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「司馬遼太郎短編全集」の第10巻目を読み終えた。短編14篇。短編全集は確か全12巻。あと2巻あるので、正月のうちに読み終えたい。今年は「司馬遼太郎講演全集」(全5巻)も読んでおり、「国民的作家」と呼ばれる遼太郎(1923年~1996年)の独特な立ち位置をかなり知ることができました。もっとも、遼太郎の博学さには驚くが、思想的な、というか、世界観はどうも私には合わないのだが(遼太郎は産経新聞大阪本社文化部長だったので、仕方ないのだが)ー。ともあれ、第10巻は知の巨人である立花隆のおすすめ、戊辰戦争の上野戦争の決定打となった「アームストロング砲」、それに「殺生関白」「金吾中納言」「宇喜田秀家」「北ノ政所」のいわゆる「豊臣家の人々」シリーズなどがある。
その中でも私は「美濃浪人」、「倉敷の若旦那」、「権平5千石」がよかったー。「美濃」「倉敷」は幕末の京都や長州や中国地方を背景にした物語。とくに「倉敷」は長州藩高杉晋作の第一奇兵隊ではなく、「外人部隊」中心の第二奇兵隊の物語なので、歴史的にも興味深い。「権平」は秀吉の子飼い、加藤清正や福島正則などと一緒に生きた戦国時代の武士。「賤ケ岳の七本槍」のひとりだという。歴史好きな人ならすぐにぴんとくるだろう。秀吉が柴田勝家を破った一戦だ。
それぞれ、ようするに、その時代、その時代の中で若者が運命のように人生を選び取り、その中で浮き沈みつつ、生きて死んでいく。その様が我が事のように感じられた。それも歴史的にそれほど有名ではないだろう主人公たちの心情に重ねつつ。私などは、この短編でその時代にそんな人たちもいたのか、と、初めて知ったぐらいだ。そして「ふ~ん、そんなように生きた人生もあったのだねー」。物語の中に観察者として、いつの間にか、主人公と同走しているような感覚を覚えながら読んでいたのですー
ともかく最後の段落の「いざ」に備える反射を日々鍛えることーは納得と。いわゆる「ストンー」ときたので、ぜひ紹介をと、このBLOGにアップしました。
(多事奏論)心の年賀状 「いざ」に備える反射、日々鍛えて 高橋純子
2024年12月28日 5時00分ist
「できるかな?」
「できますね」いざい
過日、東京・丸の内。眼下に皇居の暗闇をとらえながら、年下の女性と日本酒を酌みかわしつつ話題にのぼったのは、韓国のトチ狂った「非常戒厳」、それに対し、「銃を下ろしなさいよ! 恥ずかしくないの?」と戒厳軍の銃をつかんで抗した野党の女性報道官のこと。自分も「いざ」という時、あんなふうに行動できるだろうか? 私が「拷問は嫌だけど、その場で撃たれる分には大丈夫だと思う」と言うと、彼女は「わかる!」。じゃあどんな拷問が一番嫌か?に話はうつり、彼女は爪をはがされること、私は水責めという結論を出したころには揚げ出し豆腐が冷めていた。
*
自分だったらどうしたか。なにができたか。そう自問自答する日々が続いている。「非常戒厳」にすばやく、敢然と立ち向かう韓国の市民、国会議員らの姿を目の当たりにしてからずっと。
1980年、民主化を求める学生や市民を戒厳軍が鎮圧し、多数の犠牲者を出した光州事件の記憶。民主主義を自分たちで闘い取った経験。「非常戒厳」をわずか数時間で撤回に追い込んだパワーの淵源(えんげん)についてはさまざま解説されていて、それにいちいちうなずきつつも私の脳内でぱちんとはじけたのは、哲学者・鶴見俊輔の「反射」という言葉だった。
先の大戦に際し、日本は間違っている、負けるに決まっていると思っていた鶴見。しかし「戦争反対」の行動には指一本あげることができなかったと、戦後、自身への絶望感を拭うことができずに悩み続けた末、指一本あがらなかったのは勇気がなかったからでも、怠け癖のせいでもなく、「肉体の反射」がなかったからだと考えるに至るのだった。
反射とは、外からの刺激に対して意識とは無関係に起こす反応のこと。火に触れて「あちっ!」と手を引っ込めるように、権力が暴走を始めた時、国家が個人の自由を潰しにきたと感覚した時、頭で考えるより先にからだが動く。そんな「肉体の反射」が果たして今、私の身の内に宿っているか否か。問題はそこだ。
そして答えは残念ながら否。戒厳令下、外出していいの?と足がすくんで右往左往、みんなはどうしてるんだろう?とSNSを検索しているうちにはい、手遅れ。そんな結果が目に浮かぶ。泣く。
「右向け右」と号令がかかれば即座に右を向くようしつけられ、外に出れば地図アプリが示す通りに歩いて、信号が赤なら車がまったく通っていなくても止まる。そんなふうに毎日をただ生きていれば、反射がサビつくのは必然である。
*
鶴見は、面白いことを言っている。
「この憲法は、憲法に付随するあらゆる法律を守るという姿勢によってでは守れません」(「戦争と日本人」)
権力が憲法のしばりをふりほどこうとした時は、法律の細目に触れる行動を通してでも、憲法を守れとはっきり要求する必要がある。だからその時のために、日常的に反射を鍛える。デモや座り込みが難しければ、号令や指示に従順な自分を「嗤(わら)う」視点を確保する。それだけでも十分、サビ予防になるはずだ。
日本国憲法12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
来年は戦後80年。心の年賀状に「不断の努力」と書き、読者のみなさまへ送る。極太字で。よいお年を。
(編集委員)
数日前の記事をじっくり読んだら、「これはいいインタビューだねー」と。20日(金)朝日新聞のオピニオン&フォーラム面、「戒厳令とたたかう」 社会学者 真鍋祐子さんー。その朝日新聞を以下に転載させていただこうー。それにしてもやはり今年のノーベル文学賞を受賞した韓国のハン・ガンさんの「少年が来る」が話題のひとつに。友人はもう読んだと言っていたが、私もぜひ読みたいと思っていますー。
韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が突如宣告した「非常戒厳」は、同国のみならず世界を震撼(しんかん)させたが、市民や政治家らが映画さながらに軍人に立ちむかい、わずか数時間で撤回に追い込んだ。人々はなぜ行動したのか。できたのか。隣国の民主化の歩みを静かに見つめ、寄り添ってきた真鍋祐子さんに聞いた。
――「非常戒厳」の報を聞いた時、まず何を思いましたか。
「私は韓国の民主化運動の犠牲者の遺族会と30年間、交流し、研究してきました。ニュースを見た瞬間、犠牲者や遺族らの顔が頭の中にわっと浮かんで来て、尹大統領へのえも言われぬ憤りを覚えました」
「韓国は1987年に民主化されました。その際の6月抗争で催涙弾を受けて亡くなった李韓烈(イハンニョル)さんのお母さんが、かつて私に話してくれた言葉を思い出しました。彼女は泣きながら、こう言いました。韓国の民主化は多くの犠牲の上にもたらされた。その民主化にあぐらをかいて、何ごともなかったかのように振る舞うのは、犠牲者の命をむだに盗む泥棒みたいだと」
「軍を使って人権を侵害しようとしたこの非常戒厳は、犠牲の上に勝ち取った憲法を破壊する行為で、彼女の言葉を借りれば泥棒そのものだと思います」
――幸いにも「非常戒厳」は早期に収束しました。国会には多くの市民たちがすばやく駆けつけ、兵士らともみ合いになりました。なぜこんな行動がとれたと思いますか。
「韓国の歴史で、非常戒厳令が最後に出されたのは80年5月17日。そして戒厳軍が民主化を求める人々を弾圧し、多くの犠牲者を出す光州事件が起きました。今回すぐ国会に向かったのは、この時代を体験した人々が多かったようです」
「戒厳令下に置かれると、市民生活がどうなるのか、戒厳軍が光州で何をやったか、自ら経験して知っているのです」
――国会議員も与党の一部を含めた190人が参集し、全員一致で解除要求決議案を可決し、軍は撤収しました。
「知り合いの韓国人研究者がSNSにこう書いていました。集まった議員たちの多くも民主化の闘士で、軍事独裁の時代には投獄や拷問もいとわず運動を続けてきた。現在は保守側にいる議員もいるが、民主化運動の経験があるから、あれだけの判断力と瞬発力を発揮できた。そのころ何度も司法試験に落ちて勉強ばかりしていた尹大統領には、議員があの時間に、塀をよじ登ってまで集結するとは想像もできなかっただろう、と。私もうなずきながら読みました」
――駆けつけた市民と政治家のすばやい行動が戒厳令を撤回させたというわけですね。
「いえ、実はその2者だけではありません。国会に集まった人々に、コーヒーやギョーザなどをふるまって支援している市民の存在も見逃せません」
「光州事件では、市場のおばさんたちが市民軍におにぎりをふるまいました。韓国では『大同精神』と呼びます。行動する政治家と市民、それを支える市民という3者が存在する現在の姿に、まさに光州事件の経験が反復されていると感じます」
■ ■
――前回の戒厳令を出した全斗煥(チョンドゥファン)時代を描いた映画「ソウルの春」が韓国でヒットしたことも、今回の市民の行動に影響したのではないかと言われます。
「私は『ソウルの春』だけではないと思っています。近年の韓国映画というのは、光州事件を描いた『タクシー運転手 約束は海を越えて』や『ペパーミント・キャンディー』など、目を背けたい過去や軍事独裁時代の凄惨(せいさん)な歴史といった現実に起きた社会問題に切り込む作品を作り続けてきました。現実を直視するエンタメがもたらした波及力も、広い意味で光州事件の教育効果だと思います」
――光州事件は44年も前の出来事ですが、その重みとか経験が残っているのですね。
「光州事件は韓国社会で長くタブーとされてきました。何か触れてはいけないような。87年の民主化宣言、翌88年の事件に関する聴聞会が開かれてから、やっと語られ始めました」
「でも事件の真相を知らせようと、事件直後の80年5月、6月とソウルでは投身や焼身による自殺が相次ぎました。一人でも多くの人にわかってもらおうとわざと人通りの多い場所を選んで衆人環視の下で抗議の死を遂げた人がいたのです」
「今の国会議員はそんな悲惨な死を直接間接に見てきた人が多い世代です。知り合いの映画監督は、火だるまになった人が身を投げ、自分の真横に落ちてきたという体験を持っています。華やかな韓国とは別の、日本にいる我々からは想像もつかない過酷な経験をした人がたくさんいる。そんな人たちが口々に言うのは、民主化で亡くなった人たちに恥ずかしくない生き方をしよう、ということです」
■ ■
――光州事件を題材に「少年が来る」を書いたハン・ガンさんが今年のノーベル文学賞に決まったのも、どこか因縁めいている気がします。
「光州事件は韓国現代史のパンドラの箱を開けたと言えます。権力が葬り去ろうとしていたそれ以前の事件、例えば済州島で警察などが住民を虐殺した48年の『4・3事件』や、朝鮮戦争時に起きた事件などを徐々に掘り起こしていきました」
「ハン・ガンさんが『少年が来る』を書いた後、光州事件よりも30年以上前に起きた4・3事件を題材にした『別れを告げない』にさかのぼったのは、それを書かざるをえないと考えたからではないでしょうか」
――韓国では朴槿恵(パククネ)大統領も市民らが街頭を埋める「ろうそく集会」が契機となって罷免(ひめん)されました。当時と今との共通点や異なる点がありますか。
「戒厳令の解除後も尹氏の退陣などを求め、老若男女問わず広場を埋め尽くしているのは前回と同じです。非暴力で勝てた自信と、その経験に基づく信頼感から行動するのでしょう」
「一方、これまでとの違いも多いと思います。一つは今回、労働歌のような民衆歌謡ではなく、K―POPが流れて人々がペンライトを振る中で、若い女性が目立つことです。80年代から朴政権を倒すまでの運動は、女性が周縁化されるなど男性中心主義的で、マッチョな面が強かった。私はこれを『87年フレーム』と呼びます」
「それが女性運動の高まりが影響しているのか、今回からは明らかに変化してきているように見えます」
■ ■
――尹大統領は「非常戒厳」の理由を「(北朝鮮に服従する)従北勢力を撲滅し、自由憲政秩序を守るため」としました。韓国では北朝鮮問題をはじめ、左右の理念対立の深刻化が指摘されてきました。
「韓国には今も国家保安法があります。韓国政府を樹立した48年に当時の李承晩(イスンマン)大統領が、反対勢力にアカのレッテルを貼り、社会的に抹殺するために制定した法ですが、これは大日本帝国期の治安維持法を下敷きに作ったといわれます。社会の両極化を制度として正当化している側面があり、そこにはかつての日本も深くかかわっているのです」
「両極化に拍車をかけてきた要因は、民族が分断している現状にあります。朝鮮戦争も4・3事件も、犠牲者は対米従属的なイデオロギー内戦に巻き込まれたことが、民主化を求める運動の中でわかってきた。国際情勢や大統領の性格も影響するでしょうが、分断体制が続く限り、陰謀論だなんだと言い合っても、厳しい対立を克服することはできないのだと思います」
――とはいえ、朝鮮半島の分断がすぐに解消できるわけではなさそうです。隣国でもある日本は、そういう韓国とどうつきあっていくべきでしょうか。
「私は、日本のメディアが韓国の政権を『親日』『反日』の二元論で一刀両断に報じるのを見て、とても頭に来ています。日本にとって心地良い政権であれば『親日』としているようですが、これはとても幼稚な二元論です。韓国では、かつての大日本帝国に親和的で、その時代からの既得権層やエスタブリッシュメントとして享受する構造を良しとする考えの持ち主を『親日』と呼ぶのです」
「相手の国のことを知らずに外交はできません。国際的にも韓国のプレゼンスは増してきており、いつまでも上から目線で対応し続けるわけにはいかない。歴史問題も避けて通るべきではありません」
「喫緊の課題は、休戦しているにすぎない朝鮮戦争を米国と北朝鮮の間で終結させること。そうでなければ分断体制は続き、国家保安法もなくなりません。再び韓国で、非常戒厳が出されかねない。日本も朝鮮戦争の終結を歓迎すべきです」(聞き手・箱田哲也)
*
まなべゆうこ 社会学者(韓国民主化運動研究) 1963年生まれ。北九州市出身。秋田大学などを経て、現在は東京大学東洋文化研究所教授。著書に「増補 光州事件で読む現代韓国」など。
「司馬遼太郎短編全集 9」(文芸春秋)を読み終えた。短編14篇から成る全790ページの大冊だ。書いたのは、1964年、つまり昭和39年の東京オリンピックの年(私は中学3年生のとき)だが、遼太郎節がますます冴えてきている頃の筆だろう。徳川幕府崩壊の幕末の歴史も含めた小説なんで、次々と読む進めることができた。
なかでも、「喧嘩層雲」、「肥前の妖怪」、「酔って候」の3篇は味わい深い。とくに土佐の山内容堂を描いた「酔って候」は単行本にもなっている中編だ。確か以前に読んだと思っていた。しかし、意外や意外、読み進めると、土佐藩の容堂の置かれた歴史的な位置づけや土佐藩の独特の成り立ちなど、細部まで知らなかったことがわかった。有名な題名なので、読んだものだと錯覚していたようだ。
収穫だったのは、「喧嘩早雲」。てっきり関東の雄、北条早雲の伝記編かと思っていたら、これは絵師であり、剣客であり、戊辰戦争時代の足利藩(1万1000石の小藩だったとか)の「軍事指導者」でもありー。それをおもしろおかしく描いている。「喧嘩早雲」によると、当時の関東小藩では珍しく、反徳川であり、勤王方についた藩だという。浅学菲才にして、足利戦争があったこともこれで知った。足利藩として、それを率いたのが、田崎早雲であり、その活躍に至る流れを描いている。
確か足利に早雲の作品を収めた「早雲美術館」があるはず。その早雲については、足利藩の「家老」であり、高名な画家であったというぐらいは知っていた。しかし、もっと多面的な顔があり、幕末の歴史に生きた人であるとは知らなかった。な
ので、早い機会に一度、早雲美術館を訪ねたいと思ったことだった。

2024年12月17日に第7次エネルギー基本計画の「原案」が発表されました。近日中に「素案」が発表され、パブリック・コメントにかけられるとみられます。
原案では、「東京電⼒福島第⼀原⼦⼒発電所事故の経験と反省」を掲げつつ、原発事故以降、維持されてきた「原発依存の低減」が削除され、「最大限活用」とされました。原発の建て替え(リプレース)については、いままで廃炉が決まった原発の敷地内に限定していたのを同一の事業者の他の原発の敷地であれば認めています。2040年度の電源構成に占める原発の割合は「2割程度」ですが、果たしてこれは実現可能なのでしょうか。
火力発電についても2040年3-4割維持することになっており、深刻さを増す気候危機に対応できるような計画ではありません。
原発、再エネなどの各電源コスト試算の前提は非科学的かつ非現実的です。世界的な電源別のコストとも乖離し、誤った政策を誘導するものとなっています。
このたびエネルギー基本計画原案をどう読むか、リレートークを開催します。ぜひご参加ください。
トピックス:未来なきエネルギー政策/コスト試算への疑問/“原発2割”は非現実的/無責任な核燃料サイクルの維持/エネルギー需要の過大評価/火力と原発にしがみつく政策/1.5℃の約束は?/非民主的なエネルギー審議プロセス ほか
| 日時 | 2024年12月24日(火)10:30-12:15 |
| 形式 | オンライン開催(ウェビナー)Zoom 申し込みはこちらから |
| 発言者 (予定、敬称略) |
大島堅一/龍谷大学政策学部教授、原子力市民委員会座長 松久保肇/原子力資料情報室事務局長 鈴木達治郎/長崎大学核兵器廃絶研究センター教授 木村啓二/大阪産業大学経済学部国際経済学科准教授、自然エネルギー財団特任研究員 明日香壽川/東北大学東北アジア研究センター・環境科学研究科教授 桃井貴子/気候ネットワーク東京事務所長 川﨑彩子/Fridays For Future Tokyo、ワタシのミライ 髙田陽平/Fridays For Future Fukuoka、ワタシのミライ 満田夏花/国際環境NGO FoE Japan事務局長 ほか |
| 参加費 | 無料 |
| 主催 | FoE Japan、原子力市民委員会、原子力資料情報室、気候ネットワーク、ワタシのミライ |
東海第二原発いらない!第14波一斉行動、「さよなら原発!日光の会」は20日(金)13時から13時50分まで日光市今市の春日町交差点で脱原発、とくに東海第二原発いらないのアピール行動を行った。参加したのは会員9人。首都圏ネットワークの「東海第二原発いらない」と当会の「もうたくさん 原発はまっぴらゴメン」のふたつの横断幕を交差点に掲げ、日光方面や宇都宮方面、鬼怒川方面に向かうマイカーにアピールした。
この日は当初予定では約10キロ先の世界遺産神橋そばの日光街道沿いでアピールすることになっていた。ところがトイレ改修工事が始まるのか、いつもアピールする場所の周辺はいずれも防護柵に囲われてしまっていたことが一昨日にわかった。確かにこれでは物理的にアピールすることができない。そこで急きょ、今市中心部の春日町交差点に変更した。紅葉シーズンのときなどは神橋では駐車場も確保できないため、この春日町交差点でやるときもあるからだ。
予想はしていたが、観光地の神橋周辺と違い、春日町交差点を行きかうマイカーは地元の宇都宮ナンバーが中心。大宮、野田、品川などのナンバーも見かけたが、首都圏などの観光客の車はごく一部だった。さすが、冬至もすぐの冬本番の時期。天候もよく、微風だったが、次第に寒さが。手袋が必要な交差点だった。いわゆるサイレントスタディングアピールとあって、約50分で終了。午後2時半から近くの日光市民活動支援センターでの役員会に向かった。
冬本番の寒さの快眠には「発熱毛布」をーと。Twitterでたまたま知ったそんな誘い文句、それに促されるように私も日光市内のホームセンター「コメリ」で2枚の毛布を買い求めたのです。商品の説明からは2枚とも「コメリ」の製品らしく、一枚はいわば手ごろな2480円、もう一枚は 2980円ー。少し高い方には「宇宙服に採用される最先端技術の断熱素材エアロゲルを使用」とある。安い方を試しに使ってみたが、確かに温かい。それでもう一枚を追加することにしたのです。自分の身体の湿気を熱に変換させて、つまり、毛布で発熱させて就寝中の身体を温めるーという仕組みらしい。さて、さらに実際にきちんと使ってみてどんな具合になるのか?、快眠のための小さな試みのひとつ。それがうまくいったら、さらに報告することにしますー。
Twitterでよくチェックするのが辛口の発言が小気味よい「きっこ」だが、13日は発熱毛布」について、書いていた。それに刺激されて私も「試してみようかな」とー。どうも値段はピンからキリまであるようだ。「きっこ」のように一番安い2000円ぐらいなら購入してもいいかなと。このところ、冬本番の寒さが続いているので。今冬から夜は薪ストーブの居間で寝るようにしている。寝るときは24度ぐらいだが、温かい薪ストーブも深夜には消えてしまう。朝になると、だいたい12度~15度ぐらいに落ちている。やはり20度以上ないと身体が落ち着かない。11月に1週間入院した済生会宇都宮病院はだいたい24度に保っていた。身体に優しい適温は24度ぐらいというところなのだろうかー。(写真はネットから安眠スタイルのひとつを適当に選んだものです)
さまざまにオンラインのセミナーやトーク、講座などへの参加が呼びかけられているが、ぜひとも参加へーというのはなかなか。その点、17日(火)の原子力市民委員会主催による「想定を超えた災害だったので国の責任はない? 福島第一原発事故をとらえなおす」は、ぜひ参加したいと。私はすでに参加登録を済ませました。BLOG「霧降文庫」を読んでくれている貴重な方の中には、「これは聞きたいかもー」という人もいるかもしれない。なので、以下にその案内をアップしますー。
CCNE連続オンライントーク「原発ゼロ社会への道」2024
第12回 想定を超えた災害だったので国に監督責任はない?
── B.5.b問題から福島第一原発事故をとらえなおす
12/17(火)17時-18時
https://www.ccnejapan.com/?p=15850
2022年6月17日、最高裁(第二小法廷)は、福島第一原発事故による住民の損害への賠償と現状回復等をめぐって上告された4件の訴訟について、国の責任を認めない判断を下しました(6.17判決の多数意見)。これ以降、原発事故の賠償責任をめぐる複数の高裁判決では、一審段階で国の責任を認めていた場合であっても、 6.17判決多数意見にならって、いずれも国の責任を認めない判決が続いています。
6.17判決では4人の裁判官の意見が3対1で割れ、多数意見では「実際の津波は想定より規模が大きく、仮に国が東京電力に必要な措置を命じていたとしても事故は避けられなかった可能性が高い」とされましたが、三浦守裁判官の「経産省が命令をしていれば、水密化などの措置が講じられていた可能性は高く、実際の津波に対しても非常用電源設備を防護する効果を十分に上げられた」(中略)「国や東電が真摯に検討していれば、事故を回避できた可能性が高い。経産相による規制権限の不行使は国賠法上違法で、過失も認められ、賠償責任は免れない」との意見も少数意見として明記されました。(※註1)
以上は、津波対策と事故の「回避可能性」についての判断の相違ですが、ここで問題は大きく2つあります。ひとつは、多数意見が間違っていて少数意見が正しいのではないか、という問題。実際、6.17判決の本文54頁のうち、少数意見は実に29頁以上を費やして、法令や技術基準の要求事項、地震津波の研究知見の進展、そして事故の予見可能性と結果回避可能性を綿密に検討したうえで、国には「規制権限の不行使」によって生じた損害を賠償する責任があることを明解に示しました。
もうひとつの問題は、津波が防げなければ原発は必ず過酷事故に至ってしまうのか(6.17判決の多数意見は、そういう暗黙の前提に立って書かれています)、という疑問です。今回のオンライントークでは、一般にあまり知られていない2番目の問題を中心に見ていきます。
実は、米国の原発では、原因が津波であろうが何であろうが、また、設計基準を超えるような原因であっても、「全電源喪失」という事態(つまり、福島第一原発で津波浸水後に生じたような事態)においても炉心冷却と使用済み燃料プールの冷却を維持(または復旧)する方策(電源車、可搬式ポンプ、ケーブル等々)をあらかじめ備えておくことが義務づけられています。これは、2001年の9.11同時多発テロで原子力発電所も攻撃対象となっていたことを踏まえ、米国の原子力規制委員会(NRC)が対応を検討して全ての原発に要求することになったもので、B.5.bの要求事項として知られています(2002年に暫定措置命令、2009年に連邦規則として成文化)。
米国のB.5.bで具体的に求められている大規模損傷緩和策について、日本の原子力安全・保安院(当時)は情報を把握していたにもかかわらず、またNRCからの助言もあったにもかかわらず、東電など原子力事業者に要求せずに放置したまま、2011年の3.11を迎えてしまったのです。
2011年10月に大阪で開催された第19回原子力工学国際会議(ICONE19)の基調講演で、米国NRCの元委員長であるニルス・ディアズ博士は次のように述べました。
「もし仮に、日本でB.5.b型の安全性強化策を効果的かつタイムリーに実施していれば、福島第一原子力発電所の運転員が直面した事態は軽減されていたであろうし、とりわけ、全電源喪失(SBO)ならびに炉心および燃料プールの冷却への対処がなされていたであろう。」
福島第一原発事故についての国会事故調の報告書(2012)は「必要な部分を電気事業者に伝え、対策を要求していれば、今回の事故は防げた可能性がある」としています。米国科学アカデミーの『福島原発事故報告書』(2014)も「B.5.bの多くが地震と津波に襲われた福島第一・第二原発で必要であり、有効だった」と述べています。
今回のオンライントークでは、日本政府が福島原発事故以前に米国のB.5.b要求事項について知っていながら放置していた経緯、そのことがもつ深刻な意味、そして、今後の原発訴訟においてB.5.b問題がどのように争点化されうるのか、整理して解説したいと思います。
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■日 時:2024年12月17日(火)17:00~18:00【オンライン(Zoom)開催】
■プログラムと出席者:
・「B.5.b問題から福島第一原発事故における国の責任を問い直す」
/長谷川公一(尚絅学院大学大学院 特任教授、東北大学名誉教授、原子力市民委員会アドバイザー)
・コメント 「なぜ、B.5.b問題は共有できなかったのか」
/海渡雄一(弁護士、脱原発弁護団全国連絡会 共同代表、原子力市民委員会 政策調査部会)
・質疑応答・意見交換
■申 込:下記よりお申込みください。
https://us02web.zoom.us/webinar/register/WN_e8-FNFfATBSFzhjBcx9MNQ
(ご案内が届かない場合は、email@ccnejapan.com までお知らせください)
※ この企画は、後日Youtubeで公開します。Zoomのウェビナー形式で開催し、ご質問やご意見は当日の質疑応答(Q&A)もしくは、後日メール・FAXなどで受けつけます。
■主 催:原子力市民委員会(CCNE)
(※註1) 令和3年(受)第342号 原状回復等請求事件 令和4年6月17日 第二小法廷判決
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初めて知りました。どのような機会に知ったのかは覚えていないが、確か小学生のときから歌っていた。だが、この年になるまで作詞者は知らないでいた。今日の朝日新聞「ひと」欄で知る。浅田石二さん。もう92歳なんだね。なんだか年長の旧友に突然、時を超えて会ったような。今でも思うが、途中の「今は白い花咲く」という表現が印象的な歌だなと。
2024年12月11日 5時00分0
米国の水爆実験に揺れた70年前、この歌が反核運動を奮い立たせる。広島・長崎の被爆者は悲しみと怒りを胸に歌い、大衆も口ずさんで全国へ広がった。
♯ふるさとの街やかれ/身よりの骨うめし焼土(やけつち)に/今は白い花咲く/ああ許すまじ原爆を/三度(みたび)許すまじ原爆を/われらの街に――
東京南部の町工場で働く22歳の時、労働者や学生の「うたごえ運動」に呼応して筆を執る。日中戦争前夜に生まれ、太平洋戦争後の焼け跡を生きた文学青年。「戦争は二度と嫌だ。国家は信じられない」。そんな心情を韻律に込めた。
原爆の被害は占領軍の報道規制が解けるまで知るよしもなく、アサヒグラフの特集に衝撃を受けて想像力を働かせた。ビキニ事件で静岡の第五福竜丸が被曝(ひばく)した直後、2番の歌詞は「われらの海に」、国際平和を希求する精神から4番は「世界の上に」で締めくくった。
その2年後、日本原水爆被害者団体協議会が結成される。孤立や差別に苦しむ被爆者が団結し、核廃絶を訴える声を一つにするのを支えた。ノーベル平和賞の授賞式に臨んだ田中熙巳(てるみ)代表委員(92)も「団歌と言っていい」と感謝する。
待望の受賞が薄れゆく戦時の記憶を呼び覚まし、日本そして世界中で考え行動する契機になればと願う。戦後80年へ伝えたい。「いつの時代も、戦争による死者のことが忘れられた時に新しい戦争が始まる」と。
(文・写真 田井良洋)
*
あさだいしじ(92歳)
寒い夜とあって、「そうだ、温かなけんちん汁をつくろう」と。外食ではたまに注文しているが、本格的に自分でつくるのは初めて。数日前に試験的につくったが、具材不足もあり、なっとくいかない仕上がりでした。きょうはネットの動画を3回きちんと観て、なんとかなるとー。一番のポイントはコンニャクを事前にゆでながら、少々の塩を。すると、コンニャク特有の臭みがなくなるという。それに味加減だ。醤油、料理酒、リンゴ酢、砂糖少々、それに仕上げは味噌汁づくりに欠かせないだしの素ー。あれ、ミリンを切らしていたー。とくに砂糖が味を決めるとか。で、そのレシピに従って。煮ること約15分ー。少し早いかなと思ったら、やはり、ゴボウと大根がやや硬い。たぶん、煮る時間は25分ていどがいいかも。とにかくお鍋いっぱいにつくったので、明日もけんちん汁で。ただし、塩おにぎりと野菜天ぷら付きでと考えていますー。
救急法 とくに心臓マッサージとAEDの操作方法をきょう12月8日(日)午後1時半から90分、暮らしている日光市霧降自治会の自治会館で学びました。日光消防署員が2人を指導役に濃密な講座を受けました。私は防災士でもあり、AEDの操作方法は知ってはいるが、実際に講習を受けたのは、かなり以前。たぶん10年ぶりかも。身体で覚えておくためには、数年に一度は受講すべきだとは承知していたが、なかなかその機会がなく。
今春の自治会総会で「AED操作などの救急法を数年に一度は学ぶ場を」。霧降自治会の初代防災部長として、そう発言しておいた。ほかの自治会員もぜひという声が上がっていた。それが実現したのが、本日だ。自治会の役員や組長など約10人が熱心に受講した。救急法のほか、もちなどをのどで詰まらせた場合の対処も学んだ。119番ではなく、♯7119番での問い合わせ問題など、次々と質問があがり、90分があっという間に終わった。
印象的だったのは、救急要請から現場到着までの救急車のタイム。私は「15分」かなと思っていたが、日光消防署員によると、(全国的にはだったか?)約9分とか。だいだい1分で1キロ換算しているという。日光消防署から霧降高原まで約3・5キロ。なので、5、6分で現場到着できるという。かなり早いことを知った。
そのAED、お値段はかなり安くなってきたというが、それでも1台30万円ほどとか。ホテルや公共施設、コンビニなどに配備されているが、「この霧降自治会でも配備できないかどうか」という質問も。だが、AEDの管理の問題や救急車の活用を考えると、むしろ119番のほうがま有利かなと。ただし、AEDがさらに手軽なお値段になれば、「ホームAEDで、いずれ、一家に一台の時代も」という説明があったー。これには「なるほどねー」だった。
2024年12月5日
薪づくり再開2日目の3日(火)は、昼から約2時間ー。「焼き鳥屋のたれ」のエンジンチェンソーも特にトラブルもなく、順調に作業が進んだ。たぶん台車で3回分ぐらいの量の薪材を確保したかも。薪小屋に積むのは明日だが、どのくらい増えてくれるかー。それを期待しながらの作業となるだろうと。ともあれ、丸太材を薪材にするには、エンジンチェーンソーが必携。それもオイルのあるなしが決め手。さらにチェーンの刃を研ぐすます「めきき」も大切だ。加えてソーチェーンの張り具合のチェックも大事だ。きょうは急にエンジンがストップ。「あっ、これは混合油が切れたのだねー」。とすぐにわかるようにはなった。あんのじょう、混合油をいっぱいにして、再始動させたら、元通りに。ともかくエンジンチェンソーは、作業中にもエンジン音に異常がないかどうかなど、さまざまな注意が必要なのだねー。
半月ぶりに薪づくりの一日でした。心筋梗塞で1週間入院していたため、その前後を含めて冬ごもりに必要な薪づくりを休止していた。とはいえ、冬の入口の師走に入ったとあって、尻に火がついた状態に。なので、本日は久しぶりにエンジンチェンソーで、ベランダに積んでいた小ぶりの丸材を次々と。とはいえ、ソーチェーンのオイルがよく通らないので、「焼き鳥屋のたれ」のようにソーチェンをオイル缶に何度かつけて操作をした。これが意外と効果があり、2時間ほどの作業が効率よく進んだ。もっとも、一度は20分ほどかけて、やすりでチェンソーのめききをしたのだが。いわゆる「使用前」、「使用後」ではないが、チェーンを研ぐと、まるで切れ味が違う。ただし、そのめききは以外と力を使うので、何度もやるには少し気力がいるのだがー。いずれにしろ、半月ぶりの薪づくりは成功したので、あす以降も好天の日中は薪づくりに集中しようと思っていますー。
ふだんがうどん派なのだが、一カ月に一度はどうも食べたくなるのが、今市にある専門店のラーメンだ。あの汁がなんともいえない。栄養管理士によると、心臓疾患を抱えた人はとにかく塩分を控えめにした食事を。とくにラーメンを食べた後の残り汁には塩分がいっぱいとか。いつも思うのだが、「敵に塩を贈る」ではないが、塩分も命には必要なはず。だが、塩分は常に親の仇のような言われ方。これまで塩の効能を聞いたことはないのが不思議だ。これはどうしてなのか?と思う。ともあれ、きょうはその貴重なラーメンの日だった。耳にタコができるように「塩分は控えめ」が効いたのか、残り汁は珍しく残しましたー。やっぱり、心筋梗塞で1週間入院したことで、健康について、特に食べ物について、慎重な姿勢になっているのだろうねー。と、思うことしきりでした。


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