台湾の歴史そのものを記録していくことになる 脱原発ドキュメンタリー映画「こんにちわ 貢寮(コンリャオ)」
日本の私たち
(「ノーニュークス・アジアフォーラム ジャパン」記事から)
日本から輸出された台湾第四原発建設地である台北県貢寮郷は台湾の東北部にあり、面積は9997ヘクタール、人口14000余人。主な産業は漁業と養殖業。海岸線の長さは約30キロ、風光明媚で『東北部風景特定区』(国立公園に相当)に指定されている。
1980年に第四原発の建設予定地として貢寮が選ばれた。当時は独裁政治の戒厳令下のため抵抗することもできず、1982年には土地の強制収用により230世帯が強制転居させられた。1987年になってようやく学者の張國龍らが貢寮を訪れ、地元住民に放射能の危険性を伝え、反対運動が始まった。住民にいっさい説明なく決められた原発に、住民は反対を続けた。
1991年10月3日、警察は住民との約束を破って、住民がこもるテントを破壊。警察と住民の衝突で1名の警官が死亡した。たまたま車にのっていた青年が殺人罪で逮捕された。「こんにちは 貢寮」は、「1003事件」で投獄された青年への手紙から始まり、クライマックスは11年ぶりの青年の外出許可だ。身内のところではなく、まっすぐ福隆駅に向かった青年は、呉文通さんら出迎える住民たちと固く抱き合う。ちょうど、2006年3月18日の祝島での上映会の直前、台湾から呉さんに電話があった。「青年が3日後に、14年5ヶ月ぶりに釈放される」
「1003事件」から7年、チェ・スーシンがカメラを持って記録を始める。 彼女はその後6年間にわたって貢寮を撮り続けることで奇しくも、政権交代に象徴される台湾の歴史そのものを記録していくことになる。しかし、6年後に彼女が完成させた映画には、ひとすじのぶれもなく、貢寮の人々の目線からそのすべてが描かれている。
冒頭、彼女はこう語って映画を始めている。「お年寄りから原発に関する話を聞いて、だんだんわかってきました。貢寮の住民は第四原発の建設が決まった日から、長く辛い道を歩み始めていたことを。私はカメラをもって、私が立ち会えなかった歴史を記録しようと決めました。長年の努力と抗争の中の人々の人生と心情を記録したいのです」
この記録映画は二つの意味で日本の私たちと大きなつながりを持っている。一つは、日本からその原発が輸出された、ということ。もう一つは、日本の多くの原発予定地と同じように貢寮の人々も闘い続けている、ということ。実際、この映画に出てくる貢寮の人々の様子は、これまで日本各地で闘われてきた原発予定地とほんとうによく似ている。バスを仕立てて都会へ繰り出す様子、海上デモの様子・・・・。
【こんにちは貢寮】上映時間:89分
監督:崔欣(チェ・スーシン)
制作:呉乙峰(ウー・イーファン)
★2004年宜蘭国際緑色映画祭観客選考最優秀賞
★2004年南方映画祭選出
★第27回金穂賞最優秀ドキュメンタリー
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