第7次エネルギー基本計画案に対して「さよなら原発!日光の会」が資源エネルギー庁に送ったパブコメ・意見(約5300字)の「要旨」(3193字)を硬派のニュースレター「ピスカートル 漁をする人」(東京都新宿区)が転載したいということなので(「要旨」ですがー)、送付しました。以下ですー。「ピスカートル」の第72号の表紙を添付しますー。
第7次エネルギー基本計画案に対する意見(要旨)
(単語数3、141字 スペース含め3、193字)
2025年1月25日
資源エネルギー庁長官官房総務課 パブリックコメント担当 御中 さよなら原発!日光の会 代 表 富岡 洋一郎
1 原発の「最大限活用」の文言は削除すべきである
第7次エネルギー基本計画案(以下「計画案」という)の冒頭、「東京電力福島第一原発事故後の歩み」(6頁)で、「福島第一原発事故から13年が経過したが、原発事故の経験、反省と教訓を肝に銘じて、エネルギー政策を進めていくことが、エネルギー政策の原点である」としている。
ところが、今回の計画案では福島第一原発事故の後、3次にわたる基本計画で掲げてきた原発の「依存度低減」をあっさり削除している。あろうことか、原発を「最大限活用する」と明記している「エネルギー政策の基本的考え方」(16頁)。
これに朝日新聞が社説(2025年1月22日「エネルギー基本計画 未来への責任果たす針路に」)で厳しく批判しているが、大方が納得できる言い分だ。「前言も顧みず、手のひらを返すように重大な方針を転換するならあまりに無責任だ。国民への背信ではないか」。
この社説でも述べているが、「このまま決定すれば、将来に禍根を残す内容だ」。まったく同感であり、よって、原発の「最大限活用」の文言は削除すべきである。
2 ドイツに見習い、「原発ゼロ」への道を進むべきである。
計画案では、同じ「エネルギー政策の基本的考え方」(16頁)で、「我が国の経済成長や産業競争力強化が実現できなければ、雇用の維持や賃上げも困難となるため、再生可能エネルギーか原子力かといった二項対立的な議論ではなく、再生可エネルギーと原子力をともに最大限活用していくことが極めて重要となる」としている。
これはそもそもの発想が間違っている。周知のようにドイツは福島第一原発事故後、いちはやく当時のメルケル政権のときに、脱原発方針を決めている。当時、ドイツは、技術者ではなく、哲学者、社会学者、宗教指導者ら幅広い識者で構成する倫理委員会を設置し、同委員会は、脱原発を提言した(東京新聞、2023年4月21日)。そして、2023年4月15日から「原発ゼロ」を達成した。
ドイツは、計画案にあるような、「再生可エネルギーと原子力をともに最大限活用していくことが極めて重要となる」という、とんでもない判断はとっていない。ドイツのように脱原発へと針路を戻していくべきである。
3 「非現実的」な原発2割案は採用すべきではない。
計画案の「2040年度におけるエネルギー需給の見通し(関連資料)」(29頁)によると、電源構成は、原発2割程度(第6次基本計画20~22%)、再エネ4~5割程度(同36%~38%)、火力3~4割程度(同41%)。つまり、2021年10月に閣議決定された第6次基本計画における電源構成とほとんど変わっていない。
計画案では「再生可能エネルギーを主力電源として最大限導入する」(16頁)と強調しているが、その考えがどこに活かされているのか、まったく疑問である。
さらに問題なのは、原発の電源構成を2割程度としていることの根拠だ。2割というのは、東電柏崎刈羽1~7号機、原子力規制委員会が不許可にした日本原電敦賀2号機の再稼働に加え、建設中の大間原発や東通原発などの完成が必要になる規模であり、40年超の長期運転の常態化も意味している。これは原発を温存したい願望を無理やり基本計画に盛り込もうとする試みにほかならない。
よって、電源構成における原発の割合2割程度はいったん持ち帰るべきである。
4 エネルギー基本計画案は撤回し、公正な審議体で再審議へ
基本計画案の「国民各層とのコミュニケーション」(81頁)において、「将来のエネルギーに関する選択は、未来の選択にほかならない。このため、政府による情報開示を通じた国民各層の理解促進や双方向のコミュニケーションを充実させて行く必要がある。」としている。
ところが、計画案は原発推進の官僚主導による原発ありきでの計画案である。このような偏った計画案を提示しての意見聴取は、未来の選択のための双方向のコミュニケーションとは言えない。未来の選択というのであれば、審議会のメンバーに原発推進派だけでなく、原発に批判的な市民団体も含めたメンバーも入れることが最低限必要なことである。
よって、計画案を撤回して、意見聴取会の実施、世論調査を行ったうえで、原発に批判的なメンバーを相当数入れた審議会でもう一度、第7次エネルギー基本計画案を作成し直して、それをパブリックコメントにかけるべきである。
5 地震国、火山国の原発は安全性の確保ができない
計画案の「エネルギー政策の基本的視点(S+3E)」(14~15頁)では、エネルギー政策の「要諦」として、S+3E(安全性+エネルギー安定供給、経済効率性、環境適合性)が強調されている。ところが、日本列島の至るところに断層がある。2007年7月の新潟県中越沖地震での柏崎・刈羽原発や2024年1月の能登半島地震での志賀原発のように、原発に損傷を与えた直下型地震は頻発している。
能登半島地震では、震源地の直上にかつて珠洲原発の計画があり、もしそれが実施されていたら苛酷事故に至った可能性がある。住民運動によって計画が中止となったことは不幸中の幸いであった。
日本は原発に損傷を与えるような大噴火がいつ起こるかわからない状況もある。地震大国、火山大国の日本では、原発は安全性の確保ができないので、エネルギー政策の「要諦」とされるS+3Eの原則を満たすことができない。
6 ウクライナ侵略戦争で原発は恰好の「軍事標的」となった
計画案では「第6次エネルギー基本計画以降の状況変化」(10頁)で、「2022年2月にロシアがウクライナ侵略を開始し、世界のエネルギー情勢は一変した」とある。
このプーチンによるウクライナ戦争では、ロシアによるザポリージャ原発への攻撃や占領という事態も引き起こされている。このウクライナ戦争で明らかになったように、原発は恰好の軍事標的であり、その点でも安全性の確保は困難である。
計画案では、原子力は「エネルギー安全保障に寄与する」としている(26頁)が、それはまるで逆であり、その認識は明らかな誤りである。よって、原子力は「エネルギー安全保障に寄与する」という文言は削除すべきである。
7 原発は安定供給もできず、経済効率性もなく、環境適合性もない
安全性の確保ができないと、電力の安定供給もできない。これは福島第一原発事故を受けて、全ての原発の稼働が停止された歴史的事実からも明らかである。原発はエネルギー安定供給にも資さないのである。
原発は、高レベル放射性廃棄物の処分は未解決で、解決までにどの位の時間と費用がかかるのかも不明である。安全性を高めれば高めるほど原発の建設には時間がかかり、費用も増大する。このような原子力発電に経済効率性があるとは言えない。
原発は、いったん事故が起きれば広範な放射能汚染を引き起す。社会、自然、経済など、世の中の基本的なシステムを破壊させてしまう。そして、高レベル放射性廃棄物の管理を後世代や過疎地に押しつけることになり、世代間の公平及び地域間の公平を著しく侵害する。このような原発には環境適合性はない。点検や廃炉作業で被曝労働を強い、高レベル放射性廃棄物の管理を後世代や過疎地に押しつけることは、倫理にも反する。
以上、原子力発電はS+3Eの原則を満たさず、社会の倫理にも大きく反するので、基本計画案のへそであり、最大の問題点である原子力の「最大限の活用」の文言は、削除されるべきなのは、論を待たない。
以上
[BOOKデータベースより]
人間存在の意味とその営為を根本的に変化させてしまった二十世紀。その時代とともにあったダダ、シュルレアリスム運動は、既成の芸術運動をはるかにこえ、時代の“意識”を最前線にたって変革していく思想運動だった。トリスタン・ツァラ、アンドレ・ブルトン、ジョルジュ・バタイユら、時代を体現した前衛芸術家たちの活動を通して、現代の思想とアートの一大パースペクティヴのなかで捉えなおされる、衝撃的な二十世紀思想・文化史としての、ダダ・シュルレアリスム論。
1 トリスタン・ツァラをめぐって(チューリッヒからパリへ;言語破壊装置としてのダダ;スペクタクルとしてのダダ;拒否と持続の言語;ツァラを葬った日;ツァラとシュルレアリスム)
2 シュルレアリスムのほうへ(アンドレ・ブルトンとエクリチュール・オートマティック;シュルレアリスムの政治的体験;シュルレアリスムと全体主義的言語;ジョルジュ・バタイユの眼球;レーモン・ルーセルの世界)
意味の外へ―ひとつの透視図として