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2026年8月

2026年8月31日 (月)

初めて「デモカレンダー」を活用しました。    9月27日(日)大島堅一講演上映会情報を掲載

Photo_20260901191401 Photo_20260831215101 「デモカレンダーとは」のAI回答

デモカレンダーとは、日本各地で行われるデモや集会などの予定を、日付順に一覧できる全国デモ情報カレンダーサイトです。主に「デモカレンダー Japan」というウェブサイトを指して使われます。(democalendar.jp)

デモカレンダーの概要

  • 日本全国のデモやスタンディング、集会、オンライン配信などの予定を集約したサイトです。(democalendar.jp)
  • カレンダー形式や一覧形式で、日付・地域・種類ごとに絞り込んで閲覧できます。(democalendar.jp)
  • 「今日時間があるから何かやってるかな?」という感覚で、近くの行動を探せる市民向けサービスとして運営されています。(democalendar.jp)

目的と特徴

  • 目的は、デモ情報を一か所に集めて「どこで何が行われているか」を可視化し、市民が参加しやすくすることです。(jcp.or.jp)
  • 特定の政党やイデオロギーに縛られず、「平和と人権を大切にする」という方針で運営されていると説明されています。(democalendar.jp)
  • 主催者側はフォームから掲載依頼を送ることで、自分たちのデモや集会をカレンダーに載せてもらえます。(democalendar.jp)

「デモ」との関係

  • ここでいう「デモ」は、特定の主張を持つ人々が集まり、行進や集会などで意思表示をする示威行動を指します。(ja.wikipedia.org)
  • デモカレンダーは、こうしたデモや関連集会の開催情報を整理し、参加希望者の「どこに行けばよいか」を案内する役割を担っています。(jcp.or.jp)

 

 

2026年8月30日 (日)

twitter'(公式)「さようなら原発!栃木アクション」  「リモートサポートセンター」のお助けで復活

Twitter (公式)「さようなら原発!栃木アクション」を紹介します。「栃木アクションプレ企画」大島堅一講演上映会チラシをアップしました。10月31日の本番まで、公式twitterのほか、Facebook、BLOGなどのSNSでその都度、開催情報などをアップしていきます。実はtwitter「さよなら原発!よういちろう」という私の個人twitterは作動していたが、この(公式)は「睡眠状態」にあった。というか、何らかの事情で投稿ができないでいた。きょう、お助け機関「リモートサポートセンター」にSOS。ようやく回復することができた。というのが舞台裏です。Twitter Twitter_20260830205401

2026年8月29日 (土)

「図解レポート」を読み解く「対話の会」  原子力市民委員会が「公論形成」へ呼びかけ

原子力市民委員会(大島堅一座長)が「公論形成」へ本格的にー。ということがわかる呼びかけが8月28日に。「図解レポート」を読み解く「対話の会」を始める。「講師派遣」もするというのだから、本腰を入れた取り組みだ。この「対話の会」を日光でも何らかの形で活かせないかどうかーと、思うのだがー。(以下は原子力市民委員会の呼びかけです)

「図解レポート」を読み解く対話の会を始めます!

https://www.ccnejapan.com/events/21215/

Photo_20260829230401

原子力市民委員会では、東京電力福島第一原発事故から15年の節目に図解レポート『見ればわかる 知れば変わる――福島原発事故15年の現在地』を発表しました。

 

『見ればわかる 知れば変わる福島原発事故 15 年の現在地』

https://www.ccnejapan.com/reports/20401/

 

この図解レポートでは、原発のない社会の実現に向けた道筋を探るため、「31点の課題」を取り上げ、図表を用いてできるだけわかりやすく説明を試みました。
――とはいえ、それぞれの図表にはたくさんの情報が詰まっており、それをすべて読み解くのは必ずしも簡単ではないかもしれません。

 

 

地域で「図解レポート」を読み解く対話の会を企画してみませんか?

 

そこで、このレポートをたたき台として、全国各地で「図解レポート」を読み解く対話の会を開催し、みなさんとともに「公論形成」に取り組みたいと考えています。改めて、「原発のない未来」が実現可能であり、それが気候変動を含む環境問題や経済・社会全体にとって、公正で、よりよい選択であることを確認・周知していくことを目指したいと思います。

原子力市民委員会では、メンバーを講師として派遣するなどして、全国での対話の会の開催をサポートします。この機会にぜひ、「図解レポート」を読み解く対話の会を、みなさんの周りでぜひ企画してください。

※すでに皆さんが地域で開催されている学習会や例会などの一回としての開催も歓迎します。

 

 

企画募集期間
2026年8月~2027年3月(それ以降の企画もご相談に応じます)

 

■原子力市民委員会では以下のような形で開催をサポートします。

・講師派遣(相談のうえ、講師派遣交通費の補助有。オンラインも可)
・「図解レポート」の内容の解説、補足説明
・企画運営の相談・サポート
・対話の会で出た質問への対応など


企画募集にあたってのお願い
・原発の問題に詳しくない方や、若い世代の方も参加できるような場づくりをお願いします。
・対面で30名以上を想定するイベントを優先して調整します。
・図解レポート『見ればわかる 知れば変わる――福島原発事故15年の現在地』は参加者にご購入いただきます(資料代として500円、すでに持っている人は購入しなくて大丈夫です)。

▼企画・お申し込み・ご相談は以下のフォームにご記入ください。

企画・お申し込み・ご相談はこち

 

2026年8月28日 (金)

日光地区0.040µ㏜~0.073µ㏜  「2026年空間放射線量計測」を実施

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「さよなら原発!日光の会」

「2026年日光地区放射線量測定」結果速報

担当=富岡洋一郎・石戸洋子組

  • 8月28日(金)
  • 測定時間 スタート=10時40分、終了12時17分(計97分)
  • 天候=薄曇り、気温27度、微風-
  • 測定条件=測定高さ1㍍、電圧はスタート時5,3V、終了時は5,1V
  • 計測地点=霧降自治会館、所野保育園、今市支援学校、だいや川公園、日光体育館、神橋、清滝小、日光明峰高校、東武日光駅、日光小など計15カ所―
  • 最小=0.040µ㏜(日光明峰高校)、最大=0.073µ㏜(日光だいや川公園)
  • 2025年計測比=-地点8カ所、+地点6カ所、プラスマイナスゼロ=1カ所
  • 走行距離=37km

 

 

 

 

2026年8月27日 (木)

講演「エネルギー危機をどう解決するか」   本番向けプレ企画上映会チラシ2万枚

本番10月31日(土)に向けた「さようなら原発!栃木アクション」のプレ企画のチラシが完成し、8月末から配布へ。岩波新書「原発のコスト」(大佛次郎論壇賞)などで知られ、「原子力市民委員会」座長を務める大島堅一龍谷大教授の講演「エネルギー危機をどう解決するか」を上映する。県内7会場で9月27日~10月18日まで。どの会場でも入場無料。チラシは全2万枚を用意、そのうち日光では2千枚を入手し、配布していく。乞うご期待。 Photo_20260826153101

2026年8月26日 (水)

「甲状腺エコー検査」が「広報にっこう9月号」に  10月17・18日那須塩原アジア学院

市民団体「さよなら原発!日光の会」が掲載について仲介した10月17・18日の「那須塩原甲状腺エコー検査」の有料半段広告が掲載された「広報にっこう9月号」(8月25日発行)が8月25日(火)発行された。同時に日光市HPにもアップされた。「広報にっこう」の発行部数は市内全世帯をカバーする2万8千部。半段広告料金は1万円強だが、全額を甲状腺エコー検査を主催する「関東子ども健康調査支援基金」(事務局・茨城県守谷市 常総生協内)が負担している。エコー検査受診者の自己負担は1人千円。通常は1人6千円前後の費用がかかるが、残額は主催団体が負担している。この「広報にっこう9月号」に触れた日光市の子どもたちのうち、一人でも二人でもこの那須塩原アジア学院の会場を訪れてくれればと思っているー。9 Photo_20260825235301

2026年8月25日 (火)

「唯一の被爆国」が抱える矛盾      岩波新書『非核三原則』、今夏発刊



非核三原則 「唯一の被爆国」が抱える矛盾

岩波新書 新赤版2125

岩波書店 梅原季哉 価格 1,056円(本体960円+税)



発行年月 2026年08月 判型 新書
一九七一年に国会決議された非核三原則。核兵器を「持たない、作らない、持ち込ませない」と宣言する国是は、米国との関係のもと、繰り返し形骸化が指摘された。また国際的な核兵器使用禁止の動きにも、日本は一貫して消極的である。この宣言の成立や、扱いをめぐる政治の流れをひもとき、日本の核への意識・政策を問い直す。

2026年8月24日 (月)

自由の国アメリカでなぜ読まれ続けるのか?   『マルクス・イン・アメリカ』

Photo_20260823222701 「アメリカのマルクスを振り返ることは、まさに世界の左派運動を普遍的に見通すことと同義だ」。中東研究者・酒井啓子さんが読書欄(8月22日 朝日新聞)で、「左派の運動を支える隠れた源流」という見出しで結んでいる。「マルクス・イン・アメリカ」(アンドリュー・ハートマン)。南北戦争、ニューディール政策、リベラル派、人権運動と労働運動、そしてトランプ登場なども含めたアメリカの歴史経過、思想政策、社会現象をよく知ることができそうだ。高価なので日光図書館経由で借り出そうと思う。

マルクス・イン・アメリカ
新日本出版社 アンドリュー・ハートマン 森原公敏 
価格 4,070円(本体3,700円+税)
発行年月 2026年05月 判型 B5
「自由の国」でなぜマルクスが読まれ続けているのか?
序章 カール・マルクス、アメリカン・マシーンの中の妖怪
第1章 アメリカ革命―南北戦争
第2章 労働者階級の英雄―金ぴか時代
第3章 ボリシェビキ―ロシア革命
第4章 預言者―大恐慌
気鋭の歴史学者がアメリカでカール・マルクスが読まれ続けてきた意味を探る。資本主義の典型としてのアメリカに大いに注目したマルクス。アメリカ人も根強い反共宣伝が繰り返される中、搾取、戦争、差別など様々な文脈でマルクスを読んできた。現在進行形の「第四のマルクスブーム」渦中のアメリカとその意味が見える労作!

 

2026年8月23日 (日)

「暗黒社会主義という希望」とは?    ベストセラー斎藤幸平『人新世の黙示録』へ

Photo_20260822232301 「経済思想家」と紹介されている現代日本の売れっ子、若き斎藤幸平さんの新しい本、ベストセラーで知られる「人新世の『資本論』」の続編とあれば、これはまずは読まないといけないだろうとー。きょう8月22日(土)の朝日新聞読書欄の広告では「60万部突破」とある。最終の第10章は「暗黒社会主義の希望」。いわば矛盾したテーマといい、この第10章はとくに気になる。「本やタウン」で検索すると、視点が鋭いことで知られる哲学者・國分功一郎や思想家・柄谷行人も前向きのコメントを寄せている。これも手にしたいと思わせる発言だ。ともあれかなりの人が手にしているのだろうことはわかる。「時代閉塞」が身近に感じられる世界と世間についての現状認識のせいなのか、その出口の糸口を探ろうと、この手の硬い本を読みたいというたくさんの人たちがいるのだね。ともあれ私もその流れの一人になろうと思う。以下は「本やタウン」のこの本の紹介だ。

人新世の「黙示録」

集英社シリーズ・コモン 

集英社 斎藤幸平  価格 1,870円(本体1,700円+税)

発行年月 2026年04月  

気候崩壊によって、世界は恒久欠乏経済に突入した。欠乏から不安が生まれ、その不安がファシズムを呼んでいる。経済格差と欠乏を固定化させるテクノ資本主義もあいまって、他者を切り捨てる選民思想が広がっているのだ。この不安の悪循環を逆回転させ、破局の時代をともに生き抜くためには、どうすればいいのか。その切り札が参加型の計画経済だ。しかし、全体主義にならない計画経済など可能なのか。この矛盾を気鋭の経済思想家が解決し、未来への扉を開いていく!

第一章 気候崩壊による恒久欠乏経済
第二章 テクノ資本主義で進むファシズム
第三章 「世界の終わり」と加速主義
第四章 計画経済が全体主義を連れてくるのか
第五章 「ハイエクの呪縛」を解くために
第六章 デジタル社会主義は可能か
第七章 ハイエクの盲点と「緑の戦時経済」
第八章 晩期マルクスの独裁論
第九章 エコロジー独裁への道
第一〇章 暗黒社会主義という希望

"【戦争と選民ファシズムの時代が到来。「世界の終わり」を生き抜くための羅針盤!】
世界的ベストセラー『人新世の「資本論」』続編!!
資本主義が招いた気候崩壊。そこから世界は極度の欠乏経済へ。奪い合いの不安のなかで、他者を切り捨てる「選民ファシズム」が蔓延し戦争も次々と勃発する。破滅への行進をどう止めるのか? 気鋭の経済思想家が、その秘策を提示する!
【各界が絶賛!】
■落合陽一氏(メディアアーティスト)
久しぶりに赤線を引きながら唸った。反論したい箇所ほど面白い、稀有な本。
■三牧聖子氏(国際政治学者)
飽くなき技術革新が人類を救う――そう囁くテック・エリートが造る「ノアの方舟」にあなたの席はない。普遍的な人類の救済へ、ラディカルな希望をつなぐ書。
■國分功一郎氏(哲学者)
「暗黒社会主義」の衝撃。この絶望的な提案が、私たちの大きな希望になる!
■柄谷行人(思想家)
資本主義の暴走による諸システムの崩壊により、少数の富裕層以外は地獄のような苦境に追いやられ始めているという著者の絶望を私も共有している。本書が提言する、新たなる「計画経済」「プロレタリア独裁」の行方を見守りたい。


・気候崩壊によって世界は欠乏経済へ
・なぜ、戦争が止まらない時代になったのか?
・「選民ファシズム」にどう対抗するのか?
・テック・エリートたちは「世界の終わり」にどう適応しようとしているのか?
・欠乏と格差を固定化させるテクノ資本主義
・不安の悪循環を逆回転させ、「破局」の時代を共に生き抜くための切り札とは?
【目次】
はじめに――未来はファシズムだ!
1:気候崩壊による恒久欠乏経済
2:テクノ資本主義で進むファシズム
3:「世界の終わり」と加速主義
4:計画経済が全体主義を連れてくるのか
5:「ハイエクの呪縛」を解くために
6:デジタル社会主義は可能か
7:ハイエクの盲点と「緑の戦時経済」
8:晩期マルクスの独裁論
9:エコロジー独裁への道
10:暗黒社会主義という希望
おわりに――名もなき者たちの「黙示録」

【著者略歴】
斎藤幸平 (さいとう・こうへい)
1987
年生まれ。経済思想家。東京大学大学院総合文化研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marxs Ecosocialism:Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economyによって「ドイッチャー記念賞」を日本人初、歴代最年少で受賞。『人新世の「資本論」』(集英社新書)で「新書大賞2021」を受賞。同書は19言語に翻訳され、世界的ベストセラーとなった

 

 

2026年8月22日 (土)

再び「力による支配」を横行させないために  国際刑事裁判所所長・赤根智子さんインタビュー

国際刑事裁判所の赤根智子所長のインタビュー。2024年初秋に記事になっていたのですね。twitterで海渡雄一弁護士がアップしていたので知りました。少し長いが、国際刑事裁判所の位置づけなどがわかる内容です。トランプの暴走を諫めて、これをストップさせる役割が日本にあるはずだがー。

インタビュー)法の支配、揺らぐ世界で Photo_20260822125501 所長・赤根智子さん

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 世界で「法の支配」が揺らいでいる。法に基づいて個人の戦争犯罪などを裁く国際刑事裁判所(ICC)は今、ロシアのみならず、民主主義の旗振り役を自任する米国からも圧力を受けている。今年3月に日本人初のICC所長に就任した赤根智子さんに、何が起きているのか、日本の役割とは何かを聞いた。

 ――ICCは昨年、ロシアのプーチン大統領や側近に、ウクライナ侵攻をめぐる戦争犯罪容疑で逮捕状を出しましたが、いまだ逮捕に至っていません。

 「我々も逮捕状を出す以上は、最終的には逮捕して裁判を経て結論を出すべきであり、逮捕状さえ出せばそれでよいとは思っていません。実際、ICC締約国でない国の個人は、締約国に行かない限り逮捕することが困難です。一方で、将来を見据えれば、締約国が増えていくと実効性は高まります。ですから締約国は、非締約国に対してICCに加わるよう働きかけてほしいのです」

 ――しかし今月、締約国のモンゴルがプーチン大統領を逮捕せずに訪問を受け入れました。

 「具体的な事案についてのコメントは控えます。一般論を申し上げると、重大な国際犯罪の刑事責任を追及する国際条約『ローマ規程』では、締約国のICCへの協力義務をうたい、逮捕と身柄の引き渡しの義務があると記されています。協力の実行に問題がある場合、その締約国はICCに事前に相談することもできる。締約国が協力義務を果たさず、ICCの業務が妨害された場合は、その旨の認定をして締約国会議に付託する仕組みがあります」

 ――国際刑事裁判所(ICC)と国際司法裁判所(ICJ)はよく混同されがちですが、役割の違いは何ですか。

 「ICJは国連加盟国全てを管轄下に置き、基本的に国と国との紛争を解決する国連の裁判所です。一方、ICCはローマ規程に加盟した国でつくる裁判所で、対象も国家間の紛争ではなく、四つの中核犯罪であるジェノサイド(集団殺害)、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略犯罪を犯した『個人』を、刑事的に裁く国際機関です。現在は日本を含む124カ国が締約国となっています」

 「ICCの源流は、第2次世界大戦後に、戦争犯罪などで個人が裁かれた東京裁判や、ナチス・ドイツ指導者を裁いたニュルンベルク裁判にさかのぼります。これらの裁判では、戦勝国によって個人が刑事的に裁かれ、被告の人権が十分守られていなかった。個人を戦争犯罪などで裁くのに、恒久的な法的ルールに基づく国際的な裁判所をつくるべきだとの議論があり、2002年に設立されました」

 ――ただ、米国やロシア、中国といった大国が、ICCの締約国になっていません。

 「全ての国連加盟国が締約国となれば、管轄は全世界に及びます。それが当初の理想でした。しかしそうした国がいまだに締約国とならないのは、自国の指導者や自国民が処罰されるのではとの懸念を払拭(ふっしょく)しきれないということだと思います」

     ■      ■

 ――米政権はプーチン大統領への逮捕状を歓迎しつつ、ICCがイスラム組織ハマス幹部と同時に、イスラエルのネタニヤフ首相らに逮捕状を請求したことに反発しています。米下院は6月、ICC関係者に経済制裁を科す法案を可決しました。

 「我々は裁判所なので、政治的意図も、どこかの国に対抗しようという意識もありません。あくまで『法の支配』に基づき、独立性・中立性を保ち、犯罪を捜査・訴追・処罰するのが任務です。ICCの法的判断に意見を述べるならともかく、自国の政治的利益のため、一方的な立法でICCに経済制裁を科すべきではありません」

 「第2次世界大戦後、国連などの国際機関がつくられ、世界を『力による支配』から『法の支配』に変えていこうと、様々な国が努力を重ねてきました。ここで『力による支配』を容認してしまえば、これまで築いてきた努力が水の泡となり、再び『力による支配』が横行してしまう。今の国際社会で『法の支配』の正当性がゆがめられやしないかと懸念しています」

 ――トランプ米前政権は20年、アフガニスタン戦争での米兵らの戦争犯罪を捜査したICC検察官らに経済制裁を科しました。影響はどうでしたか。

 「当時の検察官とその部下の2人に制裁が科され、彼らは米国への入国禁止のほか、米国内の資産は凍結、米国と関係のある欧州の銀行との取引も停止され、家族への送金もできませんでした」

 「米下院で今回可決された制裁が実行され、対象が裁判官、検察官全体に広がれば、その影響は計り知れません。米国から2次制裁をかけられることを恐れ、銀行や企業がICC職員だけでなく、ICC自体との取引も停止しかねない。そうなれば、ICCの機能はまひし、ハマスやイスラエルの事件だけでなく裁判中の事件全てが停止し、ICCで証言しようとしていた世界各国の証人にも危害が及ぶ可能性があります。これは、ICCをテロリストと同様に扱うということです」

 ――米国のそうした対応をいさめる国はないのですか。

 「英国やフランス、イタリアなどを含め多くの締約国はその危険性を認識し、締約国会議でも、『法の支配』の重要性とICC保護を宣言する議長声明を出すなどしています。『力による支配』を後押しする動きと、それではいけないと声をあげる締約国の動きが今、せめぎ合っています。日本を含む締約国は、米国に対し、自国の政治的利益を守るために、こうした行動をとるべきではない、と発信する必要があります」

 ――ロシア政府もプーチン大統領への逮捕状に反発し、赤根所長らを指名手配しています。こうした圧力によるストレスと、使命感のバランスをどのようにとっているのですか。

 「日本での検事時代にも、何らかの圧力を受ける可能性はあると認識していました。だからこそ我々は、政治的、外交的な圧力に屈せず、あくまで法と証拠に基づいて手続きを進める覚悟で仕事をしていました。こうした気概はICCでも同じです」

 「この原則を崩せば、裁判所とは何か、ICCの検察官の使命は何か、ということが正面から否定されてしまいます。捜査機関や司法機関はそうした使命の上に成り立っており、どのような圧力があっても、その原則は崩せません」

    ■      ■

 ――日本はICCに07年に加盟し、最大の分担金拠出国です。どのような役割を担うべきでしょうか。

 「日本は国際的にも『法の支配』を標榜(ひょうぼう)し、その重要性を広く訴えてきた国です。だからこそ日本政府は同盟・友好関係を育んできた米国に、様々な対話を通じて『法の支配を崩してはならない』と説得する必要があります。米国がICCの活動に不満を抱いても、力によって断念させるような手段をとるのでなく、『法の支配』の中で解決すべきで、米国も元々は『法の支配』を標榜している国だと再認識してほしい、と強く言える立場にあるはずです」

 「締約国の少ないアジアの国々にも、ICCが世界で果たす役割の重要性を訴え、締約国になるよう働きかけてほしい」

 ――日本が「法の支配」の旗振り役をすべきだということですね。

 「そうです。ただ、日本の国内法は十分とは言えません。ローマ規程にある戦争犯罪など中核犯罪を犯した人が入国しても、日本には適切に処罰する法律が十分でない。ジェノサイド条約も批准していない。また、それゆえに日本の検察官や裁判官も中核犯罪への知見や経験がなく、中核犯罪の捜査・裁判はもちろん、ICCに協力することも難しいとさえ感じます。日本が目先の利益ではなく、永久に平和で、他国から信頼される国になるには、日本自らが『法の支配』を国内で体現するだけでなく、ICCの役割を補完する体制を作ることが大事です」

    ■      ■

 ――大国が「力による支配」に傾き、ICC締約国も十分にその役割を果たせていない。「二重基準」がはびこり、世界で「法の支配」が揺らぐなか、ICCの存在意義をどう考えますか。

 「現在、欧州も含め様々な国で紛争が起き、国際的あるいは国内的な武装グループによる戦争犯罪も増えています。そうしたなか、ICCに事案を付託する国、また締約国も徐々に増えてきている。ICCが、事件を公正に裁いてきた地道な積み重ねが実りつつあるとも言えます。ICCは『法の支配』を標榜するだけでなく、裁判という形でそれを担保していきます」(聞き手 編集委員・佐藤武嗣、佐藤達弥)

     *

 あかねともこ 1956年生まれ。82年に検事任官。最高検察庁検事、函館地方検察庁検事正などを経て、2018年に国際刑事裁判所判事。今年3月から現職。

 

 

2026年8月21日 (金)

フランス料理の珍味「カタツムリ」  戦時下の食は「飢えさせまい」とー

 「戦時下の食」、評論家・斉藤美奈子さんのきょう8月20日(木)のこの朝日新聞記事は興味深く読めた。「戦後81年 『飢えさせまい』婦人誌の奮闘」「野草の食べかたからカタツムリの活用まで」「もの言えぬ決戦モード 食糧難を招く政治こそ問わねば」。

 私の少年時代は昭和30年代後期。夕食の味噌汁のため、水遊びのメッカである近くの川へ「シジミ」を採りによく出かけたことがある。秋になると、毎年、弁当持ちで近所仲間による「イナゴ」採りも行っていた。だが、「カタツムリ」の活用は見聞したことがない。

 ただし、その頃は戦後から10数年経っているが、遊び場にしていた街の外れの工場跡には空襲を受けた工場のレンガ積みなどが残されていた。当時はまだ太平洋戦争の残影があったのだね。

 当時のレシピに関心があるので、斎藤美奈子さんのこの本、「戦下のレシピ」は読みたい一冊だねー。



戦下のレシピ

太平洋戦争下の食を知る
岩波現代文庫 S291

岩波書店 斎藤美奈子  価格1,331円(本体1,210円+税)


発行年月2015年07月   判型文庫
十五年戦争下の婦人雑誌の料理記事は、銃後の暮らしをリアルに伝える。配給食材の工夫レシピから、節米料理の数々、さまざまな代用食や防空壕での携帯食まで、人々が極限状況でも手放さなかった食生活の知恵から見えてくるものとは?再現料理もカラーで紹介。「食」を通して「戦争」を考えるための「読めて使える」ガイドブック!文庫版では敗戦後(占領期)の食糧事情を付記した。

1 昭和のモダンな食文化(戦前のレシピ)(農村の食と都市の食;婦人雑誌と家庭の料理)


2 総力戦は節米から(日中戦争下のレシピ)(料理にも大東亜共栄圏の影;節米料理ってなんだ;官民あげての節米ブーム;なぜ米が足りなかったのか;栄養基準という皮肉)


3 お台所の戦闘配置(太平洋戦争下のレシピ)(配給時代の食生活戦争;たんぱく源を結集させろ!;食糧戦を勝ち抜こう;米とうどんのアクロバット;トントントンカラリと共同炊事;小春日和の手作りおやつ)


4 壮絶な決戦非常食(空襲下のレシピ)(戦争末期はサバイバル;いもとかぼちゃの下剋上;こんなものまで食べていた!;こんろも調味料も代用品;空襲警報が鳴ったら)


5 戦争と食生活(焼け跡のレシピ)(戦下のレシピから見えるもの;なぜ戦争は食糧難を招くのか)Photo_20260820215201

一五年戦争下の婦人雑誌に掲載された料理記事を通して、銃後の暮らしや戦争について知るための「読めて使える」ガイドブック。

2026年8月20日 (木)

今季も恒例の「日光市内空間放射線量測定」へ    8月28日(金)二人一組で「日光地区」から

「さよなら原発!日光の会」による恒例の「日光市内空間放射線量測定」ー。今季は8月、9月を「測定月間」と決めておりますが、その第一弾は日光地区が395260074_6627075684087889_5685_20260819213001 行います。来週8月28日(金)10時半~正午で、T・I組が実施します。放射線量測定について、Iさんは初めてですが、この手の測定方法や機器操作を複数の会員が知っておくことがベターだろうと。測定機器は新品がいいのですが、今年はこれまでと同様、「日光の会」が所持している「計測技研」の測定器を使います。この機器は数値を正確に測るために機器を調整する、いわゆる「校正」を経ておりません。このため、測定結果は「日光地区ではだいたいこの程度の放射線量を記録しております」という「参考数値」になります。写真は「計測技研」の測定機器です。

 

2026年8月19日 (水)

人民委員会議長代理を断った理由について    「レーニン『遺書』物語」のトロツキイ

 Photo_20260818234501 トロツキイのレーニン代理の拒否理由―それはトロツキイがユダヤ人の出身であるということであった。そのことをトロツキイはこう語る。



 10月蜂起のさいにもレーニンは自分に内務人民委員に就任するよう求めたが、そのとき自分は、もしユダヤ人がそんなポストについたら敵に切り札を渡すようなもので、初代のソヴィエト政府にはユダヤ人はひとりも入らないほうがいいと思うと答えた。もちろんレーニンはそんなくだらないことと一笑に付したが、しかし、少しは考えたようであった。事実、内戦の時、敵側はユダヤ人が赤軍を率いていると宣伝した。そのことが大きな妨げになった。個人的には大きな問題ではないが、政治的な契機としては重大なことであり、自分は片時もそのことを忘れたことはない。人民委員会議長の代理を提案されたときも、ユダヤ人が国を治めているといった口実を敵にあたえまいとしてだんこ拒否したのだ。それをレーニンもわかってくれたようであった。

 これが真相である。トロツキイはソヴィエト政権のことを思えばこそレーニンの代理になることをことわったのである。志の高さにおいてトロイカ側(スターリン、カーメネフ、ジノーヴィエフ)とあまりに対照的である(『レーニン「遺書」物語 背信者はトロツキイかスターリンか』)(236頁~237頁)(藤井一行 教育史料出版会 1990年10月30日初版発行)。

 

2026年8月18日 (火)

自主上映会「波打ち際に足跡を残す」  子ども甲状腺がん裁判の原告がカメラの前に立つ

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STORY

黒潮と親潮が交わる福島県の浜通りで育ったこはくは、震災当時6歳。激しい揺れと車で逃げた記憶はあるものの、ほとんど何も覚えていない。友だちにさようならも言えないまま会津に避難した。

その彼女に甲状腺がんが見つかったのは、中学生のとき。福島県が実施する甲状腺検査で発覚した。

福島県では今、この検査によって、400人もの子どもが甲状腺がんと診断されている。しかし、子どもの甲状腺がんが増えているという事実そのものが風評とされ、社会的なバッシングにさらされる中、当事者は名前や顔を出すことはおろか、存在さえ隠して生きている。

そんな空気を変えたい。
甲状腺がん裁判の最年少の原告であるこはくが今、カメラの前に立ち、自らの言葉を語り始めた

 

2026年8月17日 (月)

原発なしでも成立する国家をめざすことがー   丸山健二「生きることは闘うことだ」

「さようなら原発1000万人」市民の会の呼びかけ人、作家・落合恵子さん(宇都宮出身)が、自身のエッセイ『明るい覚悟』で丸山健二さんの『生きることは闘うことだ』に勇気づけられたと書いていました。いずれも「4行」から成る朝日新書の丸山本を開くと、繰り返し真正面から原発批判をしておりました。芥川賞作家がここまで手厳しく原発批判を展開するとは思いもしませんでした。ということでご参考にその中でも印象的な言葉をアップします。

 

芥川賞作家・丸山健二『生きることは闘うことだ』(Photo_20260817213001 新書 2017年3月30日第一刷)

  • 万難を排して原発なしでも成立する国家をめざすことが、唯一絶対の未来にほかならず、その他は利欲の悪臭がぷんぷんと付きまとうまやかしにすぎない。人の作った物はすべて危険であるから致し方ないのだとする論法に誑(たぶら)かされてはならない。原発の危険性は尋常一様ではないのだ。忘れてはならない。

 

  • 原発はもうやめるべきだ。現在使用中の原発もやめるべきだ。それにしても、地熱という発電によるかなりの有効な道が残されていたのにもかかわらず、どうしてこれほどまでに危険な原発の方向へと舵を切ったのか。原発が一基増えるたびに電気料金が値上げされていくことと深い関係があるのではないか。

 

  • いつしか知らず〈原発犯罪〉への怒りは馴致(じゅんち)されてしまい、それどころか、そんな悲劇など元々存在しなかったかのような悪しき方向へ民心が誘導され、被曝や強制転居という直接の害を被らなかった人々は、ただそれだけで福々しい相を取り戻し、もの問いたげな眼差しすら、もう忘れてしまっている。

 

2026年8月16日 (日)

「狂気の時代 ーー人類と核の80年ーー」 「核」を追いかけてきた記者の集大成か

Photo_20260816200801 気になる新刊本のひとつ。9月8日発売とか。「狂気の時代ーー人類と核の80年ーー」。確か「地平社」から。著者は共同通信編集委員の太田昌克記者。一貫して核を追いかけてきた記者として知られる。このテーマでは信頼できる著者だ。題名も魅力的で、ぜひ手にしたい本だ。最近発刊しているのは「核クライシス」。題名からして、読んでいるだろうと思ったら、いやはや勘違い。2024年8月発刊だから、まだ手にしていない。これはとりあえず「核クライシス」を読まないといけない。その「核クライシス」の紹介も。
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狂気の時代――人類と核の80年
2026.08.06
2026年9月の新刊
太田昌克(著)
2026年9月8日発売
核と狂気の現場と証人たちを取材しつづけてきた国際的ジャーナリストの集大成
核戦争による人類絶滅という断崖の淵をさまよいつづけた80年間。核使用の悪夢が再び現実となりかねない今、絶望とカオスは去っていない。
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核クライシス

瓦解する国際秩序 ハヤカワ新書 030 早川書房 太田昌克

価格 1,210円(本体1,100円+税) 発行年月 2024年08月



判型 新書

ウクライナ侵攻を機に小型核使用をちらつかせるロシア、保有核弾頭を倍増させる中国、ミサイル発射を繰り返す北朝鮮、核大国アメリカの弱体化と混迷、そして形骸化が進むNPT(核拡散防止条約)体制。核はなぜなくならないのか。唯一の被爆国・日本を取り巻く混沌とした核情勢に出口はあるのか。核問題に精通し、外交の最前線を長年取材してきたジャーナリストによる大型連載「核カオスの深淵」(国際文化会館ジャーナリズム大賞ファイナリスト)を書籍化。巻末に「核の用語集」を掲載。


第1章 うごめくサソリたち 二匹から三匹へ
第2章 ウクライナ侵攻の源流
第3章 侵略された「核を諦めた国」
第4章 ドキュメント「ブダペスト覚書」
第5章 侵略の代償
第6章 瓦解する核秩序
付録・核の用語集(五十音順)______________

著者について
太田昌克
太田 昌克 (オオタ マサカツ) (著)
(おおた・まさかつ)1968年富山県生まれ。共同通信編集委員(論説委員兼務)。早稲田大学と長崎大学で客員教授。博士(政策研究大学院大学)。92年に共同通信入社後、広島支局を振り出しに核問題を国内外で30年以上、取材。ボーン・上田記念国際記者賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞を受賞。主著に『日米「核密約」の全貌』、『核クライシス』。テレビ朝日「報道ステーション」などのニュース番組でレギュラーコメンテーターを務めてきた

 

2026年8月15日 (土)

人口の約9割は戦後生まれ    2026年終戦の日「天声人語」

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81回目の終戦記念日、「天声人語」であの夏の日をー。このコラを読んでいて「そういえばー」と思ったのがこのところ。「日本の人口の約9割は戦後生まれになった」。かくいう私でさえ、生まれは朝鮮戦争が始まった1950(昭和25)年なのだから。「明治は遠くなりにけり」はもちろん、「昭和は遠くなりにけり」。そうだ、この日にふさわしい映画といえば、「日本の一番長い日」かもと。この映画はもう一度観てもいいかもと。

(天声人語)「終戦の日につなぐ記憶

 大学に入学間もない19歳、20歳の若者が、同じ大学の昔の先輩に戦争体験を聞きにいく。1998年、慶応大でそんな授業が行われた(「ぼくらの先輩は戦争に行った」)▼学生たちは正直に書いている。「面倒臭い」「戦争の話題には飽き飽き」。気乗りせず、緊張したまま、89人の学生たちは、先輩たちを訪ねる▼80歳の男性は、誰に見せるわけでもなく、あふれる戦争体験を書きためていた。訪ねてきた20歳に「あなたがはじめて読む人です」と紙の束を渡した。他にも、人間魚雷「回天」に乗り込む直前に終戦を迎えた人、ジャワ島で病死した弟の遺骨を抱えながら捕虜生活を送った人もいた▼凄惨(せいさん)な体験が淡々と、時に冗談すら交えて語られる。学生たちは戸惑いつつも、やがてそれが戦時を生きることなのだと気づく。そして、「なぜ」が次々と湧いてくる。なぜ軍国主義に抵抗しなかったのか。なぜ負けるとわかっていて戦ったのか。聞き書きが終わるころ、彼らは心を揺るがす経験として戦争を受け取り始める▼あの授業から28年。学生たちは40代後半になり、話をした人の多くは鬼籍に入った。だが、50年を経て引き継がれた記憶は、戦争を考える手がかりであり続けるだろう▼日本の人口の約9割は、戦後生まれになった。人を殺し、殺されること、飢えて死ぬとはどういうことか。自ら語る人がいなくなったとき、上滑る言葉と、先走る行動を止めるものは何だろうか。そんなことを考える、81回目の終戦の日だ。

 

 

2026年8月14日 (金)

身体の衰えを実感させられてしまうのだがー  「ラジオ体操第一、第二」

半月ほど前から「ラジオ体操第一、第二」を初めている。NHKラジオで零時半から放送しており、それに合わせて始めた。でも講師の掛け声だけではいまいち動作がわからない。なので、同時にネットの動画「ラジオ体操第一、第二」を開いて、画面も観ながらやっている。だが、ラジオ体操第一を最初から最後までやるだけでもう「へとへと」。いかに体力が落ちているかを、実感させられる。ということで、きょうはラジオ体操第二はネット画面を観ながら、椅子に座ったまま手足を動かす方法も試してみた。この第一、第二をやるだけで身体が少しほぐれていくのはわかる。しばらく続けることで、第一で「へとへと」ではなく、だんだんとだが、すっきり終えることができるようになるのではないか。と、期待しているのだがー。それにしても若きころ、バスケット選手であり、マラソン選手であり、空手の流派全国大会に出場していたことが嘘のよう。そんな身体の落ち込みようだと思う。残念だが、その現実を受け入れながら、少しでも身体をほぐしていけたらと。明日もラジオ体操第一、第二へ(笑い)-。

 

Photo_20260814124701 https://www.youtube.com/watch?v=qbdxGsKmtEE

 

 

2026年8月13日 (木)

「セロ弾きのゴーシュ」の変形か   人気絵本「どうぞのいす」

絵本「どうぞのいす」を読んだ。「クレヨンハウス」主宰の落合恵子さんがエッセイ『明るい覚悟』で推薦している絵本22冊のうちの一冊だ。わすか31頁の「物語」だが、童心に帰ることができた。〈これは何かに似ているぞ〉ーと、思ったら、「わらしべ長者」の変形かもと。いや、「セロ弾きのゴーシェ」の変形かもと。ウサギが木の根元に自分が制作した「どうぞ」のいすを置いたところ次々と動物たちがやってくる。クマ、キツネ、リス。そこでめいめいがそこにある食べ物をいただくが、「後から来るものに悪い」と考えて、代わりの食べ物を置いていく。どんぐり、はちみつ、やきたてぱん、そして、くり。最初の「ロバ」はその間、いっぱいの「どんぐり」をいすに置いておいたつもりで、おひるねしている。目覚めたら、それが「栗」に変わっている。「あれれぇーどんぐりって、くりのあかちゃんだったかしら」とつぶやくのがミソか。もっとも、結語は「まさか!おひるねが、すこしながすぎたんですよね」ー。いやはや、短いけれと、おもしろい。ネットで検索していたら、確か「100万部」も出ているという。初版は1981年11月。日光図書館で借りたこの絵本は2008年2月で、すでに「79刷」もー。そんな人気があるのもうなづける展開だ。 

 

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2026年8月11日 (火)

「世界の中の日本」を捉え直す     加藤陽子「となりの史学ー戦前の日本と世界ー」

確か半月ぐらい前の朝日新聞の書籍広告で知った「となりの史学」ー。加藤陽子さんと言えば、著書『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(2010年 小林秀雄賞)で知られる。というか、日本学術会議の新会員候補に推薦されたが、菅内閣から理由も示さないまま、任命を拒まれた6人の学者のひとり。満州事変から太平洋戦争へという政治、外交、行政、軍部の分析には定評がある。その彼女の最近の著書ということで読みたくなった。発刊は2025年5月。もう一年は過ぎていたのだね。若いと思っていた加藤さんだが、今年春に定年退職し、東大名誉教授に。もうそんな年齢なのかとやや驚く。この本、日光図書館から借り出して読み始めているところですー。

(以下はウィキペディアから)

2013年成立の特定秘密保護法には反対し[2]、また、2014年には立憲デモクラシーの会の呼びかけ人の一人となった[9]2020年には、日本学術会議の新会員候補に推薦されたが、他の5名の候補とともに、内閣総理大臣菅義偉によって任命を拒否された[2][10]2026年3月31日、東京大学を定年退職。その後、東京大学名誉教授。

以下は「本やタウン」の本の紹介。



となりの史学

戦前の日本と世界

毎日新聞出版 加藤陽子(日本近代史) モリナガ・ヨウ 





価格2,200円 (本体2,000円+税) 発行年月 2025年05月
判型 四六判
日本近代史をはじめ、隣接領域である西洋史、東洋史、グローバルヒストリーなど世界史の面白さを堪能。歴史学者と手描きイラストルポライターによる類を見ない画期的な一冊!なぜ戦争は避けられなかったのか。日本近代史の視点で世界史を横断し、「世界の中の日本」を捉え直す。私たちは今、何をすべきか。

第1章 日中の戦争観―歴史認識を問い直す[日本と中国1](海の向こうは… 世界の中の日本と中国『国境を越える歴史認識 日中対話の試み』―1;重慶で私も考えた 中国重慶の国際会議で触れた中国研究の最前線『国境を越える歴史認識 日中対話の試み』―2 ほか)


第2章 競存から緊張へ変化した日中関係―私たちは今、何をすべきか[日本と中国2](苦難の中の日中関係 対立と共存『対立と共存の歴史認識 日中関係150年』―1;日中関係、どこからやり直すか 『対立と共存の歴史認識 日中関係150年』―2 ほか)


第3章 西洋と東洋を結ぶ架け橋へ―何が日ロ関係を転換させたか[日本とロシア](ロシアが残した日本史への刻印 『日ロ関係史 パラレル・ヒストリーの挑戦』―1;花も実もある日露関係 拮抗する二国関係において「真実ならざるもの」を見抜く『日ロ関係史 パラレル・ヒストリーの挑戦』―2 ほか)


第4章 明治日本はイギリスに何を求めたのか―日本人の英国観の変遷[日本と英国](一つに収斂しない日英関係の姿 『日英交流史 1600‐2000』全5巻―1;ギャップに満ちた日英関係 『日英交流史 1600‐2000』全5巻―2 ほか)


第5章 東アジアの国際情勢にみる日独関係―「同盟」の真のかたちとは[日本とドイツ](東アジア情勢のPhoto_20260811221101 中で語られる日独関係 『日独関係史 一八九〇‐一九四五』―1;日独関係における相互イメージ 『日独関係史 一八九〇‐一九四五』―2 ほか)



 

2026年8月10日 (月)

自堕落な役人が事件では凄腕を    藤沢周平「霧の果て 神谷玄次郎捕物控」

藤沢周平全集第13巻は「獄医立花登手控え」が中心だが、この「霧の果て 神谷玄次郎捕物控」もある。第13巻の後半がこれ。これも積読のままで読んだことはなかった。が、いざ読み始めたら、これも面白いこと。ことに主人公、八丁堀の同心、神谷玄次郎の自堕落なふだんはやる気のないお役人ぶりの一方、事件についての抜群の推理力という組み合わせがなんともいえない。さらに玄次郎のこの性格には幼い頃の一家の悲劇も影を落としているー。藤沢周平があえてそういう設定をしたのだろう。「よろずや平四郎活人剣」から藤沢周平の時代物を手にする毎日だが、まぁ、こんな日々もあってもいいかなと。この「霧の果て」は文庫本にもなっているのだね。

霧の果て 新装版

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文春文庫 ふ1ー47文藝春秋藤沢周平759円(本体690円+税)

発行年月
2010年09月 判型 文庫
北の定町廻り同心・神谷玄次郎は14年前に母と妹を無残に殺されて以来、心に闇を抱えている。仕事を怠けては馴染みの小料理屋に入り浸る自堕落ぶりで、評判も芳しくない。だが事件の解決には鋭い勘と抜群の推理力を発揮するのだった。そんなある日、川に女の死体が浮かぶ―。人間味あふれる傑作連作短篇集

 

2026年8月 9日 (日)

若き小伝馬町の獄医が「難事件」を解決   藤沢周平「獄医立花登手控え」

「よろずや平四郎活人剣」が面白かったので、次に積読だった「獄医立花登手控え」へ。たまたま全4巻の最終巻が第13巻に。高原の居間で扇風機の心地よい微風を受けながら手にしている。この物語もまた展開が面白く次々と。その第4巻を読み終えるところだ。柔術の達人で江戸は小伝馬町の獄の医者という設定がうまい。その獄を主舞台に物語が推理小説のように展開していく。この推理小説風というところが、「よろずや平四郎活人剣」とは大きく違った点だ。「犯人はだれか?」。読み手にそう思わせながら進む手法もさすがの「藤沢周平」と感心してしまう。第4巻はあと1話のみ。ナガサキから81年のきょう8月9日(日)にも読み終えるだろうー。さらに第1巻、第2巻、第3巻もかー。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『獄医立花登手控え』(ごくいたちばなのぼるてびかえ)は、藤沢周平による日本時代小説連作短編集シリーズ。「青年獄医立花登」(せいねんごくいたちばなのぼる)と題して『小説現代1979年1月号から1983年2月号に連載、改題して講談社より1980年から1983年にかけて全4巻が刊行された。叔父を頼り東北の小藩から江戸へやってきて伝馬町牢屋敷にて獄医を務めることとなった若い医師が、囚人たちにまつわる事件を得意の柔術と推理で次々に解決していく姿を描く[1]

あらすじ

東北の小藩出身の若い医師・立花登は、江戸で活躍するという叔父の医師・小牧玄庵に憧れて江戸へとやってくる。しかし、その叔父は実際には酒に溺れ妻の尻に敷かれた流行らない医者であり、居候した叔父の家では下男扱いで口やかましい叔母とその娘・ちえにこき使われ、さらに叔父が帰郷時に「幕府の御用にあずかる」と吹聴していた小伝馬町の獄医の仕事までも押し付けられることとなる。若き医師・登は、この獄医の仕事を通して出会う「訳あり」の囚人たちにまつわるさまざまな事件を、身につけた起倒流柔術の妙技とあざやかな推理で次々に解決していく[1]

 

2026年8月 8日 (土)

「新生日本のために先駆けて散る」  傑作「戦艦大和ノ最期」(吉田満)

「戦艦大和ノ最期」については数日前にも書いているが、きょう8日(土)、はこの作品について、作者・吉田満が語っている貴重な肉声を聴いたので再び内容を深めてアップへ。毎週土曜昼のNHKラジオ番組「保阪正康が語る昭和人物史」から。全3回のうち8日が2回目。「戦艦大和ノ最期」の執筆動機について。沖縄特攻作戦で大和が沈没したのは1945年4月。3千人以上いた乗組員のうち9割が海の藻屑と消えた。生き残った吉田がこの作品を書いたのは、それから半年後。クライマックスは艦内の士官ルームでの殴り合いの論争だ。海軍兵学校卒の「職業軍人」と学業半ばで海軍士官となった「学徒兵」の両グループがこの無謀な特攻作戦をめぐり、お互いの立場から論争を繰り広げる。論争は結局、海軍兵学校卒で吉田と同年代の21歳の大尉の言葉で鎮まる。「俺たちは新世日本のために先駆けて散る」。戦中派の彼が戦後を生き直すため、その体験を第3者の視線で、わずか1日で「筆の走るままに書いた」という作品だ。3回目は「敗戦記念日」の来週8月15日(土)にある。ウィキペディアによると、この本の「刊行経緯」が興味深い。1946年12月に雑誌「創元」創刊号に掲載される予定だったが、GHQの検閲で全文削除となり、ゲラ刷りが没収されたという。全文削除については私も知らないでいた。「決定稿保存版」は1974(昭和49)年だったという。 Photo_20260808140401

2026年8月 7日 (金)

2021年に講談社学術文庫で新訳出版  「一外交官の見た明治維新」(アーネスト・サトウ)

Photo_20260807154601『一外交官の見た明治維新』(アーネスト・サトウ) 読んでいたと思っていたが、いやはやこんな大事な本なのに考えたらまだ読んでいなかったー。これはぜひものだと。いずれ日光図書館経由で借り出そうと思う。

幕末の日本に、好奇心や冒険心が強く、何より人の懐にすっと入り込む青年外交官がいた。英国外務省から派遣されたアーネスト・サトウ(1843~1929)である。彼が晩年に書いた回顧録「一外交官の見た明治維新」は、読者をあの時代に連れて行ってくれる。

 ■アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』(1921)

 サトウはロンドン生まれ。日本の「佐藤」とは関係がなく、欧州大陸系の姓だという。日本に興味を持ったのは全くの偶然からだ。兄が借りてきた本にあった日本の記述に魅せられ、外務省の通訳生に応募した。

 1862年に日本の地を踏んだときはまだ19歳だった。来日して6日目に、薩摩藩士による英国商人の殺害、すなわち生麦事件が起きる。そこから先は通訳として、薩英戦争、四国艦隊下関砲撃など多くの重要事件の現場に居合わせた。

 事件を描くサトウの筆致は、まるで冒険活劇だ。生麦事件の賠償を求めるため、鹿児島湾に赴いた英国の軍艦に、40人ほどの薩摩藩士たちが乗り込んできた。彼らは交渉団ではなく、暗殺団だった。〈領主と惜別の盃(さかずき)を交わしてからやってきたのであり、イギリスの官人を不意打ちしてできるだけ多くを手にかけ、特に重要人物を殺すつもりであった〉(鈴木悠訳)。暗殺の企ては成就しなかったが、賠償交渉も進まず、号砲が突然鳴って戦闘が始まった。

     *

 英国人たちが薩摩の船から略奪を働いた場面も、隠さず描いている。〈我々は一斉に押収した船へと殺到し、掠奪(りゃくだつ)をはじめた。私は日本の火縄銃と黒い円錐(えんすい)型の軍帽(陣笠)を持っていったが、軍人の一部は一分銀や二分金などのお金を発見した〉

 「それまでの日本にはなかったリアリズムの文体です。サトウが船に乗っていなかったら、薩英戦争で何が起きたのかを、こんなに迫力ある文章で読むことはできなかった」。そう語るのは作家の辻原登さんだ。歴史小説「陥穽(かんせい) 陸奥宗光の青春」(日本経済新聞出版)で、サトウの回顧録を資料の一つとして用いた。

     *

 小説でサトウは、主要人物の一人にもなっている。陸奥と議論し、伊藤博文とテーブルを囲む。「サトウも若かったが、陸奥や伊藤も若かった。彼らが出会うことで歴史が動く。サトウの回顧録がなかったら、小説の組み立ては難しかったかもしれません」

 優れた回顧録は、時代の空気をそのまま伝えてくれる。全編を貫くのは、当時の日本に吹いていた攘夷(じょうい)の嵐だ。

 サトウは、すべての武士が血に飢えていたわけではない、としながらも、彼らの恐ろしさを書いた。〈ひとたび日本人が外国人を血祭りにあげると決意したときには、その仕事がかなり手際よく遂行されたということも事実である〉。ときに拳銃すら役に立たないのだと。

 サトウにも2度、危険が降りかかった。1度目は旅の宿に「蛮族を出せ」という者たちが剣を手に現れた。同行者が追い払ってくれたが、2度目は本当に襲撃された。戊辰戦争のさなか、公使パークスに従い、天皇謁見(えっけん)へ向かう途中で襲われた。護衛の侍が何とか斬り伏せた。

 明治維新史が専門の町田明広・神田外語大学教授は「当時の日本人は、基本的にみなが攘夷派でした」と言う。ただ、それは二つの路線に分かれており、通商条約をすぐに破棄して外国人を追い出す「即時攘夷」と、当面は貿易で力を蓄え、後の攘夷に備える「未来攘夷」があった。軍事力の差を見せつけられてからは未来攘夷が優勢になるが、下層の武士たちは違った。「外国人は斬るべきだという狂信的な人たちはいなくならなかった。理論でなく感情としての攘夷は、通商条約に天皇の勅許が出てからも存在した」

     *

 読んでいてやや鼻につくのが英国人たちの尊大さだ。艦隊を見せつけ、日本人に恐怖を与えることを当然とする。町なかで声を張り上げ、西洋人の威厳を示す。軍事力を背景にした「砲艦外交」の一断面であろう。

 「技術力、軍事力がこれだけ違えば、上から目線になるのも当然だ」と町田さんは言う。サトウも最初はそうだったが、日本人と付き合うなかで変わっていったという。「たまたま鎖国があったから西洋に遅れたが、すぐに追いつくだろうと考えるようになった。それはサトウに限らず、当時の西洋人一般に言える。日本は最大のパートナーか、さもなければ最大のライバルになると多くの人が考えた」

 歴史はまさにその道をたどった。日英同盟を経て、日本は対米英戦争へとなだれ込んだ。それは形を変えた攘夷だったのかもしれない。(有田哲文)

     ◇

 戦前は検閲により完全な翻訳がなく、1960年に岩波文庫の坂田精一訳が出て、広く読まれるようになった。2021年に鈴木悠の新訳が講談社学術文庫から刊行された。サトウの評伝としては、萩原延壽(のぶとし)著「遠い崖――アーネスト・サトウ日記抄」(全14巻)がある。

 

2026年8月 6日 (木)

「全編4行のツィートで」というのがいいね   丸山健二「生きるとは闘うことだ」(朝日新書) 

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落合恵子さんのエッセイ「明るい覚悟」を半分ぐらい読んでいる最中だが、そこで彼女が紹介している著書で気になる本が何冊かある。その中のひとつが、「生きるとは闘うことだ」という勇ましい本。調べると、朝日新書で2017年に発刊されていた。本の紹介では「全編4行のツィートで」とある。その作り方が気にっている。ただし、「本やタウン」で検索すると、品切れかなのか、現在、取り扱っていないとのことだ。手軽な新書なので、買い求めようと思ったのが。日光図書館経由で栃木県内のどこかの図書館にあるだろうから、そこから借り出すことはできるだろう。それにしても、丸山健二は若い頃に読んでいるが、いつからか、ぷっつりと縁がなくなった。「この機会に丸山健二本に親しんだらどうか」、そういうシグナルかもしれないー。

生きることは闘うことだ

朝日新書 608 朝日新聞出版 丸山健二 

価格 792円(本体720円+税) 発行年月 2017年03月 判型 新書

自分の人生を生きるのに誰に遠慮がいるものか──。個人とは? 社会とは? 家族とは?国家とは? そして、孤独とは? 社会の偽善を看破し、全篇4行のツイートで「生きる意味」を問う、孤高の作家のプロテストソング。魂の言霊、ここに誕生!
人生が楽しいなどとは幻想だと、なぜまだわからないのか。理不尽かつ残酷なこの世で生者であらんとするなら、いかなる困難も排して未来へ駆けこんでゆくための情熱が必要だ。群れずに生きる作家のプロテストソング。

1 個人と社会の闘いとは(個人とは;社会とは)
2 家族や国家を過信してはならない(家族とは;国家とは)
3 精神と心を育むものとは(精神とは;心とは)
4 孤独を恐れてはならない(孤独とは)

 

 

 

 

2026年8月 5日 (水)

被爆者たちの惨劇に思わず声を失う    肥田舜太郎「広島の消えた日ー被爆軍医の証言ー」

 同人誌「序説第32号」(2025年9月1日発行)からー。8月6日を前にして、やはり肥田舜太郎医師の証言を伝えたい。肥田さんには映画監督・鎌田ひとみさんとの共著「内部被曝の脅威」という本もあったのだった。肥田舜太郎さんが亡くなってからもう5年以上も経つかも知れない。「内部被ばく」の脅威などについて講演した肥田さんを迎え、主催者である足利のジャズ喫茶「オーネット」で隣り合わせで歓談したことも。今晩はその生前の短いが大切な「交友」を思い起こしながら、愛用するドイツワイン「Madonna」で一杯の時を過ごそうかとー。

身も凍る『広島の消えた日―被爆軍医の証言』

 「核」が実際に使われた場合の恐ろしさについて、その一端を以下に紹介したい。ご承知の広島原爆についてだ。原爆投下当時、陸軍広島病院の軍医中尉だった肥田舜太郎さん(1917年~2017年)は、原爆投下前夜、急患のため、郊外に往診に行っていた。そのため、奇跡的に助かっているが、それから軍医として、広島中心部へ向かう。そのとき逃れてくる被爆者たちの惨状についての描写はなんとも目をそむけたくなるむごいものだ。肥田さんは現地で治療にあたり、その後、6千人を超える被爆者を診察してきた被爆医。日本被団協原爆被爆者中央相談所理事長などを務めていた。

 広島の惨状などは肥田さんの著書『広島の消えた日―被爆軍医の証言』(1982年5月 日中出版)『同 増補新版』(2010年3月 影書房)に詳しい。広島原爆については『黒い雨』(井伏鱒二 新潮文庫)が広く知られているが、最近でも『「黒い雨」訴訟』(集英社新書 小山美砂 2022年7月)といった労作も発刊されている。だが、この肥田さんのなんともいえない生々しい文章に出会うのはめったにないことだろう。

 『広島の消えた日』によると、当時28歳だった肥田さんが広島原爆に遭ったのは、広島郊外の戸坂村の患者の家の病人の腕をとって注射をしようとしていたとき。すぐに「巨大な爆圧の嵐」に遭い、その家の二間続きの何枚かの畳を飛んで奥の仏壇にいやというほど叩きつけられた。中心部の広島陸軍病院に戻ろうと、借りた自転車で向かっている最中の模様が以下のように記されている。「身も凍る」という言い方があるが、まさにそれを思わせる描写だ。少し長いが引用したい。

 私は突然、岩陰から急に現れた人影を見て急ブレーキをかけた。自転車がきしんで跳ねて、踊って、草むらに投げ出された。痛みをこらえてはね起きた私は道路の真中に立つその姿を見て思わず息を呑んだ。それは、「人間」ではなかった。それは、ゆれ動きながら私に向かって少しずつ動いてくる。人間の形をしていたが全体が真黒で裸だった。裸の胸から腰から無数のボロ切れがたれ下がり、胸の前に捧げるようにつき出した両の手先から黒い水が滴り落ちている。その顔は、ああ、それは顔なのか。異様に大きな頭、ふくれあがった両の眼、顔半分まで腫れあがっ上下の唇、焼けただれた頭に一すじの毛髪もない。私は息を呑んで後ずさりした。ボロと見たのは、人間の生皮、滴り落ちる黒い水は血液だった。男とも女とも、兵隊とも一般人とも見分けるすべのない焼け焦げた人間の肉塊が引きはがれた生皮をぶらさげてそこにあった。まだ少しは眼が見えるのか、私に向かってうめき声をあげながら両手を差し出して、よろけ、もつれて二、三歩足をいそがせたが、それが最後の力だったのであろう。その場にばったり倒れてしまった。駆け寄って私は脈をとろうとした。しかし、手を触れる皮膚らしいところはその肉塊の腕にはどこにも残っていなかった(中略)とにかく、広島へ急がねば、と自転車を立て直して進みかけた私の足はその場に釘づけになったまま、動かなかった。焼けて、焦げて、ただれて、生皮のはがれた血の滴る群像が道いっぱいにひしめいて、うごめきながら、行く手をふさいでいたのである。立っている人、寄り添っている人、いざる人、はらばう人、どの姿にも人間を意識させる何一つのしるしはなかった(『広島の消えた日―被爆軍医の証言』123頁~124頁)。

戦後64年にわたって6千名を超える被爆者の診察・治療に携り、今なお放射能の内部被曝の危険性を追究し続ける元軍医である著者が、精神主義のはびこる戦争末期の軍内部の状況と、広島での原爆被爆・救援体験を克明に綴った第一級の証言手記、待望の復刊(旧版:1982年、日中出版刊)。新版発行に際し、放射線障害や差別に苦しむ戦後の被爆者たちの苦難や、“被爆医師”としての自らの歩み、平和への願いを新たに書き下ろした「被爆者たちの戦後」(約40頁)を増補。

〈著者略歴〉
肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)

1917年、広島市生まれ。
1943年、日本大学専門部医学科卒業。1945年8月6日、原爆被爆。直後から被爆者救援・治療にあたり、2009年の引退まで被爆者の診察を続ける。1953年、全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)創立に参加。全日本民医連理事、埼玉民医連会長、埼玉協同病院院長、日本被団協原爆被爆者中央相談所理事長などを歴任。1975年以降、欧米を中心に計30数カ国を海外遊説、被爆医師として被爆の実相を語りつつ、核兵器廃絶を訴える。またこの間、アメリカの低線量放射線被曝に関する研究書等を翻訳、普及に努め、内部被曝の脅威を訴え続ける。

著書  『広島の消えた日』(初版:日中出版、1982年)、『ヒロシマ・ナガサキを世界へ』(あけび書房、1991年)、『ヒロシマを生きのびて』(あけび書房、2004年)、『内部被曝の脅威』(鎌仲ひとみとの共著、ちくま新書、2005年)
訳書  『死にすぎた赤ん坊』(E・J・スターングラス著、時事通信社、1978年)、『放射線の衝撃』(D・W・ボードマン著、自費、1991年/08年よりPKO法「雑則」を広める会発行)、『死にいたる虚構』(J・M・グールド著、斎藤紀との共著、自費、1994年/08年よりPKO法「雑則」を広める会発行)、『内部の敵』(J・M・グールド著、高草木博らとの共著、自費、1999年)

(本書刊行時点)Photo_20260804194901

 

2026年8月 4日 (火)

「新生日本のために先駆けて散る」  GHQの全文削除を受けた吉田満『戦艦大和ノ最期』

あと1週間で今夏も8月15日がやってくる。この時期になると思い起こすことがよくある作品「戦艦大和ノ最期」(吉田満)。今、毎週土曜日昼、NHKラジオの「保阪正康が語る昭和人物史」で登場しているのが、この作者・吉田満。全3回のうち8日が2回目。初回で吉田満の肉声を初めて聴いたが、内容は「戦前派、戦中派、戦後派」について。それぞれの世代の立脚点の違いについて、吉田満がていねいに原稿を読むかのように語っていた。きょうの2回目は「戦艦大和ノ最期」の執筆動機について。沖縄特攻作戦で大和が沈没したのは1945年4月。3千人以上いた乗組員のうち9割が海の藻屑と消えた。生き残った吉田がこの作品を書いたのは、それから半年後。クライマックスは艦内の士官ルームでの殴り合いの論争だ。海軍兵学校卒の「職業軍人」と学業半ばで海軍士官となった「学徒兵」の両グループがこの無謀な特攻作戦をめぐり、お互いの立場から論争を繰り広げる。論争は結局、海軍兵学校卒で吉田と同年代の21歳の大尉の言葉で鎮まる。「俺たちは新世日本のために先駆けて散る」。戦中派の彼が戦後を生き直すため、その体験を第3者の視線で、わずか1日で「筆の走るままに書いた」という作品だ。3回目は「敗戦記念日」の来週8月15日(土)にある。ウィキペディアによると、この本の「刊行経緯」が興味深い。1946年12月に雑誌「創元」創刊号に掲載される予定だったが、GHQの検閲で全文削除となり、ゲラ刷りが没収されたという。全文削除については私も知らないでいた。「決定稿保存版」は1974(昭和49)年だったという。


刊行経緯

吉田満は1945年(昭和20年)9月中旬に一日足らずで大学ノートに書き上げた鉛筆書きの草稿(初稿)を、少し肉付けしてから別の大学ノートにペン書きで記した。このノートを吉田の友人O氏など複数の人がやはりペン書きで書き写して清書され、それらが親しい友人・知人らに回覧されることになった[5]

この書き写し(清書)の大学ノートの1冊を読んだ小林秀雄が吉田の勤務先の日銀を訪ねてきて、小林が青山二郎梅原龍三郎と共に発刊準備をしていた雑誌『創元』1946年12月・第1号(創刊号)にぜひ掲載したいと申し出た[5]。しかしながら、この『創元』に掲載される予定だった初稿「戦艦大和ノ最期」は、GHQの下部機関CCD(民間検閲支隊)の検閲により全文削除処分となり、ゲラ刷りが没収されることになった[5]。そのため、吉田はその稿を何人かの人(職場の女性社員など)に清書してもらって保存した[5]。その後にそれを口語体に変化させたりなどの不本意な改稿版で、1947年(昭和22年)以降に雑誌『新潮』や『サロン』に掲載されることになった[5]

雑誌『創元』1946年12月号の稿に対するGHQの全文削除処分の検閲への抵抗の過程では、河上徹太郎小林秀雄吉田健一の奔走で、白洲次郎がGHQとの交渉を取り持ち、白洲正子が、小林秀雄と知り合うきっかけともなった経緯がある[注釈 2]

なお、1947年(昭和22年)に口語体の改定稿「戦艦大和」が「細川宗吉」名義(中国で戦病死した義兄の名前「細川宗平」に因む[5])で『新潮』10月号に掲載された際、三島由紀夫は、直接吉田満に会って検閲前の手書きの初稿(草稿)を直接読ませてもらっており[注釈 3]、その原文(初稿)の感想を「日本人がうたつた最も偉大な叙事詩」と賞讃しながら、「日本人のテルモピレエの戦の細述です。人間の「目」のおそろしさを感じます。事によつたら「心」より神に近いのは目かもしれない、人間が神からさづかつたのは、肉体とか精神とかではなく、「目」だけかもしれない、と思はれて来るのです」と林房雄に伝えて初稿の一読を勧めていた[9]

その後、再び口語体の改定稿「小説戦艦大和」が、雑誌『サロン』1949年(昭和24年)6月号に掲載された。この『サロン』掲載時には、吉川英治、小林秀雄、林房雄、河上徹太郎、梅崎春生が跋文を寄せた。このサロン版に、少し手直しがなされ、8月に口語体の『軍艦大和』として銀河出版社で出版されたが、1952年(昭和27年)8月に元の文語体での改定稿版が創元社で出版された。

結局は、Photo_20260804133501 (昭和27年)8月となり、その後さらに改稿され、最終的には1974年(昭和49年)に北洋社で出版されたものが決定稿保存版となった。

この作品『戦艦大和の最期』が初版刊行に至るまでの過程には、「戦争肯定の文学であり、軍国精神鼓吹の小説であるとの批判」がかなり強くあったとされ、この作品を「戦争肯定」「軍国精神鼓吹」と非難されたことについて吉田満は初版刊行の「あとがき」で以下のように述べている[6]


この作品の中に、敵愾心てきがいしんとか、軍人魂とか、日本人の矜持とかを強調する表現が、少からず含まれていることは確かである。だが、前にも書いたように、この作品に私は、戦いの中の自分の姿をそのままに描こうとした。ともかくも第一線の兵科士官であった私が、この程度の血気に燃えていたからといって、別に不思議はない。我々にとって、戦陣の生活、出撃の体験は、この世の限りのものだったのである。若者が、最後の人生に、何とか生甲斐を見出そうと苦しみ、そこに何ものかを肯定しようとあがくことこそ、むしろ自然ではなかろうか。(中略)
このような昂りをも戦争肯定と非難する人は、それでは我々はどのように振舞うべきであったのかを、教えていただきたい。我々は一人残らず、召集を忌避して、死刑に処せられるべきだったのか。或いは、極めて怠惰な、無為な兵士となり、自分の責任を放擲ほうてきすべきであったのか。――戦争を否定するということは、現実に、どのような行為を意味するのかを教えていただきたい。単なる戦争憎悪は無力であり、むしろ当然過ぎて無意味である。誰が、この作品に描かれたような世界を、愛好し得よう。吉田満「あとがき」昭和27年5月[6]

また、この作品が文語体で書かれていることに関しては、特に文語体の嗜好があるわけではなく、「初めから意図したのでもない」として、以下のように吉田は語っている[6]


第一行を書き下した時、おのずからすでにそれは文語体であった。
何故そうであるのか。しいていえば、第一は、死生の体験の重みと余情とが、日常語に乗り難いことであろう。第二は、戦争を、その只中に入って描こうとする場合、“戦い”というものの持つリズムが、この文体の格調を要求するということであろう。吉田満「あとがき」昭和27年5月[6]

 

2026年8月 3日 (月)

ピエロと熊のロードムービー「オレゴンの旅」  落合恵子さんが「明るい覚悟」で推薦絵本

「明るい覚悟」で落合恵子さんが推薦している絵本22冊のうちの一冊。「オレゴンの旅」。ネットでのAI回答はそれなりにていねいに。 これによると、公共図書館で比較的に探しやすい絵本だとある。私も日光図書館経由で借りに行こうと思っています。たまには絵本もー。以下はAI回答の「オレゴンの旅」です。Photo_20260803230201

絵本の基本情報

『オレゴンの旅』という作品

  • 書名:オレゴンの旅
  • 文:ラスカル
  • 絵:ルイ・ジョス
  • 訳:山田兼士
  • 出版社:セーラー出版(その後、らんか社などのリストにも掲載)(library.ome.tokyo.jp)

図書館のおすすめリストや「人生の1冊の絵本」といったブックリストにもたびたび登場していて、子どもだけでなく大人にも向けた“旅”の絵本として紹介されています。(hokkaido.sla.gr.jp)

🌲 どんな内容の絵本か

細かなストーリー全文は紹介できませんが、ブックリストの説明から分かるポイントをまとめると(hokkaido.sla.gr.jp)

  • アメリカ北西部オレゴン地方を舞台にした“旅”の物語
  • 自分は何を求めて旅に出るのか、というテーマが根っこにある
  • 壮大な自然の中を進むイメージが強く、大人になっても忘れにくい印象的な絵と構成
  • 「やがて大人になる子ども」と「かつて子どもだった大人」の両方に向けた本として位置づけられている

物語としての起伏だけでなく、「生き方」や「こころの転機」というキーワードと一緒に紹介されているのが特徴です。(hokkaido.sla.gr.jp)

📚 手に取るには

公共図書館の蔵書リストに多く載っているので、日本の図書館では比較的探しやすい一冊です。(library.ome.tokyo.jp)
最寄りの図書館サイトで「オレゴンの旅 ラスカル」などで検索すると、在庫状況が確認できる可能性が高いです。

 

https://www.youtube.com/watch?v=DccAzM3oW5Q

 

 

 

2026年8月 2日 (日)

腕が立つ浪人者がとにかく魅力的だ  藤沢周平全集第十八巻「よろずや平四郎活人剣」

藤沢周平の時代物「よろずや平四郎活人剣」ー、このところ、一話、二話と読んでいる。全24話あるが、これまでお読み終えたのは21話まで。あと3話を残すのみ。「これはドラマになるほど面白い物語だなー」と、思っていたら、やはりテレビドラマになっていたのだね。1998年~1999年。もう四半世紀前になるのかー。これは知らなかった。この題名「よろずや平四郎活人剣」と、さらに「腕に覚えあり」という題名でもドラマ化されているようだ。DVDになり、TSUTAYA書店などで借りられるようならぜひと。とにかく痛快このうえない。近くこのDVDを借りに行ってみようと思う。そう思わせるほど、魅力的な時代劇だ。改めて藤沢周平の筆さばきに感心することしきり。以下はネット検索で見つけたこの物語のさわりだ。

藤沢周平Photo_20260803220501 原作の時代小説「よろずや平四郎活人剣」をドラマ化。人気シリーズ「腕におぼえあり」に続く新シリーズ。ニュータイプのヒーロー神名平四郎の活躍を描く痛快娯楽時代劇。(1998年9月11日~1999年3月12日放送、全24回)◆第1回「辻斬り」。旗本・神名家の次男・平四郎(高嶋政伸)は、道場仲間の明石半太夫(村田雄浩)、北見十蔵(松重豊)とともに道場を開くため家を出る。途中、すれちがいざまに若い侍が切りつけてくる。その様子を木陰から奥田伝之丞(榎木孝明)がうかがっていた。平四郎が遅れて道場に到着すると北見だけがおり、明石が道場を開くための金を持ち逃げしたという。今さら神名家に帰ることもできず、平四郎は大家・与助(坂上二郎)の長屋に住み込むことに。そして当面の生活費を得るため「よろず揉めごと仲裁」の商売を思いつく。

2026年8月 1日 (土)

次々と質疑が続いた「日光の会」自主講座   県政出前講座「栃木県における再エネの状況」

Photo_20260801225801 Photo_20260801225901 Photo_20260801230301 「栃木県における再エネの状況」をテーマにした県政出前講座を7月31日(金)14時05分から15時45分まで1時間40分、日光市民活動支援センター第4・第5会議室で開きました。「さよなら原発!日光の会」の自主講座で、「受講」したのは12人。脱原発を実現させたドイツから帰省していた女性以外はいずれも「日光の会」の会員でした。講師役である県気候変動対策課の職員2人を加えると14人で、「教室」がほほいっぱいでした。

 

 出前講座はほぼ1時間が県職員による解説でした。「地球温暖化と気候変動」という表題がついたレジュメ(A4版24頁)を基本にプロジェクター(日光市民活動支援センター備品)による解説が続きました。内容は「1 気候変動の影響」「2 気候変動への対応」「3 栃木県の取り組み」「4 栃木県における再生可能エネルギーの状況」「5 まとめ」。知られている「パリ協定」(2015年)をめぐる動きや2020年12月に「2050年までにカーボンニュートラルの実現を目指すこと」を宣言したこと、2023年4月には「栃木県カーボンニュートラル実現条例」を制定したことなどを背景に気候変動に対処していく今後の目標とそのロードマップ・工程表が主な内容でした。

 

 「栃木県内の再エネの設備事例」としては、「那須野が原水力発電所」(那須野が原土地改良区連合)、「那珂川バイオマス発電所」(株式会社那珂川バイオマス)、川治第一発電所、板室発電所、風見発電所という三つを含む「県企業局県営水力発電所」の三例が紹介されました。「再エネの導入については、ポテンシャルの高い太陽光発電を中心に導入促進を図っている」(出前講座「まとめ」)と、太陽光発電を前面に押し出していますが、ソーラー発電についての事例紹介はありませんでした。この点は質疑応答でも「大きな役割があるという太陽光発電の先進的な事例紹介が欲しかったのだがー」という声が上がっておりました。

 

 講座によると、今回の講座で知りましたが、栃木県では2050年カーボンニュートラル実現に向け、「栃木カーボンニュートラル15(いちご)アクション県民運動」を展開中だといいます。それについて、講座に先立ち、「今日から始める 県民向け脱炭素ガイドブック 改訂版」(A5版22頁)が参加者に配られました。この中では各家庭でも暮らしに応じた効果的な省エネ・省CO2対策を提案し、対策を実施した場合の「光熱費の削減額」をわかりやすく示すという「エコ診断」の薦めに関心が向きました。講義でもこのエコ診断の受診を促しておりました。

 

 質疑応答は20分を予定していましたが、次々と質疑の声が続き、予定時間をオーバーして30分以上も続きました。この講座はもともと再エネの県内の具体的事例は多くを聴くことはできないという前提で組まれていました。それにしても栃木県のおける脱炭素化の目標やロードマップなどがメインとなったことで、再エネについて具体的で先進的な取り組みを知りたかった私たちにとってはやや物足りない感じがしました。これもありで、「カーボンニュートラルの実現に向けた工程表などを受けて、では、今の時点でその実現の実際の度合いはどこまで進んでいるのか」といった質疑も出ていました。

 

 ほかにも「欧州で進んでいるベランダ小電力である『プラグインソーラー』だが、オフグリッドの小電力なども含めたこの種の家庭小電力についての栃木県の取り組みはどうなっているのか」「荒れ放題となっている遊休の小中学校用地を活用した再エネの取り組みを県に期待したい」、「栃木県は通勤・通学で公共交通を使うことでCO2削減に取り組んでいると承知しているが、県職員の人たちは実際に実践しているのかどうか」などの質疑や意見が上がっておりました。

 

 「日光の会」の2026年度活動方針では、エネルギー事情の象徴である太陽光を始めとする再エネの最前線を知るために、再エネ施設の県内現地見学会に取り組むことを盛り込んでいます、その見学会の前段として県内の再エネの「姿」を知っておこうということで今回の講座が組まれました。講座でその狙いの一部は取り込むことができたと思いますが、やはり、まずは現地見学会を組んでいくことが先決だろうと。講座後のこの日の「日光の会」役員会では、次回の役員会で現地見学会を選定し、晩秋にも実施していこうということになりました(富岡洋一郎)

 

 

 

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