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2024年12月25日 (水)

じっくり読んだら、いいインタビュー記事だなと  20日の「戒厳令とたたかう」

数日前の記事をじっくり読んだら、「これはいいインタビューだねー」と。20日(金)朝日新聞のオピニオン&フォーラム面、「戒厳令とたたかう」 社会学者 真鍋祐子さんー。その朝日新聞を以下に転載させていただこうー。それにしてもやはり今年のノーベル文学賞を受賞した韓国のハン・ガンさんの「少年が来る」が話題のひとつに。友人はもう読んだと言っていたが、私もぜひ読みたいと思っていますー

(インタビュー)戒厳令とたたかう 社会学者・真鍋祐子さん

写真・図版
「日本の『緊急事態条項』も、韓国の軍事独裁がいかに権力を都合よく使ってきたか知った上で議論すべきです」=佐藤慧氏撮影

 韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が突如宣告した「非常戒厳」は、同国のみならず世界を震撼(しんかん)させたが、市民や政治家らが映画さながらに軍人に立ちむかい、わずか数時間で撤回に追い込んだ。人々はなぜ行動したのか。できたのか。隣国の民主化の歩みを静かに見つめ、寄り添ってきた真鍋祐子さんに聞いた。

 ――「非常戒厳」の報を聞いた時、まず何を思いましたか。

 「私は韓国の民主化運動の犠牲者の遺族会と30年間、交流し、研究してきました。ニュースを見た瞬間、犠牲者や遺族らの顔が頭の中にわっと浮かんで来て、尹大統領へのえも言われぬ憤りを覚えました」

 「韓国は1987年に民主化されました。その際の6月抗争で催涙弾を受けて亡くなった李韓烈(イハンニョル)さんのお母さんが、かつて私に話してくれた言葉を思い出しました。彼女は泣きながら、こう言いました。韓国の民主化は多くの犠牲の上にもたらされた。その民主化にあぐらをかいて、何ごともなかったかのように振る舞うのは、犠牲者の命をむだに盗む泥棒みたいだと」

 「軍を使って人権を侵害しようとしたこの非常戒厳は、犠牲の上に勝ち取った憲法を破壊する行為で、彼女の言葉を借りれば泥棒そのものだと思います」

 ――幸いにも「非常戒厳」は早期に収束しました。国会には多くの市民たちがすばやく駆けつけ、兵士らともみ合いになりました。なぜこんな行動がとれたと思いますか。

 「韓国の歴史で、非常戒厳令が最後に出されたのは80年5月17日。そして戒厳軍が民主化を求める人々を弾圧し、多くの犠牲者を出す光州事件が起きました。今回すぐ国会に向かったのは、この時代を体験した人々が多かったようです」

 「戒厳令下に置かれると、市民生活がどうなるのか、戒厳軍が光州で何をやったか、自ら経験して知っているのです」

 ――国会議員も与党の一部を含めた190人が参集し、全員一致で解除要求決議案を可決し、軍は撤収しました。

 「知り合いの韓国人研究者がSNSにこう書いていました。集まった議員たちの多くも民主化の闘士で、軍事独裁の時代には投獄や拷問もいとわず運動を続けてきた。現在は保守側にいる議員もいるが、民主化運動の経験があるから、あれだけの判断力と瞬発力を発揮できた。そのころ何度も司法試験に落ちて勉強ばかりしていた尹大統領には、議員があの時間に、塀をよじ登ってまで集結するとは想像もできなかっただろう、と。私もうなずきながら読みました」

 ――駆けつけた市民と政治家のすばやい行動が戒厳令を撤回させたというわけですね。

 「いえ、実はその2者だけではありません。国会に集まった人々に、コーヒーやギョーザなどをふるまって支援している市民の存在も見逃せません」

 「光州事件では、市場のおばさんたちが市民軍におにぎりをふるまいました。韓国では『大同精神』と呼びます。行動する政治家と市民、それを支える市民という3者が存在する現在の姿に、まさに光州事件の経験が反復されていると感じます」

     ■     ■

 ――前回の戒厳令を出した全斗煥(チョンドゥファン)時代を描いた映画「ソウルの春」が韓国でヒットしたことも、今回の市民の行動に影響したのではないかと言われます。

 「私は『ソウルの春』だけではないと思っています。近年の韓国映画というのは、光州事件を描いた『タクシー運転手 約束は海を越えて』や『ペパーミント・キャンディー』など、目を背けたい過去や軍事独裁時代の凄惨(せいさん)な歴史といった現実に起きた社会問題に切り込む作品を作り続けてきました。現実を直視するエンタメがもたらした波及力も、広い意味で光州事件の教育効果だと思います」

 ――光州事件は44年も前の出来事ですが、その重みとか経験が残っているのですね。

 「光州事件は韓国社会で長くタブーとされてきました。何か触れてはいけないような。87年の民主化宣言、翌88年の事件に関する聴聞会が開かれてから、やっと語られ始めました」

 「でも事件の真相を知らせようと、事件直後の80年5月、6月とソウルでは投身や焼身による自殺が相次ぎました。一人でも多くの人にわかってもらおうとわざと人通りの多い場所を選んで衆人環視の下で抗議の死を遂げた人がいたのです」

 「今の国会議員はそんな悲惨な死を直接間接に見てきた人が多い世代です。知り合いの映画監督は、火だるまになった人が身を投げ、自分の真横に落ちてきたという体験を持っています。華やかな韓国とは別の、日本にいる我々からは想像もつかない過酷な経験をした人がたくさんいる。そんな人たちが口々に言うのは、民主化で亡くなった人たちに恥ずかしくない生き方をしよう、ということです」

     ■     ■

 ――光州事件を題材に「少年が来る」を書いたハン・ガンさんが今年のノーベル文学賞に決まったのも、どこか因縁めいている気がします。

 「光州事件は韓国現代史のパンドラの箱を開けたと言えます。権力が葬り去ろうとしていたそれ以前の事件、例えば済州島で警察などが住民を虐殺した48年の『4・3事件』や、朝鮮戦争時に起きた事件などを徐々に掘り起こしていきました」

 「ハン・ガンさんが『少年が来る』を書いた後、光州事件よりも30年以上前に起きた4・3事件を題材にした『別れを告げない』にさかのぼったのは、それを書かざるをえないと考えたからではないでしょうか」

 ――韓国では朴槿恵(パククネ)大統領も市民らが街頭を埋める「ろうそく集会」が契機となって罷免(ひめん)されました。当時と今との共通点や異なる点がありますか。

 「戒厳令の解除後も尹氏の退陣などを求め、老若男女問わず広場を埋め尽くしているのは前回と同じです。非暴力で勝てた自信と、その経験に基づく信頼感から行動するのでしょう」

 「一方、これまでとの違いも多いと思います。一つは今回、労働歌のような民衆歌謡ではなく、K―POPが流れて人々がペンライトを振る中で、若い女性が目立つことです。80年代から朴政権を倒すまでの運動は、女性が周縁化されるなど男性中心主義的で、マッチョな面が強かった。私はこれを『87年フレーム』と呼びます」

 「それが女性運動の高まりが影響しているのか、今回からは明らかに変化してきているように見えます」

     ■     ■

 ――尹大統領は「非常戒厳」の理由を「(北朝鮮に服従する)従北勢力を撲滅し、自由憲政秩序を守るため」としました。韓国では北朝鮮問題をはじめ、左右の理念対立の深刻化が指摘されてきました。

 「韓国には今も国家保安法があります。韓国政府を樹立した48年に当時の李承晩(イスンマン)大統領が、反対勢力にアカのレッテルを貼り、社会的に抹殺するために制定した法ですが、これは大日本帝国期の治安維持法を下敷きに作ったといわれます。社会の両極化を制度として正当化している側面があり、そこにはかつての日本も深くかかわっているのです」

 「両極化に拍車をかけてきた要因は、民族が分断している現状にあります。朝鮮戦争も4・3事件も、犠牲者は対米従属的なイデオロギー内戦に巻き込まれたことが、民主化を求める運動の中でわかってきた。国際情勢や大統領の性格も影響するでしょうが、分断体制が続く限り、陰謀論だなんだと言い合っても、厳しい対立を克服することはできないのだと思います」

 ――とはいえ、朝鮮半島の分断がすぐに解消できるわけではなさそうです。隣国でもある日本は、そういう韓国とどうつきあっていくべきでしょうか。

 「私は、日本のメディアが韓国の政権を『親日』『反日』の二元論で一刀両断に報じるのを見て、とても頭に来ています。日本にとって心地良い政権であれば『親日』としているようですが、これはとても幼稚な二元論です。韓国では、かつての大日本帝国に親和的で、その時代からの既得権層やエスタブリッシュメントとして享受する構造を良しとする考えの持ち主を『親日』と呼ぶのです」

 「相手の国のことを知らずに外交はできません。国際的にも韓国のプレゼンスは増してきており、いつまでも上から目線で対応し続けるわけにはいかない。歴史問題も避けて通るべきではありません」

 「喫緊の課題は、休戦しているにすぎない朝鮮戦争を米国と北朝鮮の間で終結させること。そうでなければ分断体制は続き、国家保安法もなくなりません。再び韓国で、非常戒厳が出されかねない。日本も朝鮮戦争の終結を歓迎すべきです」(聞き手・箱田哲也)

     *

 まなべゆうこ 社会学者(韓国民主化運動研究) 1963年生まれ。北九州市出身。秋田大学などを経て、現在は東京大学東洋文化研究所教授。著書に「増補 光州事件で読む現代韓国」など。

 

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