栃木県現代詩人会で「3・11以後」の詩を問う、というテーマで講演したのは12月7日。すでにこのBLOGでレジュメ(といっても20枚、現物は写真が何枚かあります)を、アップしていないことに、きょう25日に気づいたのです。
レジュメ小項目だけはアップしていたが、全体はまだ。といっても、講演ではさらにこのレジュに肉付けした説明をしてたのだが。それでも一定の方向、というか、どういうことを言いたかったのか、それはこの資料でくみとってもらえると思う。なので、あえて、記録としても記載することにー。
下の写真はレジュメの表紙。2011年9月。日光市のJR日光駅舎で。京都の詩人、河津聖恵さんを講師に招き、実行委員会方式で行った詩と詩の朗読の講演会の様子です。テーマは「震災と原発」でした。
「3・11以後」の詩を問う
「野蛮」に「野蛮」を重ねるな、
問われる倫理の根源ー
栃木県現代詩人会・研究会 宇都宮ホテル丸治 2014年12月7日 黒川 純
1 はじめに 厚かましくも詩人たちの集まりに・課題だった「3・11以後」の詩
2 黒川純―吉本隆明、清水昶からスタート・2004年「怒りの苦さまた青さ」
3 2011・3・11東日本大震災・三陸の惨状と災害ボランティア・防災士
4アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮だ フクシマ以後、詩を書くことは野蛮か
5 「ひとりびとりの死者」へ、「ひとりびとりの生者」から・辺見庸の世界
6 「震災と原発」をテーマに京都の詩人・河津聖恵さん詩の講演・朗読会
7 「フクシマ以後に沈黙していることは野蛮である」・高橋郁男『渚と修羅』
8 『福島核災棄民』・南相馬の詩人、若松丈太郎の詩「神隠しされた街」
9『脱原発 自然エネルギー218人詩集』・3・11以後が生んだ詩「だれ?」
10 ほとばしるように生まれた震災詩・東梅洋子さん『うねり 70篇 大槌町で』
11 進歩の定義を変え、未来の設計図を変え・「懐かしい未来」の方へ
12 詩とは何か・詩は運針の針のように、ズレの体感をきっかけにー
(以上、各項)
1 厚かましくも詩人たちの集まりに・課題だった「3・11以後」の詩
(以下、本論)
2 黒川純―学生時代の吉本隆明、清水昶からスタート・1974年月刊詩誌「詩と思想」編集部アルバイト・2003年イラク戦争・北上詩の会 詩集「怒りの苦さまた青さ-詩・論「反戦詩」とその世界―」(2004年)、詩集「砂時計主義」(2008年)
怒りの苦さまた青さ
(4行7連の一連)
大地の命がめらめらと燃え
乾いた喉がひりひりと熱い
真っ赤なマグマにまたがり
今にも土石流になりそうだ
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
(最終連)
哀しみを抱きしめるために
眼や耳で未来まで歩くために
ひとつの詩で深夜が凍る
そんな力が詩にあるうちに
3 2011・3・11東日本大震災・災害ボランティア・花巻、陸前高田、相馬、石巻、南三陸へ twitterとBLOG・防災士資格取得・5月から詩作再開―。
陸前高田の甚大な被害に言葉を失うー
BLOG「懐かしい未来」2011年5月2日
昨夜はツイッター(140字制限)で大震災に絡む詩を6篇、つぶやいた、とういうか、つぶやいていた。題名はとくに付けずにツイートしたのだが、それをブログ「砂時計主義」へ(当初のBLOG名、2014年春から「懐かしい未来」へ変更)。詩の題名はこのブログで初めてつけた。いずれも書いた詩の言葉から。大震災小詩篇(1)といったところか。(いうずれも下野新聞文藝欄に投稿・記載。「そのけなげな表情を」は、)
そのけなげな表情を
私は忘れないだろう/哀しみでもない/悲しむでもない/肩を落とすでもない/不満というのでもない/訴ったえるでもない/責任を問うでもない/怒るでもない/頼るわけでもない/でも/私の視点をぐらぐらと揺らし/ざわめきを呼び出し/先が視えない暮らしを/頬を伝わる涙で伝える/そのけなげな表情を
東日本大震災を悼む
詩劇『鎮魂と復興のうた』
主催:現代京都詩話会
共催:財団法人京都市国際交流協会
後援:第26回国民文化祭京都府実行委員会・京都市・
京都新聞社・関西詩人協会・日本現代詩人会
とき 2011年10月18日(火) 受付18:00 開演18:30
ところ 京都市国際交流会館イベントホール
チャリティ協力金 1500円(剰余金は全て日赤を通じて寄付します) (「そのけなげな表情を」。これは詩劇中で朗読される詩のひとつです。ぜひ聴いてください。詩があなたのこころを揺すぶることでしょう)
凍土から言葉を掘り出せ
ほんとうのことを語ると/世界が凍ってしまう/ある詩人が書いたことがある/だが/3・11でほんとうのことが噴出し/世界はそのまま凍ってしまったのだ/いや言葉が凍ってしまったのだ/この世界のほんとうのことを/見せられてしまったわたしやあなたは/言葉を掘り出さねばならない/その凍土から
4 「アウシュビッツ以後 詩を書くことは野蛮だ」・「フクシマ以後、詩を書くことは野蛮か」・和合亮一「詩の礫」・河津聖恵の視点
2011年8月 3日 (水)
「フクシマ以後詩を書くことは野蛮か」(一)
「アウシュヴィッツ以後詩を書くことは野蛮だ」。
ドイツの哲学者アドルノが1949年に書いたこのテーゼを
最近、ある詩人がエッセイで引用していました。
詩人はこう言っています。
大震災の未曾有の悲劇の後、そして今もなお続く原発事故の被害が深刻化する今
このテーゼをふたたび当てはめることができるのではないか。
つまり
「フクシマ以後詩を書く詩を書くことは野蛮だ」。
そういえるのではないか。
なぜなら無理に書いてしまえば、
それこそ想像力を欠いた野蛮な言葉になってしまいそうだからだ。
こんな惨状に対し比喩なんて無理だ。
だから詩は無力であるといわざるをえない。
この悲劇を前に、比喩は死んだのだ。
たとえそれが詩の死を意味しないとしても。
比喩の死という事態こそが、新たな詩の境地をたしかにひらくのだ──。
高名な詩人による文章だったので、唖然としました。
東日本大震災から五ヶ月という時期にもなって何を言っているのでしょうか?
内容以前に
その「平静」さ、あるいは「超然」とした言い放ちに、暗澹たる気持になりました。
震災当初は、たしかにアパシー(無気力、思考停止)に陥ってしまい
誰しも比喩が砕け散るのは仕方がなかったでしょう。
しかし、結局は比喩こそは詩の存在理由となるのではないでしょうか。
現実との関わりから、比喩を見出し、あるいはたたかいとることこそが
書き手と読み手双方に、詩の喜びやカタルシスを生むのではないでしょうか。
けれどよく考えれば「比喩の死」というのは
じつは震災によって初めてもたらされたものでは決してありません。
現代詩はずっと、思考の長い射程を必要とする比喩というものを
欲望することも尊重することもなく、
それこそ無力のままみずから捨て去りつづけてきました。
正確には、現実と関わって思考や言葉の力を鍛えることを放棄したために、
詩の方が比喩に見捨てられてきたのでした。
いつしか「ゼロ年代の詩」とさえ自称していたではないですか。
この震災の前で詩は無力だ、比喩は死んだとこともなげにいってしまうことは
まさに不誠実そのものです。
ツェランなどの苦悩をもふまえたアドルノのテーゼで自己正当化するのは
あまりにも自己本位としか思えません。
むしろ詩は、この震災という深い断層の切れ目からこそ
痛々しい、美しい比喩の結晶を生みだすべきなのです。
2011年8月 8日 (月)
「フクシマ以後詩を書くことは野蛮か(三)」
アドルノは1949年に語った『アウシュヴィッツ以後詩を書くことは野蛮である』というテーゼを
1966年の『否定的弁証法』で次のように訂正しています。
「絶え間なく続く苦しみは、拷問にかけられた人がうめき声をあげるのと同様に、表現への権利を持つ。それゆえ、アウシュヴィッツ以後もはや詩は書かれえない、と言ったのは、間違いであったかもしれない。」
この「訂正」には、パウル・ツェランとの対話と、その詩を読んだことも一つの要因としてあったようです(関口裕昭『評伝 パウル・ツェラン』)。
しかし同時に同書では
「アウシュヴィッツ以後の文化は、それに対する痛烈な批判もひっくるめて、すべて、ゴミ屑だ」とも書いています。
つまりアドルノは、ツェランによって詩の希望を与えられながらも、それ以外はゴミ屑としか見えない絶望との間で、揺れ動き続けたのでしょう。
しかしツェランの詩はどのように、「アウシュヴィッツ以後の野蛮」を乗り越えているのか──それは、最初の引用部分の、「絶え間なく続く苦しみ」からあげられた「うめき声」があるからだ、ということでしょう。
うめき声、傷、痛み、うったえ、うた、歌──それが彼の詩には真実のあり方で存在しているということです。
その痛みは、たしかに死者の痛みに共振している。だからこそ、アウシュヴィッツ以後、表現の権利があるのです。
つまり大切なのは、表象=イメージ=見ることの支配欲(それこそがアウシュヴィッツを生みだした全能感に繋がります)を離れて、無となって、耳を澄ませ、共振すること──
その結果、摑まれた比喩やイメージであれば、野蛮ではないのです
和合亮一「詩の礫」からー。
放射能が降っています。静かな夜です(3月16日)
放射能が降っています。静かな静かな夜です(同)
あなたにとって故郷とはどのようなものですが。私は故郷を捨てません。故郷はわたしのすべてです(同)
どんな理由があって命は生まれ、死にに行くのか。何の権利があって、誕生と死滅はあるのか。破壊と再生はもたらされるのか(同)
あなた 大切なあなた あなたの頬に涙(5月26日)
いつか 安らぎの一筋となるよう 祈ります(同)
船を 詩を 櫂を 漕ぎましょう(同)
新しい詩を生きるために(同)
共に信じる ここに記す(同)
祈りとして この言に託す(同)
明けない夜はない(同)
- 詩論の現在
守中高明「カタストロフィーと言葉――「フクシマ」以後、詩を書くことは可能か?
ネット上からの引用 「現代詩手帳5、6月号」・「カタストロフィー言葉」(守中高明)
「和合亮一はカタストロフィーの被害者という立場とそこから生じた感性的反応のあれこれを、結局はみずからの詩人としての〈文化資本〉に翻訳し、蓄積するのみであった(略)いずれにしても、和合亮一が詩人とその詩法においても、その零時的・倫理的態度においても、現代日本文学の最もネガティブな類型の体現者であることは疑う余地がない」
- 守中高明「カタストロフィーと言葉(下)」(「現代詩手帖」6月号)は「詩壇」内でようやく出た真っ当な和合亮一批判だが、遅すぎる。和合や和合翼賛してぬるま湯に漬かっていた詩人たちは正面から応答するんか
「現代詩手帖」6月号(2014年)の守中高明の評論「カタストロフィーと言葉(下)」を読む。ひさびさに気合いの入った論考だ。和合亮一の詩を単純な同語反復による自己再帰型のメッセージ」と断定しているところは明快
5 「ひとりびとりの死者」へ、「ひとりびとりの生者」から 石巻出身、辺見庸、命令法の魅力・小熊秀雄と吉本隆明
詩人は「3・11」にどう向き合っていくべきか、ひとりひとりの死者にどんなまなざしを向けるべきか、そのとき、言葉が立ちあがるために、どんな視線や見方が、つまり構え方が、必要となるのか。河津さんは詩人にして作家、ジャーナリストである辺見庸さんの詩篇を挙げて、最大限の賛辞を送りながら、方向を見定める。彼、辺見庸は(石巻市出身)大震災後、いち早く、圧倒的な迫力で問うべき状況と見方を新聞紙上で明らかにしている。地元紙・岩手日報でのそのエッセイは「非常無比にして壮厳なもの」。6月20日発行の辺見庸『水の透視画法』(共同通信社)にも収められている。3月のそのときからずっと、その「非常無比・・・」のエッセイの以下の部分を繰り返し振り返っていた。
「時は、しかし、この広漠とした廃墟から、『新しい日常』と『新しい秩序』とを、じょじょにつくりだすことだろう。新しいそれらが大震災前の日常と秩序とどのようなこととなるのか、いまはしかと見えない。ただはっきりわかっていることがいくつかある。われわれはこれから、ひととして生きるための倫理の根源を問われるだろう。逆にいえば、非倫理的な実相が意外にもむきだされるかもしれない。つまり、愛や誠実、やさしさ、勇気といった、いまあるべき徳目の真価が問われている」
河津さんは、辺見庸の詩についても、以下のように展開している。
詩の欲望は3.11へ向かって(二)河津聖恵さんのブログ「詩空間」(7月18日)から。
「文學界」6月号に発表された辺見庸さんの詩篇「眼の海──わたしの死者たちに」は、震災後、一気に書かれた詩群です。
ここにある詩のことばは、これまでにこの国で書かれたどんな詩よりも、冷たく悲しく私の胸に浸透してきました。私もまた、とめどなく世界の、自分の眼からあふれた海の中にいるのだと感じたのです。この詩篇に書かれた詩のことばすべて、名もなき死者たちの一人一人の死に、かすかにふるえながら、永遠に慟哭しています。すべての詩は死者たちの死にこまかな穴を開けられ、みずから食い荒らされるように、痛み、悼んでいます。世界が壊れて、歴史や存在の底からあふれてきた水にみずから溺れながら、みずからの苦しみを通して死者の苦しみに近付こうと、ことばは、この上なく繊細に、しかし意志的に差し向けられつづけています。私が最も感動した作品は、NHKで放映された辺見さんが語られた番組「瓦礫の中からことばを」でも紹介された。
「死者にことばをあてがえ」(全文)
わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけの歌をあてがえ
死者の唇ひとつひとつに
他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
類化しない 統べない かれやかのじょのことばを
百年かけて
海とその影から掬(すく)え
砂いっぱいの死者にどうかことばをあてがえ
水いっぱいの死者はそれまでどうか眠りにおちるな
石いっぱいの死者はそれまでどうか語れ
夜ふけの浜辺にあおむいて
わたしの死者よ
どうかひとりでうたえ
浜菊はまだ咲くな
畔唐菜(アゼトウナ)はまだ悼むな
わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけのふさわしいことばが
あてがわれるまで
ここにあるのは、剥き出しの単独者としての私=生者が、いまだ剥き出しの死体のままどこかに漂着したままの死者「ひとりびとり」へ向かって放つ慟哭です。今数千とも言われる行方知れない死者たちは、「死者・行方不明者」として「類化」され「統べられ」、「数千」として「量化」されつつあります。けれどかれらは、あくまでも「ひとりびとり」というあり方で生き、死んだのです。だから「私の死者ひとりびとり」として、私たち生者の「ひとりびとり」によって悼まれなくてはならないのです。類化した生者が類化した死者を、一方的に儀式として弔うことはじつは追悼とは真逆なのです。この「ひとりびとりの死者」へ、「ひとりびとりの生者」からことばを差し向ける努力こそが、私は今最も必要であると思うのです。とりわけ詩は、ことばの死者への道筋を、そして死者への道筋をたどるためのことばの力を、みずからの中から絶対的に創造していかなくてはならないのではないでしょうか。
命令法の魅力
わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけの歌をあてがえ
死者の唇ひとつひとつに
他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
★小熊秀雄の場合
★吉本隆明の場合
· 6 「震災と原発」をテーマにした詩人・河津聖恵さんの詩の講演会・朗読会「ひとりびとりの死者」へ、「ひとりびとりの生者」から」(実行委主催) 2011年10月1日
私は3・11の陸前高田のかってあった市街地に立ったとき、一瞬、言葉を失った。青い空と砂塵だけしか、視界になかった。「ほんとうのこと」が噴出し、いわば言葉が死んだと思われたが、その言葉を瓦礫から(あるいは凍土から)掘り出すべきだと考えた。そうした思いで震災詩をツイッターでつぶやく一方、震災を、フクシマを追いかけていると、この時代に勇ましく向きあい、的確な指摘や発言を続けている詩人に偶然、ツイッターで出会った。石巻出身の作家・詩人・ジャーナリスト、辺見庸の思念にも共鳴し、3・11を最前線で考えている詩人だった。京都在住のH氏賞受賞詩人、河津聖恵さん。河津さんが8月11日付毎日新聞夕刊・関西版「震災と表現」に寄稿したエッセイ「真実の言葉に耳を澄ませ」がいい。その根幹部分だ。「真実の言葉に耳を澄ませ」から(河津聖恵)。
言葉や文化の「バベルの塔」が一気に崩れ落ちた、一人一人の「世界崩壊感覚」から上がったはずだから。悲鳴vs言葉。その対立項が今、「沈黙vs言葉」に代わり詩の現場に迫り上がってきている。だが求められているのは、悲鳴を引き写す言葉や、観念にねじ伏せる言葉ではない。悲鳴を素通りし、型通りの美意識のまま書かれる詩ではさらにない。現代詩はポストモダン以降、現実との関わりで「詩とは何か」を考えることを避けてきた。脆弱で曖昧なモダニズムを享受し続けた結果、言葉の力は急速に失われた。3.11の破壊は、詩を根こそぎにするのか。あるいは詩は、破壊の現実と向き合うことで「復興」できるのか。破壊の後にもなお、いや破壊の後だからこそ、ひとは真実の輝きを放つ言葉を求めている。悲鳴と言葉の間。私の中の通路はだが、被災地で拓かれる以前すでに他者の言葉によって掘り進められていた。被災者が体験や思いを語り続ける真実の言葉、あるいは故郷の被災を目の当たりにした痛苦から、「瓦礫の中からことばを」とTVで熱く訴えた作家・詩人辺見庸の言葉、そして3.11以来、応答を求めるように読み続けた、それぞれが史上最悪の破壊を体験した詩人たち─原民喜(原爆)、石原吉郎(シベリア抑留)、パウル・ツェラン(アウシュヴィッツ)等─の詩によって。かれらはみな言葉を奪われた悲劇の後に、言葉への信頼と使命感を取り戻そうとしている。今日も悲鳴はどこかで上がる。瓦礫の中で応答して言葉が輝く。復興と共に忘却の明るい闇が深まろうとも、詩人は耳を澄ませ聞こえない悲鳴を捉えて、言葉に未知の輝きを見出さなくてはならない。
「メドゥサ」(思想運動875号掲載) 河津聖恵
いつからかそこに
メドゥサは砕かれた額をもたげていた
私たち自身の〝破壊そのもの〟の吐息が
ことばにならない泡を紡ぎながら
海の底から重く重くあふれだしていた
生まれたばかりの〝彼女〟は怒りも喜びもなく
ただ盲目の無の使いとして沈黙を続けていた
ひそやかなその誕生を
本当に誰も知らなかったか
いや、誰もが瀕死の魚のように
みえない鰭の端で感じていたのではないか
(かつて私たちは魚だった、鳥だった)
深海にひそむみずからの喘ぎを
聴き取ろうとしなかっただけではないか
遥か陸上に冷たい粘土の身体を横たえ
鼓動させるだけで精一杯だったとでもいうのか
だが海深くから砂埃をあげてもがく
真実のいのちの苦しみがたしかにあった
私たちは共振するように
夜ごと 凶(わる)い夢を見続けていたではないか
(火の夢を見た、鉛の夢も見た)
眠っている間(ま)も
月に照らされた不眠の海を
甲冑姿の死神たちは無へと凱旋行進していた
槍の先に「星を歌う心臓」を突いて掲げ
黒い空の血を浴びながら 死の歌を
木製の声で高らかに歌い上げた
眠る私たちから夢の海へ燃え墜ちていったのは
流れ星ではなく
私たちと世界をつなぐ胞衣(えな)
夢の光も届かない底へ渦巻き吹きだまる
愛や希望や信頼という名さえも腐乱させた嬰児たち
それらはよるべなく抱き合いながら「そのとき」を待った
私たちの幾千もの夜が縊り殺した善き神々もまた
闇の血潮に乗り そこに流れ着き
蛇や鳥や犬の胴に食い込む不信のロープを外し
お互いをきつく結び付け直して「そのとき」を待った
待ち望むでもなく、恐れるでもなく、ひたすら待った
破壊されたすべてが〝破壊そのもの〟として一つになり
ふたたび漆黒の生命(いのち)ごと迫り上がる
時の超新星爆発を
〝そのとき〟
闇の叫びは奪われ 死の叫びさえ凍りついた
空がかつてない残酷な閃光をあげ
世界はやっと気づいた
自分自身がもはやとめどなく狂ったメドゥサの機械であることを
水という水が「私たち」の手負いの傷に苦しみ
風という風が魂の皮で出来た痛みの旗をはためかせていることを
いつからか、なぜか──
問う暇もなく
まったき無根拠の深さで溺れてプレートを踏み外し
轟音とともに世界は
世界自身の悪意へと無限に身を委ねてしまった
青い死のまなざしは未来へと向けられ
ヒュドラはメドゥサの額から陸へ解き放たれ
三月十一日午後二時四十六分──
コノ国ノタマシイカラ封ジ込メラレテイタスベテノ悲鳴ガホトバシリ
人々ハ硝子ノ橋ノ上デ立チ尽クシ石ノバベルハタチマチニ崩レ落チタ
*メドゥサ 古代ギリシア神話に出てくる怪物。見るものを石にする力を持つ。頭は無数の毒蛇。
*ヒュドラ 水蛇
河津聖恵(かわづきよえ) 1961年東京都に生まれる。京都大学文学部卒業。1985年第23回現代詩手帖賞受賞。詩集に『姉の筆端』、『クウカンクラーゲ』、『夏の終わり』(第9回歴程新鋭賞)、『アリア、この夜の裸体のために』(第53回H氏賞)、『青の太陽』『神は外せないイヤホンを』『新鹿』『龍神』『ハッキョへの坂』『現代詩文庫183・河津聖恵詩集』。詩論集に『ルリアンス――他者と共にある詩』。野樹かずみとの共著に『christmas mountain わたしたちの路地』『天秤 わたしたちの空』。『朝鮮学校除外反対アンソロジー』発行人。京都在住
7 「フクシマ以後に沈黙していることは野蛮である」・坂本龍一・高橋郁夫の「手記」『渚と修羅』について
「渚と修羅」(2013年3月、コールサック社)
・「再稼動と賢治の『慢』」
2012年初夏 「さよなら原発10万人集会」
坂本龍一さん
「フクシマのあとに沈黙していることは野蛮である」
高橋さんはこう「解釈」した。
―我々は、フクシマの大惨害を体験してしまった。これは人類の痛恨事として永く記憶し、教訓を活かすべきことだ。この惨禍が起きるに至ったことには、それまで大多数の人々が示してきた「沈黙」にも関わりがある。その「沈黙」は、今にして省みれば、いわば「野蛮」なことだった。従って、フクシマを実際に体験した後になってまで「沈黙」し続けることは、野蛮を重ね、野蛮を繰り返すことになる。
8 南相馬の詩人、若松丈太郎・1994年5月、詩「神隠しされた街」、『福島原発難民』『福島核災棄民』
詩「神隠しされた街」
若松丈太郎【『悲歌』・連詩「かなしみの土地」より】〈194年8月作品〉
四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
サッカーゲームが終わって競技場から立ち去ったのではない
人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ
ラジオで避難警報があって
「三日分の食料を準備してください」
多くの人は三日たてば帰れると思って
ちいさな手提げ袋をもって
なかには仔猫だけを抱いた老婆も
入院加療中の病人も
千百台のバスに乗って
四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
鬼ごっこする子どもたちの歓声が
隣人との垣根ごしのあいさつが
郵便配達夫の自転車のベル音が
ボルシチを煮るにおいが
家々の窓の夜のあかりが
人びとの暮らしが
地図のうえからプリピャチ市が消えた
チェルノブイリ事故発生四十時間後のことである
千百台のバスに乗って
プリピャチ市民が二時間のあいだにちりぢりに
近隣三村あわせて四万九千人が消えた
四万九千人といえば
私の住む原町市の人口にひとしい
さらに
原子力発電所中心半径三〇㎞ゾーンは危険地帯とされ
十一日目の五月六日から三日のあいだに九万二千人が
あわせて約十五万人
人びとは一〇〇㎞や一五〇㎞先の農村にちりぢりに消えた
半径三〇㎞ゾーンといえば
東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
双葉町 大熊町
富岡町 楢葉町
浪江町 広野町
川内村 都路村 葛尾村
小高町 いわき市北部
そして私の住む原町市がふくまれる
こちらもあわせて約十五万人
私たちが消えるべき先はどこか
私たちはどこに姿を消せばいいのか
事故六年のちに避難命令が出た村さえもある
事故八年のちの旧プリピャチ市に
私たちは入った
亀裂がはいったペーヴメントの
亀裂をひろげて雑草がたけだけしい
ツバメが飛んでいる
ハトが胸をふくらませている
チョウが草花に羽をやすめている
ハエがおちつきなく動いている
蚊柱が回転している
街路樹の葉が風に身をゆだねている
それなのに
人声のしない都市
人の歩いていない都市
四万五千の人びとがかくれんぼしている都市
鬼の私は捜しまわる
幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具
台所のこんろにかけられたシチュー鍋
オフィスの机上のひろげたままの書類
ついさっきまで人がいた気配はどこにもあるのに
日がもう暮れる
鬼の私はとほうに暮れる
友だちがみんな神隠しにあってしまって
私は広場にひとり立ちつくす
デパートもホテルも
文化会館も学校も
集合住宅も
崩れはじめている
すべてはほろびへと向かう
人びとのいのちと
人びとがつくった都市と
ほろびをきそいあう
ストロンチウム九〇 半減期 二七.七年
セシウム一三七 半減期 三〇年
プルトニウム二三九 半減期 二四四〇〇年
セシウムの放射線量が八分の一に減るまでに九十年
致死量八倍のセシウムは九十年後も生きものを殺しつづける
人は百年後のことに自分の手を下せないということであれば
人がプルトニウムを扱うのは不遜というべきか
捨てられた幼稚園の広場を歩く
雑草に踏み入れる
雑草に付着していた核種が舞いあがったにちがいない
肺は核種のまじった空気をとりこんだにちがいない
神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない
私たちの神隠しはきょうかもしれない
うしろで子どもの声がした気がする
ふりむいてもだれもいない
なにかが背筋をぞくっと襲う
広場にひとり立ちつくす
この詩はチェルノブイリ福島県民調査団に参加した後、1994年8月に詠まれた連詩「かなしみの土地」のひとつ。この詩の英訳者アーサー・ビナードがこれは「予言だ」といっているのに対して、詩人・若松丈太郎はこう答えている。「わたしは予言者ではまったくない。ただただ観察して、実を読み解こうとしただけのこと」(ネット「2ペンスの希望」から)
9 ・『脱原発・自然エネルギー218人詩集』・3・11以後の原発震災詩「だれ?」
詩 だれ? (空色 まゆ 1963年生まれ 愛知県)
地中深く眠っていたわたしを
起こしたのはだれ?
地球の奥深くで重い体を横たえていたわたしを.
地表に連れ出したのはだれ?
重力という結界で守られていたわたしを
地表に引っ張り出したのはだれ?
地中に閉じ込めたわたしの力を
「解放せよ」と命じたのはだれ?
何十万年、何百万年と燃え続けても
なおあまりあるわたしの力を
「うまく使いこなせる」と挑んだのはだれ?
地表に引き上げられ解き放たれたわたしが
小さな箱の中で
おとなしく言われるままにすると信じたのはだれ?
あなたはわたしの力を利用した
そして
あなたがわたしの力を制御できなくなったとき
わたしを遠ざけ忌み嫌い
わたしを憎み
わたしから受けた恩恵を
なかったことのように消そうとした
地表に満ちたわたしの力を
わたしは消すことができない
わたしのもっている力を
そっくりそのまま太陽にゆずって
地中深くの
わたしが安らげる場所にもどりたい
けれどもわたしは
自分でわたしの居場所にもどることはできない
地中深く眠っていたわたしを
地表に呼び寄せたのはだれ?
詩 危険な神話 黒川 純
遠い遠い何万年か後の列島のある朝
黄色い風がびゅーびゅーと巻き上げる大地に
大騒ぎの末に抑え込んだ放射性廃棄物
半減期2万4千年のプルトニウム239
永遠にゼロにならないそれが姿を現す
完全に封じ込めたはずだと強弁したが
どんなに危険な未来への遺産であるのか
私たちの子孫はわかってくれるだろうか?
日本語はずっと途絶えることはないか?
治す技術や使える資材も伝わっているのか?
そこまで人類は生き続けているのかどうか?
集落の守り神、両眼を失ったモアイたちだけが
海原と大地を視つめて黙って立ち尽くしていた
太平洋に浮かぶ孤島・イースター島
その歴史をもう一度繰り返すのかどうか0
10 ほとばしるように生まれた震災詩・東梅洋子『うねり 70篇 大槌町で』
東梅洋子(とうばいようこ)「うねり」(2013年3月) 1951年、岩手県大槌町生まれ、北上市在住
詩 3月11日の午後
同級生の彼女/何十年ぶりかの再会
一ケ月後/生まれ育った/海辺の町に現れた
巨大な影と/たわむれて/帰る道を/忘れたと
どこで道草してる/桜のつぼみが/咲く頃 もどるのね/帰るのよ
11 「進歩の定義を変え、未来の設計図を変え」・「懐かしい未来」の方へ・2014年春、「砂時計主義」を「懐かしい未来」に
12 再び問われる「詩とは何か」・河津聖恵さん詩論集『ルリアンス 他者と共にある詩』の角度
詩は運針の針のように
「つまり『詩とは何か』という問いかけは、それが原理的なものである限り、解答を論理的に出そうとしたり、すでにある解答にプロテストする姿勢に終わるものではない。それは詩への疑いを呼びおこし、『生きることとは何か』をめぐる思考をも巻き込む(あるいはむしろそこに巻き込まれる)思考のうごめきそのもののことである。それは、生きることのリアリティのただなかで運針の針のように消えてはあらわれ、あらわれては消える思考と感性の戦いだが、その栄光と悲惨の痕跡は、詩論というよりはやはり詩の言葉となってこそ残されるだろう」(河津聖恵・詩論集『ルリアンス』(「原理へ」、2007年6月、思潮社)
ズレの体感をきっかけに
詩ははじまりにおいては純粋な「自己表出」だ。なにかをいいあてたい。この世に流通する言葉ではいいあてられないなにかを、というかすかなズレのような欲望が、書き手自身もさだかでないただなかから生成するとき、詩ははじまる、とここでは考えた。しがそのようにして書き手のただなかから生まれるものであるかぎり、それは時代や社会にとって「違和」として存在する。詩がいいあてられない、けれどいいあてたいなにかとは、未知のいいしれない魅惑的な価値にささえられている。その未知の価値が詩を詩たらしめるが、それは今ここに生きていることがどこかちがうというズレの体感をきっかけとしてこそ予感しうると思う。(同・「潜り込み、溶けこむ」)
(了)
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