この人が作詞者だったのかーと知る 「今は白い花咲く」の「原爆を許すまじ」
初めて知りました。どのような機会に知ったのかは覚えていないが、確か小学生のときから歌っていた。だが、この年になるまで作詞者は知らないでいた。今日の朝日新聞「ひと」欄で知る。浅田石二さん。もう92歳なんだね。なんだか年長の旧友に突然、時を超えて会ったような。今でも思うが、途中の「今は白い花咲く」という表現が印象的な歌だなと。
(ひと)浅田石二さん 日本被団協に力を与えた歌「原爆を許すまじ」の作詞者
2024年12月11日 5時00分0
米国の水爆実験に揺れた70年前、この歌が反核運動を奮い立たせる。広島・長崎の被爆者は悲しみと怒りを胸に歌い、大衆も口ずさんで全国へ広がった。
♯ふるさとの街やかれ/身よりの骨うめし焼土(やけつち)に/今は白い花咲く/ああ許すまじ原爆を/三度(みたび)許すまじ原爆を/われらの街に――
東京南部の町工場で働く22歳の時、労働者や学生の「うたごえ運動」に呼応して筆を執る。日中戦争前夜に生まれ、太平洋戦争後の焼け跡を生きた文学青年。「戦争は二度と嫌だ。国家は信じられない」。そんな心情を韻律に込めた。
原爆の被害は占領軍の報道規制が解けるまで知るよしもなく、アサヒグラフの特集に衝撃を受けて想像力を働かせた。ビキニ事件で静岡の第五福竜丸が被曝(ひばく)した直後、2番の歌詞は「われらの海に」、国際平和を希求する精神から4番は「世界の上に」で締めくくった。
その2年後、日本原水爆被害者団体協議会が結成される。孤立や差別に苦しむ被爆者が団結し、核廃絶を訴える声を一つにするのを支えた。ノーベル平和賞の授賞式に臨んだ田中熙巳(てるみ)代表委員(92)も「団歌と言っていい」と感謝する。
待望の受賞が薄れゆく戦時の記憶を呼び覚まし、日本そして世界中で考え行動する契機になればと願う。戦後80年へ伝えたい。「いつの時代も、戦争による死者のことが忘れられた時に新しい戦争が始まる」と。
(文・写真 田井良洋)
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あさだいしじ(92歳)
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