270人が、なんと9年間もずっと机を並べていた間柄なのだ。

« 2024年10月 | トップページ | 2024年12月 »

2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31