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2026年5月

2026年5月31日 (日)

ドン地方のコサックたちの運命を描いた大河小説   ショーロホフ『静かなドン』(新潮文庫全8巻)

AI回答 「静かなドン」と「ショーロホフ」のキイワードで検索ー。その回答は以下のとおり。これを読むと、文庫版は「岩波文庫」と「新潮文庫」のふたつで出版されているのですね。私は近所のともだちが所持していた「新潮文庫版」(全8巻)を借りている。ただいま第2巻を終えるところ。ようやく中盤から第一次世界大戦が始まり、主人公がオーストリア軍などと戦闘するシーンが展開される。「第3巻から本格的になるかな?」、そう思いながら、第2巻を読了へ。

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ロシア文学の中でも『静かなドン』は、ちょっと特別な位置づけの作品なんですよね。

📖 どんな作品か

ミハイル・ショーロホフの長編小説『静かなドン』は、第一次世界大戦からロシア革命、内戦期にかけてのドン地方のコサックたちの運命を描いた大河小説です。社会主義リアリズムの古典とも言われつつ、それにきれいには収まらない複雑な作品として論じられています。(src-h.slav.hokudai.ac.jp)

主人公はコサックの青年グリゴーリイ・メレホフで、彼の恋愛や家族の葛藤、戦争への動員、革命への動揺などを通して、共同体そのものがゆっくりと崩れていく姿が描かれます。(src-h.slav.hokudai.ac.jp)

📚 日本語版と読まれ方

日本語では「静かなドン」のタイトルで、岩波文庫や新潮文庫から全八巻の形で刊行されており、今も文庫で揃えることができます。(maruzenjunkudo.co.jp)

長大で重厚なため、海外長編小説をじっくり読むのが好きな人の間では、トルストイ『戦争と平和』などと並ぶ「一度は挑戦してみたい作品」としてしばしば挙がります。(sabasaba13.exblog.jp)

✍ 作者ショーロホフについて

ミハイル・ショーロホフはロシア・ソ連の作家で、『静かなドン』などの業績によりノーベル文学賞も受賞しています。若くしてこの長大な作品を書き上げたこともよく話題になります。(bookuoka.com)

⚠ 似たタイトルとの違い

日本のヤクザ漫画および映像化作品の『静かなるドン』は、タイトルが似ていますがショーロホフとは無関係で、内容もまったく別物です。後者はサラリーマンと極道の二重生活を描く娯楽作品で、ロシア文学とはつながりません。(dreamnews.jp)

 

2026年5月30日 (土)

山あり、谷ありの佐多稲子を知らないでいた  まずは「美しい人」と「キャラメル工場から」

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プロレタリア作家、佐多稲子のことを知らなかったのは浅学非才の典型かも。略歴をチェックするだけでも大変な人生を送りながら、作家として第一線に。それも小学校中退から始まる。少女工場勤め、心中自殺未遂、治安維持法逮捕・勾留、離婚、除名などなどー。戦中・戦後の党活動も含めてさまざまに山あり、谷ありであることがうかがえる。そこから「昭和時代」を改めて知ることになるだろうと。ともあれ「美しい人」を読んでから、デビュー作といわれる「キャラメル工場から」など、一連の短編を読むことからにしようと。

美しい人 佐多稲子の昭和    

芸術新聞社 佐久間文子価格3,300円(本体3,000円+税)発行年月2024年11月 フォームの始まりフォームの終わり

代表作『キャラメル工場から』プロレタリア文学の旗手・佐多稲子、生誕120周年。生きることだけで精一杯だった昭和初期。発言することを恐れず、自分らしく生きることを諦めなかったひとりの美しい女性作家がいた。小学校中退、工場勤め、結婚、自殺未遂、出産、カフェでの出会い、作家活動、再婚、離婚、ひとり親家庭、革命運動、勾留、戦争責任、除名、女性の自立。辛酸をなめながら、必死に生き抜いた九十四年の生涯。佐多稲子は、いかにして言葉を紡いできたのか―。

彼女の東京地図
長崎の海の青さに
キャラメル工場へ
浅草・上野界隈
『素足の娘』の日々
再び上野へ
女店員になる
愛のない結婚
「驢馬」同人との出会い
稲子、作家になる
表と裏と
不協和音
運命の女
万歳の声
外地へ
太平洋戦争始まる
南方へ
敗戦まで
戦後が始まる
私の東京地図〔ほか〕

 

2026年5月29日 (金)

ヴァイマル憲法の精神を表している「第109条」   『ヴァイマル憲法とヒトラー』(池田浩士)

全286頁ー。学ぶところ大の一冊を読み終えた。特に第Ⅱ章「ドイツの敗戦、もっとも民主的な憲法」、第Ⅲ章「戦争する国をボランティアが担う」、第Ⅳ章「死と政治」が印象に残る。いずれもヒトラー政治が展開されていく周知の基本的事項について、さまざまな統計や資料を縦横に活かし、踏み込んで腑分けしていく論考が次々と。「第三帝国の興亡」(ウィリアム・L. シャイラー、「ヒトラーの台頭」から始まる全5巻)を読み込んでいる私でさえ、改めてナチズムに至る社会状況やそれによるドイツ市民の心理、そしてヴァイマル憲法の精神を骨抜きにしていくヒトラーの巧妙な手法に眼を向けざるを得なくさせた。結びのほうでアーレントとアイヒマンについての冷静な言及も論考を貫く柱のひとつであり、「なるほど」と。名著というべきかー。日光図書館から借りた2015年発行のこの「岩波現代全書」ではなく、補論が追加されている2022年発行という「岩波現代文庫」を買い求め、手元に置きたい一冊だ。以下は同書86頁「ヴァイマル憲法と最初の戦後民主主義」から。

ヴァイマル憲法「第109条」

このヴァイマル憲法の精神をもっともよく表している一条は「平等の原理、同Photo_20260528201201 等の権利、称号、勲章」についての「第109条」ではないかと、私は思います。
(「ヴィマル憲法とヒトラー 戦後民主主義からファシズムへー」(池田浩士、2015年6月18日第一刷発行、岩波現代全書)

「第109条 すべてのドイツ人は、法の前に平等である。男性と女性は、原理的に同一の、国家公民としての権利と義務を有する。出生もしくは身分による公法上の利益もしくは不利益は、廃絶されねばならない。貴族の名称は、名前の一部という意味を持つに過ぎず、今後は授与されてはならない。称号は、それが職務もしくは職業を表示するときにのみ、授与することを許される。学位は本項に該当しない。勲章および栄誉賞は、国家によって授与されてはならない。いかなるドイツ人も、何らかの外国政府から称号もしくは勲章を受けてはならない」

2026年5月28日 (木)

今、私たちが考え、望み、怒りを感じている事柄がー  「『表現の自由』の明日へ」(志田陽子 2018年10月15日)

私たちが現在行っているさまざまな日常の表現も、将来の世代から見れば何らかの重要な手掛りになる可能性があり、その中には、検証の対象として価値のあるものも出てくるかもしれない。第二次世界大戦中、ナチス政権下のドイツでは、ユダヤ人の生活の記録の多くが抹消されてしまったが、このような社会背景の中では、家族のなにげないスナップ写真が重要な歴史資料になることもある。将来、日本の女性の政治経済への進出はもっと進んで家族の形が多様化した頃に、「21世紀初頭までの日本の家族はこんなにも問題のない美しいものだったのだから、あの時代に還ろう」という言節が起きてきたとき、「保育園落ちたの私だ」というプラカードを国会前で掲げた女性たちの写真がその反証として役立つかもしれない。今、私たちが考え、望み、怒りを感じている事柄が、将来の人々にとって貴重な参考資料になるかもしれないのである(「『表現の自由』の明日へ」(あとがき)(志田陽子、大月書店、2018年10月15日第一刷) Photo_20260526235201

2026年5月27日 (水)

なるほどの「家庭用プラグインソーラー」  「ベランダにソーラーパネル」がドイツなどで急増

「立ち遅れる日本の政策転換を 再エネが石炭を上回る」(赤旗 5月25日)で、和田武・日本環境学会元会長が「EUではベランダなどにソーラーパネルを置いて、プラグを差し込むだけで利用できるプラグインソーラーが合法化され、ドイツなどで急増しています。日本でも普及精度を整備すべきです」と、促しています。この「プラグインソーラーは確かに便利で使えそうだなー」と思い、「家庭用プラグインソーラー」のキイワードで検索した「AI回答」と併せてアップへ。Photo_20260526173101Photo_20260526173102

家庭用のプラグインソーラー、最近かなり話題になってきましたね。

☀ プラグインソーラーとは

家庭用プラグインソーラーは、ベランダや庭の小型太陽光パネルとマイクロインバーターを組み合わせ、分電盤ではなく「家庭用コンセントに差し込んで」家の電気として使う仕組みのことです。(pv-planner.or.jp)

発電した電気は、その場で家電に使われ、足りない分だけ電力会社から買うイメージになります。(pv-planner.or.jp)

⚠ 日本での注意点と法制度

日本では、コンセントに直接つなぐタイプのプラグインソーラーは、現行制度上「安全性や電気事業法などの面でグレー〜NGが多い」と指摘されています。(panerou.com)

特にポイントになるのは次のような点です。

  • 停電時に自動停止する仕組みなど系統連系の安全要件
  • 屋内配線やコンセントの許容電流との整合性
  • 電気工事士資格が必要となる可能性がある設置方法かどうか

そのため、日本国内で本格的に使う場合は、自治体や電力会社の最新のガイドラインや、専門業者の説明を必ず確認する必要があります。(panerou.com)

🔋 代わりに増えている選択肢

日本では「コンセントに逆流させる」のではなく、ポータブル電源とソーラーパネルを組み合わせたセットが広く普及しています。JackeryEcoFlowAnkerなどが出している「ポータブル電源+ソーラーパネルセット」が代表例です。(jackery.jp)

これは

  • 昼間にソーラーパネルでポータブル電源を充電
  • 夜や停電時にポータブル電源のコンセントから家電を動かす
    という使い方で、法制度上も比較的扱いやすく、防災用途としても人気があります。(solapota.com)

🧭 これから検討するなら

現状の日本では、次のどちらかで考える人が多いです。

  • ベランダなどの小規模太陽光をしたい
    → 法令や電力会社のルールに合った「工事前提の太陽光発電+蓄電池」
  • 手軽さと非常用を重視したい
    → 「ポータブル電源+ソーラーパネル」の組み合わせ

いずれも、実際に導入する前に、メーカーサイトや自治体が出している資料で最新のルールを確認することがとても大事です。(panerou.com)

👉 あなたに合う選び方をもう少し具体的にお手伝いできるので、次のうち知りたいのはどれに近いですか?

  1. 電気代節約を主目的にベランダ発電をしたい
  2. 停電や災害対策として非常用電源がほしい
  3. アウトドアや庭での電源確保をメインに考えている

情報 4

AIに追加の質問をする

  • 日本でプラグインソーラーは法的に設置可能ですか?
  • 停電時の自動遮断機能はどう確認すればいいですか?
  • ポータブル電源と太陽光を組み合わせる利点は何ですか?
  • ベランダ設置の発電量はどれくらい期待できますか?
  • 設置に電気工事士の資格が必要になる場合は?

 

 

2026年5月26日 (火)

第一次大戦とドイツ革命 ナチスとヒトラーと   池田浩士「ヴァイマール憲法とヒトラー」

「ヴァイマール憲法とヒトラー」(池田浩士)。2015年発行の「岩波現代全書」で読み始めたが、そうか、2022年11月に「岩波現代文庫」で発行されていたのだねー。現代全書は全280頁ぐらい。最初の「ナチスは合法的に国家権力を掌握した」のところから始めたら、またたくまに70頁以上も読んでいた。「第一次大戦」、「ロシア革命」、「ローザ・ルクセンブルクとドイツ革命」、「ワイマール憲法」、「ナチスとヒトラーとマルクス主義」が次々と登場すると、かつての歴史がリアルに飛び込んでくるように感じる。そのため、どうしても勢い込んで読み込んでしまうという「クセ」があるようだ。準備で忙しかった「さよなら。原発!日光の会」第14回総会も終えることができた。なので、ようやく本に親しむことができそうな日々となりそうだ。すでに「『表現の自由』の明日へ」(志田陽子 大月書店)も手にしている。この「ヒトラー」はやはりきな臭さを増していると、多くの人たちも思っている現在の政治状況を感じているため、こんな表題の書籍に惹かれるのだろうと思う。

ヴァイマル憲法とヒトラー

戦後民主主義からファシズムへ
岩波現代文庫 学術456

岩波書店 池田浩士  価格 1,694円(本体1,540円+税)




発行年月 2022年11月  判型  文庫
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 第一次世界大戦後の戦後民主主義を体現するヴァイマル憲法の下で、ヒトラーは合法的に政権を獲得した。社会民主党と対立したローザ・ルクセンブルクらの虐殺、憲法の緊急事態条項による民主政治の機能不全などヴァイマル共和国の「影」の部分を冷静に描くとともに、ドイツの人びとを魅了したナチズムの本質を抉り出す。戦争への反省が失われつつあることを問う「後章」を新たに収録。

1 もう一つの戦後民主主義とドイツのファシズム(一九三三年一月三〇日―ヒトラー内閣の誕生;ナチスは合法的に国家権力を掌握した;革命運動としてのナチズム)
2 ドイツの敗戦、もっとも民主的な憲法(ドイツ革命からヴァイマル共和国へ;ヴァイマル憲法と最初の戦後民主主義;匕首伝説の説得力)
3 戦争する国をボランティアが担う(国民はなぜナチズムを支持したのか?;自発性と社会参加―善意とやる気の組織化;「労働奉仕」の法制化と義務化)
4 死と政治(ヒトラー政権はまず最初に誰を抹殺したか?;国家儀礼から戦争国家へ―ファシズム政治の大道;ボランティア労働からホロコーストまで)
5 遙かな国の遠い昔ではなく(ナチス・ドイツと歴史認識;二つの憲法、二つの戦後民主主義;「戦争のできる国」から「戦争する国」へ)
後章 憲法とヒトラーの一世紀後に

 

2026年5月25日 (月)

イラン戦争、ウクライナ戦争で「戦争リスク」が現実的に  「さよなら原発!日光の会」第14回総会決議

Photo_202605252106015月23日(土)の「さよなら原発!日光の会」第14回総会で決議された内容は以下の通り。例年以上に理路整然とした決議だと思うことしきりだ。

            決議

福島第一原発事故が起きて丸15年、福島県では、今も暮らすことができない帰宅困難区域が、大熊町、双葉町、富岡町など7市町村に及んでいます。私たちが支援している「ふるさとを返せ津島原発訴訟」の浪江町津島地区は事故当時約450世帯・1,400人が暮らしていましたが、今も98.4%が立ち入り制限され、除染もされておりません。避難者はこれまで2万3千人強に減少してきたと発表されていました。しかし、復興公営住宅に入居した人や自ら住宅を取得した人などを除外しており、実際は5万人を超えていることが報道されています。

 

核燃料が溶け落ちたデブリは推定で880トンとされていますが、試験的採取がスタートしたばかりです。政府と東電が唱えている「2051年廃炉完了」には現実味がありません。さらに現実味がないのが、「核のゴミ」の処分です。高レベル放射性廃棄物が天然ウラン鉱石のレベルになるには10万年という気の遠くなる年月が必要です。第14回総会記念としてドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」をきょう上映しますが、積み重なる高レベル放射性廃棄物という「負の遺産」の処分について、解決の道筋はいまだについていません。

 

私たちの子孫にも大迷惑をかける原発について、政府は2025年2月18日、これまで掲げてきた原発の「依存度低減」を削除し、原発を「最大限活用する」という「第七次エネルギー基本計画」を閣議決定し、原発の新増設まで踏み込んでいます。原発は安価だという判断ですが、まったくの誤りです。原子力市民委員会が3月11日に発行した冊子『見ればわかる 知れば変わる』によると、基本計画の原発の発電コストは12.6円/1hとしていますが、実態は2倍以上の25.7円/1hと太陽光や風力などの再エネの発電コストを大きく上回っています。

 

原発は二酸化炭素などの温室効果ガスをほとんど排出しない環境に優しい電源であるとも宣伝しております。しかし、世界各国のどこも頭を悩ましている「核のゴミ」の管理や「事故リスク」、「核拡散リスク」、今も戦闘が続くウクライナ戦争、イラン戦争で私たちが見聞しているように原発が標的となる現実的な「戦争リスク」を抱えています。何よりもいったん「過酷事故」が起きれば、福島第一原発事故で明らかなように甚大な被害を起こします。原発は環境に優しい電源ではなく、逆にむしろ環境の汚染を引き起こし、汚染を引き寄せる危険な電源です。

 

 「戦争リスク」を避けるために「テロ対策施設」(特定重大事故等対処施設)の設置が義務づけられましたが、「本体施設の設計・工事計画認可」から5年間の猶予期間が設けられています。しかし、原子力規制委員会は4月1日の定例会合で猶予期間の「起算点」を「営業運転開始時」という方針に切り替えました。重大なルールの骨抜きであり、その反対署名が呼びかけられています。東海第二原発はもともと23年10月に5年間の猶予期間を過ぎていましたが、私たちは首都圏連絡会の仲間と共に東海第二原発の廃炉を求める活動に取り組んでいきます。

 

世界は今や文明史的なエネルギーの大転換期を迎えています。太陽光の発電設備容量はこの10年間で8.2倍も増加し、2024年に世界で新規に開発された発電所の電源別で、再エネは実に92.4%に上っています。「原発回帰」がいかに世界の流れに反した時代錯誤の政策であるかを示しています。原発は建設、稼働、点検、廃炉まですべての工程で被曝労働をもたらします。私たちは、世界有数の地震列島である日本で、原発の再稼働を認めず、原発に依存しない社会を実現させていく、その意志を内外に明らかにします。      以上、決議します。

        2026年5月23日 「さよなら原発!日光の会」第14回総会

 

2026年5月24日 (日)

空間線量測定には「シンチサーベイメーター」  「放射線被ばく防護士」講座で知る

「みんなのデータサイト」主催の第三期「放射線被ばく防護士講座」第2回目、5月23日(夜)19時~21時20分に参加。今回は空間放射線の測定機器の種類と測定方法などを学んだ。日光市の街中の空間放射線を測定するには、「シンチサーベイメーター」が適している、そのことはだいだいわかったが、どのくらいのお値段で手に入るのかー、今後、それらも教えてもらおうと思っています。

以下はネットのAI回答から。

空間線量計とは

空間線量計は、その場所に存在する放射線の強さ、つまり「空間線量率」を測るための測定器です。一般にシーベルト毎時のような単位で表示され、環境中のガンマ線の強さを評価する目的で使われます。(taroumaru.jp)

γ線とは

γ線は放射線の一種で透過力が強く、外部被ばく評価では最も重要視される線種です。環境や施設周辺の放射線モニタリングでは、主にこのγ線による空間線量率が測定されています。(monitoring.tmiph.metro.tokyo.lg.jp)

シンチサーベイメーターとは

シンチサーベイメーターは、シンチレーション検出器を使ったサーベイメータのことで、多くはNaI(Tl)結晶を用いてγ線を高感度に検出します。自然放射線レベルの低い空間線量率から測定でき、環境測定や原子力災害対応で推奨されています。(airis1.co.jp)

🔍 どういう場面で使うか

  • 一般環境のγ線空間線量率の測定
  • 施設内や周辺の放射線管理区域の線量確認
  • 原子力災害時などの現場線量サーベイ
    これらの用途では、感度が高く低線量域も測りやすいシンチレーション式サーベイメータがよく用いられます。(radioactivity.nra.go.jp)

🧭 他の方式との違い

種類

主な検出方式

特徴

シンチサーベイメータ

NaIなどシンチレータ

高感度で低線量を精度よく測定可能

GMサーベイメータ

GM管

構造が簡単だが低線量の精度はやや劣る

電離箱式サーベイメータ

電離箱

高線量域の測定に適する

(tokyo-nucl.co.jp)

👉 どんな情報をお手伝いできるとよさそうですか?

  1. 用途別の機種選びのポイントが知りたい
  2. γ線シンチサーベイメーターの基本的な使い方が知りたい
  3. 空間線量の読み取り方や数値の意味を知りたい

情報 5

AIに追加の質問をする

  • シンチサーベイメーターの感度は何で決まりますか?
  • 空間線量率の単位シーベルトとは何ですか?
  • 屋外と屋内で測定値はどう変わりますか?
  • GM管式とシンチ式の校正方法は?
  • 測定値の不確かさはどう評価しますか?

 

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2026年5月23日 (土)

「100,000年後の安全」上映会に40人  「さよなら原発!日光の会」第14回総会記念映画会

市民団体「さよなら原発!日光の会」第14回総会記念、ドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」(デンマークなど4カ国合作、日本公開2011年4月2日、79分)上映会は5月24日(土)、日光市中央公民館多目的室1(イオン今市店2階フロア)で、14時~16時、当初日程通りに開催されました。参加者は40名。内訳は日光市が34名、宇都宮市が2名、矢板市が1名。「参加者名簿」に記載したのはこの37名ですが、ほかに名簿未記載の参加者が3名おりました。できれば「50人」の大台に乗せたかったのですが。上映会後、5分間の休憩をとり、映画についての「意見交換会」を開きましたが、上映会参加者のほとんどが参加しました。25分間の短い時間でしたが、6名~7名の参加者が発言、充実した意見交換会となりました。2026年度活動方針では「会員拡大に力を入れる」ことが強調されましたが、この日、上映会後に1名の新規会員(日光市内)が加わりました。2026年度はさらに「さよなら原発!日光の会」の会員を増やしていきたいと思います Photo_20260524215801 Photo_20260524215802

2026年5月22日 (金)

いよいよ稼働する高レベル放射性廃棄物最終処分場  「100,000年後の安全」の「オンカロ」

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あす23日(土)14時~16時、日光市中央公民館多目的室1で「さよなら原発!日光の会」第14回総会記念でドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」(79分、日本公開2011年4月2日、4か国合作、日本語吹き替え)を上映する(参加無料)ー。この映画の舞台であるフィンランドの「オンカロ」は稼働が先延ばしされていたが、日本経済新聞のこの4月の報道によると、ついに今年2026年に稼働するという。放射性廃棄物最終処分場をめぐる小笠原の「南鳥島」の文献調査が始まることになったという報道がなされたばかり。その時期に奇しくもあす日光で世界初の高レベル放射性廃棄物最終処分場をめぐり、「禅問答」のような会話がかわされる「不思議な」ドキュメンタリー映画を鑑賞することになる。きょうも「映画会のことを下野新聞で知りました。会場を確認させてください」という問い合わせがあったところ。無料なので、ぜひ多くの市民に観てもらいたいと、再度の告知をー。「オンカロ」の詳しい内容については、ウィキペディア(フリー百科事典)で。

 

オンカロ放射性廃棄物処分場

フィンランドは1983年、放射性廃棄物の最終処分場を建設する方針を決めた[1]。1994年フィンランド原子力条例[7]の修正の後、フィンランド国内の全ての核廃棄物をフィンランドで処分することが明示され、国民間で活発な議論を尽された。エウラヨキの議会は2000年に最終処分場受け入れを賛成多数で決め、翌2001年にフィンランド政府がオルキルオト島への建設を正式決定した[1]

この地層処分設備は、洞穴を意味する「オンカロ」と名づけられ[8]、オルキルオト発電所から数マイル花崗岩の岩盤に建設された。エウラヨキは2003年8月に施設の建築許可を行い、建築は2004年から始められた[9]

建設計画は4つの段階に分けられた。

フェーズ1、(2004年から2009年)地下420mに存在する設備への螺旋状に下るアクセストンネルの開削。

フェーズ2、(2009年から)同工程の520mまでの継続、貯蔵所設計に反映させるための岩盤特性の研究。

フェーズ3、貯蔵所の建築は2015年に予想される

フェーズ4、使用済み燃料のカプセル化と地層処分は2020年の開始が計画される(その後2025年から開始予定と報道された[10](今年4月の日本経済新聞は、正式稼働は2026年度からと報じている)

施設の建築を担当するポシヴァ社は、2012年頃に貯蔵所とそれに伴って必要となる構造物の建築認可のための申請書の提出を計画している。審査には3年かかると予想される。 オンカロ処分場は100年分程度のキャニスターを受け入れる大きさがあると予想されている[11]。処分場が満杯になった後は最終的にトンネルごと埋め立てられて密封される。

デンマークの監督Michael Madsenが共著、監督した長編ドキュメンタリー映画100,000年後の安全』(原題:Into Eternity)は開削の最初のフェーズを撮影、専門家がインタビューされている。映画の視点は地層処分の意味論的困難さに向いており、貯蔵所が遠い未来の人間にとっての危険として示されている。また、フジテレビの『その後』でもオンカロが取り上げられている。

ただし、原子炉本体を含む核廃棄物の地中処分は、アメリカ合衆国でも長年の歴史がある放射性廃棄物処分方法で、オンカロが先進的な試みという訳ではない[12]

埋設のため地下400メートル超の深さまで坑道が掘られている。稼働すれば100~120年かけて最大6500トンの放射性廃棄物入りキャニスターを貯蔵。その後はベントナイト粘土)で密閉し、10万年以上かけて放射能の減衰を待つ計画である。ビジターセンターがあり、年2万人の見学者が訪れる[

 

 

 

2026年5月21日 (木)

23日(土)は第14回総会と総会記念映画会   脱原発市民団体「さよなら原発!日光の会」

脱原発市民団体「さよなら原発!日光の会」の第14回総会と総会記念映画会が23日(土)、日光市中央公民館である。福島第一原発事故を受け、2013年春に日光市を中心に発足。それからもう14年になる。脱原発の講演会、映画会、写真展、脱原発署名活動、「原発いらない金曜行動」、東海第二原発いらない!首都圏一斉行動、甲状腺エコー検査支援、日光市内の空間放射線量測定、「第7次エネルギー基本計画」に対するパブリックコメント、「さようなら原発!栃木アクション」への参加、「原発いらない栃木の会」主催の福島視察への参加、1年に4回の会報「げんぱつニュース」発行、毎日のようなMLやラインによる脱原発情報連絡などなどー。それこそさまざまに。第14回総会ではこれに再生可能エネルギーの「現場視察会」にも取り組もうという方針も打ち出す予定だ。「脱原発社会を実現するために」ー。それを基本にした活動だが、いかんせん、原発事故から15年、脱原発に対する風化も確かにじわりと進んでいる。さらに会員は100人足らずだが、その会員の多くが高齢化している。亡くなる人や病気で倒れたり、療養したりする人が後を絶たない。今年はこれまで以上に新たな会員を募り、少しでも新しい風を吹き込み、脱原発運動の力を高めていく必要性を感じている。 

 

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2026年5月20日 (水)

くらしの修理は出来ぬであろうか   橋本夢道句集、私の好きな句はー

橋本夢道の「代表句20」というのを検索でチェック。なるほどと思いつつ、『橋本夢道句集(新装版) 無禮なる妻』(1954年8月20日初版第一刷 2008年1月20日新装版初版第一刷 未来社)を手にしてみると、私なら「選外」のこの句の方がいいなーと。「生活の売り声」の8句のうちのひとつだー。

「こうもり傘の直し」くらしの修理は出来きぬであろうか

 

 NO.1

『 妻よ おまえはなぜ こんなにかわいんだろうね 』

【意味】妻よ、お前はなぜこんなに可愛いんだろうね。

 

俳句仙人

自身の妻への愛情を率直に詠んだ一句です。作者は愛妻家として知られていて、妻に関して詠んだ句が多く残されています。

【NO.2】

『 無礼なる妻よ 毎日馬鹿げたものを 食わしむ 』

【意味】無礼なる妻よ、毎日馬鹿げたものを食べさせるものだ。

 

俳句仙人

前句とは違って強い調子の言葉ですが、この句が詠まれたのは食糧事情が悪い時期です。「馬鹿げたもの」とは手に入れた食料でなんとか作った料理のことであり、反語として自身の不甲斐なさを詠んだ句とも言われています。

【NO.3】

『 妻よ五十年 吾と面白かつたと 言いなさい 』

【意味】妻よ、50年私といて面白かったと言いなさい。

 

俳句仙人

作者は1929年に妻と結婚してから亡くなる1974年まで、離婚や死別することなくずっと共に過ごしていました。辞世の句も妻に託したほどで、長年仲が良かった夫婦であったことがこの句からも伺えます。

【NO.4】

『 うぐいすの 匂うがごとき のどぼとけ 』

【意味】ウグイスの姿のように美しい彼女の喉仏だ。

 

俳句仙人

「匂う」とは古語で「美しく」という意味も持ちます。この句は恋について詠まれているため、ウグイスのように美しい女性の声を発する喉に注目して表現されています。

【NO.5】

『 翼立て 苗代の泥を 取る初燕 』

【意味】翼を立てて苗代の泥を取る初燕よ。

 

俳句仙人

ツバメは小さな虫を食べる鳥なので、生物が豊かな田んぼの上を飛んでいるのをよく見かけます。虫を狙って泥しか取れなかったという幼いツバメの姿が浮かんでくるようです。

【NO.6】

『 赤坂の 見附も春の 紅椿 』

【意味】赤坂見附にも春の紅椿が咲いている。

 

俳句仙人

一見すると東京の春の風景を詠んだ句ですが、新興俳句弾圧事件による予審に向かう護送車の中で詠まれています。獄中生活の壮絶さを詠んだ句が多い中で、外ではもう春なのだという純粋な感動が読み取れる一句です。

【NO.7】

『 さくら散る まひる日傘で行く 』

【意味】桜が散っている。降り注ぐ花弁を避けるように真昼に日傘をさして行こう。

 

俳句仙人

この句も恋について詠まれた一句です。桜の花弁が降り積もることを避けるためなのか、「まひる」という表現から顔を見られるのが恥ずかしいのか、恋の駆け引きを感じさせる表現になっています。

【NO.8】

『 大戦起る この日のために 獄をたまわる 』

【意味】大戦が起こった。今日この日のために監獄に入れられたのだろう。

 

俳句仙人

太平洋戦争は1941年12月8日に宣戦布告されて始まりました。作者が弾圧事件で投獄されたのが1941年の2月頃のため、獄中で開戦の報を聞いての一句です。

【NO.9】

『 みつまめを ギリシャの神は 知らざりき 』

【意味】蜜豆をギリシャの神は知らなかったことだろう。Photo_20260521001501

 

俳句仙人

作者は1938年に創業した「月ヶ瀬」に関わっていて、あんみつの発案者という説があります。「月ヶ瀬」であんみつを売る際の宣伝としてこの俳句は作られていますが、ギリシャ神話の神々を対比に持ってくるユーモアのセンスが光ります。

【NO.10】

『 夏稲の 黄にたるる穂を 見て哭(な)けり 』

【意味】夏の稲の、黄色に垂れる穂を見て涙がでてきた。

 

 

2026年5月19日 (火)

あすも歩かなければならない  山頭火が季節を読む「天声人語」に

「きのうも歩いた、きょうも歩いた、あすも歩かなければならない、あさってもまた」

山頭火ー。といえば、私なら、印象的な「分けいっても分けいっても 青い山」だ。これだけで緑いっぱいの初夏の森の風景が浮かぶ20191007152904391841_edc6d0fde03a800db9e 。その山頭火が5月18日(月)の「天声人語」(朝日)に登場。その結びがこれ。「~あさってもまた」ー。う~ん、やはり、山頭火だねーということで、その天声人語を下記に。


(天声人語)へうへうとして水を味ふ
2026年5月18日

 「季節のうつりかわりに敏感なのは、植物では草、動物では虫、人間では独り者、旅人、貧乏人である」。そう随筆に記したのは〈どうしようもないわたしが歩いてゐる〉といった句で知られる放浪の俳人、種田山頭火である▼うららかな春が過ぎ、立夏を聞いたばかりと思っていたのに、早くも炎天が近づいているのか。きのう列島の各地では30度を超える真夏日になった。漢詩の一節が頭に浮かぶ。只今(ただいま)五月、すでに許(かく)のごとし。六月、更に来たれば何ぞ当たるべけん▼訪れる季節も、去りゆく季節もなぜこうも駆け足なのだろう。初夏の風をほおに感じながら、名残惜しく、街を歩く。青々とした樹木は薫り、薄紅色のバラがほほ笑んでいる。公園では、子どもたちが弾んだ声をあげていた▼まぶしく目を細め、雲ひとつない青空を見上げる。少し汗ばみ、のどが渇いた。水飲み場で蛇口をひねる。ごくごくと、いや、山頭火に敬意を表し、へうへうとして水を味ふ。木陰に入り、息をつく。〈こんなにうまい水があふれてゐる〉▼爽やかな季節よ、すがすがしい風よ、まだ行かないでほしい。もう少しだけでも、ここにとどまっていてほしい。そんな願いをはかなくも、念じてしまう▼「私は草や虫みたいな存在だ」。托鉢(たくはつ)の旅を続けた俳人は書いている。やさしく、寂しく、めぐる季節のなかで、それでも何とか、ひとは生きていくのだと。「きのうも歩いた、きょうも歩いた、あすも歩かなければならない、あさってもまた」

 

 

 

 

 

 

2026年5月18日 (月)

「君は兵士」の反戦歌で検挙された「ナオコ」  朝日記事「ロシアで生き続ける反戦歌」

 

論説委員コラム「序破急

 「君がどんな戦争で戦おうとも、ごめん、私は反対側に立つ。今の君は、この地球上で最も悲しい存在だ」

 ウクライナで戦うロシア軍兵士をモチーフにした反戦歌が、ロシアの若者の間で静かに広がっている。シンガー・ソングライター、モネトチカの「君は兵士」というバラードだ。傷ついた兵士への憐憫(れんびん)をにじませながら、戦争そのものには断固として反対する意志を表した。

 軽やかな声とポップな曲調に鋭い社会批評や皮肉を忍ばせるのが、彼女の持ち味だ。若者を中心に人気があった。侵攻後まもない2022年5月、「自由に発言したい」とリトアニアに渡り、活動の場を国外に移した。ロシア当局からスパイに近い意味合いの「外国の代理人」に指定されている。

 モネトチカの歌はロシアの表舞台から消えた。でも、若者の心から消えたわけではない。昨秋、サンクトペテルブルクの路上でナオコと名乗る18歳のミュージシャンがモネトチカの曲を演奏した。その姿は動画サイトで視聴できる。大勢の若者がナオコを囲み、「君は兵士」を一緒に口ずさんだ。戦争に疑問を抱く若者が少なくないことが伝わった。

 治安当局は路上演奏を無許可の集会とみなし、歌を「軍の信用を失墜させた」としてナオコらを検挙して罰金を科した。歌が体制の脅威になり得ることをロシアの支配者は知っている。

20251028

【(2025年)10月29日 AFP】ロシアで禁止されている反戦の曲を歌ったとして逮捕された18歳のストリートミュージシャンの裁判が28日、首都サンクトペテルブルクの裁判所で開かれた

 

 ソ連崩壊前夜の1980年代後半、伝説のロックシンガー、ビクトル・ツォイの代表曲「変化を!」が閉塞(へいそく)感漂う社会に生きる無数の若者の心をつかんだ。「我々の心が変化を求めている」「我々の目が変化を求めている」「我々は変化を待っている」というサビの一節は、改革を求める民衆を鼓舞した。

 旧ソ連圏の抗議運動で歌い継がれ、2020年のベラルーシでの反体制運動でも、この一節が合言葉になった。ロシア当局はモネトチカが第二のツォイになることを恐れている。

 ウクライナ戦争が長引く中、プーチン政権は反戦感情が国内に広がることを恐れ、厳しい言論統制を敷いている。だが、若者を拘束し、路上を封じても、人々の記憶までは消し去れない。歌が心の奥で響き続ける限り、当局が民衆を完全に沈黙させることはできない。

 

2026年5月17日 (日)

~放射線被ばく防護士を目指そう~ 第3回実践体験学習講座第一回に参加ー

第三期 「原子力災害」から命と健康を守る実践体験学習講座 ~放射線被ばく防護士を目指そう~2026年5月~6月。NPO法人「みんなのデータサイト」 

5月16日(土)19時~21時15分の第1回講座に参加しました。その中でも全国の放射線モニタリングの情報を手にすることができる原子力規制委員会の「ラミス」のシステムを知ることができた。これはさまざまに活用できそうだ。そのURLを下記に示しますー。

放射線被ばく防護士」講座第1回(2026年5月16日)から

ラミス 放射線モニタリング情報共有・公表システム

(原子力規制委員会)

https://www.ramis.nra.go.jp/

 

Photo_20260516230201 Photo_20260516230202  

2026年5月16日 (土)

下野新聞「週刊情報アラカルト」で上映会情報  ドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」

5月23日(土)日光市中央公民館である「さよなら原発!日光の会」第14回総会の記念として開催するフィンランドの高レベル放射性廃棄物最終処分場を描いたドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」(日本公開2011年4月2日、79分、デンマーク、スェーデン、フィンランド、イタリア合作、パリ国際環境映画祭グランプリ受賞作品)上映会(無料)が、5月15日(金)の下野新聞「週刊情報アラカルト」(以前は「週刊情報ワイド」という名称でしたがー)に掲載されました。少しでも上映会情報を知ってもらえるかなとー。 Photo_20260516000101

2026年5月15日 (金)

特高「新興俳句は共産主義」(いやはや?)   「新興俳人の群像ー『京大俳句』の光と影」

Photo_20260515121801 新興俳人の群像

「京大俳句」の光と影

田島和生 著 四六判・294頁 2005年07月

20回俳人協会評論賞受賞
日本図書館協会選定図書

内容

昭和8年、京大関係者の俳句雑誌として発足した「京大俳句」。花鳥諷詠主義に飽き足りない作家たちも学外から続々と参加し、新興俳句運動の旗頭として注目を浴びたが、日中戦争以来の政府の動きの中で、15名の会員が治安維持法違反容疑で検挙され、廃刊に追い込まれる。
本書は、「京大俳句」の成り立ち、新興俳句と日中戦争など、「京大俳句」の盛衰を軸に、新興俳句運動とその時代背景、俳人たちの動静と作品を紹介する。 
読みやすい大型活字使用。

目次

 <b>第一章 新興俳句運動の萌芽</b>
注目の虚子選「ホトトギス」雑詠欄/有力俳人続出の「ホトトギス」/花の「四S」時代/秋櫻子、「ホトトギス」離反/虚子、秋櫻子句集「葛飾」批判/秋櫻子、虚子に反旗/誓子も「ホトトギス」離脱

 <b>第二章 新興俳句の金字塔「京大俳句」</b>
京大三高俳誌「京鹿子」創刊/学生の草城が俳句指導/野風呂主宰誌に「京鹿子」/若手で「京大俳句」創刊/意気軒高に創刊宣言/選者多彩の雑詠欄/杉田久女が寄稿/人気抜群の誓子選「連作俳句」/誓子の「社会性ある俳句」/改造社「俳句研究」創刊/誓子「京大俳句」離脱、「馬酔木」へ/三山「馬酔木」に参加せず/無季俳句容認強まる「京大俳句」/白文地、無季俳句容認論を展開

 <b>第三章 新興俳句運動のうねり</b>
無季俳句急増の「京大俳句」/誓子、ユーモア交え新興俳人分析/人気抜群の草城主宰「旗艦」/新興俳誌、続々創刊/「土上」のリアリズム俳句論/栄坊の「りありずむ」/草田男、二・二六事件を詠む/「不安の時代」反映の白文地、昭俳句/戦時体制の風刺俳句/三鬼、鳳作俳句に心酔/「結婚初夜」の草城俳句に反響/愛妻俳句盛ん/女性俳人の双璧、鷹女と清子/「京大俳句」の紅一点・汀子/大阪女専の俳句熱高まる/人気集まる三鬼俳句/「京大俳句」編集に三鬼参加/三鬼の愉快な「交遊記」/草城ら「ホトトギス」同人除名

 <b>第四章 日中戦争と俳句</b>
日中戦争勃発/俳人、続々戦地へ/「無季で戦争詠め」と誓子・三鬼/五周年記念に「支那事変」特集/静塔、「京大俳句」の事変俳句自賛《エピソード―三鬼「京大俳句」会員と初顔合わせ》誓子・禅寺洞の戦争俳句論/「聖戦」報道で句作/南京虐殺事件を知らず/「京大俳句」全盛期/好評の素逝句集「砲車」/新興俳人の「砲車」高評/明暗分けた火野葦平・石川達三/火野の「麦と兵隊」で競詠/三鬼の戦火想望俳句/「京大俳句」の「戦争俳句」/「戦争俳句」最高潮/新鋭・白泉の憲兵俳句/「戦火想望俳句」激減/三山の特高俳句

 <b>第五章 弾圧の嵐</b>
廃刊直前の「京大俳句」/「京大俳句」会員、一斉検挙/栄坊の消息不明で事件を知る/静塔、編み笠・手 錠・腰縄つき/太秦署へヒューマニスト・影夫 《エピソード―波止影夫と俳優志村喬》栄坊の従兄は特高だった/拘置所で出会う栄坊・静塔/幻の「京大俳句」最終号/新興俳句誌最後の華―「天香」創刊/爆発的人気の「天香」/「京大俳句」第二次検挙/昭、ブタ小屋同然の雑房へ/波郷、「天香」編集協力/三鬼、ついに捕まる/特高、こじつけの俳句解釈/青馬、特高講師説に反発/三年前から特高動く/三山、特高を詠む/静塔ら三人有罪判決 《エピソード―留置場でパン論争》 起訴猶予の白文地、三山、白泉/特高「新興俳句は共産主義」 《付記1 治安維持法 猛威を振るった二十年/治安維持法に死刑追加/七万人検挙/特高警察 付記2 京都と治安維持法 初の適用は京都学連》 知事、「京大俳句」制圧を支持/文化人、相次ぎ検挙

 <b>第六章 広がる俳人弾圧</b>
特高、新興俳句壊滅へ/問題のプロレタリ俳句/首都の四俳誌関係者、一斉検挙/春嶺「暴風の記録」/青峰、非業の最期/不死男、長文の警察手記/不死男の獄中俳句/特高に足蹴にされた源二/「獄をたまわる」と夢道/源二ら七人に有罪判決/弾圧、地方俳誌へ/鹿児島の「きりしま」検挙/蕪子の暗躍/「宇治山田鶏頭陣会」弾圧/秋田の「蠍座」で犠牲者/批判の的に人間探求派/「非国民・草田男」と蕪子批判

 <b>第七章 「俳句報国」時代</b>
新体制運動始まる/伊東月草、檄飛ばす/滅私奉公の俳句作家協会結成へ/秋櫻子、虚子と十年ぶりに握手/俳句協会、軍隊に献金/文学報国会俳句部会発足/文学報国の「俳句年鑑」/平常心の誓子、波郷俳句/秋櫻子、風生の報国俳句/脅迫に屈した草城/禅寺洞、時局に逆らえず/改造社「俳句研究」戦争特集/応召の白文地、ソ連に消える/静塔、軍医で応召/赤黄男、桃史の従軍俳句/鮮烈な桃史の従軍日記/桃史の戦死、草城嘆く/六林男の「戦争俳句」/欣一ら俳人、続々応召 《付記3 横浜事件  付記4 戦後の「俳壇戦犯」問題 「俳壇戦犯」問題起きる/批判の的に「俳句報国」/追放運動分裂  付記5 西東三鬼スパイ裁判》
 
 参考文献/あとがき/俳人略歴/年表

 

 

2026年5月14日 (木)

熱い味噌汁をすすりあなたいない  「新興俳句弾圧事件」を知っておこう

熱い味噌汁をすすりあなたいない

う~む。これが「反戦思想なのかー」。として、弾圧、留置・懲役へ。とんでもない軍国主義社会にしたもんだと。あきれるばかりなり。ネットで検索すると、ウィキペディアより、「しんぶん赤旗」のほうが丁寧に戦前に「新興俳句弾圧事件」を解説していたー。

「2006年3月11日(土)「しんぶん赤旗」

戦前は、俳句も弾圧されたの?
 〈問い〉 最近、俳句を始めたのですが、俳句仲間から「戦前は俳句も弾圧されたのよ」と聞きました。どんな句がひっかかったのですか? (北海道・一読者)

 〈答え〉 戦前の天皇制政府は、戦争反対と主権在民を求めた日本共産党に対して残虐な弾圧でのぞみ、ついでそれを国民全体に広げ、表現の自由を圧殺していきました。それは言論・文化のあらゆる分野に及びました。

 俳句の分野でも真っ先に『プロレタリア俳句』が1931年2月発刊と同時に発禁とされます。そのころ俳句界では高浜虚子の「ホトトギス」から水原秋櫻子が離脱(同年10月)し、新興俳句が広がりをみせていました。短詩型が特徴の俳句は、現実への鋭い視点と、みずみずしい感性がなければ成立しません。しかし、特高警察の弾圧は、この俳句成立の根本条件ともいえるものにむけられました。

 1940年2月から8月、新興俳句の中心だった俳誌『京大俳句』の会員である平畑静塔、波止影夫ら15人が相次いで特高警察によって検挙されます。

 熱い味噌汁をすすりあなたいない

 ホスピタル鏡を朝な女のみがく

 これが「反戦思想を含せしめたる作品」とされました。

 黙々と鉄槌ふり我等何を見る

 ネクタイを締めて薄給かくす夏

 これが「銃後の生活苦等を素材としたる反戦俳句」とされました。裁判所はこれをもって「一般大衆に階級的、反戦、反軍的意識を浸透せしめ、其(そ)の左翼化に努め、以(もっ)てコミンテルン日本共産党の目的遂行の為(ため)にする行為」(「京大俳句」事件の「予審終結決定書」)としたのです。
Photo_20260513231701  41年2月には、荻原井泉水の俳句革新に共鳴しプロレタリア文学理論を句作に導入した栗林一石路が橋本夢道らとつくった自由律系の『俳句生活』や『日本俳句』(『生活派』改題)、新興俳句関係の『広場』『土上(どじょう)』という東京の4俳誌の13人が、同年10月には山口県宇部市で『山脈』の山崎青鐘ら10人が検挙されます。同年12月8日の太平洋戦争開戦前夜のことです。

 戦争の進行とともに、えん戦気分につながる表現もチェックされ、43年6月には鹿児島で『きりしま』の面高秀ら3人、同年12月には秋田で『蠍(さそり)座』の2人が検挙されるなど、地方の小さな俳句同人誌にも及びました。『土上』主宰の嶋田青峰は留置場で病気が悪化し伏せったまま3年後に死去しました。(喜)

 〈参考〉田島和生著『新興俳人の群像「京大俳句」の光と影』(思文閣出版)、『特高警察黒書』(新日本出版社)、『日本プロレタリア文学集・40』(同)の谷山花猿解説

 〔2006・3・11(土)〕

2026年5月13日 (水)

度重なる「反乱」の背景も伝える「アイヌの天地」  魅力的な渡辺京二「黒船前夜」

Photo_20260513135601 渡辺京二の「黒船前夜」、「さすが、大佛次郎賞作品だな」と感心することしきり。とくに第五章「アイヌの天地」は、江戸末期の北海道・千島の意外と知られていない実情を教えてくれる。それにアイヌの「反乱」の込み入った事実関係もしっかり伝えてくれる。残りあと5分の1を読み残したところで、日光図書館に返却へ。当然、借用を延長して、読み終えたいー。以下はその「アイヌの天地」の結語から。


「黒船前夜―ロシア、アイヌ、日本の三国志」(渡辺京二 洋泉社 2010年2月17日初版 353頁 大佛次郎賞)

天明五、六年度(1785年~1786年)の(幕府による)蝦夷地検分は、北海道・千島・樺太の実情を初めて明らかにしたという点で絶大な意義があった。彼らの報告で注目すべきなのは、アイヌを日本国民と認定し、千島・樺太を日本の固有の領土とみなした点である。近代ナショナリズムはすでに彼らの胸中に芽生えていたのである。彼らは新井白石が『蝦夷志』で、アイヌを男女別なく禽獣に近いとしたのに憤激し、「至って正直なるものにて、おのずから慈敬・仁愛・礼儀等も厚く、別して女は貞実にあい見え、すべて神を尊信使り候」と、アイヌを弁護した。このように彼らはアイヌに同情したが、それゆえにこそ日本国民として教化すべき存在としてみなしたことを忘れれてはならない。アイヌを日本の国風に同化せずに放置しているのは、その方が「掠め安きため」であり、松前藩と悪徳商人の結託の結果なのだ。彼らの手からアイヌを救い出さねばならない。彼らのこのような松前藩と請負商人への不信は、こののちの幕府の方針はもちろん、明治以降の歴史観にも大きな影響を与えることとなる(149頁~150頁)。

 

2026年5月12日 (火)

無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ    「天声人語」に俳人・橋本夢道

5月12日(火)の「天声人語」はいいね。橋本夢道というプロレタリア俳人も知ることができたー。


天声人語)自由律俳人が愛した長屋の街

俳人の橋本夢道(むどう)は東京・月島の長屋暮らしを何より愛した。〈春らしい夜明けがしてもう隣の足音が伝わってくる家〉。娘の殿岡浩佳(とのおかひろよ)さん(80)は、「本当に物欲がない人で。家も『3歩も歩けば裏に出る』と家族が愚痴るほど狭かった」と懐かしむ▼狭い長屋に多い時は一家8人暮らし。そこに俳句仲間を集めた。銭湯に通い、ステテコ姿で涼んだ。〈ぐっすりつかり銭湯は春の人間の垢(あか)と脂肪に濁っている〉▼五七五や季語に縛られない自由律を詠んだ。俳句は、「生きるための文学」だと信じた。その姿勢は、戦前に多くの俳人が翼賛体制に従う中で反戦的とみなされた。1941年2月の雪の朝、治安維持法違反容疑で長屋から警察署に連行された▼俳人40人以上が検挙された「新興俳句弾圧事件」だ。逮捕直前、特高警察に「自分たちの『身のまわり』のできごとを自由にうたうだけですよ」と説明したら「その『自由』が君らの目的なんだろう」と言われたという▼2年余り身柄を拘束された。保釈後は長屋に戻って、74年に亡くなるまで句を詠み続けた。いま月島は再開発が進み、タワーマンションが建つ。不動産広告には1億円超の物件が並ぶ。夢道の長屋も先月解体された▼街は変わる。だが言葉は残る。〈おたまじゃくしの如(ごと)くいる子の路地に心富む〉〈「あさり、しじみョォ」貧乏路地を起(おこ)しにくる〉。句をそらんじながら路地を歩く。夢道が愛した自由とは。治安維持法の施行から101年の今日、思いをはせる。

橋本夢道





橋本 夢道(はしもと むどう、1903年明治36年)4月11日 - 1974年昭和49年)10月9日)は、日本俳人。本名・橋本 淳一自由律の俳人として知られ、プロレタリア俳句運動の中心人物の一人として活動した。




徳島県名東郡北井上村(現在の板野郡藍住町)の小作農に生まれ、小塚尋常小学校[1]卒業後、藍玉問屋の奥村商店に丁稚として奉公。14歳のとき深川の東京支店に抜擢される。このころ市立図書館に通い、休日を利用して書物を濫読、『萬朝報』に載っていた荻原井泉水の句に惹かれ句作を試みる[2]。1922年より自由律俳句誌「層雲」に投句、井泉水に師事する[3]

1929年、俳句を通じて知った荻田静子と結婚。しかし奥村商店は自由恋愛を禁じており、またこのころ栗林一石路らとともにプロレタリア俳句運動に関わったこともあって商店から解雇される[2]。1931年、俳人横山林二の世話で銀座の輸入雑貨店「ウィステリア」に就職。1937年、銀座の甘味処「月ヶ瀬」創業に参画、戦後は同役員となる[4]。同年、一石路、小沢武二らとともにプロレタリア俳句誌「旗」を創刊。その後「プロレタリア俳句」「La俳句」「俳句の友」と改題するが発禁となる。1934年、一石路らとともに「俳句生活」を創刊、編集を担当。1941年、新興俳句弾圧事件に連座、2年の間拘留される。戦後は1946年の新俳句人連盟創立に参加。1957年には石原沙人らと「秋刀魚」を創刊し40号まで出した。1974年、71歳で没。没後、1975年に句集『無類の妻』により第7回多喜二・百合子賞を受賞した[3]

代表作に、獄中の句「うごけば、寒い」、終戦時の句「無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ」などがあり、反骨精神に根差しながらもユーモアや明るさを持つ句を詠んだ。俳句について「農民が生産しながら歌っている稗搗歌、米搗歌、俚謡、俗曲のように共同に生きつらぬく文学でありたい」(『無礼なる妻』あとがき)と述べ、庶民詩としての俳句を志した[3]。1981年、徳島県鳴門市に「母の渦子の渦鳴門故郷の渦」句碑が建てられた。

次女、浩佳の夫は元朝日新聞記者でジャーナリスト殿岡駿星[5]。夢道ゆかりの月島に「橋本夢道資料室」および「夢道サロン」を開いている。また洋画家徳島県文化賞を受賞した佐野比呂志は甥にあたる(夢道の姉の長男)[6]



あんみつの発案

夢道はあんみつの発案者であるとも云われている。1937年、甘味処「月ヶ瀬」創業に参画した夢道は、同じ銀座の汁粉店「若松」の人気に着目し、大きなガラスの器に盛ったあんみつを呼び物として考案し好評を得たという。「みつまめをギリシャの神は知らざりき」「君知るやこのみつまめの伝説を」といった句を店のコピーとして作り、電通に依頼してポスターにし電車の中吊り広告に用いた

著書

 

2026年5月11日 (月)

小説が先か、映画が先かー    高名な小説・映画「ドクトルジバゴ」

小説(上下二巻)はこの数日で上巻の4分の3、約350頁まで読み進めた。が、私の読み方が良くないのか、いまひとつ小説の世界に入れない。どうもいまいちの感がしている。「これはもう映画を観たほうがてっとり早いかも?」と。ネット検索で映画「ドクトルジバゴ」の「あらすじ」を読んだ。これをともあれアップしておこう。確かTSUTAYAで貸し出していたはずだ。近いうちにこの高名な作品をDVDで観ようかなと。関心は、ロシア革命、第一次世界大戦、赤軍、白軍とが複雑に入り混じった世界を背景にジバゴがどう生きたかー。その世相、時代への関心から。だが、どうも映画はロマンスに重点を置いているようー。う~んーなんだかなーと思いつつ。同時にやはりノーベル文学賞作家、ショーロホフの「静かなドン」(岩波文庫8巻本)も読んでおかないといけないかなと。ロシア革命の赤軍、白軍のどちらに肩入れすることなく、当時の権力と暴力などを描いているという小説評がある。それらを知りたいという思いがあるからだ。それにしても長編なので、どこまで挑むことができるかー。

(あらすじ)

19世紀末のロシア。ユーリー・ジバゴ(オマー・シャリフ)は、医学の勉強を続けるかたわら詩人としても知られるようになった。幼い頃両親を失い、科学者グロメーコにひきとられた彼は、その家の娘トーニャ(ジェラルディン・チャップリン)を愛していた。2人の婚約発表のパーティーの日、近所の仕立屋の娘ラーラ(ジュリー・クリスティー)は、弁護士コマロフスキーの誘惑から逃れるため、彼に発砲するという事件を起こした。彼女は帝政打倒の革命に情熱をもやす学生パーシャ(トム・コートネイ)を愛していた。1914年、ロシアは第1次大戦に突入し、ジバゴは医師として従軍した。戦場で看護婦として働らくラーラに再会した彼は、彼女がすでにパーシャと結婚したのを知り、自分もまた家庭を持っていたが、ラーラへの愛をどうすることもできなかった。それにパーシャは戦死したとの報告も入っていた。その頃ロシアは内戦が激しくなり、ジバゴはモスクワの家族のもとへ帰った革命軍の手に帰したモスクワは、飢えと物資の不足にあえいでいた。ジバゴが革命軍のリーダーで、義兄のエフグラフ(アレック・ギネス)に初めて会ったのはその頃だった。義兄の勧めもあって、田舎で休養することにした彼は、旅の途中で白軍のスパイと間違えられ、赤軍の将校に尋問された。この将校は、戦死と報じられていたパーシャだった。彼は変わりはて、今や革命への狂信以外、何もない男になっていた。ラーラとの愛も再燃した田舎での生活、ジバゴにとっては幸せの日が続いたが、ある日突然、彼はパルチザンの1隊にとらえられた。妻に2人目の子供が生まれると知り、ラーラと別れる決心をした直後のことだ。しかし彼は脱走し、ラーラのもとに帰ったが、2人の関係を知った妻が、子供をつれて、パリに亡命したと告げられた。今や亡命者の夫となったジバゴと、すでに追放の身となっていたパーシャの妻ラーラの前に、コマロフスキーが現れた。彼は2人に危険がせまっていると再三話し、ついに身重のラーラをつれて極東に去った。8年後、ジバゴはモスクワの市街電車の中でラーラを見かけ必死に追ったが、かねてわずらっていた心臓発作で倒れ亡くなる。何年か過ぎた。エフグラフはダムの建築現場で働く若い娘(リタ・トゥシンハム)に出会った。彼女は、ジバゴとラーラの間にできた私生児だ。彼は両親のことを話してきかせ、ジバゴの詩集を贈りこう言った。「彼の仕事は党には容れられなかったが、詩を愛する人は彼を忘れない。彼ほど詩を愛した者はいなかった」と。 Photo_20260511204801

2026年5月10日 (日)

「放射線被ばく防護士」養成講座を受講します  第3期(5月16日~7月4日)で

2025年から始まったという「みんなのデータサイト」の「放射線被ばく防護士」養成講座。9日夜、その第三期生の募集に応募しました。オンライン基礎講座と被災地実地研修(5月16日から7月4日)ですが、私は病み上がりのため、実地研修はパスし、今回はオンラインの基礎研修のみの応募です(テキストなど費用4千円)。主催する「みんなのデータサイト」事務局からの連絡を下記に示します。

 

Photo_20260510220001 この度は、オンライン基礎研修のお申し込みをいただきまして誠にありがとうございます!以下、詳細のご案内です。お振込先も下のほうに記載がございますので、お時間ある時によろしくお願いします。

①スケジュールについて

第3期の全体日程は以下の通りです。
オンライン学習のみお申し込みの方は、★印のオンライン(事前・事後)学習にご参加ください。録画もお送りしますので、参加できない回については録画で学習を進めてください。


オンライン事前学習
2026年5月16日(土)19時から21時
5月23日(土) 19時から21時

被災地実地研修(ご参考)
2026年6月6日(土)〜7日(日) 一泊2日。
 6/6 郡山駅 10時集合。津島地域へ。 宿泊は小高の双葉屋旅館(1泊2食付)。 6/7 小高・浪江町等浜通りを訪問、17時郡山駅解散。

 

オンライン事後学習
2026年6月13日(土)19時から21時
6月20日(土)19時から21時
6月27日(土)19時から21時
7月4日(予備日)19時から21時 → 予備となってますが実施する予定です

口頭試問 (ご参考)
被災地実地研修を含む全てのプログラムに参加した人は、放射線被ばく防護士 認定の試問にご参加ください 2026年7月11日(土) または7月18日(土) どちらかご都合の良い方にご参加ください。 時間は19時から21時を予定しています

 

 

2026年5月 9日 (土)

私も参加したい「放射線被ばく防護士養成講座」   「みんなのデータサイト」が第三期の実施へ

2025年から始まったという「みんなのデータサイト」の「放射線被ばく防護士」養成講座。その第三期生を募集しPhoto_20260509202901 ています。今回は5月16日から7月4日まで。オンライン講座と被災地実地研修。それを受けて、口頭試問をクリアすると、「みんなのデータサイト」の「放射線被ばく防護士」に認定されます。「原子力資料情報室通信5月号」(5月1日発行)の「第三回 『市民がつくる環境放射能データベース みんなのデータベースの歩みとこれから』」の記事で知りました。う~ん、私も参加したいが、今年はまだ病み上がりなので難しいかも。第4期募集以降にも参加できればと思っていますー

お申し込みはこちら

2011年の福島第一原発事故。あのとき多くの人々が、放射性物質とはなんなのか?単位の意味すらも理解していないひとが多かったと思います。大きな混乱のなか錯綜した情報が飛び交い、何が本当で何は嘘なのかを見分けられなかったかもしれません。災害時にどのように情報が伝達されるのか、されないのか、できないのか、といった混乱も目の当たりにしてきました。
こうした経験をへて私たちは、「自ら知り・判断できる知識と経験を持つこと」がいざというとき被ばくを防ぐこと、命を守る力になると考えました。行政の発信をただ受け身で待つのではなく、自ら判断し、行動できる市民を育てる。
それが、3.11を教訓として未来へ防災意識をつなげることになる。そんな思いから「放射線被ばく防護士」養成講座は2025年に始まりました。

過去2回は大好評で、参加された方からは「ぜひ多くの方に参加して欲しい」というお声をいただき、講座の第3期の募集が始まりました。
第3期は、実地研修の前に必ず覚えて欲しいことを自主測定前に4コマ学習、その後被災地実地研修、そして帰ってきてからさらに深く学ぶ形式にしました。
被災地に行くのが難しい方もいらっしゃいますので、被災地には行かずオンラインの研修のみの参加も大歓迎です。

 

 

2026年5月 8日 (金)

2027年3月9日締め切り  「今こそ、東海第二原発を廃炉へ!」署名

「とめよう!東海第二原発 首都圏連絡会」による「今こそ、東海第二原発を廃炉へ!」署名は今春でいったん閉じておりましたが、さらに10カ月後の2027年3月9日締め切りで署名が行われる。本日の首都圏連絡会の世話人の連絡メールから。「さよなら原発!日光の会」は5月23日(土)に第14回総会と総会記念映画会「100,、000年後の安全」上映会を開くので、その際にこの署名を大きく呼びかけるつもりだ。署名用紙を添付しますー。

 

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2026年5月 7日 (木)

原発事故放射能汚染の実態とこれから  6月13日(土)栃木県弁護士会館で記念講演

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2026年5月 6日 (水)

エネルギー危機、どう解決する   5月23日(土)県弁護士会館で大島堅一教授記念講演

Photo_20260507232601 原子力市民委員会座長である大島堅一教授(龍谷大教授)の講演とあって聴きたいが、あいにく当日は自分たちの「さよなら原発!日光の会」第14回総会と記念映画会「100,000年後の安全」上映会があるー。「とちぎ地域・自治研究所第25回定期総会」の記念講演で。「講演はZOOMで」とある。無料です。宇都宮方面の人は聴いたらいいと思う。 

2026年5月 5日 (火)

土地を持つ権利が土地を失う第一歩に   興味深い『私の明治時代史』の「地租改正」

 

Photo_202605051228011980年代初め、熊本県真宗寺で行われた「京二塾 日本近代史講義」の第1回講座は「地租改正」。この講座がとくに面白い「私の明治時代史」(録音音声)(渡辺京二)。「日本版資本の原始的蓄積」がどんな状況から生まれたか、その点をわかりやすくー。(以下は「私の明治時代史」50頁~52頁から

 

有名な「松方デフレ」と呼ばれる、明治14年からの緊縮財政政策によって、インフレによる経済混乱は収束して紙幣が整理される一方、米価が下落しました。この年から数年続いた米価の下落は農民に深刻な打撃を与え、地租(地価の三%)の負担が重くのしかかりました。地租を三カ月滞納すると土地を取り上げるという過酷なやり方をしておりますから、高利貸しに抵当に入れて税金を支払うしかなく、非常に多くの農民がこの時に土地を手放しました。その結果、経済学の用語といえば「農民層の分解」と呼ばれる現象がこの時期に進行し、地主に土地が集中して明治の地主制度は飛躍的に確立したのです。

(中略)

  さてそこで地租改正とは何であったのかということです。その意義を改めて考えてみると、それは近代的な土地私有権の確立にありました。つまり、土地を自由に財産として売買できるようになり、封建時代には身分によって土地に縛られていた農民がそこから切り離されたのです。地租改正によって、一人一人の農民や地主が土地の所有者として認められたと聞くと、これはいいことのように思えますが、土地を失いプロレタリアート(無産階級)になりうるということとイコールなのですよ。

  そこをしっかり押さえないといけません。一人一人の所有権を確立したということは、その財産をいつ失うかわからない状況をつくりだしたということでもあります。つまり逆説的ですが、土地の私有権が確立され、自分の土地を持つ権利を得たと同時に、それは土地を失う第一歩となった。この点が地租改正の持つ最も重要な意味であります。

 ただし、これは当時の明治政府の役人や大官たちが「日本に資本主義を起こさないといけない」「百姓を土地に縛り付けてはいけない」「百姓を土地から追い立てて労働者にしなければいけない」と思ってやったのではなく、あくまでも財政安定のために行われたものです。しかし結果的に、土地と直接生産者(農民)を切り離すという、資本主義の基礎となる「資本の原始的蓄積」をもたらすことになったのです。松方デフレの数々の農民哀話というものは、そうゆうふうにプロレタリアートを「血と火の溶鉱炉」の中から生み出す過程のひとつだったのです。

 

2026年5月 4日 (月)

今年も「緑の季節」がやってきたー   我が家の夏ツバキが元気いっぱいに

霧降高原のヤマツツジの季節は、そのまま緑の季節。我が家の夏ツバキも4月中旬から今季も伸び始め、今や葉をいっぱいに広げている。よく「元気をもらったー」というが、この夏ツバキの緑の光景もそのひとつ。よくもまあ、毎年この時期になると、緑の世界を演出してくれるものだなーと。それも秋の終わりまで。12月になると、すっかり葉を落として冬ごもりへ。それまで我が家のウッドデッキ周辺はいわゆる緑陰が続く。そろそろこのウッドデッキでゆったり「カフェラテ」を味わったらいいかもしれないー。 Photo_20260503234601 Photo_20260503234801

2026年5月 3日 (日)

霧降高原はヤマツツジの季節です    辺り一帯は知られていない「桃源郷」に

日光霧降高原にこの季節がやってきました。ヤマツツジ。我が家の周辺一帯の路地という路地は自生のヤマツツジが満開へ向かっている。「初夏になってきたのだね」、とそう思わせる光景だ。1年で一番、過ごしやすい季節に入ってきたのかも。もっともこれも6月に入ると梅雨の季節へ。それまでの意外と知られていない「桃Photo_20260503195701 Photo_20260503195702 源郷」かもしれない。

2026年5月 2日 (土)

海洋放出反対が自然にうなづける 『春を待つ海ー福島の震災前後の漁業民俗ー』

Photo_20260502135101 「―せっかく試験操業の実績を積み上げてきたのに、トリチウムの放出により、なし崩しにされることに怖れを感じております。いろいろな手法がありますでしょうが、福島の海に放出することだけは、絶対に反対です。それによって、本格的な操業が、また何年も遅れるばかりでなく、漁労技術も途絶えてしまいます。以上のような意見を述べさせていただきます」―。

 春雄さんの主張は明快であった。三人の子を漁師にしたからには、子や孫の代まで漁の仕事ができるような海を守ることであった。原発事故直後の6月から、「試験操業」という管理漁業が始まり、ようやく「本格操業」へと希望をつないできた矢先の、トリチウムの放出題だったからである(『春を待つ海』230頁)

 

 民俗学者の川島秀一さん(1962年生まれ、日本民族学会会長)が漁師共に暮らして実際に漁業に携わりながら、海と人間の生活、自然のなかの人間を考えた著作、2021年2月6日第一刷)から。その「第八章 東日本大震災からの漁業 第四節 トリチウム水の海洋放出」にある福島県新地町の漁師、小野春雄さん(1952年生まれ)の言葉。この言葉は2018年夏の終わり、トリチウムを含む汚染水の処理方法をめぐり、富岡町で公聴会があり、そこでの小野さんの発言だ。

 

 「はじめにーにわか漁師の奮闘記」、「第一章 シタモノと食い魚」、「第三章 春雄さんの半世紀」、「第四章 新地の沿岸漁業」、「第五章 新地の漁業民俗」、「第六章 寄りものとユイコ」、「第八章 東日本大震災からの漁業」などから成る計254頁。「固定式刺し網漁業」をはじめとするさまざまな漁の方法などの記述はさすがにとっつきにくかったのは否めない。だだ、小野さんの半世紀にわたる漁師生活からいかに小野さんが海洋放出に反対するのか、自然にうなずける内容だ。

 

 もともとは「週刊金曜日」がとりあげた海洋放出問題記事での小野さんについての紹介と発言がきっかけ。その内容に「なるほどー」とうなずいた私に「原発いらない栃木の会」の大木代表が「それなら小野さんと漁を共にしながら書かれた民俗学者の本があるよ」と応じ、この「春を待つ海」を貸してくれたのだった。脱原発関連本にはこんな形の本もありますという紹介です。

2026年5月 1日 (金)

大冊を前に気が引けているかもー   ショーロホフの名作「静かなドン」

日光図書館から借り出しだしたばかりの名作「静かなドン」(ショーロホフ)。岩波文庫なら確か8冊。だが、借りたのは世界文学全集からの大冊の2巻本。さて、この有名な物語を読めるかどうかー。5月1日、渡辺京二さんの「私の明治時代史」をやはり日光図書館から貸りて読み始めたところ。予想通りこれがやはり面白い。関心がある「神風連の乱」の章から手にしたが、この章は一気に読み終えた。今週はこれを楽しみながら各章を読み進めたい。そうそう、なので、「静かなドン」はその後から。というか、大冊を前にどうも気が引けているかもしれない(笑い)。

(以下は「ウィキペディア」から抜粋)。

特徴

本作の特徴はリアルに描写されたコサックたちの性格や生活の様子、および個性豊かな登場人物たち、女性たち、また政治的な中立にある。

タイトルにあるようにドン地方の自然や風物は物語のいたるところで描写されている。また全編を通してドン川にしばしば言及がおよび、時には敵味方がドン川を隔てて対峙するシーンなどがありドン川の存在感が強い。

登場人物ではたとえば、主人公グリゴーリー・メレホフの父親は一家の生活を切り盛りするたくましい人物であるが必ずしも善人ではなく、戦争が始まると占領下の町で略奪に参加したりもする。ただし、この父親はどこか憎めない性格として描かれている。他にもグリゴーリーの元友人で、後に赤軍に参加し主人公と決定的に対立するミシカ・コシェヴォイや、グリゴーリーの愛人であり一時は駆け落ちまでするアクシーニヤ、アクシーニヤの夫でメレホフ家と反目するステパンなど多彩である。

政治的には、社会主義国であるソ連の作家であるショーロホフが社会主義革命の時代を描きながら赤軍を善、反革命軍を悪とせず、双方の残虐行為や暴力性をともに描く中立のPhoto_20260503000401 Photo_20260503000501 姿勢が貫かれている。作中では資本主義陣営・社会主義陣営など様々な政治的立場の人物が登場はするが、どの政治的姿勢をとるべきであるとかいうことには一切触れられていない。このことは発表当初のソ連国内でも指摘されたという。ただし、主人公のグリゴーリー・メレホフや準主人公のブンチュークなどが政治的な思索をする場面はある。それでも、それらの考えは正しいという前提でもなければ、物語が進行していくにつれ容易に覆されるものもある。

なお、タイトルにある「静かな」というのはドンの美称のようで、作品中でも「ドン」というべき場合に「静かなドン」という場面が何箇所かある。「静かなドン」と並んで隣接する地方も「美しきクバン」、「波高きテレク」などと呼ばれるシーンがある。



構成

ここではショーロホフによって発表された各巻について簡単に説明する。

  • 第1巻 - 1926年発表。第一次世界大戦直前の平和な時代が描かれている。
  • 第2巻 - 1929年発表。大戦の中でのコサックたちのさまざま体験や思想が描かれている。
  • 第3巻 - 1933年発表。国内戦の時代のコサックを二分するドン地方の大きな災厄の時代が描かれている。
  • 第4巻 - 1940年発表。国内戦の末期とコサックたちの変化が描かれている。

 

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