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皆さんこんにちは。元裁判官の樋口です。
名古屋から新幹線「のぞみ」に乗ろうとしたら、新幹線が動いていなかったのです。やっと動き始めても1時間半の遅れがありました。東京に向かっている途中で「東北新幹線も遅れている」との情報が入り、東京駅での乗り換え時間も考えると「絶望的かな」と思ったのです。ところが、東北新幹線が遅れていたおかげで、その遅れていた新幹線に全く待つことなく乗ることができました。皆様をやきもきさせた分、皆さんに役立つ話をしなければと思っています。
ここに集まられた方はほとんどが脱原発の強い信念をお持ちの方だと思います。脱原発派に正義があることは明らかです。原発はトイレ無きマンションといわれますが、近づくだけで20秒で死んでしまうような毒物を10万年以上にわたって後世に残すことが許されるわけがないのは当然のことです。トイレどころの話ではないのです。原発が倫理に反するのは明らかです。しかし、倫理観のない人に倫理を解いても極めて効率が悪い。
今日私がお話しするのは「原発の危険性」の話です。倫理観のない人でも危険性は分かるはずです。今日皆さんにお話しするのは、皆さんの周りの人に伝えることができるわかりやすい原発の危険性の話です。
昨日、大谷翔平選手が2年連続で3回目のMVPを取りました。その大谷選手の座右の銘は「先入観は可能を不可能にしてしまう」です。「プロ野球では、ましてや大リーグでは二刀流は不可能である」という先入観が多くの選手の才能の芽を摘んできたと思います。しかし、高校時代の佐々木監督も日本ハムの栗山監督もそのような先入観を持っていませんでした。それで、大谷選手は大きな飛躍ができたのです。
脱原発にとって、一番の敵、障害物は何かというと、原発回帰に舵を切った政府でも、電力会社でもないのです。一番の敵、障害物は私たちの心の中にあるものです。脱原発においても第一の障害は「国が進めている以上、原発は必要なのだろう」という先入観です。「我が国は民主主義国家であり、正常な選挙が行われている。そこで選ばれた国会議員が国民の安全を考えないわけがない。総選挙でも原発のことが争点にならなかったのは原発が安全だからだ」と若い人達は思っているのです。これも先入観です。「原子力規制委員会は福島原発事故の教訓を受けてできた組織だから、それなりの厳しい審査をしているはずだ。原子力規制委員会が許可をして現在動いている原発はそれなりに安全だ」これも先入観です。「裁判官とか、大臣とか、重い責任を負っている人は、それなりの見識、責任感、賢さを持っているはずだ」という先入観。これらが脱原発の敵であり、障害物だと思います。
その中でも一番の強敵は何かというと、「原発問題は難しい問題だ」という先入観です。これは脱原発派であろうが、原発推進派であろうが、無関心な人であろうが、全員が、「原発問題は難しい問題」だという先入観を持っています。しかし、それは間違っています。私は実際に原発訴訟を担当して原発問題は決して難しい問題ではないと確信したのです。
2 原発問題の本質は2つだけ
原発問題は極めてシンプルです。分かってほしいことは2つだけです。たった二つだけです。①一つ目は、原発はどんなときでも人が管理し続けなければならないということです。管理しないと暴走するのです。②二つ目は暴走した場合の被害はとてつもなく大きいということです。この二つだけなのです。
3 原発は人が管理できなくなると暴走する
原発は、自動車とか、家電とか、あるいは火力発電所とは全く違うのです。何かトラブった時、地震でも、火事でもいいので、トラブった時をイメージしてください。例えば自動車を運転していてトラブりました。車を止めて、JAFを呼べば、それで終わりです。家電でも同じです。扇風機を回して、なんか音がおかしくなったら、コンセントを抜いたら終わりです。火力発電所でも、地震が来たら火を止めれば終わりです。新幹線でも停電したら止まって安全になります。これが私たちの常識なのです。だけど原発だけはそうじゃないのです。原発は止めるだけではダメなんです。止めた後も、水と電気で原子炉を冷やし続けないといけないのです。停電してもメルトダウン、断水してもメルトダウン。原発は私たちの常識が通用しないのです。
福島原発事故では、何が起きたかと言うと、原子炉が地震や津波で壊れたのではないのです。地震で外部電源が断たれ、津波で非常用電源が断たれました。すなわち、単に停電しただけで、原子炉を冷やすことができなくなってしまい、原発が暴走したのです。「全電源喪失」というと、何か凄いことが起こったのではないかと思ってしまうけれど、単に「全面的に停電しました」というだけのことです。
4 暴走したときの被害はとてつもなく大きい
停電したことで、原子炉を冷やすことができなくなって「東日本壊滅」の危機に見舞われたのです。福島第一原発の吉田所長も2号機の格納容器が破裂するだろうと思って、東日本壊滅を覚悟したのです。
しかし、考えられないような数多くの奇跡があったことで「東日本壊滅」を免れたのです。数多くの奇跡のうち一つでもなければ東日本は壊滅していたのです。ぎりぎりで東日本壊滅を免れたとはいえ、「原子力緊急事態宣言」は今も続いています。337平方キロメートルの土地が帰還困難区域として立ち入りが禁止されています。337平方キロメートルと言ってもお分かりにならないと思います。この宇都宮城址公園の9千個分です。尖閣列島の50個分です。
5 本質が分かれば結論が分かる
①人が管理し続けなければ暴走する、②暴走したときの被害はとてつもなく大きい。このようなものはほかにはないのです。我々の常識が通用しない技術です。
①、②の二つを理解しているかどうかで最近の動き、例えば、老朽原発が許されるかどうか、自民党政権の「敵基地攻撃能力」の政策は正しいかどうかも分かるのです。また、原発訴訟の判決が正しい判決かどうかも分かるのです。
6 老朽原発について
現政権は、原発の本質がわかっていません。これまで原発は40年ルールというのがあって、40年間の稼働とするのが原則だったのです。このルールは当時の民主党、自民党を含む全政党が一致して決めたものです。ところが岸田政権は、このルールを変えてしまいました。そもそもなぜ原発は40年間しか動かしたらいけないのかは原発の本質が理解できると分かるのです。50年前の自動車に乗っている人もいますが、誰もそれをだめだとは言わないでしょう。なぜかというと50年前の自動車に乗っていても、トラブったらエンジンを止めてJAFを呼べば解決するからです。家電が故障してもコンセントを抜けばそれで解決します。
古い原発は古い大型旅客機に似ているのです。50年前の大型旅客機に乗りたいと誰も思わないはずです。飛行機は、原発と同じように、人が管理し続けないといけないのです。
ちょっと想像してみてください。50年前の飛行機を操縦していたら、突然燃料漏れが生じました。何とかして近くの飛行場まで行って緊急着陸しなければならない。何とかして近くの飛行場まで行けたのですが、その時に緊急着陸しようと思ったら、高度計が壊れていた。しかたがないので目測で着陸しようとしたら、その時に車輪が出ないということに気がついた。このように老朽化するということは、いわゆる想定外のことが次々に起こるということが想定されるということなのです。
原発はよく止まります。裁判所が止める時もありますし、原子力規制委員会の審査に時間がかかる場合もあります。その止まってる間や動いていない期間は40年に含まれないということで期間制限を外そうとしています。これは根本的におかしな話です。我々も眠ってる間も老化していきます。40年ルールを外すということは、人が管理し続けないといけないという原発の本質を理解していないということです。
7 コスト論は正しいか
経済界はすぐにコストの話を持ち出します。私が担当した大飯原発差止訴訟においても関西電力は「原発が止まるとその分火力発電所の燃料代として石油や天然ガスを輸入しなければならないから貿易赤字になってお金が失われる。国富の流出や喪失になる」と主張しました。
それに対して、私は、「この問題について国富の流失や喪失の議論があるが、たとえ大飯原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしてもこれを国富の流出や喪失と言うべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根をおろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」と判決に書きました。この考えは全く変わっていません。原発に関してコスト論は論じるべきではないのです。
しかし、相手方は極めて執拗にコスト論を言ってきます。そこまで言うのなら、売られたけんかは買わないわけにはいかないということでコスト論を論じてみます。
東京電力の年間の利益は約2500億円程度です。福島原発事故の経済的損失は、健康被害が一切なく健康被害について賠償の必要がないことを前提に最も控えめに見積もっても25兆円です。25兆円を2500億円で割ると100になる。つまり、一つの事故で巨大企業の100年分の利益が吹き飛んでしまうことになる。このような発電方法のコストが安いといえるわけがないのです。
仮に、東京電力の福島第一原発ではなく、ここから60キロメートル東にある日本原子力発電株式会社の東海第二原発が福島原発事故と同規模の事故を起こした場合、地域の不動産時価等が福島とはまったく異なることから、25兆円を遥かに超える660兆円余の経済的損失を生じると試算されています。我が国の予算総額は約110兆円ですから、6年分の予算が飛ぶことになります。我が国は確実に破産するのです。また、福島原発事故で吉田所長が覚悟したように2号機の格納容器が爆発した場合の経済的損失は約2400兆円であったと試算されています。我が国は破滅します。
これらの金額を聞いただけで、原発の問題が尋常でない問題であることは明らかです。原発の問題はエネルギー問題でも、環境問題でも、人権問題でもあります。しかし、この数字は原発問題が国の存続の問題、つまり原発問題が基本的には国防問題であることを示しています。
8 原発は自国に向けられた核兵器
ロシアとウクライナの戦争で原発問題が国防問題であることがますます明確になりました。ロシアとウクライナの戦争で最も重要なことはロシアがウクライナのザポリージャ原発を攻めたということなのです。「攻めるぞ」と脅されただけでウクライナは明け渡すしかないのです。ウクライナが原発を守るために大砲をぶっぱなした途端に、ロシアから大砲とミサイルが飛んできます。それが原子炉に当たったら終わりだし、電気施設に当たっても冷やせなくなって終わりだから、ウクライナは抵抗することができない。従業員も、逃げ出したくても、たとえ逃げ出すことができたとしても、逃げ出せない。なぜなら自分らが逃げ出すと、原発が管理できなくなって暴走するからです。だから逃げ出せない。進退窮まることになるのです。原発の存在は、防衛上、最も不利なのです。
日本は54基もの原発をしかも海岸沿いに並べてしまったのです。その時点でどの国と戦争しても勝てません。原発を動かそうという話と敵基地攻撃能力を持とうという話は矛盾するのです。あえてこのことを説明すると、岸田さん達は「テロリストや仮想敵国が日本の原発を狙うことはない」というテロリストたちに対する高い信頼を持っているということです。それ以外に合理的な説明ができないのです。
原発は自国に向けられた核兵器です。それを除去するのに何十兆円という膨大な防衛費も難しい外交交渉も不要です。自国に向けられた核兵器を除去することは、「豊かな国土を守り次の世代に受け継がせよう」とする意思さえあれば簡単に踏み出せる道です。
9 原発差止訴訟の本質
原発も難しい問題だ、ましてや原発訴訟はとてつもなく難しい問題だと誰しも思いがちです。これも先入観です。
家が倒れたりするような強い地震ではなくても停電や断水は生じます。だから配電や配管の耐震性を高めるのは難しいのです。しかし、原発では配電や配管の耐震性が問題となります。そこで、大飯原発の訴訟における原告住民の言い分は「大飯原発の敷地に強い地震が来ると、原発は耐えることができずに事故になります。どうぞ我々を守ってください」というものです。これに対して、関西電力は次のように答えました。「大飯原発の敷地に限っては強い地震は来ませんから安心してください」。この電力会社の言い分を信用するかしないかが原発差止訴訟の本質です。本質さえ分かれば何も難しい問題ではありません。
10 脱原発への展望
2024年は1月1日の能登半島地震の衝撃から始まったといえます。震源地である能登半島先端部にある珠洲市やその西隣の輪島市では極めて多くの家屋が倒壊しました。隆起は最大5メートルにも及び海岸線が遠のいたことで、福井県の面積より狭かった石川県の面積が福井県を上回ることになったのです。そして、その震源地に珠洲原発が建てられる予定だったのです。もし、そこに珠洲原発が実際に建設されていたとしたら、福島原発事故を上回る事故となっていたでしょう。28年間にも及ぶ住民の粘り強い反対運動に感謝しなければなりません。
実はそれだけではなかったのです。元日の能登半島地震で一番強い揺れを記録した志賀町富来とぎ地区は志賀原発の当初の立地予定地であったのです。しかし、富来地区の住民の反対によって、富来から約10キロ南に現在の志賀原発が建設されたことが志賀町のホームページに紹介されています。富来では震度7でしたが、志賀原発の敷地では能登半島地震の揺れは震度5強にとどまったのです。それでも復旧に2年半を要するような被害を被ったのです。震度5強の上には、震度6弱、震度6強、震度7があります。震度7に襲われた富来に志賀原発が建設されていたら福島原発事故に続く悲劇は避けられなかったはずです。
一体我々はどこまで市民運動に助けられてきたのでしょうか、我々は一体どれだけ幸運に恵まれてきたのでしょうか、果たしてこの幸運はいつまで続くのでしょうか。政府や電力会社はそして我々もいつまで幸運に頼るつもりなのでしょうか。
多くの人が早期に我が国のすべての原発を止めて脱原発を実現することは極めて困難あるいは不可能だと思い込んでいます。しかし、私はそうは思っていません。
今日お集まりの多くの方々のうちのほんの一握りの人でも良いのです。その人が私の話を聴いて「原発の危険性」が分かったのなら、そのことをあなたの大事な人、二人に伝えてください。嫌いな人に伝える必要も、3人に伝える必要もありません。その際、「あなたも私の話が分かったのなら、あなたの大事な人二人に伝えてください」と言ってください。そうすれば1年以内に1億2000万人の人に伝わります。そのことをお願いして私の話を終わります。ご清聴ありがとうございました。
しました。隆起は最大5メートルにも及び海岸線が遠のいたことで、福井県の面積より狭かった石川県の面積が福井県を上回ることになったのです。そして、その震源地に珠洲原発が建てられる予定だったのです。もし、そこに珠洲原発が実際に建設されていたとしたら、福島原発事故を上回る事故となっていたでしょう。28年間にも及ぶ住民の粘り強い反対運動に感謝しなければなりません。
実はそれだけではなかったのです。元日の能登半島地震で一番強い揺れを記録した志賀町富来とぎ地区は志賀原発の当初の立地予定地であったのです。しかし、富来地区の住民の反対によって、富来から約10キロ南に現在の志賀原発が建設されたことが志賀町のホームページに紹介されています。富来では震度7でしたが、志賀原発の敷地では能登半島地震の揺れは震度5強にとどまったのです。それでも復旧に2年半を要するような被害を被ったのです。震度5強の上には、震度6弱、震度6強、震度7があります。震度7に襲われた富来に志賀原発が建設されていたら福島原発事故に続く悲劇は避けられなかったはずです。
一体我々はどこまで市民運動に助けられてきたのでしょうか、我々は一体どれだけ幸運に恵まれてきたのでしょうか、果たしてこの幸運はいつまで続くのでしょうか。政府や電力会社はそして我々もいつまで幸運に頼るつもりなのでしょうか。
多くの人が早期に我が国のすべての原発を止めて脱原発を実現することは極めて困難あるいは不可能だと思い込んでいます。しかし、私はそうは思っていません。
今日お集まりの多くの方々のうちのほんの一握りの人でも良いのです。その人が私の話を聴いて「原発の危険性」が分かったのなら、そのことをあなたの大事な人、二人に伝えてください。嫌いな人に伝える必要も、3人に伝える必要もありません。その際、「あなたも私の話が分かったのなら、あなたの大事な人二人に伝えてください」と言ってください。そうすれば1年以内に1億2000万人の人に伝わります。そのことをお願いして私の話を終わります。ご清聴ありがとうございました。
「霧降文庫」は30日(土曜日)で今季の終了です。12月から冬季休業へ。5ヵ月間の冬休みです。週末は晩秋の霧降高原へ遊びにおいでください。再開は来年ゴールデンウィークから。冬ごもりがいよいよ目前に近づいています。トッドは「反面教師」として読みましたが、いやはや、どうして高名な歴史家であるのか?日本の核武装の全面的主張など、疑問に思う意見があちこちに。一気読みできる新書ですがー。「司馬遼太郎短編全集」は序盤から中盤へ。「第5巻」は剣豪・宮本武蔵の仕官への望みなどをめぐる剣客人生を描いた「真説宮本武蔵」がやけに興味深く。武蔵も天草四郎で知られる「島原の乱」に攻撃陣で参加していたことはこの短編集で知りました。加藤清正の幼馴染の家老をテーマにした「太夫殿坂」もなるほどねと。今はかつて四国の覇者だったが滅んだ長曾我部元親の遺児をテーマにした「信九郎物語」などの「第6巻」を手に。
面白いので、2度も読んだ記事です。高樫純子編集委員はいつもながら夜ませます。いつもなら、さらに講談調というか、落語的というか、その語感を全面的に。それをやや抑えながらの政治論、民主主義論。これも自公の過半数割れのおかげ。まっとうな国会へ。それをばかげた「自爆解散」で政権を手渡した新しい立憲代表と結果的に自民一強をぶっこわした新しい総裁に「頑張れ」と、声をかけるー。与野党う伯仲国会ならではの「無限サイクル」を提唱する「久しぶりに納得のまっとうな記事だなー」とー。
編集委員・高橋純子
緊。張。感。きん。ちょう。かん。
一文字ずつかみ締め、小躍りならぬ極小躍り程度のささやかなステップは踏んでしまった10月28日、総選挙の結果が確定した朝。政治が緊張感を取り戻す、国会に緊張感が生まれる。この十余年、この国の政治を覆っていた黒い霧が少しは晴れるかも、しれない――。
野党第1党の代表、ドジョウを自称する御仁への警戒心は私とて有している。首相時代に「自爆解散」して政権を明け渡したしょうもない過去の持ち主。腰を据えて与党ときっちり対峙(たいじ)できるのか。♪坊ちゃん一緒に遊びましょう~なんてすり寄って、そのうち鍋で煮込まれてしまうのではないか。
泥鰌(ドジョウ)鍋囲みて誰が生き残る(柴山猛)
でも、それでも私は期待している。野党第1党が148/465というボリュームで〝でん〟とある国会に。だってこの十余年、国会はまるで政府の下請け機関、議事堂ではなく、決をとるだけの表決堂に成り下がってしまっていたんだから。私、憤死させられそうだったんだから。
政治学者の丸山真男は、国会の政治的機能は大きく二つあると言っている(「この事態の政治学的問題点」)。
ひとつは、国民の間にあるさまざまの利害、あるいは意見の争いを統合・調整する機能。これはまあ、御大の口を借りずとも私でも言えちゃうが、もうひとつ、「教育的機能」には蒙(もう)を啓(ひら)かれひざを打つ。国会審議を通じて、国民の関心を不断に呼び起こし、それと同時にいろいろな問題点を明らかにしていく。それがそのまま、国民に対する政治教育としての意味を持つのだ、と。
国会での討議を通じて、争点や問題の所在が明確に国民の前に照らし出される→国民の意見ないし世論が、無自覚的なものから、自覚的な反省的なものへと高まっていく→それがまた国会に反映していく→国会での討議を通じて……
「こういう無限のサイクルが、一方では国民の公共事に対する自発的な関心を高め、自分たちの声がとり入れられるというところから国民の参与感が増大する」
関心そして参与感。ああ、現下の日本政治に最も欠けているものではないか。
「安倍一強」下の国会は、ごまかす、はぐらかす、ウソをつく。あげくの果ての採決強行→国民が、自分の意見を持ち、政治に反映させることを諦める→その諦念(ていねん)を反映し「一強」はますます増長→ごまかす、はぐらかす……これがこの十余年の無限サイクル。関心や参与感を醸成するどころか、腐らせてきた。
しかし、である。これからの国会は、徹底的に議論し、妥協点を紡ぎ出すという「当たり前」をやるより他に道はない。民主主義とは、できるだけ多くの納得を調達するプロセスである。民主主義=多数決と思い込まされてきた若い世代がそのプロセスを目撃することによる教育効果は大きい、というか、最大限大きくする責任を、「安倍一強」の生みの親でもある野党第1党の代表と、「安倍一強」をはからずも崩壊させた首相は、共に担っている。頑張れと言っておく。
国会は今後、ガタガタグズグズする。「決められない政治」「委員会開催に○円かかるのにいつまで議論しているんだ」、果ては「『一強』時代は良かった」的なことを言う者が必ず湧いてくる。だけどそれって「昔は良かった、気軽に女子社員のからだを触れた」と懐かしんでいるセクハラ野郎と同レベルなんで、同志のみなさま動揺無用。ガタグズ上等!(編集委員・高橋純子)
地域取材・通信部思い出集(仮題) 2024年11月14日(木)
認識不足だった泊原発訴訟の重大さ
反省から脱原発の市民運動へ
業界紙、地方紙を経て朝日新聞に入ったのは1988年春。札幌報道部の道警グループ司法担当に配属された。司法記者クラブを拠点に札幌地裁と高裁、札幌地検と高検、各弁護士事務所を訪ね歩いた。裁判長忌避を特ダネにした「北海道じん肺訴訟」、各社に出し抜かれた「原野商法提訴」。「接見交通権訴訟」などに取り組んでいたことも思い浮かぶ。抜いたり、抜かれたりの日々。「君は特ダネ記者なのかね、それとも特落ち記者なのかねー」、整理のベテランにいじられたのもこのころだ。
札幌高裁では岡本健裁判長の判決を聴く機会がよくあった。その岡本裁判長が還暦を機に依願退官し、板前に転身し、居酒屋店主になった。1993年のことで、静岡に向かう新幹線の電光掲示板で知り、びっくり。「直接、人に喜んでもらえる仕事をしたくなった」という。著書に『今やらんとあかんのや』があるが、「そんな人生の選択もあるのだねー」と感心したことを覚えている。
司法担当として、何よりも忘れられない裁判がある。「泊原発運転差し止め訴訟」だ。泊原発訴訟は北海道電力が泊村に建設中の1号炉(57・9万KW、加圧水型、1989年6月運転開始)の運転をやめさせようと、1988年8月31日に札幌地裁に起こした。1986年4月のチェルノブイリ原発事故のため、世界各地で反原発の機運が盛り上がっていた。2011年3月11日の福島第一原発事故以降、国内各地で原発訴訟が相次いでいるが、この当時、原発の運転差し止めを求めた民事訴訟はまだ珍しかった。
泊頑発訴訟は1120人が原告登録した。北海道から離れて7年目に釧路支局長へ。当時、快く企画取材に応じてくれた専修大北海道短大教授の森山軍治郎さん(2016年11月、74歳で死去)が代表原告5人のひとりだった。「泊原発の廃炉をめざす会」に寄稿した「遺稿」によると、弁護士を立てない「素人裁判」だった。それを思い出した。確かに、泊原発訴訟の取材では弁護団ではなく、特に世話になったのは、当時の札幌地区労議長(いや、事務局長だったか?)の重野広志さん(2007年8月、70歳で死去)だった。
泊原発訴訟のキイワードは「環境権」と「人格権」だった。それを鮮明に覚えている。原発がかなり危ういものであることは承知していたが、私も「安全神話」にからめとられていたことは否めない。ドキュメンタリー映画『10万年後の安全』で描かれているように原発の放射能汚染は気の遠くなるような後世代までそのつけを負わせてしまうこと、原発事故が起これば、社会のシステムが転換してしまう途方もない破壊と被害をもたらすことなど。振り返ると、泊原発訴訟が問いかけたそうした重大さについての認識が不足だったと言わざるを得ない。
その反省と市民団体取材の経験から「定年後は市民運動へ」と決めていたこともあり、3・11後に発足した超党派の市民団体「さよなら原発!日光の会」(会員約100人)の代表を引き受けた。もう12年も続く。東海第二原発の現地視察に貸し切りバスで行ったことがあるが、車内で「泊原発訴訟の取材を担当したが、今思うと、原発問題に対する姿勢の甘さがあった。その反省からこうした脱原発運動へ」。そのように伝えたが、その思いは今も変わらないー。
提訴に立ち合った泊原発訴訟は1999年2月、札幌地裁が原告側請求を棄却し、敗訴に終わった。しかし、2011年11月、1201人が泊原発の1号~3号炉の運転差し止めや廃炉を求めて札幌地裁に提訴。つい2022年5月31日、同地裁は「原告らの人格権が侵害されるおそれがある」として、運転差し止めを命じた。舞台は札幌高裁に移っており、私の脱原発運動の原点とも言える泊原発訴訟はまだ継続中だ(富岡洋一郎)。
10月26日(土)に日光市中央公民館中ホールで開いたドキュメンタリー映画「モルゲン 明日」(坂田雅子監督 上映時間71分 2018年制作)日光上映会(無料)には日光市民など45人が参加した。上映アンケートに26人が回答を寄せてくれたが、「素晴らしい映画でした」、「予想以上に中身が詰まった映画でした」とか、「もっとたくさんの人たちに観せたい」という異口同音の声が何人から寄せられた。
それもそのはず。上映終了後に会場のあちこちから拍手が沸き起こっていた。私もそうだが、観た人たちの大半が原発ゼロを決めたドイツを描いた「モルゲン 明日」に感動していたようだった。それが上映アンケートでも示されていた。アンケート結果を以下に紹介します。
2024.10.26 映画「モルゲン明日」(日光市中央公民館中ホール)
アンケート結果 (回収 26通)注、複数回答や未回答あり
1 講演会を知った方法
会の送付チラシ 5
個別配布チラシ 6
ウェブサイト 0
新聞記事 2
知人の紹介 5
その他 5(新婦人1、市広報1、生協2)
2 映画の難易度
よく理解できた 13
ほぼ理解できた 10
あまり理解できなかった 1
難し過ぎた 1
物足りなかった 0
その他 0
3 映画の内容
大変参考になった 11
参考になった 12
あまり参考にならなかった 1
つまらなかった 0
その他 0
5 原発は今後どうすべきか
すぐにでも廃止 15
再稼働せず徐々に依存度減 6
原発は必要、再稼働すべき 0
その他 2
6 11月23日のパレードに
参加する 8
参加したいと思う 3
今回は参加しない 12
4 感想、意見
・ドイツのメルケル首相は素晴らしい。地震大国・日本に原発は要らない。将来が不安である。
・このことについてしっかり勉強したことがないので、どうすべきか学び考えていきたいと思った。
・福島の原発が片付くこともできないのに、また再稼働しようとする日本にがっかりしている。映画はとても良かった。
・ドイツの運動のダイナミックさに圧倒された。個人の意思を表明するという民主主義の根本が根付いていて、その点で日本の遅れを感じさせられた。
・こんな重要なことを一部の科学者に任せているなんて。一人一人の認識 子供達への教育…13年たっても何の解決もできないフクシマ。多くの人に見て欲しい。
・市民の力、政治の大切さが強調された素敵な映画でした。貴重な機会をありがとうございました。
・素晴らしい!たくさんの人に観てもらうにはどうすればいいのか?
・原爆被災者の会がノーベル賞を受賞しました。継続は力を示しました。一人一人の力は小さくとも、合わされば大きなエネルギーを発揮する証明ともなりました。
・やはり「廃炉の問題」はドイツでもとても大変だと思った。「廃炉の問題」ができるようになるまで、再稼働は許せない!!
・感動した。意見交換の時もその余韻にしたっていたが、映画とも原発とも関係ない発言が長々と続いて一気に冷めたのが悔しい。
・ドイツの原発廃止までのプロセスに関心があったので、概ね知ることができたので良かった。では私たちはどのように倣えるか?もっともっと多くの市民が自覚し行動に移ることを願います。市民活動が弱い日本?でどのように動いていけるか?
・とても感動しました。感謝してます、特に坂田監督へLOVE。
・もっと大勢の人に観ていただく方策を何とか。
・ぜひ多くの皆さんに観ていただけるようなき機会を作っていただけたらと思いました。
・予想以上に中身が詰まったすばらしい映画だと思った。
・とても良かった。
・たいへん考えさせられる映画でした。
参加者年代
40代 2
50代 1
60代 3
70代 9
80代 2
「沈黙の春」で名高いレイチェル・カーソンが原子力の危険性について言及していたー。というには、初めて知りました。t留学者・ハイデッガーが原子力の、核の危険性について早くから語っていたというのは、承知していたが、環境問題で名高い官女も。Facebookで流れていので、すぐにシェアしました。その高木道郎さんの記事を下記に示します(高木さんにはBLOGにもアップしたことを伝えます)。
「霧降文庫」の2日(土)、3日(日)は、臨時休業しますー。2日午後に故郷、上州太田市で尾島中学校の「最後の同窓会」に参加のため。今夏、届いたはがきによると、3年か5年の間隔で開いてきた中学校の同窓会だが、今回が「最後にします、今後は有志で開いて」とあった。確かに中学校を卒業してからもう60年ー。確かにそろそろ「閉店」の時期だねーとも。前回、確か5年前は、このとき「福島視察」(「原発いらない栃木の会」主催の1泊2日)と日程が重なっていたので、私は参加せず。つまり今回の同窓会はたぶん8年ぶりになるかも。 ともあれ、ついでに9月1日発行の同人誌「序説第31号」(創刊50周年記念号)を10冊ほど持参するつもりだ。よく知る旧友たちに配るつもりだ。なにしろ、ひとつの町にひとつの小学校とひとつの中学校。団塊世代の約270人が、なんと9年間もずっと机を並べていた間柄なのだ。
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