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好天だけれど、寒さが続く1月30日(金)ー、午後からのゴミ出し、薪づくり、ベランダ補修などなどに備えた昼飯はかなり久しぶりの「カレーうどん」で。小学校の給食に食べた「学校カレー」の味をめざしているのだが、これがなかなか難しい。ネットで「学校カレー」レシピをチェックしているが、あの独特なというか、懐かしというか、小学生時代に食べたあのカレー味には届かない。我が家はカレールーと小麦粉を炒めてさらに味をつけるやり方。いわゆる「おふくろカレー」味なのだが。それなりの味と温かいうどんでともあれ本日はOK。カレーはどうも定期的に食べたくなる食べ物なのだねー。そう思いつつ味わいました。副食は「冷奴」「ゆで卵」「さつま揚げ」で。
政府のエネルギー政策はもうすぐ発生から15年となる福島第一原発事故などなかったかのように「原発を最大限活用する」という、私から言わせれば、「狂気の沙汰」というべき原発回帰へと逆コースをとっている。ドイツや台湾はフクシマの原発事故を教訓に「原発ゼロ」を達成しているだけに恥ずかしい限り。でも、どっこい、栃木県宇都宮では「原発反対!」」「再稼働反対!」「原発なくせ!」と700人規模の脱原発パレードも行われている。「さよなら原発!日光の会」の会報「げんぱつニュース第56号」(1月23日発行、A4版16頁)は、昨年2025年11月15日(土)の脱原発パレードを中心にした「さようなら原発!栃木アクション特集号」を組んでいる。その中の1頁は6枚の写真を配置して、当日の空気を伝えている。きょう27日、衆院選が公示されたが、この原発・エネルギー政策も大きな争点のひとつであるため、広報としても、記録としてもこのBLOG「霧降文庫」にアップします。
名作ドキュメンタリー映画「100000年後の安全」(日本語吹き替え)がYOUTUBEで公開されていたのですね。上映時間1時間18分41秒(ネット検索の「映画情報」では75分となっていたがー)。2009年制作 2011年4月公開だった。10年以上前に宇都宮で観たときは、とにかく「ためいき」の連続でした。とくに未来の人たちに「ここに近づいてはいけない!」ことを、どのように伝えるかー、例えば有名な「叫び」の絵画を示すなど、「あの手この手」の警告方法の場面が印象的でした。
ドキュメンタリー映画
「100000年後の安全」(日本語吹き替え)
解説・あらすじ
フィンランドに世界初の高レベル放射性廃棄物の処分場建設が決定された。固い岩を削り地下400メートルに建設されるその施設は、10万年間の保持が可能だという。しかし、裏を返せば10万年後まで放射性廃棄物が残るということに危惧を抱いたドキュメンタリー作家のマイケル・マドセンは、10万年後の人々にその安全性を伝えることができるのかを検証するため、建設中の調査施設に潜入する。
2009年製作/75分/デンマーク・フィンランド・スウェーデン・イタリア合作 原題または英題:Into Eternity 配給:アップリンク
劇場公開日:2011年4月2日
Youtube公開
https://youtu.be/Rhapm5YZfyA?si=wCTqwg0dy1Wvt-i8
「要らねえ、もう要らねえ」ー再稼働翌日、というか、再稼働から5時間、制御棒の「警報」で停止となった柏崎刈羽原発。その原発と忌野清志郎さんの反原発ソング。1月23日(金)の「天声人語」」(朝日新聞)はその展開でありました。(以下は1月23日の天声人語)
何だか思いきり、季節外れの歌が聴きたい気分である。いまは亡き忌野清志郎さんが、あの独特の高い声で叫ぶように歌う「サマータイム・ブルース」なんて、どうだろう。♯暑い夏がそこまで来てる~。そう。知る人ぞ知る反原発ソングである▼みんなで海にくり出せば、原発が建っている。〈さっぱりわかんねえ、何のため?〉と歌は続く。1986年のチェルノブイリ原発の事故の後、清志郎さんが書いた歌詞とされる▼安全神話が闊歩(かっぽ)していた時代だ。原発は〈要らねえ、もう要らねえ〉との言葉に、眉をひそめる人も多かったからか。あるいは、電力会社への忖度(そんたく)か。当時、レコード会社は理由を詳しく説明することなく、その発売を中止した▼15年前の福島第一原発の事故で改めて注目され、よく耳にしたが、最近はどうか。移ろい易(やす)き人の世だ。政府は原発の「最大限活用」に舵(かじ)を切り、原発回帰が進む。きのう「原子炉停止へ」と伝えられたが、あの事故を起こした東電までが柏崎刈羽原発を再稼働させた▼目の前の暮らしのため、経済のため、電力の安定供給という観点からみれば、現実路線に映るのだろう。でも、本当にそうなのか。不測の事態は原発にも起こりうる。そう考えるのが、科学的な思考である▼世論も、主要政党も、大きく見れば回帰容認の傾向だという。でも、それでも、と私は思う。清志郎さん風に言うなら、何いってんだあー、ラヴ・ミー・テンダー。着実に一歩一歩、原発ゼロを目指したい。
さようなら原発!栃木アクション2025」(11月15日)特集
12月12日(金)「東海第二原発いらない!第18波一斉行動」報告・・・・・・・・・・・15
「薪割り機」、初体験の巻~。その威力、驚きの力でした。斧が使えない生活が続きそうなので、好天の18日(日)、足尾のともだちが所有する「薪割り機」持参でその実演会を我が家のベランダで。効果があるとは耳学問で聴いてはいたが、半信半疑だった。実際に自分でも試しにやってみて、その力にびっくり。斧では割れなかった薪材も「バキバキ!ー。一瞬のうちにあっさりと割ってしまう。その圧力4トンとか。それでいて動力は家庭用の100ボルトでつなぐだけ。ただし、本体は40キロ以上もあり、かなり重い。たくさん薪を作っている「薪大臣」のこの友人は今冬、薪割り機を使う予定がないという。なので、しばらく私が借りることになった。初めての「薪割り機生活」がどんなものか?。その結果次第で私も遅ればせながら、薪割り機を求めようか?ーどうしようか?と思っています。さて?。
「さよなら原発!日光の会」次号会報「げんぱつニュース第56号」(1月23日発行、A4版16頁)掲載予定の台湾脱原発ドキュメンタリー映画「こんにちは 貢寮(コンリャオ)」日光上映会(2025年10月19日、日光市中央公民館中ホール)の報告です。昨年
秋からYOUTUBEでも公開、無料で89分の映画を観ることができます。
「栃木アクション2025」プレ企画 日光会場報告
辛抱強く諦めない闘争心に感激
台湾脱原発映画「こんにちは 貢寮(コンリャオ)」上映会 理事・富岡洋一郎
(1)アジア初の「脱原発」を達成した台湾の状況を知りたいとー
「さよなら原発!日光の会」は「11・15さようなら原発!栃木アクション」プレ企画として、10月19日(日)14時~日光市中央公民館中ホールで台湾脱原発ドキュメンタリー映画「こんにちは 貢寮(コンリャオ)」(2004年公開 上映時間89分、日本語字幕)を無料上映しました。上映後、25分ほどの「意見交換会」も行いました。
台湾は2025年5月17日にアジアで初めて「原発ゼロ」を達成しています。そこの住民たちがどんな背景、事情、状況で脱原発運動を進めていたのかー、それを記録していた貴重なドキュメンタリー映画です。ただし、台湾はまだまだ脱原発派と原発推進派がせめぎ合っている状況にあります。そこには原発をめぐる台湾の歴史があるわけですが、この作品は「奇しくも台湾の歴史そのものを記録」していたと評されています。その作品を通して、私たちの脱原発運動に弾みをつけたいと思っての企画でした。
(2)日光会場独自のフライヤーで映画の背景などを周知へ
映画の配給元であるアジアの脱原発市民団体「ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン」などによると、当時、大学院生だった崔愫欣(ツィ・スーシン)監督が6年の歳月をかけて2004年に完成させた映画です。そのDVDを手にしようと配給元に問い合わせましたが、回答は「ただいま在庫なし」―。このためネットで探したところ、九州佐賀県の業者が手軽な値段で売りに出していることがわかり、ここから入手。上映にふさわしいかどうか確認するため、6月23日(月)に役員対象の「試写会」を開きました。
その結果、この脱原発運動について、「反対運動はいつごろから?」「その原発は台湾のどんな地域に?」「どんな出来事が起きたのか?」などを観る人に事前に伝える必要があることがわかりました。今回のプレ企画では県内5会場の「統一チラシ」を作っておりますが、日光会場独自のフライヤーも作りました。そこにはこのように映画のポイントを書き込みました。
「1980年に第四原発の建設予定として貢寮が選ばれた。1982年には土地の強制収容により、230世帯が強制転居されられた。1987年になってようやく学者の帳國龍らが貢寮を訪れ、地元住民に放射能の危険性を伝え、反対運動が始まった。1991年10月3日、警察は住民との約束を破って、住民がこもるテントを破壊。警察と住民の衝突で1名の警官が死亡した。たまたま車に乗っていた青年が殺人罪で逮捕された。それから7年、ツィ・スーシンがカメラを持って記録を始める。彼女はその後6年間にわたって貢寮を撮り続けることで奇しくも、政権交代に象徴される台湾の歴史そのものを記録していくことになる」。
(3)台湾の反原発運動(1970~2025)などを会場配布
「こんにちは 貢寮」は、この「1003事件」で投獄された青年への手紙から始まっています。手紙を読み上げながら物語が進む展開は、家出した16歳の少女が四国遍路をしながら成長していく映画「旅の重さ」(1972年公開、高橋洋子主演、斉藤耕一監督)の流れを思わせました。
話題を「1003事件」に戻すと、この事件とは何かを知っておくと、映画の全体像がよく見えてきます。実際、映画のクライマックスもこの青年の11年ぶりの外出許可でした。身内のところではなく、まっすぐ仲間たちが待つ駅に向かい、出迎える住民と固く抱き合います。その感動的な場面に私たちも立ち会うことになります。
なお、映画の後日談として、無期懲役刑を受けていたこの青年ですが、映画の
公開から2年後、2006年3月に出所します。ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパンによると、3月18日、山口県祝島での「こんにちわ 貢寮(コンリャオ)」上映会の直前、台湾から電話がありました。「青年が3日後に、14年5ヵ月ぶりに釈放される」。そのことが告げられると、祝島の上映会場は万雷の拍手に沸いたということです。
映画の舞台である台湾第4原発は98%が完成していました。しかし、福島第一原発事故を受けた脱原発運動が台湾に広がり、2013年に22万人デモ(人口比で日本なら100万人デモ)が実施されました。2014年4月27日、台北駅前の道路を占拠するデモを受け、翌4月28日、政府は第4原発の建設中止を宣言しました。
こうした台湾の反原発運動の歴史と現状(1970~2025)について、知ってもらおうと、「日光の会」会報「げんぱつニュース第55号」(A版12頁、10月10日発行)の冒頭3頁にわたって掲載。この会報を上映会参加者全員に手渡しました。
(4)上映会参加者は日光市26人、宇都宮市7人など計40人
「こんにちは 貢寮(コンリャオ)」上映会周知では、プレ企画「統一チラシ」、日光会場独自フライヤー、下野新聞「週間情報ワイド」のほか、Facebook、Twitter、BLOGといったSNSでも盛んに告知していました。しかし、ふたを開けてみると、上映会参加者は計40人。「日光の会」が毎年春に開催する総会記念講演会や記念上映会には60人から70人の参加があります。台湾脱原発ドキュメンタリー映画というグッドタイミングのテーマであり、台湾反原発運動の資料も準備していただけに、もっと多くの参加者が欲しかったというのが正直な思いです。
ちなみに計40人の内訳は、日光市が26人、次いで宇都宮市が7人、鹿沼市が3人、下野市、矢板市、茂木町、高根沢町がそれぞれ一人でした。
会場カンパは1万7、700円。一方、支出はDVD代1,800円、会場使用料3、760円、会場器具借用代2、680円や独自フライヤー代など計1万7、700円。DVDを安価で手に入れていたことが大きく、収支の結果はプラスマイナスゼロ。「栃木アクション2025」から補助金を受けなくとも済みました。
(5)映画について「大変参考になった」「参考になった」が大半
映画のアンケートには参加者40人のうち約半数の21人に答えていただきました。日光会場ではこのところ、イベントの最後に必ず5分間の「アンケートタイム」を設け、落ち着いてアンケートに向き合える時間をとっています。なので、もう少し回答が多くてもいいのではないかと思っているのですがー。
回答者の年代は50代1名、60代7名、70代6名、80代6名―。やはり高齢者が中心のアンケート回答ではありました。
「上映会を知った方法」では「会の郵送チラシ」が最も多い7名、「知人の紹介」が4名、「その他」が8名もありました。「映画の内容」については「大変参考になった」が最も多い9名、次いで「参考になった」が6名でした。
「今後原発はどうすべきか」の問いには、「すぐにでも廃止(廃炉)」が15名と圧倒的でしたが、「再稼働せず徐々に依存度を減らす」にも6名が答えています。11月15日のパレードに「参加するかどうか」の問いには、「参加する」10名、「参加したい」5名、「参加しない」1名。アンケートに答えていただいた参加者の多くがパレードに参加する意思や参加したいという思いがあることがわかりました。
(6)「感心」「驚き」「感動」などの声がー
映画では漁業権を奪われた住民たちが第4原発建設に対し、抗議の声を上げる印象的な場面があります。そこで女性の一人が子どもたち、子孫のことを考えれば、原発建設は認められないという趣旨を強く訴えていました。上映会後の「意見交換会」でも、この未来を見据えた原発反対の声が印象的だったという発言がありました。「映画のどこに関心を寄せたか」という問いに私も「反原発の住民たちの生の声、表情が知れた。反対の声に子孫のことを考えているいう声があったこと」と書き込みました。
アンケートでは「長年粘り強く闘い続ける台湾の方たちの生き様に感心した」、「住民の力が政治を動かし、メディアにも批判の目を向け、必死に生きようとする姿に感動」、「『98%完成した原発の稼働を止めることができた』、ことの驚きと感動」などが。それぞれに「感心」したり、「感動」を受けたり、「驚き」を覚えたという、いわば異口同音とも言うべき感想が寄せられたのが印象的でした。
アンケートでは「音量が大きすぎ」、「字幕速すぎて読み取れない場面があり、残念」といった声が上がっていました。「日光の会」では11月6日の役員会で、今回の上映会の「振り返り」を論議していますが、そこでも「ご近所から6人が参加したが、そのうちの一人は音量が大きすぎて、途中で退席してしまった」という報告もありました。これには「えっ!そんなことも起きていたのかー」とびっくりでした。
映画の音量問題や字幕の速さなど、今後の上映会で大いに注意すべき反省点でした。
(7)「こんにちは 貢寮」(日本語字幕版)をYouTube公開
映画「こんにちは 貢寮(コンリャオ)」について、ぜひお伝えしたい嬉しいニュースがあります。10月19日(日)の日光会場の上映会と前後しての知らせでした。Facebookで「今回、崔愫欣の許可をいただき、日本語字幕付きでノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパンが公開することができました」という告知が上がっていました。YOUTUBEを開けば、だれでも自由にこの映画を観ることができることになりました。
この流れは2025年9月23日に東京・代々木公園であった「さようなら原発全国集会」(4、500人参加)と連動しているとみています。というのもこの全国集会には、台湾から脱原発団体である「台湾緑色公民行動連盟」から代表が参加し、連帯あいさつをしています。事務局長としてあいさつしたのは、崔愫欣さんでした。私は経歴を紹介されるまでわからなかったのですが、つまり「こんにちは 貢寮(コンリャオ)」の監督その人だったのです。
(8)「さようなら原発全国集会」で崔愫欣さんがあいさつ
ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパンのHPによると、崔愫欣事務局長はこんなあいさつをしています。
「台湾における反原発運動の現状についてご報告いたします。2014年、台北駅前の道路を5万人が(15時間)占拠しました。翌朝、警察に排除されましたが、政府は第4原発の建設中止を宣言しました。2016年に政権交代し、民進党政権は脱原発路線を進めました。しかし、野党など原発擁護派は、脱原発に抵抗してきました。最近では8月23日に行われた第3原発再稼働の国民投票でしたが、投票率が足りず、再稼働は否決されました。しばらくは。原発ゼロが続きます。最後に長年にわたって反原発の活動を行ってこられた日本の皆様に感謝申し上げます。アジアの原発ゼロに向かって、一緒にがんばりましょう」
このあいさつについては、「崔愫欣さんの発言 『アジアの原発ゼロに向かって、一緒に』」と題した別紙を日光会場の参加者全員に手渡しています。
2004年、「こんにちは 貢寮(コンリャオ)」を完成させた大学院生だった彼女が21年後の2025年、日本の「さようなら原発全国集会」で台湾の脱原発団体を代表してあいさつをするようになるとは!台湾脱原発ドキュメンタリー映画「こんにちは 貢寮(コンリャオ)」日光上映会と2025年の日本と台湾の脱原発運動がリアルに結びついた、そのように思えた崔愫欣さんのまっすぐなあいさつだと感じました。
「原発ゼロ」というと、何かと2023年4月に「原発ゼロ」を達成したドイツのことが話題になりますが、こうした崔愫欣さんの軌跡や台湾脱原発映画上映会をきっかけに「台湾有事」も含めて台湾の政治状況により眼を向ける機会になったことは確かです。そんな「副産物」もあった日光上映会だったと思います(了)。
今月23日(金)に発行を予定する「さよなら原発!日光の会」の会報「原発ニュース第56号」(A4版16頁)の巻頭記事として、「さようなら原発!栃木アクション2025報告、脱原発社会こそ、国民の願い、世界の流れ」を寄稿した。この表題は当日、2025年11月15日(土)、宇都宮城址公園で開いた集会の壇上で、主催者を代表してあいさつした大木一俊代表(弁護士)が語ったフレーズからとっている。「世界の流れ」はそうなっているので、あたりまえのように思えるが、そうでもない。現在の日本は「原子力を最大限活用していく」、というとんでもないエネルギー政策をとっている。福島第一原発事故などなかったかのように、まったく手のひら返しの「原発回帰」方針をとっている。いわば逆コースであり、私からすれば、狂気の沙汰そのものだ。その面からも、いやがうえにも新鮮に響く「脱原発社会こそ、国民の願い、世界の流れ」だ。
(1)11月15日(土)、宇都宮城址公園に「700人」
2025年11月15日(土)、「さようなら原発!栃木アクション2025」は、宇都宮市城址公園に「700人」が参加して開催しました。「一千人以上」を目標に開催した2012年の第1回はふたを開けてみれば、「2600人」もの参加者を数えました。当時、当初の目標を大幅に上回る参加者に驚いた記憶があります。それから13年後の今回の参加者は初回の三分の一にも満たず、残念ではあります。ただし、だいたい「下げ止まり」になったかなとも思えます。
当日のメインスピーカーは、再生可能エネルギー問題では第一人者である環境エネルギー政策研究所長、飯田哲也(いいだ・てつなり)さん。飯田さんは、南オーストラリアの太陽光発電など、先進的な再生可能エネルギーをテーマに「講話」しました。
この「講話」時間は20分強ほどしかないため、いわば再エネのさわりに終わっておりました。ただし、飯田さんも会場で話していましたが、今月1月26日に書き下ろしの新刊本『EI革命―エネルギー知性学と日本の針路』(集英社)が発売されます。
「はじめに 電気が足りない?―神話の解体と新しい現実」「第7章 『第七次エネルギー基本計画』の読み方―『真田丸』とGX」「第8章 原子力に固執する『病』と『沼』―病理的政策への診断と処方箋」など全12章。メインスピーチと重ね合わせながら、手にしたいと思っています。
「集会後」、市内中心部2、2㌔にわたって脱原発を市民にアピールするパレードを行いました。3台の先導車に続いた各集団の掛け声は「原発反対 原発いらない」、「再稼働反対、再稼働やめろ」、「東海第二・再稼働反対」、「柏崎刈羽・再稼働反対」、「原発政策・今こそ転換」、「政策転換、再エネ推進」などー。
(2)「早急に原発を止めないと、将来世代に大きな負の遺産」
「さようなら原発!栃木アクション2025」で主催者を代表してあいさつした大木一俊代表は「高レベル放射性廃棄物の処分は未定でフィンランドのオンカロのような適地などありません」と指摘しました。「さらにー」、戦争による原発の脅威や脱原発への世界の潮流について、語りかけました。
「ウクライナのザポリージャ原発の例で明らかなように、原発は安全保障上の脅威でもあります。そして、地震大国、火山大国の日本では他の国に比べて過酷事故に至る危険性が大のうえ、避難は極めて困難です。早急に原発を止めなければ、将来世代に大きな負の遺産を残すことになります。ヨーロッパではデンマークやオーストリアは原子力発電を止め、ドイツは2023年に脱原発を実現しました。また、台湾では2025年5月に脱原発を実現させました」。
そのうえで「脱原発社会こそが国民の願いであり、世界の流れです。速やかに原発に依存しない社会を実現させるために共にがんばりましょう」と呼びかけました。
大木代表は「原発いらない栃木の会」のMLで新年にあたり、以下のようにあいさつしています。
「原発のない社会を目指す私たちにとって困難な状況が続きますが、ならぬものはならぬものです。共にそこそこ頑張りましょう」。
脱原発運動を進めていくうえで、極めて適切な念頭あいさつだと思いました。
(3)原子力を「最大限活用していく」という暴挙
会場で採択された「さようなら原発!栃木アクション2025・11・15集会アピール」では、事故から14年半以上も経た今も約2万5000人の住民が帰還できていないことなどを伝え、「原発は即刻廃棄されなければならないのです」と強調しました。
さらに「多くの国民は、原発事故のリスクや不安がなく、将来世代にその処理を押し付ける放射性廃棄物という負の遺産をこれ以上増やさない社会を望んでいます。未来をしばる原発はいりません。ところが、岸田政権がこれまでの方針を転換し、第7次エネルギー基本計画において、『原子力』を『最大限活用していく』という方針が明記され、高市政権でも継承されます。まるで、原発事故などなかったかのような対応であり、大多数の国民の意思を無視した暴挙というほかありません」と、政府の「原発回帰」政策を厳しく批判しました。
水戸地裁は、2021年3月18日、実効性ある避難計画が整備されてないことなどを理由に、東海第二原発の運転差止を命じました。「集会アピール」では、この水戸地裁判決に続いて、「去年発生した能登半島地震においても、避難計画通りに避難することなどできませんでした。実効性のある避難計画も整備されていない状況で、40年超えの危険な老朽原発を稼働させてはなりません」と呼びかけました。
(4)「脱原発運動を広げていく新たな方策の検討」について協議
「さよなら原発!日光の会」の「栃木アクション2025」プレ企画、台湾脱原発ドキュメンタリー映画「こんにちは 貢寮(コンリャオ)」上映会は、参加者は過去最低レベルの40人にとどまっていました。11月15日にしても、当会の参加者は以前に比べてぐっと減っています。加えて会員の高齢化などもあり、集会には参加してもパレードには参加しない・できない会員が10人近くもおりました。
近年、「福島第一原発事故の風化」がよく言われます。その言葉が「リアルにひしひしと迫っている」、そう感じています。何とか打開策を探りたいと、「日光の会」では2025年11月6日(金)の役員会の協議事項のひとつに「「脱原発運動を広げていく新たな方策の検討について」をとりあげました。
この役員会では脱原発運動が厳しい状態にあることを「可視化」して伝えることやさまざまな種類の脱原発イベントの開催の検討といった意見が上がりました。解決策が簡単に見つかるとは思っていないので、今後も協議を続けていくことになっています。
(5)3首長の力強い「さようなら原発」のメッセージを活用できないか?
今回の「栃木アクション」で「おや?こんないいことを言っていたのだね」―そのように改めて新鮮に思わせたのは、松井正一鹿沼市長、浅野正富小山市長、見形和久塩谷町長のメッセージでした。決まり切った言葉ではなく、首長その人がふだん現実に思っているだろう考えを伝えようという、いわば「体温」のあるメッセージだと思えたからです。
「参加者の皆様の『脱原発』に対する決意を強固なものにし、パレードを通じて一人でも多くの皆さんにアピールしていただきたいと思います」(松井正一鹿沼市長)
「本日参加された皆様と共に『脱原発』の声を上げ続け、日本を原子力発電所のない安全な国にすることを目指して歩み続けましょう」(浅野正富小山市長)
「すべての人々の安心安全な暮らしを守っていくために、ここ栃木から原発撲滅のアクションを起こしていきましょう!!」(見形和久塩谷町長)
「『脱原発』に対する決意を強固に」「『脱原発』の声を上げ続け」「原発撲滅のアクションを」―と、それぞれの首長が力強くアピールしてくれていました。当日の会場で読み上げられましたが、この首長メッセージ、さらに別の手段などで活用されてもいいのではないかと思いました。
(6)カンパしたら、その人に「ワッペンかシールを」手渡したらどうかー
結びに「確かにそうだね」と思ったことを。「日光の会」では12月13日に「栃木アクション2025」の「総括」(「振り返り」)をしていますが、カンパ集めの方法とメインステージについて、3点の提起がありました。この「報告」でその提起を伝えます。
①会場で一度、カンパした人がわかるようにすることも含め、カンパを受けたら、その人に(「脱原発」「原発反対」などを書き込んだ名刺大ぐらいの)「ワッペン」「シール」を手渡したらどうか。カンパした人はそれを肩などに貼ってもらう。カンパ集めもそれを見ることでさらにカンパを求めなくても済み、求められる人も「さっきカンパしたよ」と言わなくても済む。そのワッペン、シールは自分の「小物」に貼り付けるなどすれば、脱原発をアピールする役にも立つ。
②会場のカンパは、いつも紙の「カンパ袋」でやっているが、これだと参加者からが袋の中が見えない。このカンパ袋を「透明カンパ袋」にしたらどうか。つまり、カンパ自体が「透明」であることを伝えると同時に、(カンパが入っている)その「透明カンパ袋」を示すことで会場の参加者にカンパを促す「呼び水」の役割りも果たすことになるのではないか。
③栃木アクションでは、ステージの上方に「さようなら原発!栃木アクション2025」と大きな文字が掲げられているが、大木代表やメインスピーカーなどが壇上であいさつや話をしているところを近くから撮影した際、背景が「真っ白」な「シーツ」のため、ここがどこなのかを示す画像・撮影とならない。各政党の記者会見場では背景は各政党名を示した図案や文字が掲げられているが、同じような方法・手段がとれないか(了)。
ビル・エヴァンス・トリオは、1961年当時、ライブハウスの「ヴィレッジ・ヴァンガード」でのライブをしばしば行っていた。1961年6月にも連続ライブが行われ、最終日に当たる6月25日のライブは、リバーサイド・レコードによって特にライブ録音されていた。
しかし、それから11日後の7月6日、ビルにとって片腕とも言えるベーシスト、スコット・ラファロが交通事故で他界し、リバーサイドのライブ録音は、スコット・ラファロの生涯で最後の公式な録音となった。リバーサイド・レコードは、この日の演奏のうち、スコットのベース・プレイが目立っているものを『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』という追悼盤として先行発売し、残りのテイクを本作に収録したとされている。
しかし、対となる本作でも随所でスコットのベース・ソロを聴くことができ、エヴァンス・トリオのプレイにおいてスコットの貢献が大きかったことを証明している。現在では、ビル独特の思索的なピアノ・プレイが味わえる作品として、エヴァンス/ラファロ/ポール・モチアンのベスト・トリオによる作品で『ポートレイト・イン・ジャズ』と並び称される作品として位置づけられている。
ヴァンガード音源でラファロ色の強いナンバーが姉妹作の『サンデイ・アット――』に委ねられた分、本盤の収録曲はエヴァンス寄りの色彩が強くなり、リバーサイドのプロデューサーであるオリン・キープニュースの選択眼が生きることになった。
「マイルストーンズ」は、旧友マイルス・デイヴィスの同名アルバム収録曲のカバー。巻頭に置かれた「マイ・フーリッシュ・ハート」は本来同名映画(『愚かなり我が心』1949年)の主題曲であるが、このアルバムのバージョンでは通常ジャズ解釈の難しいナンバーを美しいジャズバラードとして演奏しており、同曲最良のカバーに数えられる。他にも、エヴァンスが生涯愛奏したロジャース&ハートのスタンダード「マイ・ロマンス」など、エヴァンス好みのナンバーが並ぶ。
アルバムジャケットも美しく、黒と紫を基調に、女性の横顔とおぼしいぼやけたシルエットを浮かばせた端正なデザインとなっている。
日本では特に大ヒットし、LPやCDを含めた日本での累計売上は約50万枚に達する[3]。日本のユニバーサルミュージックが2014年10月から期間限定で1枚1000円(税別)で販売したジャズカタログのシリーズ『ジャズの100枚。』においても本作が売上トップを記録した[4]。2016年4月には日本レコード協会からゴールドディスクに認定されている[5]。
日光霧降高原の12日(月)は一夜明けたら、予報通りの積雪だったー。2026年冬の初回だ。茨城県の「序説」同人2人が薪割りの助っ人に来る予定だったが、オールシーズンタイヤなので中止することに。昼飯用に「お袋の味カレー」を作っておいたのだが、残念。ということできょうは「晴耕雨読」へ。プロレタリア文学の代表作である「蟹工船」(小林多喜二)は「浅学非才」にして読んでいなかった。が、思い立って手にすると、意外に興味深い。まだ3分の1ぐらいのところだが、さらに読み進めようかと。同時に「さよなら原発!日光の会」の会報「げんぱつニュース第56号」(1月23日発行予定)の編集もさらに。A4版12頁ぐらいになるかどうか?。この会報の編集作業と「蟹工船」の一日となるだろう。
少し気分を高めたいときはいつもこのレコード。レッド・ガーラントリオの「GROOVY」。一曲目の「Cジャムブルース」の軽快さがたまらない。半世紀前に初めて聴いたのは何処でだったか?、たぶ初めて買ったジャズLPレコードはこの盤だと思う。それをきっかけに「籍」だけの「大学jazz研」メンバーに、ウッドベースに挑んだが、才能のなさを自覚し、早々と断念したのだが(苦笑)。ただし、その流れでjazz喫茶「オーネット」でアルバイトへ。このときは半年間も「朝から晩まで」JAZZづけになった日々でした。実際、店内「3千枚」のLPレコードの世界だけでなく、週末jazz演奏会、店内の演劇、舞踏、絵画展、詩画展、写真展などなど、もうひとつの「私の大学」となったのですが。
「そうだつたか、読んでいるのだが、細部は忘れていたのだな」ー。と思わせたのは、ごぞんじ宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」。きょう1月10日(土)のNHKの昼のラジオで定期的に放送されている保阪正康さんと梯久美子さんの「戦後80年」番組を終えたあと。すぐに朗読の時間となり、「セロ弾きのゴーシュ」の第1回がスタート。確か6回で計60分のはず。最初のゴーシュが属する楽団の練習で、ゴーシュが何度かつまづき、その都度、演奏はストップ。楽団長がゴーシュらに「演奏会まであと10日なのだぞ」と叱責する。だいたいの流れはわかっているのだが、「あれ?、そんな場面があったかなー」、などと思いながら聴いていた。
「そうだー確か、書棚に『セロ弾きのゴーシュ』があったはず」ー。探したら、すぐに「宮澤賢治全集 第7巻」(ちくま文庫)が見つかった。「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など計15編や「異稿」などで構成。632頁もあるが、「セロ弾きのゴーシュ」は、そのわずか21頁の短編だ。初版は1985年12月4日。私が手にしたのは、2001年5月20日発行の第18刷。この文庫を購入してからもう四半世紀も経っていたのだなー。そう思いながら、この名作を改めて味わったでした。
とくにシューマンの曲を注文する「生意気な」三毛猫に向けて、ゴーシュが「印度の虎狩」を弾いて驚かす場面は
やはり思わず「わっはっは」でした。それにしても、三毛猫といい、カッコウ、狸の子、野ネズミの母子と、次々と深夜のゴーシュの家にやってくる動物たちとあたりまえに会話するゴーシュ、その様子がごく自然であり、読むほうもそれが「普通」の世界であるかのように受け取ってしまう。そして、なぜ彼らがゴーシュが懸命にセロを練習する時間にやってくるのか、その着想の仕方、思い付きといい、これはやはり宮澤賢治ワールドだなと思うのでした。
きょう9日(金)、「腹直筋血腫」治療のため、日光市民病院に入院の予定でしたが、当日のCT検査の結果、「入院しなくてもけっこうです」となりました。6日(火)のCT検査の血腫の大きさは約「34ミリ」、7日(水)は約5ミリ増え、約「39ミリ」ー本日の9日は約「37ミリ」に。
担当医からは「これまでと同程度か、やや縮小している様子です。これまでは血腫が拡大していたので(つまり出血が続いている状態なので)、ぜひ入院をと勧めましたが、この状態なら入院しなくてけっこうです。あすからの3連休は斧などの薪割りといった激しい運動・労働は厳禁にして、週明け13日(火)にもう一度、CT検査(第4回目)を受けてください」と言われました。
この担当医によると、このままでいけば、例えば、頭を打った際などにできる「たんこぶ」がそうであるように血腫も自然と小さくなっていくということでした。ということで、CT検査の前に病院事務局にいったん提出していた「入院誓約書」などの入院手続書類は引き上げ、本日の入院は「取り止め」となりました(こういうケースは初めての経験です)。
「腹直筋血腫」の治療で明日9日(金)、日光市民病院に入院するため、きょう8日(木)、「『表現の自由』の明日へ」(9日返却予定)、と「パリ燃ゆ」(3巻本、1月18日返却予定)の計4冊を日光図書館に返した。自宅に戻ると、その日光図書館から「雪夢往来」が来ていますーという連絡が。事情を話して、この「雪夢往来」はキャンセルすることにしました。入院してから退院がいつになるか、それがわからないので。いずも読みたい本ばかり。とくに「『表現の自由』の明日へ」は、100頁ほど読み進めたが、豊富な判例を引き合いに論理的に展開。さらに先へと思ったがー。退院したら、さっそく、日光図書館に出かけ、この5冊を借り出しに行きたいと思う。

「腹直筋血腫」の治療で9日(金)に日光市民病院へ
これについて、市民団体「さよなら原発!日光の会」MLに送ったメールをBLOGにも。このため、この「霧降文庫」も9日からしばらくお休みしますー。
1月7日(水)
腹直筋血腫(腹直筋という筋肉の中で出血が起き、血液がたまる病気)の治療のため、今週の9日(金)、日光市民病院に入院します。当初は「最近、お腹が痛いのは、薪割リ作業による筋肉痛なのかな?」と思っていました。が、昨日のCT検査と診察で右下腹部(ネットで調べると、この場所が典型的かも)に「34ミリの血腫」、本日のCT検査でさらに拡大し、「39ミリの血腫」を画像確認しています。担当医によると、出血が今も止まっていない状態だと言います。10日から会報「げんぱつニュース第56号」の編集に入る予定でしたが、物理的にできなくなりました。このため恐縮ですが、会報編集・印刷・発行作業はそれぞれしばらく延期させていただきます。たまたま「今こそ、東海第二原発の廃炉へ!」署名について連絡していた流れで、本日、Nさん、E子さん、Aさんにはこの状況について伝えています。以上、会報編集延期と併せてお伝えします。
貧困とはたんに生活の物質的な水準の問題ではない。それはそれぞれの具体的な社会の中で、人々の誇りを挫き未来を解体し、「考える精神」を奪い、生活のスタイルのすみずみを「貧乏くさく」刻印し、人と人の関係を解体し去り、感情を枯渇しせめて、人の存在そのものを一つの欠如として指定する。そのようなある情況の総体性である」。
「連続ピストル射殺事件」で1997年夏に死刑になった「N・N」の世界と社会を描いた『まなざしの地獄 尽きなく生きることの社会学』(見田宗介、河出書房新社、初版2008年11月30日、私が手にしているのは、その第6刷で2017年3月30日)。全122頁。以前一度斜め読みしているが、きょうはなんだか気になり、本日2026年1月6日(火)、定期診断に行った病院の待合室で一気に再読した。
その際に特に印象に残ったのがこの「貧困とはー」のフレーズだ。「精神の鯨―階級の実存構造Ⅰ」にある。52頁。このキイワードは「人の存在そのものを一つの欠如として指定する」だが、「ここで上げる欠如とは?」。なのでその意味をネットで検索してみた。
すると、「欠如」(けつじょ)とは「必要なものが欠けていて足りない。欠如は、本来あるべきものが抜け落ちていて、不足している状態を表します。例えば、『能力の欠如』のように使われます」とある。
すると、「人の存在そのものを一つの欠如として指定する」とは、存在そのものが「不完全」であり、それら、つまり、「誇り」「未来」「考える精神」「豊かな生活スタイル」「人と人の関係」「豊かな感情」などを失い、あるいは失わせている状態、つまり、これらを情況ととらえれば、その「総体性」ということかー。その「総体性」を奪われた「N/N」-、「まなざしの地獄」の表題を反芻した一日でした。
「N・N」とは、ウィキペディアによると、1949年〈昭和24年〉6月27日、連続殺人犯・元死刑確定者(死刑囚)、小説家。北海道網走市生まれ[2]、明治大学付属中野高等学校定時制中退。1968年(昭和43年)10月 - 11月にかけ、東京・京都・北海道・愛知の4都道府県で拳銃を用い、男性4人を相次いで射殺する連続殺人事件(連続ピストル射殺事件)を起こし、翌1969年(昭和44年)に逮捕された。一連の連続殺人を含む事件(警察庁広域重要指定108号事件)では殺人罪や強盗殺人罪・銃刀法違反などの罪に問われ、1990年(平成2年)に最高裁判所で死刑が確定。1997年8月1日に東京拘置所で死刑を執行された。
「2025年はどんな読書生活だったのか?」、少し気になり、きょう1月4日(日)に調べたら、新書を中心に1週間に一冊強のペースである約「70冊」を読んでいました。やはりかなり「歴史」、「戦争」、「原発」、「時代」が中心でした。でも、やはりまだ旅人から、奴隷になり、王様になり、学者になり、探検家になっていく『旅のラゴス』(SF小説、筒井康隆)のような「読書」には至っておりませんでした~。
新年早々から、」いや、年末から頁をめくっている4冊ー。「パリ燃ゆ」(大佛次郎、3巻本)はまだ第一巻の途中まで(1月18日には3巻とも日光図書館に返却へ)。ウクライナ戦争とガザを考えるために手にした「戦争はどうすれば終わるか?」(集英社新書)は半分まで読んだところ。確かに問題提起に終始している印象が強い。いわば「肩透かし」に終わるかもしれない。「『表現の自由』の明日へ」は、「国旗損壊罪」に「対抗」していくためにだが、まだ開いたばかり。期待しながら学びたい。この「表現の自由」は1月9日までに日光図書館に返却へ。「年中行事覚書」は7割ほど進んだ。「遠野物語」で知られる民俗学を代表する柳田國男の著書。やはり、年中行事が生まれてきたさまざまな背景については「知らないことがたくさんあるねー」と思いながら読んでいます。

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