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団塊世代

2024年11月 1日 (金)

2日(土)、3日(日)の「霧降文庫」は臨時休業です  上州で「最後の同窓会」に参加のため

「霧降文庫」の2日(土)、3日(日)は、臨時休業しますー。2日午後に故郷、上州太田市で尾島中学校の「最後の同窓会」に参加のため。今夏、届いたはがきによると、3年か5年の間隔で開いてきた中学校の同窓会だが、今回が「最後にします、今後は有志で開いて」とあった。確かに中学校を卒業してからもう60年ー。確かにそろそろ「閉店」の時期だねーとも。前回、確か5年前は、このとき「福島視察」(「原発いらない栃木の会」主催の1泊2日)と日程が重なっていたので、私は参加せず。つまり今回の同窓会はたぶん8年ぶりになるかも。Asakawamaki_toct26998jpg-1_20241031200201 20080106121650_20241031200301 Photo_20241031200601 ともあれ、ついでに9月1日発行の同人誌「序説第31号」(創刊50周年記念号)を10冊ほど持参するつもりだ。よく知る旧友たちに配るつもりだ。なにしろ、ひとつの町にひとつの小学校とひとつの中学校。団塊世代の約270人が、なんと9年間もずっと机を並べていた間柄なのだ。

2024年10月27日 (日)

ネット時代に知恵熱の1ケ月半でした   パソコン老朽化で手軽な2台の買い替えで

この971bjkgqp1l_ac_uf10001000_ql80__20241028190701 月中旬から10月下旬までの1カ月半、ノートパソコン、携帯アンドロイドの操作でさまざまな山あり谷ありの日々を送ってきた。あの手この手と、いろいろな手法や方法を学んできたが、それこそ知恵熱がでるような場面が何度も。きっかけは長年使っていたノートパソコンが老朽化か、動きが極端に鈍くなっていたうえ、ワードやエクセルに欠かせないマイクロソフトのオフィスがダウンしたこと。

「そろそろ取り換えどきだね」と思っていたのと、いつもお世話になっているパソコンサポートセンターから買い替えを促されていたので。新品ならば10万円以上が相場だそうだが、親しい日光のともだちがメルカリ経由で官庁の下り品の安いパソコンの導入を勧めてくれた。渡りに舟だった。で、最初は富士通の2万3000円、その一ケ月後、今度はそのパソコントラブルでパナソニックの2万円のダイナブックへ。

ノートパソコンを取り換えると、以前のソフトやドキュメントをハードディスクに移し替え、それを再インストールの手順が。いずれもパソコンに詳しい友達にさっさと作業してもらった。ノートパソコンにはオフィスが内蔵されているところが大事に。これはオフィスダウンで身にしみた。その際、今度のパソコンはカメラは外付け。国際環境NGO「Foejapan」や「原子力市民委員会」「原子力資料情報室」主催のZ00Mセミナーなどに使うことがけっこうある。だが、その外付けカメラの操作に一時苦労した。

もちろん大事なドキュメントやピクチャーは私のハードディスク経由でもちろん新しいパソコンへ移し替えた。ワード作業、とくに市民団体「さよなら原発!日光の会」の会報「げんぱつニュース」の編集作業に欠かせない。なかでも写真を切り取ったり、貼り付けたりする際に必要なスニッピング、ペイント、ブラザーのプリンター機能(PDF転換などでよく使うので)も改めてインストールした。

さらにノートパソコンのFacebook再立ち上げ、Twitterの団体URLの復活、BLOG「霧降文庫」の機能の確認、同時に携帯のラインの再開、ノートパソコンのラインの立ち上げ、併せて、携帯ラインの「さよなら原発!日光の会」グループ発足、それと同時にノートパソコンのグループ一斉メールの設定と同人誌「序説」のライン設定、それに伴うともだち10人のメールアドレスのチェック。平行しながら、QRコードによるともだち追加、その作業中の年齢確認に必要な「暗証番号」の再設定を携帯を購入したドコモ日光店で。この暗証番号再設定はあっという間だった。それらの作業の合間にアンドロイドの翻訳操作のインストールも(これはまだ使いこなせていないだがー)。

ほかにもアンドロイドで映した写真をパソコンへ。その際のパソコン画面の検索と設定に一苦労ー。あるいは能登半島地震を受けたモバイルバッテリーの購入と電池容量追加も。モバイルバッテリーは2000円すると聞かされていたが、「100均」で1000円もすれば購入できた。一日中、外出するときはこのモバイルバッテリーは便利であることもわかった。遅らばせながら、携帯でのナビの操作も覚えることになったー。

と、ざっと思い出しただけでも、この1カ月半で、以上のような作業をこなしてきた。ほかにもまだあると思うが、これだけでもいかに知恵熱が出てしまうか、わかろうというもの。以上は「忘備録」としても必要だと思ったので記してみた。若いときからネット環境に触れていれば、当たり前の日常的な作業だろうが、中高年になってからのネット環境ー。それぞれに山あり谷ありの作業の連続だった。便利な機能だが、ネット時代に追いつくにはさまざまな苦労がいるね。と、思ったことしきりだ。

 

 

2024年4月 3日 (水)

「何か善いことをしているときにはー」     吉本隆明の「視点」を「折々のことば」が紹介

「何か善いことをしているときにはー」は、私も詩人「黒川純」として発刊した詩集「砂時計主義」に掲載した詩の中のテーマのひとつとして、採り入れたことがー、いわば、社会生活の「知恵」、あるいは「警告」として。この「ちょっと」というところが、キーワードだろう。もっとも、「ちょっと」悪いことをしたときの免罪符にしたときも(笑い)。それにしても、久しぶりに「吉本隆明」の名前にお目にかかったね。学生時代におめにかかった彼の長編詩「固有時との対話」を読んだときは、頭がくらくらとスパーク。そんな構えの詩を書いてみたいと思ったことだったー。

さらにもうひとつの代表作「転位のための10篇」もかなり影響を受けたのは確かだ。「共同幻想論」を読んだのはその後。でもそれなりに納得したのは「悪人正機」で知られる「最後の親鸞」かも。さらに、中年になって、たぶん10巻ぐらいだったか、「吉本隆明全詩集」をそろえた。が、かなりが積ん読になっており、全部は読み終えていない、のに、はたと気づくー。
吉本の本をネットで検索していたら、「吉本隆明全集」がー。それもなんと、全38巻~。1970年代に吉本隆明著作集、続著作集を買い求めているが、確か、せいぜい10巻ほど。それが死後だと思うが、38巻の全集が発刊されていたのだね。これはきょう初めて知りましたー。Kob04_900683b
テキストの画像のようです
折々のことば:3046 鷲田清一
 「何か善いことをしているときは、ちょっと悪いことをしている、と思うくらいがちょうどいいんだぜ」
 (#吉本隆明
     ◇
 子どもの頃、学校で赤い羽根募金があり、場の空気から何となく百円寄付したと親に告げると「フフフン」と遇(あしら)われたと、詩人・思想家の長女で漫画家のハルノ宵子は記す。
「正義」への無言の誘導。
善いことも集団でなせば悪に転じうる。
群れずに一人で淡々とやるのが一番強いと、父に刷り込まれたと。ハルノの『隆明だもの』から。

2023年12月21日 (木)

担当医の「おめでとうございます」にいささかびっくりー   「胃がん」手術から5年経過、「完全に治りました」。

Photo_20231221212101 412967272_6837754979686624_7831078663827 「おめでとうございます」~。と、済生会宇都宮病院の担当医が「表彰状」のような書面を差し出したのにはいささかびっくり。5年前にステージ1・5、二度のセカンドオピニオンの意見も参考に「胃がん」の手術(胃の3/4を摘出)を受けた。その後、半年ごとに胃がん検査(血液、超音波、MR、胃カメラ)を受けてきた。その結果、毎回「問題なし」。で、きょうが丸5年。「完全に治った」という「治癒」のお墨付きをいただいた~。この書面では「一般的に消化器のがんは、手術治療後5年以上再発せずに経過すると、治癒したと見なされます。おめでとうございます。」とある。さらに書面は「今後は別のがんの発生に気をつけましょう」とも。ちなみに担当医によると、「問題がほぼなくなった」という「寛解」ではなく、あくまで「完治」だそうだ~。まずは自分に対して「おめでとう」と~。

2023年12月 1日 (金)

リアルタイムの「あの熱い時代は何だったのか」   池上彰「昭和の青春 日本を動かした原動力」(講談社現代新書)

「昭和の青春」が講談社現代新書で発刊されたのですぐに手にした。それも筆者は私と同世代の、というか、「団塊世代」(昭和22年生まれ~昭和24年生まれ)とほぼ同じでもあるので。池上さんによると、最も多い昭和23年生まれは268万人、この3年間の団塊世代だけで806万人とか(池上さんと私は昭和25年生まれだが)。当然、<これは読みたいね>で、ネット書店経由で入手しました。全268頁でもあり、一気に読み終えました。さすがに昭和の「通史」としては、わかりやすくまとまっているという感想だ。ただし、細部となると、あの時代をリアルに生きてきた者からすると、やや物足りない。まぁ、ないものねだりの部類だから、それでよしとしてー。昭和の青春」を知らない現代の若者も「昭和の青春」を知って欲しいと思う。

さすがにあの時代を描くとあって、「第一章」はのっけから「青春の学生運動」ー。「なぜ学生運動が(当初は)多くの支持を集めたのか」などは「経緯や背景を知ると理解が深まると思います」とある。当然、60年安保、70年安保、反ベトナム戦争、、東大闘争、日大闘争、全共闘、内ゲバ、大菩薩峠事件、連合赤軍事件ー(なぜか、私が見逃しているのか、連日のニュースとなっていた三里塚闘争や東アジア反日武装戦線がどうも見当たらないー)。この「学生運動」だけで一冊の本となるため、この第一章は駆け足で書き進んでいるきらいがある。

ていねいなのは「第3章 青春の昭和文化・社会風俗」だ。ツイッギー、ビートルズ、三島由紀夫事件に続いて、「べ平連」、「あしたのジョー」、「何でも見てやろう」(小田実)、新宿フォークゲリラ、岡林信康、高田渡も紹介。さらに「私の世代の学生がよく読んでいた作家」として、「現在ではあまり知られておりません」という高橋和巳をあげているところが「いいね」です。私も愛読した彼の「憂鬱なる党派」「邪宗門」について短いコメントも。確か、居酒屋に友達と行くことになったが、所持金がないので、「高橋和巳選集」を抱え市内の古本屋に駆け込んで酒代をつくったことを思い出した(「高橋和巳選集」は社会人になってから買い戻しています)。

さらに当時の情況の中で、自殺した学生活動家も紹介。中核派活動家だった奥浩平の「青春の墓標」、宇都宮女子高出身の高野悦子の「二十歳の原点」をとりあげている。この「二十歳の原点」は映画化されており、私も学生時代に観ている。そのところは、<当時の空気、状況をよく知って書いているな>という印象だ。倉橋由美子の「パルタイ」(ドイツ語でパーティ)をとりあげているのだがら、この流れからは、当時の学生によく読まれた「朝日ジャーナル」や「情況」、「現代の眼」、「流動」、「新地平」などの雑誌や思想家の吉本隆明「共同幻想論」、羽仁五郎「都市の論理」、廣松渉「青年マルクス論」、内田秀「ものぐさ精神分析」なども登場してもいいはずだが、これは触れられていないー(できれば、高木仁三郎や柄谷行人、澤地久枝、吉村昭、大江健三郎、筒井康隆、星新一、小松左京あたりまで触れて欲しかったがー) 。

ともあれ、新書一冊で「昭和の青春」を回顧させてもらいましたー。

 

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2015年10月 7日 (水)

山本義隆がついに公に発言だ  「私の1960年代」

なにはともあれ、入手して、読まないことには。それにしても1960年の安保から東大安田講堂まで、そしてその後の人生が。すでに70歳を超えたのですねー。総括の「回顧録」だろう。
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(以下は朝日新聞デジタルから)
「若い人の運動に励まされた」 
 
元東大全共闘代表・山本義隆さん回顧録
2015年10月6日16時30分] 
 
 1960年代末、大学や社会に異議を申し立てた学生たちの象徴ともいえる元東大全共闘代表の山本義隆さん(73)が、回顧録『私の1960年代』(金曜日)を出版した。山本さんは、国会前などで安保法制に抗議する学生たちの行動を受け、「若い人たちによる運動に期待し励まされて筆を執った」とコメントしている。
 
 山本さんは昨年、東京都内での集会で、公の場では初めて当時のことを語った。その講演内容をもとに今回の本を書いた。  60年に東大に入学した山本さんは、同年の安保闘争に参加。その後、大学の自治や改革をめぐる運動に加わり、大学院時代の68年、東大全共闘の代表に就いた。
 
著書で山本さんは、全共闘が「自立した個人の集まり」のように言われるのは「きれいごと」で、実際は政治党派の思惑がからんでいたと記した。党派に対して仲間からは「強気に出ろ」と言われたが、「当時はできなくて、私の弱さだった」と振り返る。  各地で起こった学生運動は、内部の対立が激しくなって「自壊」。山本さんは「無念の思い」と記した。
 
 山本さんは出版に際してのコメントの中で、「単なる回顧をこえて今日的な意味があるのではないか」と自身に言い聞かせて執筆したと明かした。
 
 全共闘の時代を分析した『1968』などの著書がある歴史社会学者の小熊英二さん(慶応大教授)は、山本さんの回想を読んで「当時は、学内での闘争、教授との関係が中心のまさに『学生運動』であったことがわかる」と指摘。「現在のSEALDs(シールズ)などは、主として学外に訴える『社会運動』とでも言うべきもので、その違いが印象的」と話している。(藤井裕 )
 
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