「えっ?、治安維持法下、栃木刑務所でそんな獄死があったのかー」と。朝日新聞4月20日(月)21面の「栃木版」で。大逆罪で一度は死刑判決を受けた金子文子の獄死はよく知られているが、この24歳で亡くなったという飯島喜美さんはこの記事を読むまで知らないでいた。記事によると「飯島喜美の不屈な青春」(仮題)として、2028年の上映が予定されているという。
ちなみにウィキペディアから引くと、金子 文子(かねこ ふみこ、1903年1月25日 - 1926年7月23日[1])は、大正期日本のアナキスト、ニヒリスト。関東大震災の2日後に、治安警察法に基づく予防検束の名目で、朝鮮人朴烈と共に検挙され、予審中に朴が大正天皇と皇太子の殺害を計画していたとほのめかし、文子も天皇制否定を論じたために、大逆罪で起訴され、有罪となった。後に天皇の慈悲として無期懲役に減刑されたが、宇都宮刑務所栃木支所に送られてそこで獄死した。
(以下は朝日新聞記事から)
治安維持法下の弾圧で獄死した飯島喜美
その生涯を映画化する動き
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15歳の時の飯島喜美さん(左)=1927年8月5日、藤田広登さん提供
2028年春に廃止される女子受刑者収容施設、栃木刑務所(栃木県栃木市)で、戦前戦中に獄死した人たちがいる。その一人で、刑期も死因も正確にはわからず、治安維持法下の弾圧に抵抗してずさんな扱いを受けたとみられる飯島喜美さん(享年24)の生涯を映画化する動きが出ている。
飯島さんが就職した会社で働いた玉川寛治さん(92)がまとめた「飯島喜美の不屈の青春」(発行・治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟千葉県本部)などによると、飯島さんは1911年に千葉県で生まれた。27年に東京の紡績工場に就職して労働運動に加わり、29年に当時最年少の17歳で共産党に入党。旧ソ連・モスクワに派遣されたり、労働運動を組織したりするなど、党員として活躍した。
だが、33年に治安維持法違反容疑で特高警察に逮捕され、35年12月に宇都宮刑務所栃木刑務支所で命を落とした。同所は栃木刑務所の前身で、今とは別の場所にあった。
食事は牛乳1本だけ
飯島さんは逮捕後、厳しい取り調べにもかかわらず供述を拒んだとみられ、計11回も勾留が延長されたことを示す資料が残っている。
一方で、判決文は見つかっておらず、3年とも7年前後とも言われる刑期も、いつ刑務支所に収監されたのかもわかっていない。
飯島さんは勾留中に結核を発病したとみられるが、病名を示す資料もない。刑務支所に移されてから亡くなるまで、2~3カ月ほどだったと考えられている。
玉川さんの本の編集に携わり、映画では監修を務める藤田広登さん(91)は「勾留された(東京の)市谷刑務所で結核が蔓延(まんえん)しては困るから、急いで判決を下して栃木刑務支所に送ったのでは」とみる。
その刑務支所での処遇は劣悪だったようだ。病気でも独房に留め置かれ、まもなく動けなくなった。食べることができないため食事は牛乳1本だけで、最後は飲むことさえできなかった。それでもそのままにされ、看守は見回りの時に亡くなったことに気づいたとみられる。
玉川さんの本によると、こうした厳しい状況は同じく収監された仲間たちの証言から推測する部分がほとんどだが、父親が残した資料もある。刑務支所は、飯島さんが危篤であることや、治療中にもかかわらず亡くなったら遺体は学術研究のため千葉医科大に送ることなどを父親に電報や封書で伝えていた。
「謎に包まれた犠牲者」
ただ、仲間たちの証言から「治療中」という説明は虚偽だとみられる。飯島さんが共産主義思想を放棄するなどと明かした遺言も父親に伝えられたが、遺言を残すのは難しい状況で、藤田さんは「勝手に作ったのが真相では」と指摘する。
父親は、刑務支所で娘を火葬して遺骨を送ってほしいと希望した。国から弾圧された共産党員の葬儀は難しかったことなどが理由と考えられるが、刑務支所は認めなかった。最終的には36年、遺体を引き取っていた千葉医科大が火葬して遺骨を送ると父親に伝えた。
刑務支所には、飯島さんと同時期に治安維持法違反罪でほか6人も収監されていたが、いずれも取り調べで話しており、判決文やそれに類する資料は残っている。
しかし、国からの弾圧や虐待に最後まで抵抗したとみられる飯島さんについては、わからない部分が多い。最期を迎えた刑務支所内での処遇の実態も解明されていない。
藤田さんは「喜美さんほど謎に包まれた犠牲者はいない。判決文を探すことなど、彼女の略歴の空白を埋めていく作業はまだまだ続いている」と明かす。
2028年の上映めざす
ただ、断片的とはいえ仲間たちの証言はあり、玉川さんは「飯島喜美の人柄のおかげ」と語る。
父親が保存していた資料は、最終的には飯島さんのおいの木下豊さん(72)に計39点が渡った。木下さんは「飯島喜美は闘い抜いて生き抜いた。残念ながら短い人生と言われるけれど、短い間にこれだけのことをやったと引き継がれていくべきだ」と訴える。
藤田さんによると、玉川さんの本を原案とする映画「飯島喜美の不屈の青春」(仮題)は、飯島さんの一生とその後をフィクションも織り交ぜて描き、劇映画として28年の上映をめざすという。
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