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歌・唄・詩

2017年12月30日 (土)

「勝手にシェアハウス」、ようこそ!いらっしゃい! ―南相馬市から塙町に「避難」した藤島昌治さんの思いー

 

Photo 「勝手にシェアハウス」、ようこそ!いらっしゃい!

―南相馬市から塙町に「避難」した藤島昌治さんの思いー

 

 「とりあえず、住んでいるところで始めようとー。『勝手にシェアハウス』と呼んでいるんです。一緒に住みたいという被災者がいれば、そりゃ、WELCOMEです」。

 2017年10月21日(土)夕、福島県南相馬市原町区の牛越応急仮設住宅・第三集会所。私たち「原発いらない栃木の会 第4回福島視察」の一行それぞれが耳を傾けた。にこやかに、ときに原発再稼動に怒った、詩人でもある藤島昌治さん(ふじしま・まさはる)(72)。福島第一原発事故で住み慣れた南相馬市小高区から新潟県三条市に避難した後、南相馬市鹿島区の仮設住宅の自治会長を長く務め、行き場をなくした人々の暮らしを「シェアハウス」(復興共生住宅)という形で実現したい、と全国に呼びかけてきた。ふるさとは南相馬市小高区。2016年7月に一部の帰宅困難地域を除いて避難解除となった。今は茨城県が近い福島県塙町の古民家に移り住んでいるという。

 「南相馬市小高地区にシェアハウスを作ろう会」がシェアハウスを実現するための署名を始めたのは2015年初夏。署名ではこう呼びかけた。「震災前のつながりが深く、近隣の助け合いの自治体制は、今の状況からは、期待できないことは明らかです。そんな中でも、美しい街並みや住み慣れた地域に生活することが私たちの安らぎだと感じます。私たちが小高で生活する上で、不安なく生活するために・・・・このたび。署名活動を行うことにしました」。

 私たち「原発いらない栃木の会」は2年前の秋、第3回福島視察を行い、そのとき、藤島さんから「今後起こりうる孤独死・自殺・うつを防ぐためにも。シェアハウスをなんとしても実現したい」と力説したのを聴いています。その懇談会の場も今回の第4回福島視察と同じ牛越仮設住宅の集会所でした。

 藤島さんたちが考えていた、考えているシェアハウスは、一棟の中に個室と広い居間、共用の台所、食堂、風呂、トイレなどがある、共用スペースがあることで住民同士が協力しながら支えあえる、必要なサポートも受け入れやすくなる、というもの。第3回視察で私など「原発いらない栃木の会」の一行は「シェアハウス」実現の思いに対し、大いに共感。私たちの会でもささやかな署名活動を進めました。

 福島視察では、福島第一原発周辺の町村の放射能汚染の状況はどうなっているのか?放射能汚染土を詰め込んだフレコンバックが連なるあの大地はどう変わっているのか?今も人々が帰ることができない「帰宅困難地域」の放射能汚染の実情は?南相馬市小高駅前の商店街は復興に向けてどう変わっているのか?などについて、大いに関心を寄せ、それらについて見聞してきました。

復興住宅を訪ねた際は、ときに「菜園もある雰囲気の良い復興住宅ですね!」と笑顔でうなづき、ときに「そんなにご近所との付き合いが少なくなったのですか?」と、まゆをしかめ。

 それと同時に被災者たち、避難者たち、福島県の詩人、若松丈太郎さんに言わせると「核災難民」の人たちの暮らし・環境はどのように前に進んでいるのか、いないのか?、それについても知りたいことでした。

 ですから、2年前に聴いたときからその行方について関心を寄せていた「シェアハウス」の進展がどうなっているのか?ぜひ聴きたいところでした。藤島さんによると、その点について、シェアハウスを実現させようという署名は各地の協力もあり、1万筆以上を達成。南相馬市議会でもその趣旨を採択した。しかし、現実には「何で復興住宅ではだめなのか?」と言われてしまう。子どもたちは遠くに行ってしまい、年寄りと離れ離れになっている。その高齢者は農業ができない、健康ではない、などなどの状況下、人と人とのコミュニケーションがいかに大切かーそれらの実情について、「仮設住宅の暮らしを知らない、関係先の人たちの理解が得られない」ことで、未だに藤島さんたちが願っていたシェアハウスは実現できていないのだという。

 「シェアハウスは、長い目で、あきらめずにやっていこうと思う」、「時間が経てば、シェアハウスは必ず実現すると思う」、藤島さんはこう言って、シェアハウスの実現に向けて意欲を見せていました。

 藤島さんは仮設住宅の自治会長で知られていますが、一方で詩集『仮設にて 福島はもはや「フクシマ」になった』(遊行社、初版第一刷発行2014年8月12日)でも知られる詩人。この『仮設にて』は英文でも発行されています。「原発いらない栃木の会」定期総会の場でも頒布されてきたので、手にしている方もかなりおられるかと思います。

 その藤島さんは2016年3月11日付初版第一刷の別の詩集『長き不在 フクシマを生きる』(遊行社)も発刊しています。その「あとがき」でこう記しています。

 「福島第一原子力発電所の水素ガス爆発による災害で、避難を与儀なくされたものの、4月には避難解除の時をむかえようとしている。被災者の殆どが、元の生活に戻ることなど適うこともなく、更なる、避難先を求めて彷徨う者など、果てしなき苦難は続いてゆく。とりわけ、置き去りにされる高齢者の先行きが案じられるのです」。

 その詩集『長き不在』に収められた33篇の詩のなかで、その題名もズバリ、「シェアハウス」というのがあります。その詩こそ、「シェアハウス」を現実にしたいという藤島さんの思いが込められているー私はそう感じたのです。

詩 シェアハウス(藤島昌治)

 

親孝行の息子がさ/優しかった娘がさ/可愛がった孫がさ

 

復興住宅さに行けど

 

どこさ行けばいいんだ/なじょすたらいい?/こんな婆(ばばあ)/置き去りにして

 

この先/何さ 掴まって/行けばいいのか/いっそ 死んでしまったほうがいいのかも

 

行き場を失った年寄りの歎き

 

誰が そんなことを赦すか/誰が そんなことをさせてなるものか

 

婆ちゃんも/爺ちゃんも/待ってろ/シェアハウス造ってやる

 

 藤島さんの話しが終わるところで、「今、住んでおり、『勝手にシェアハウス』にしようというその古民家の大きさは?」という問い掛けがありました。藤島さんは「土地は約400坪、8畳、10畳、6畳、6畳、それに離れも」と答えていました。一同は「それは大きい」と感嘆したのです。

 藤島さんの話しの中で特に印象に残ったのは、「原発事故は起こるべくして起こったわけで、今、逃げ道さえ確保できれば再稼動させるとしている、が、そんなばかなことはあり得ない」と、原発再稼動に真っ向反対していることを伝えたこと、それに「あの時65歳だったが、今や72歳。この7年間のロス、何ともったいなかったことか!」と、思わず「3・11以後」について振り返ったときの表情でした。

 さて、今回の原稿を書く段階で、「今、藤島さんのような避難者はどのように

社会的に把握されているのだろうか?」という点だった。参考になる記事として、毎日新聞9月9日付「東日本大震災6年半、避難指示解除半年(その1) 家族のぬくもり、取り戻す」がありました。

 この記事によると、福島第一原発事故で避難指示が出された福島県内11市町村で、事故直後の対象者は、約8万8000人にのぼった。原発のある大熊・双葉両町を除く9市町村で避難指示が順次解除された。だが、放射線の影響や生活環境に不安を抱いたり、避難先に生活基盤が移ったりした人が多い。その結果、今年7月~8月現在、解除区域に帰還や転入した移住者は、新たに生まれた子どもたちを含め、計5951人。住民登録者数(4万9997人)の12%にとどまるという。

 

 その「避難解除」についても、藤島さんは詩集『長き不在』の中の一篇、「みえない霧の中で」で、「二度目の漂流、避難の始まりである」と、しています。

 

詩 みえない霧の中で(藤島昌治)

 

(前略)

原発の爆発による災害は/想像を超える過酷なもので

家屋ばかりでなく/身もこころも/ボロ ボロ に破壊

家族や家庭をも/ズタ ズタ に引き裂いた

宛て処もない移住先を求めて/今 なお

彷徨(さまよい)続けるボクにとって

避難解除は/決して喜べることではなく

二度目の漂流 避難の始まりである

 

(「原発いらない会」理事 富岡洋一郎)

 

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2017年12月24日 (日)

詩 降ってくる 黒川純  詩誌「鹿沼詩想2018」へ

 久しぶりに詩を書きました。締め切りがなんと、あすの12月25日(月)。先ほど郵送したので、時間に間に合うかどうか~。鹿沼の私が敬愛している詩人、小林守城さんに「招待詩を」と依頼文がきたので、なんとか注文に間に合わせたいと思ったのでした。

 12月に入り、特にこのところ、編集に、原稿に、印刷に、さらに薪づくりに追われておりました。ようやく23日から時間が少しとれたので、「えいやっと」。そんな「仕事は忙しい人に頼め」的な当事者になっておりました。

 今回は少し、それなりの「実験的な手法」?も取り入れたつもりです。さて、それがわかってもらえるかどうか、というか、それが詩の作品で成功したかどうか?ー。これは、自分でもじっくり詩を眺めながら考えてみたいところですー。

Img_6013_2 「かぬま詩想2018」

2017・12・24        日光霧降高原

 

降ってくる       黒川純 

 

「それでは決をとります!」

ボールペンを走らせたり

ハンドマイクを手にしたり

振り返ると

中高年の男たちばかり

そりゃ、いつでも

一番若いもんだった。

「隊列!前へー」

カモメが飛んだ

そうだ!一番列車に乗って行こう

「万事塞翁が馬」

長髪があっという間に

白髪の長老に

止めるくれるなおっかさん

背中の銀杏が降ってくる。

 

 

そんな時代が青春だったのさ。

けげんそうに若者が問う

「それで、そこは全京都のどこあたりに?」

「全京都ではないのだよ」

赤い椿の森陰に
はかない恋に泣くとかや

かんかんがくがく

百家争鳴

ゼンガクキョウトウカイギ

「ぜいたくは素敵だ!」

半世紀前のあれこれは

大魔神の怒りの炎。

その雨を視たかい?

焼き尽くすナパーム弾

晴天の空から降ってくるんだ

 

 

歴史はれんめんと続いている

放射能が降っています

いや、だれが放射能を降らせた?

福島を返せ!

あのときも叫んでいた。

「沖縄を解き放て!」

ざわわ~ざわわ~ざわわ

朝日のごとくさわやかに

♪雨が空から降ればー

♪想い出は地面に浸み込む~

沖縄では

小学校の体育の授業中でも

米軍のヘリコプターから

児童たちの10mほど先に

窓ガラスが降ってくる。

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2016年8月30日 (火)

小さな木霊たちの旋律 黒川純が久しぶりに詩作品~。

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小さな木霊たちの旋律

 

大揺れの逆流でもどっしりと踏ん張る

聖なる調べを手につかみとるべきなのだ。

南の海に先駆けて眠る涼やかなラッパ手たち

戦後を支えるベース音とどこかで交わるはずだ。

日本地図を行き交う街角とにらめっこし、

基本のコードを進行させるのはそれからだ。

使い古したフレーズを仕入れるは、もうやめて

音階という音階の管理人になってやろうじゃないか

やるべきことは分かっているさ

あしたのコンニチワに差しさわりがあるので

マイナーコードの後ろ髪に人工呼吸をほどこし

切っても切れそうにない鍵盤の砦に向かい

嫌な音が視えない不協和音を検索し

その綱の一つ一つの退路を断ってやるのさ。

仕上げはきっとこうなるだろう そうー

糸電話の秘密情報で頭脳警察をあぶりだし

バロック調の香りがうれしい珈琲を入れてから

腕まくりしたワイシャツにロックを叩きつけ

小さな木霊たちの手で美しい旋律を建てる

そうなりゃ、目標までもう少しー

じっくりと発酵したメロディがだんだんと

紅色のフォークダンスを盛り上げる

それがお気に入りのJAZZになったら

少しずつ腕を上げるチェロ弾きと一緒に

晴れやかな村の音楽祭に登場するがいい

そうすれば、やがて

救命士であったり、防災士であったり、

いずれも兼ねる鼓笛隊の若者たちが

響き渡る和音で出迎えてくれるだろう

 


                             

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2016年8月20日 (土)

たくさんの美味しい珈琲たち  「快気祝い」記念詩・黒川純

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2016・8・20 「快気祝い」記念詩

                      黒川純

たくさんの美味しい珈琲たち

 

それが手強い岩石なら、原子からじょじょに掘り崩していくべきだ

清潔な正義たちが、舞台の口上をたくさんのポストに投函するため

指し示す一本の杖で、海原が割れ、大草原となった山あいの小道へ、

あっちに行って紙風船、こっちに行って紙飛行機、右往左往しながら

きらきらしたまっすぐな朝顔の露でお互いの顔を洗い合い

ニッカポッカを着こなした山盛りのハンマーで叩き壊していけば

いつも週刊誌を手にするあなたも私も美男と美女になっていくだろう

シェアに次ぐシェアで荒れ狂う世界の怒りの海に乗ったその信号弾で、

いつもつーんとしたお澄まし顔のとんがり帽子を泣かせてしまおう。

 

それには、もうひとつの戦略と戦術が街角から立たねばならない。

ネタを仕入れるのではなく、視えない手品の管理人になってやろう

切っても切れそうにない泥沼を突き落とすため、どぶ板からどぶ板へ

街角の小さな木霊をたくさんの美味しい珈琲たちに変身させー

いや、糸電話からの秘密の情報をたくさんの美酒に変えてもいい

発酵したフレーズがだんだんと嬉しい悲鳴を上げるJAZZになったなら

鎌と鍬、ツルハシとスコップを片手に、透明なプールに飛び込むがいい

手を差し伸べる救命ボートだらけの下りの列車が共鳴しながら

花吹雪の大音響と共に懐かしい未来が待ち受けていることだろう

 

相手のそれはおせじだらけの調理なのに生煮えのコンクリートだけに

競走馬をビル街のコースを走らせる謀議がお得意なのも承知のうえで言うが

もう、そのコースの薄汚れたメッキは幼稚園のオモチャ箱行きなのだ

世界はそのように目隠しされてきたのだから、盛夏のぎらぎらした光を蓄えて

歴史はいつだって、槍と盾を携え、大きな風車に立ち向かっているから

私たちの遺伝子がわき目もふらずに42・195㌔を走り抜けるのだ。

21世紀の銀河鉄道に乗り込み、ゴーヤチャンプルーを味わって

ある晴れた午後、ウッドデッキづくりで汗をぬぐって曲尺をあてれば、

ゴールが見え隠れすると、霧の向こうで微笑む時の女神が告げることだろう


 

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2016年5月23日 (月)

「しゃべくり捲れ」と、小熊秀雄は叫んだ 「詩人の眼」その草稿

Photo 毎月20日締め切りのエッセイ、今回も数日遅れに。メールで編集委員会に「恐縮です」と、もう何回、お詫びしたことだろう(泣く)3月号からの半年間連載、その最終回。最後ぐらい、締め切りを守りたかったのだが|~。

「詩と思想」8月号原稿 「詩人の眼」 5月23日(月)

「しゃべくり捲れ」と、小熊秀雄は叫んだ
                    黒川純

 。。。。。。。
 ゙ と、考えるまでもなく、あっさりと小熊秀雄協会に参加しようと思わせる小熊秀雄の詩とはどんなものなのか?、詩人以外の読者は不思議がることだろう。そこでひとつの典型的といってよい小熊の詩「しゃべくり捲れ」の、そのほんの一部を挙げてみたい。と、思っていたことをそのまま書きながら、『小熊秀雄 人と作品』(岡田雅勝 清水書院 1991年)をチェックしていたら、「小熊の詩作品を代表する」とあった。

私は、いま幸福なのだ
舌が廻るということが!
沈黙が卑屈の一種であるということを
私は、よっく知っているし、
沈黙が、何の意見を
表明したことにも
ならないことを知っているからー。
若い詩人よ、君はしゃべくり捲れ
我々は、だまっているものを
どんどん黙殺して行進していい、
・・・・・
薔薇は口をもたないから
匂いをもって君の鼻へ語る、
月は、口をもたないから
光りをもって君の眼に語っている、
ところで詩人は何をもって語るべきなのか?
4人の女は、優に一人の男を
だまりこませるほどに
仲間の力をもって、しゃべくり捲るものだ
プロレタリア詩人よ、
我々は大いに、しゃべったらよい、
仲間の結束をもって
敵を沈黙させるほどに
壮烈にー。

 この詩の中に「プロレタリア詩人よ」とあるが、『小熊秀雄とその時代』(せらび書房)や『小熊秀雄 人と作品』によると、小熊秀雄がプロレタリア詩人会に入会したのは、30歳の1931(昭和6)年だった。「プロレタリア文学運動に入り、魚が水を得たように元気に活動的になった」(小熊の妻・つね子「小熊秀雄との歳月」)。翌年の1932(昭和7)年、日本プロレタリア作家連盟(ナルプ)と発展的に解消し、小熊も参加した。その年、ナルプも構成団体のひとつとする日本プロレタリア文化連盟(コップ)が弾圧された。小熊も検挙され、29日間の拘留を受けた。さらに1933(昭和8)年、小林多喜二が虐殺されたという知らせでナルプ委員長のところに駆け付けたところで検挙され、再び29日間の拘留を受けた。日本プロレタリア作家連盟は1934(昭和9)年に解体宣言を出したが、小熊はその翌年の1935(昭和10)年に第一詩集『小熊秀雄詩集』と長編叙事詩集『飛ぶ橇(そり)』を刊行している。
 小熊秀雄はプロレタリア文化運動が終わった時期から登場したという。それだけに「しゃべくり捲れ」が弾圧で衰退するしかなかった当時の詩壇に与えた影響は大きかったのだろう。「ヴィトゲインシュタイン」(清水書院)などの著書もある岡田雅勝は、彼の「最後のふんぞり返り」だと解説しているが、これは「なるほどー」と。

 「もし詩人がさまざまな圧力や束縛によって歌うことを止めたとしたら、それは詩人として生きていないのだ。〈しゃべくり捲れ〉という小熊は叫ぶは、自分が詩人としての路を選んだ以上は、もうその路を歩むことしか残されておらず、歌うことで自分の路が絶たれるとすれば、もう自分は生きる方途がないという最後のふんぞり返りであった。それは歌うことを止めた詩人に対する非難であり、弾圧に屈している詩人たちに勇気をもって立ち上がることに詩人の存在理由があるという促しでもあった」

 と、まぁ、今から80年前の小熊秀雄の「詩想」をなぞっていたら、
。。。。。。。。

(残りは「詩と思想」8月号でー7月下旬、全国書店で刊行ー)

2016年5月 1日 (日)

ソーシャルメディアの革命性とはー「詩と思想」5月号 黒川純

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   その一歩の背中を押す踏み台

ソーシャルメディアの革命性とはー

            黒川純

 337、1290、9251、3385・・・・。この数字、何かと思うでしょうか。実は、私、黒川純のSMS(ソーシャルメディアサービス)の2016年2月中旬のそれぞれのサービスの「ともだち」であったり、「訪問者」であったり、あるいは「投稿」の数だ。337は、FACEBOOKで互いに認証しあっている「ともだち」が337人、TWITTERで私の投稿を受ける人・「フォロアー」が1290人、そのTWITTERに私が投稿した記事が9251本、BLOG「霧降文庫」の1月の月間訪問者の実数が3385人。という意味合いだ。

最初に始めたのは、BLOGで、2010年6月から。「3・11」の10ケ月前だ。「3・11」から3週間後、岩手県の災害支援に出掛けた際、「あと3人の手が欲しい」「軽トラをもう一台」といった呼び掛けがTWITTERで行われていた。その現場からトンボ返りした2011年4月にTWITTERを始め、さらに2年後、FACEBOOKも始めた。このSMSに加え、「脱原発団体」や「反戦争法」や「半貧困ネット」といった市民団体のML(メーリングリスト)が5つあり、このネット間を往復する日々が続いている。

もともとはアナログ派を自認していた。というか、メール時代からそれほど積極的に関わってもいなかった。だが、「3・11」以後、必要に迫られて始めたSMSで、デジタル派だと思われるようになってしまったようなのだ。本人の意思、思惑を超えて、今では、こうした市民団体の複数のSMS担当をおおせつかっているところだ。さて、その私にとって、今では毎日着替える衣服のような存在になっている。

 

 2011年のチェニジアのジャスミン革命から、またたく間に、エジプト、リビア、バーレンへ。「アラブの春」がこのソーシャルメディアの、SMSが大きな役割を担ったことは繰り返し報道され、記憶にも新しい。なぜ、チェニジアでFACEBOOKに端を発する革命が起きたのか?自身、TWITTERで61万6千人のフオロワーを持つ津田大介は『動員の革命―ソーシャルメディアは何を変えたのか』(2012年4月10日初版、中公新書ラクレ)で、実はアフリカで一番IT化が進んでいるのが、チュニジアだったと言っている。その実情を含めた指摘は私にとって初耳だった。 おっと~、問題はその革命の構造を伝えることではなく、この『動員の革命』の指摘、視点を私のSMS体験を重ねながら、提示したいことにある。「はじめに」で、彼、津田大介は以下のように結論を先取りしている。

 

 わたしたちを取り巻く情報環境は、ここ数年のソーシャルメディアの台頭によって大きく変わりました。その本質は「だれでも情報を発信できるようになった」という、陳腐なメディア論で言われがちなことではなく、『ソーシャルメディアがリアル(現実の空間・場所)を《拡張》したことで、かつてない勢いで人を『動員』できるようになった』というところにあるのです。ネットを通じて短期間に人が動員されるとどのような社会変革が起きるのかー。

 

 問題意識ははっきりしている。この延長で最も魅力的な見方は以下にある。

 

 ソーシャルメディアというのは、実は人が行動する際に、モチベーションを与えてくれるもの――言い換えると、背中を押してくれるメディアとして機能しているのです。「この人が言うことなら信頼できる」という行動するための判断材料がつまびらかにされるので、自分でもできることを協力しようと思える。それは東日本大震災でも大きな力を発揮しました(略)とにかく人を集めるのに長けたツールです。人を集めて行動させる。まさにデモに代表されるように、人が集まることで圧力となり、社会が変わります。そのソーシャルメディアの革命性が最大限発揮されたのが「アラブの春」でした。

 

 キイワードは「動員」。そのSMSによる典型的な事例が2011年秋、日光市のJR日光駅舎を会場に私などが実行委形式で企画した京都の詩人・河津聖恵さんの詩の講演会と朗読会がある。演題は「ひとりびとりの死者へ」へ、「ひとりびとりの生者」から。「3・11」以後、たまたまTWITTERで偶然知り合った河津さんと意気投合。日光で詩のイベントを行うことを決めた。このとき、私のBLOGでは「河津聖恵の世界」と題して24回にわたって、彼女の詩の世界を紹介。前売券1200円、当日券1500円のイベントを成功させようとした。結果はー。参加者70人ほど。「日光詩人クラブ」があるわけでもない、小さな地方都市で、こうしたイベントの「動員」がよく成立したと思う。

 

 最近で言えば、国会前や日比谷公園などである戦争法反対抗議や脱原発の集会・デモについて、仲間に情報連絡する際は、もっぱらFACEBOOKの「公開イベント招待」を使っている。これなどは「動員」はもちろんだが、それ以前に「情報の共有」、「知恵の交換」といった意味合いもある。〈世の中はこんなふうに訴えているよ、こんな形で行動を起こしているよ〉、そんなことを伝えようという思いも込めて。

 最近の例では、今春2月27日(土)、日光市市民活動支援センターを会場に開いた「小規模自家発電ワークショップ」がある。ソーラー発電システムを自分で組み立てようという自主講座だ。主催は「さよなら原発!日光の会」。FACEBOOKMLなどで呼び掛けたところ、定員25人のところ、希望者が次々と。30人を超えてしまったので、募集をストップしたほど。これなどは「動員」をかける一方、「情報の共有」と「知恵の交換」を狙った典型例だ。ただし、ソーシャルメディアに慣れている人ばかりではないので、応募の手段は、SMSが半数、電話や会議などで「参加するよ」といった以前の手段がた半数という実態だ。

 

 「動員」といえば、デモや集会もそうだが、やはり選挙だろう。たけなわの米大統領選では、民主党のバーニー・サンダース上院議員(74)の思わぬ躍進が大きく報道されてきた。東京新聞の「米大統領予備選(下) 証言者 サンダース支持の大学生」(2月24日付)では、これまで話題にしてきたSMSについて、こんな結びの記事になっている。

 「サンダースが若者に愛される理由の一つは、インターネットのソーシャルメディア候補だから。つまり、サンダースが掲げた『人種、差別、収入の平等』という、若者が一番関心のある政策とネットがうまくかみ合って広がっていると思うんだ。僕自身、サンダースの政策はネットで知った」

 ここでは「動員」を象徴に、「情報の共有」、「知恵の交換」といった原理が働いているー、そのことを示したリアルタイムの情況がある。

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2015年8月11日 (火)

狂い始めた・・・・折々の<状況> その29

折々の<状況> その29

とても正気だとは。そう、あまりにもあからさまに太陽が西から昇るかのように。けっこうですと、たくさんの、いや、大多数が叫んでいても。10万人単位の難民はそのままなのに、いずれ死語になるだろうその装置、そう、原発を再稼動させる、事故が起きてもその責任はだれも取ろうとしない仕組み、それも平然と、それぞれが安全だとうそぶく、神話はもはや崩れ落ちた、みんながそれを知ってしまった。にもかかわらず。判断停止、いや、思考停止、を意識的に。そのうえ、戦争法は出動の暦を準備するわ、非核3原則はわざと言わない・・・もうそんな時代ではないのだが、権力だけはご主人などおかまいなしに狂気の道を突っ走ってゆく、狂い始めた政治、腐り始めた社会、見えていて見ることをやめてしまう空気、起きた事実をないことにして、想像力を封印してしまう、想像力に背を向ける、パンとカーニバルと高校野球の熱狂がこの夏も列島を夢の、それも無残な夢の世界に連れ出してゆく ・・・その先は・・・・

(2015年8月11日BLOG「懐かしい未来」)

2015年3月31日 (火)

『腹板のセンス』で歩くのだ~終える 「詩と思想」5月号特集著者校正

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昼間は忙しいので(笑い)、深夜にならないと、「自分の時間」がとれないのか~。今夜は2日が締め切りの「詩と思想」5月号 特集「壁を超えて」の「政治という壁」。このテーマで書いたエッセイ「『複眼のセンス』で歩くのだ」(黒川純)の著者校正を終え、FAX送りを終えました。ほっと~(ただし、1日は別にこの校正を返信郵送しなければ)。

 

  それにしても「政治資金収支報告書」「確定申告」「市民団体議案書」「同議事録」「自治会救命入門コース申請」「出版記念会出欠挨拶」それに「エッセイ原稿校正」、古書店「霧降文庫」企画、ブログ「懐かしい未来」更新・・・と、毎日のように書くことがあるのは、?です。  

 これからさらに同人誌「序説」連絡、それに岩手県詩人クラブの冊子作品づくりが残っているのです~ふぅ~というところです。読みたい本が、それこそたくさんありますが、この状態のため、「晴耕雨読生活」なのに(どうかな?、笑い)、積読状態も始まっております~。

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2014年12月22日 (月)

「3・11以後」の詩を問う  栃木県現代詩人会講演演テキスト

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忘備録としてー〈そういえば、あのとき、資料はどんな本から?〉ー。と、

 ふと思いついて、栃木県現代詩人会で講演した「『3・11以後』の詩を問う 〈野蛮〉に〈野蛮〉を重ねるな 問われる倫理の根源」(12月7日、宇都宮)で使ったテキストは?ーと。

 きょう本棚から抜き出してみたら、こんなところからー。約30冊ありました。いやはや、その直前は、「読書集中週間」でした。

 詩や詩論に集中して親しむ機会はめったにないので、講演した私こそ〈勉強〉になりましたー

 (まぁ、自分が「3・11のひとつの区切り」として、学ぶ機会になるかも?と、いったんは断った講演をあえて引き受けたのでした)。

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2014年12月 5日 (金)

地中深く眠っていたわたしを・・・  詩 だれ?(空色 まゆ)

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詩 だれ?

(空色 まゆ  1963年生まれ 愛知県) 

 

地中深く眠っていたわたしを

 起こしたのはだれ?


 
地球の奥深くで重い体を横たえていたわたしを...


 
地表に連れ出したのはだれ?


 
重力という結界で守られていたわたしを


 
地表に引っ張り出したのはだれ?


 
地中に閉じ込めたわたしの力を


 
「解放せよ」と命じたのはだれ?


 
何十万年、何百万年と燃え続けても

おあまりあるわたしの力を


 
「うまく使いこなせる」と挑んだのはだれ?


 
地表に引き上げられ解き放たれたわたしが


 
小さな箱の中で


 
おとなしく言われるままにすると信じたのはだれ?

あなたはわたしの力を利用した

そして

あなたがわたしの力を制御できなくなったとき

わたしを遠ざけ忌み嫌い

わたしを憎み

わたしから受けた恩恵を

なかったことのように消そうとした

地表に満ちたわたしの力を

わたしは消すことができない

わたしのもっている力を

そっくりそのまま太陽にゆずって

地中深くの

わたしが安らげる場所にもどりたい

けれどもわたしは

自分でわたしの居場所にもどることはできない

地中深く眠っていたわたしを

地表に呼び寄せたのはだれ?

 

あなたはわたしの力を利用した
 
そして
 
あなたがわたしの力を制御できなくなったとき
 
わたしを遠ざけ忌み嫌い
 
わたしを憎み
 
わたしから受けた恩恵を
 
なかったことのように消そうとした

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地表に満ちたわたしの力を
わたしは消すことができない
わたしのもっている力を
そっくりそのまま太陽にゆずって
地中深くの
わたしが安らげる場所にもどりたい
けれどもわたしは
自分でわたしの居場所にもどることができない

 

地中深く眠っていたわたしを
地表に呼び寄せたのはだれ?

 

(「脱原発 自然エネルギー218人詩集」から)

 

 

あなたはわたしの力を利用した
そして
あなたがわたしの力を制御できなくなったとき
わたしを遠ざけ忌み嫌い
わたしを憎み
わたしから受けた恩恵を
なかったことのように消そうとした

 

地表に満ちたわたしの力を
わたしは消すことができない
わたしのもっている力を
そっくりそのまま太陽にゆずって
地中深くの
わたしが安らげる場所にもどりたい
けれどもわたしは
自分でわたしの居場所にもどることができない

 

地中深く眠っていたわたしを
地表に呼び寄せたのはだれ?

 

(「脱原発 自然エネルギー218人詩集」から)

 

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