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2025年10月 3日 (金)

奇しくも台湾の歴史そのものを記録した   ドキュメンタリー映画「こんにちは 貢寮(コンリャオ)」

「さようなら原発!栃木アクション2025」プレ企画として、「さよなら原発!日光の会」は、10月19日(日)14時~日光市中央公民館中ホールで台湾脱原発ドキュメンタリー映画『こんにちは 貢寮(コンリャオ)』を上映します(無料)。映画(上映時間89分)は、チェ・スーシン(雀愫欣)監督が6年の歳月をかけて2004年に完成させました。

どんな背景、状況で脱原発運動が進められたのかを記録した歴史ドキュメンタリー

今年5月17日にアジアで初めて「原発セロ」を達成した台湾の住民たちがどんな背景、Photo_20251003001101 、状況で脱原発運動を進めていたのかー、それを記録した貴重な歴史ドキュメンタリー映画です。

映画の舞台となった台湾第4原発は98%まで建設が進められましたが、2014年4月に建設凍結となりました。しかし、「原発ゼロ」を決めたとはいえ、今年8月23日には、第3原発の再稼働をめぐる国民投票が実施されています。

投票結果は再稼働賛成派が多数でしたが、成立要件を満たさなかったために「否決」となりました。このように台湾はまだまだ脱原発派と原発推進派がせめぎ合っている状況にあります。

1980年に台湾東北部の貢寮が第四原発の建設予定地に選ばれた

「No Nukes Asia Forum Japan」の解説によると、台湾第四原発建設地である台北県貢寮郷は台湾の東北部にあります。1980年に第四原発の建設予定地として貢寮が選ばれ、1982年には土地の強制収用により230世帯が強制転居させられました。1987年になってようやく学者の張國龍らが貢寮を訪れ、地元住民に放射能の危険性を伝え、反対運動が始まりました。住民にいっさい説明なく決められた原発に、住民は反対を続けました。

反対運動で青年が殺人罪で逮捕された1991年の「1003事件」
 1991年10月3日、警察は住民との約束を破って、住民がこもるテントを破壊。警察と住民の衝突で1名の警官が横転した車の下敷になって死亡しました。たまたま車に乗っていた青年が殺人罪で逮捕され、無期懲役の判決を受けました。

『こんにちは 貢寮』は、この「1003事件」で投獄された青年への手紙から始まります。クライマックスは11年ぶりの青年の外出許可です。身内のところではなく、まっすぐ福隆駅に向かった青年は、出迎える住民たちと固く抱き合いました。

 「1003事件」から7年。チェ・スーシンがカメラを持って記録を始めましたが、「No Nukes Asia Forum Japan」は、「奇しくも台湾の歴史そのものを記録していくことになる」と評しています。

14年5カ月ぶりの釈放に祝島の上映会場は万雷の拍手に沸いた

 当会は6月23日、日光市民活動支援センターでこの映画の試写会をしました。映画の進行の流れを観ていて、四国遍路を背景にした16歳の少女の青春映画『旅の重さ』(高橋洋子主演、斉藤耕一監督、1972年)を思い浮かべました。この青春映画ではママへの手紙という手法で描かれていますがー。

今回上映する『こんにちは 貢寮』は「1003事件」がいわば「舞台回し」のような役割を担っています。2006年3月18日、山口県祝島での上映会の直前、台湾から電話がありました。「青年が3日後に、14年5ヶ月ぶりに釈放される」。そのことが告げられると、祝島の上映会場は万雷の拍手に沸いたといいますー。

 

 

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