「今からでも小林秀雄を読んでみようかー」 五木寛之『こころの散歩』(新潮文庫)
ひょんなことからたまたま五木寛之の「こころの散歩」(新潮文庫、平成7年4月15日第3刷)を読んでいるところだ。五木寛之といえば、初期の「さらばモスクワ愚連隊」や「青春の門」、後期の「親鸞」など、それなりに読んできたが、もっぱらエッセイを手にする機会が多い。初期の「風に吹かれて」はもちろん、後期の「下山の思想」など。<確かにそういうことってあるよね>、そんないわば「午後3時の珈琲タイム」が似合うエッセイ群だ。
この「こころの散歩」もそんなごく軽い気持ちで手にしていたが、そのうちの「小林秀雄、その側面の一面」にある「邪悪なる天才」の文章にー、<えっ、小林秀雄って、そんな鋭い判断をする人だったのか>、と、新鮮さを覚えた箇所に行き当たった。五木さんも小林秀雄に対しては昔から「敬して遠ざける」で、それほど縁を結べなかったという。私にしても、10数巻ある「小林秀雄選集」(全集か?)の大半が書棚に眠っている。いわゆる「積読」状態だ。たぶん、吉本隆明による小林秀雄批判の影響を受けているのだとは思うがー。
ところが、「こころの散歩」の147頁~148頁を読むと、<私も改めて小林秀雄を手にしないといけないな>、そう思わされた。というのも、以下の五木さんの文章から。
昨夜、持田綱一郎さんの『小林秀雄の近代』(「此岸」一号所載)を読んでいたら、小林さんが昭和15年に、こんな文章を書いていたことが紹介されていた。ヒットラーの『我が闘争』について小林秀雄は<僕はこの驚くべき独断の書を20頁ほど読んで、もう一種邪悪なる天才のペンを感じた>。昭和15年といえば、日本では熱病のようなヒトラー人気が盛り上がっている時代である(中略)『我が闘争』は、新時代のバイブルのように扱われていたのである」
この項の結びで、五木さんはこう考えたという。「人生百年時代、などという。まだおそくはない。今からでも小林秀雄を読んみようか、などと妄想を膨らませる一夜だった」
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