名曲といえば、「ワン・レイニーナイト・イン・トウキョウ」もそう。クラブ歌手出身である八代亜紀のそれがいいなと。彼女の初めてのJAZZアルバム「夜のアルバム」で知った。確か2012年発売だったか、あっという間に発売からもう10年以上も経つのだね。この曲はなんともいえない余韻を感じる曲調なので、好みなのです。八代亜紀や越路吹雪、西田佐知子、日野てる子、それに石原裕次郎もカバーしていたのですね。その名曲を調べようと、ネット検索していたら、「ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー事件」があったことを知りましたー。「そんな曲だったとは」とややびっくり。せっかくなので、ウィキペディアにその記事を以下に紹介します。
ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1963年から1965年にかけて、日野てる子、越路吹雪、ブレンダ・リー、和田弘とマヒナスターズなどといった歌手の歌唱により『ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー』が発表・発売された。この『ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー』の旋律が、自社が管理する楽曲『夢破れし並木道』に類似しているとして、アメリカの音楽出版社、レミック・ミュージック・コーポレーションが、『ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー』の作詞者・作曲者である鈴木道明と、鈴木から著作権の譲渡を受けていた株式会社日音を相手取り、『ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー』のレコード販売を東芝音楽工業(現在のユニバーサル ミュージック)ほか数社に許諾して複製させたことが著作権侵害にあたるとして東京地方裁判所に訴訟を提起した[1] 。
昭和、平成、令和を生きてきているので、もう歴史的人間になったという自覚がある。阪神大震災、福島第一原発事故、東日本大震災、コロナ、ウクライナ戦争、イラン核施設空爆と、次々と歴史そのものに立ち合っている。なので、改めて高名な「歴史とは何か」(岩波新書)を読もうと。学生時代に一度、手にしているが、歯が立たなかった記憶がある。それから半世紀後、<この年になったのだから、もう理解できるだろう>。そう思ったが、やはり、今回も全部は理解できず、ほぼ半可通だった。
全254頁のうち、数少ない「なるほどねー」とほほ納得したのは、第6章「広がる地平線」222頁~223頁にある以下のフレーズだ。
科学にせよ、歴史にせよ、社会にせよ、人間現象における進歩というものは、もっぱら、人間が既存の制度の断片的改良を求めるにとどまることなく、理性の名において現存制度に向かって、また、公然たると隠然たるをとわず問わず、その基礎をなす前提に向かって根本的挑戦を試みるという大胆な覚悟を通して生まれてきたものであります。
この新書では、歴史上の人物として、ヘーゲル、マルクス、フロイトの3人を何度も登場させているが、フロイトはそうではないがe 、ヘーゲルやマルクスには批判的な論調だ。ウィキペディアによると、親ソ派だったが、ススターリンの恐怖政治が明らかになると、ソ連に「敵対的」になったとある。そういう経過を知ると、カーの論述もわからないではない。
カーだから手にしたのではなく、60安保で知られた論客、清水幾太郎が翻訳しているということで、若いときも今回も読もうとした。今回はたまたま日光今市の書店で積まれていたので、手を伸ばした。チェックすると、初版は1962年3月。手元にある2025年4月の発行版は第96刷ー。<えー、96刷も!>。とびっくり。すでに60年以上も経過しているとは。息の長い定番の新書であることがわかる。オビも「いつ読んでも新しい。この一冊から読む岩波新書」とある。
ウィキペディアからー。
『歴史とは何か』
『歴史とは何か』の第一講で述べられた「歴史とは、歴史家とその事実のあいだの相互作用の絶えまないプロセスであり、現在と過去のあいだの終わりのない対話なのです("an unending dialogue between the present and the past.")」というフレーズは、日本でも世界でもしばしば引用され再論されている。言語論的転回後のポストモダン期にも、R. J. エヴァンズ『歴史学の擁護』(1999)を受けて、あらためて議論されている[4]。
カーは同書において、「プロレタリア革命は階級なき社会という究極の目的を実現する」というマルクスの予言について、歴史の終わりという想定は、神学者のような終末論的な響きがあり、歴史の外にゴールを想定する錯誤へ立ち戻るものであると批判する[5]。カーは、マルクスは、世界の見方を根本的に変えたダーウィンとフロイトのような偉大な思想家であるが、だからといって、彼らの言葉が一字一句まで福音(絶対の真理)のように受け止められねばならないということではないし、その後発見や思想が彼らによってすでに予見されていたということでもないという[6]。カーは、1935年頃からソ連のスターリン体制の恐怖政治について明らかになると、自分が熱狂的な新ソ派だった分、幻滅と嫌悪は強烈となり、ソ連に対してきわめて敵対的になり、イギリス共産党にもまったく期待できなくなったと語っている[7]。
カーは、「わたしのユートピアは、「社会主義的」と呼ぶべきもので、この限りでわたしはマルクス主義的である。しかし、マルクスは社会主義の内容を若干のユートピア的フレーズ以外では明確にしていない。わたしとて、それはできない。しかしながら、その内実がどんなものであろうと、西洋のプロレタリアートは西洋のブルジョワ資本主義の末裔であり、次の段階の世界革命の担い手とみなすことはできない。そう考える点で、私は一個のマルクス主義者ではない」と語っている[8]。
(6月26日facebook)
これがウワサの「備蓄米」ー。5キロ1980円。「徳用米」(値段が安い割には多くてお得な米)とある。ただし「品質についてのお申し出には一切対応しかねます」とも。コスモス日光森友店で。本日13時半ごろ、何げなく米コーナーをのぞいたらありました。どんなものなのか、一度は味わいたいと思っていました。コーナーには3袋残っていたが、私が一袋を手にすると、そばにいた女性二人も「これが備蓄米なのね」と、残りの二袋を次々と手にしながら「きょうはこれでおしまいね」とー。で、26日は完売か。お店によると、ふだんは午前中で売り切れとか。午後でも店頭にあったということは、令和米騒動もピークを過ぎたのかどうか。
(6月27日facebook)
「備蓄米」の味はどうかと、ご飯とカレーで「試食」した。「徳用米」とあって、おいしい「魚沼米」とは比べようもないが、いわゆる、ふつうの味だー。強いて言えば、ややさっぱりしているぐらいかも。昼飯用に特に支障はない。BGMは「珊瑚礁の彼方に」(「真珠採り」など12曲)ー。
(これに四国で暮らす朝日新聞の先輩から「もち米を少し足すとおいしくなるよ」とうコメントがありました~
この間まで一個「500円」もしていた「野菜のスター」であるキャベツがどういうわけか「200円」前後の手頃な値段にー。今市森友の農協の直売所で「あれー、いつの間にこんなに安くー」。なので、焼きそばに使おうと3個も買い求めてしまった。もちろん、まずは「焼きそば」の「主役」で調理したのです。さらに、そうだー、「アジ天(アジの天ぷら)にキャベツのみじんぎりを添えよう」と。ただし、せっかくのキャベツ。これだけではもったいない。さらにキャベツを使う方法を考えないといけないー。ネットで「キャベツ料理」を検索してから、工夫することにー。それにしてもお米が5キロ5千円とか、じわじわと値上がりして、昨年の2倍になったり、各地で5キロ2千円の安い備蓄米を求める長い行列ができたり。この「令和コメ騒動」が典型だが、ガソリン代も含めて、高騰する物価の影響を受ける市民にとって、「ふだん以上に政治の果たす役割り、政府の政策の動向が大事になるな」と、感じるこのごろです。
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