23日は「日光マルシェ」。午前10時~午後3時。東武日光駅前から神橋かいわいまで、野菜、ジャム、地ビール、陶器、アクセサリー、クッキー、絵はがき、ドーナツ、新米、蜂蜜、とんぼ玉、古書、絵本、小物、カレー、フェアトレード商品など、30店が出ます。「写真展」もあります。
古書店「霧降文庫」も、「ともだち」の古本店「風花野文庫」などと共に、「石屋町公園」に出店します。このため、霧降高原の本店?(笑い~)は、お休みします。この日は「日光マルシェ」でやってますので、どうぞ、日光の街中へ。お散歩しながら、各店をのぞいてみてください。
(参加店舗 「日光マルシェ」公式BLOGから)
■東武日光駅前広場
さて、今回も約30のお店に参加いただけました。
http://www.nikko-jp.org/yayoisai/
(結局、最後は日本酒へ。真ん中の青森は弘前の地酒、吟醸酒「白神」を買い求めて、日光霧降高原で呑んでみたが、これが美味いこと、美味いことーほんとうに)
(ウィキペディアから)
尾島ねぷた
尾島ねぷた(おじまねぷた)は、毎年8月14日と8月15日に群馬県太田市尾島地区(旧新田郡尾島町)で行われる祭りである。正式名称は「太田市尾島ねぷたまつり」。
目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
3 備考
4 関連項目
概要 [編集]
尾島地区の商店街で行われ、近隣の都道府県からも訪れる客も多いため、東武鉄道も提携しており、会場の最寄り駅である木崎駅や太田市尾島総合支所(旧尾島町役場)とシャトルバスを運行している。
交通規制は国道354号の尾島交差点の約700m西側にある亀岡町地内の交差点から尾島一丁目交差点の区間となっており、西から東に移動する場合、安養寺交差点を上武道路方面に向かい、阿久津交差点を左折、尾島中学校西側の交差点を右折し、すずかけ団地東側(堀口町地内)の交差点を左折し、尾島一丁目交差点で国道354号に合流するようになっている。
歴史 [編集]
かつてこの地が、弘前藩初代藩主津軽為信が関ヶ原の戦いの功績によって加増を受けた飛び地であったことから、旧尾島町は青森県弘前市と友好都市提携を締結した。1986年(昭和61年)より開始し、尾島庁舎、地元の商工会、保育園、サッカークラブなども参加している。掛け声は弘前ねぷたと同様で「ヤーヤドー」である。
備考 [編集]
1986年から2004年までは尾島町長が挨拶をしていたが、2005年の市町村合併で太田市になったことにより太田市長の清水聖義が挨拶を行う。
2006年度は、弘前市の市長が参加した。
(砂時計主義」など4店が出店した石屋町公園で「CCR」を熱唱する久世隆史くん=13日)
まちなかの公園や駅前、神社、店先などに、さまざままな青空店舗が出現する「秋の日光マルシェ」が、12、13の両日、あった。天候にも恵まれ、深まりゆく秋の日光のまちを楽しむ人々でにぎわった。
「3・11」直後の春、観光地・日光は震災・津波・原発のパンチをくらい、観光地とは思えないさびしさが続いた。秋本番となり、そのときがうそのような活気があった。だが、それでも、相変わらず、外国人観光客がぐっと少なくなっていることがわかる。まだ以前の「世界の日光」の光景からはほど遠い。
それでも「日光のまち」を体感してもらおうという試みは、それなりに定着してきたようだ。今回の会場はまちなか8カ所。45店舗ほどがエントリーしたが、まちのにぎわいを観光客も地元の市民もお互いに楽しむためには、もっともっとさまざまな人たちが、さまざまなスペースでお店を。
私が見た「日光マルシェ」は古本屋の留守番を頼み、その間に歩いたわずかな時間だったが。その雰囲気だけでもと、ブログにアップへ。なお、「砂時計主義」では「震災と原発」を特集した『序説第18号』(私が事務局、一冊に付き300円は災害支援「チーム日光」へ)を3冊、頒布することができた。お買い上げのみなさん、ありがとうございました。
(「秋の日光マルシェ」に参加した古本屋「砂時計主義」=13日、石屋町公園)
(「砂時計主義」の斜め向かいのお店、暮らしの陶器の「ホシノ」さん)
(「砂時計主義」の右隣りのお店、ひょうたんランプの「地球の灯」さん)
(「砂時計主義」の左隣は常連の古本屋「アナログ」さん。さすが、しっかりした看板ー)
(東武日光駅前のお店では申し訳なjいが、頬がゆるんでしまうこんな?告知も)
(その告知の当人、ぎっくり腰の「まさちゃん」に私の珈琲をいれてもらっているところ)
(東武日光駅前では野菜などさまざまな農産物のお店が複数、出店していた)
(「とちぎ一箱古本市」に出店した古本屋「砂時計主義」=9月4日、栃木市)
古本屋「砂時計主義」が9月上旬に出店した「とちぎ一箱古本市 in楽古市」、その実行委員から、そのイベントの小冊子を制作するので、短文(400~500字)を寄せてー。そんな依頼があったので、本日、急いで、その日のことを思い出しながら、書いてみた。
どうせなら~、ツイッターでも。ということで、ツイッアーでも5回にわたって、呟いてみた。原稿用紙1枚半ぐらいなので、小冊子になるときは削られるかも。ということもあり、ブログにも。栃木はさすが、風情ある古都だと感じて帰ってきたことも思い出した。(以下はメールで実行委員に送った「感想文」だ)
(「とちぎ一箱古本市」の街道に景気よく出現した早大チンドン研究会のお嬢=9月4日)
「平田弘史のこの劇画をください」「えっ!若いのに平田弘史が好きとは。薩摩義士伝なんかもいいよね」。時代劇を中心に骨太の劇画を描くことで定評のある平田弘史。彼の作品は劇画を超えた劇画というか、独特の世界で、ずっと以前から、私の好きな作家だ。
そんなやりとりがあった9月上旬の「とちぎ一箱古本市」の私の古本屋「砂時計主義」。場所は例幣使街道沿いの古い商家の軒先。道路の向こう側は味噌工場跡で、往時のにぎわいが容易に想像できる、いわゆる街道筋だ。同商家では「アリノアシオト」という面白い店名の古本屋も出店。
「美術学生ならやはりグラフィックデザインの草分けともいえる竹久夢二のこの本を」。そんな声を掛けているうちに、通りの向こうから若者たちの陽気なチンドンの音が。なんと、早稲田大学のチンドン研究会のメンバーたちだという。
いや、その空が抜けたような景気のよさ。あちこちの民家からお母さんたちも通り沿いに飛び出している。いかにも懐かしいチンドンは古本市にぴったりだ。人通りが思ったほどではなかったこともあり、売上の方はいまいちの結果に。
とはいえ、かっての街道で古本屋が軒を並べる光景は風情がある。思いもしなかったお客さんや地元の人たちにも出会えた。ゆるやかなその時間と空間が流れた「一箱古本市」、古都・栃木の街路をもっと生かした風物詩に育ってと。
(古本屋「アリノアシオト」「砂時計主義」が店を開いた古い商屋前で早大チンドン研究会の面々と地元の人たちも交えて記念撮影~=9月4日、栃木市)
(練習の成果を発揮する子どもたち=6日夜、日光小校庭) (笛や唄はやぐらの下の縁台で) (やぐらを取り囲むようにして踊る市民。幼児も加わっていた) (夏祭りの縁日に欠かせない「金魚すくい」) (もちろん、「よーよーすくい」も出店していた~) (夜食はやっぱり「焼きそば」がいい~) (天然氷のかき氷づくりは楽しみながらでしたね~) (これから「浴衣コンテスト」に挑む2人の浴衣美人の「カメラ目線」?) (よく知っている仲良し親子に「写真を撮って」と頼まれてパチリ!) (「浴衣コンテスト」に参加した10人の浴衣美人たち) (「みんなで和楽踊り」の会場中央はこんな感じでした)
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