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『序説』

2017年11月19日 (日)

夜の森へシュールに光を放つ 磯山オサム詩集「まぼろしの夜の祭り」

     発刊が待ち望まれていた磯山オサムくんの詩集「まぼろしの夜の祭り -その細く清らかに汚れたもの達とともにー」が発行された。磯山くんは茨城県の詩人。私たちの同人誌「序説」の仲間のひとImg_5689_3りだ。

 「序説」は創刊が1974年ー、すでに40年以上にもなる「老舗」同人誌。今夏に第24号を発刊しているが、磯山くんは毎号とも、新しい詩を寄稿している。それらから選んだ36篇を掲載した。

 「インディーズの魂をこめて」ということで、あくまで独立した魂に立って出版するんだ、という磯山くんの思いがあり、発行所は「序説」編集委委員会であり、発行者はその事務局である黒川純としている。 

      Img_5702

  今回の発行所としては、「序説編集委員会」の名前を使い、住所は、その事務局である栃木県日光市から。それもこれを第一弾として、今後《序説叢書》を次々と生み出したいという思いがある。それについて、詩集には「《序説叢書》発刊によせて」と題して、事務局の黒川純が短文をとじこんでいる。

 『序説』同人の詩人、磯山おさむ君の第一詩集「まぼろしの夜の祭り」を、2017年秋、「序説編集委員会」から世の中に送り出します。序説』は1974年12月創刊、今年で43年を数えます。途中、四半世紀ほど休刊していたこともあり、号数は今夏に発刊した「第24号」まで。磯山おさむ君は、ほぼ創刊同人として、毎号とも力のある詩篇を発表してきました。

詩篇は「マーマレード」や「星」、「海」、「風」、あるいは「花びら」、「猫」、「ヒマワリ」などの暮らしや情景をシュールに転調させ、振り返ると、ひとつの「叙時詩」の空気に彩られた、独特な詩法で描かれていることがわかります。

 

それだけに編集委事務局としては、この数年、「処女詩集を発刊すべきではないか?」と促してきたところです。今回、発刊の運びになりましたが、考えたら、『序説』は今や「老舗」の同人誌になろうとしていますが、編集委員会としての書籍はまだ刊行しておりませんでした。創刊以来の同人10人の多くが「連載形式」で毎号のように力作を寄せています。それを詩集という書物で発行するのは、磯山君が第一号。これを機会に一連のシリーズ形式である叢書、そう「序説叢書」として刊行したい、そのように考えました。

 

このため、今回の磯山おさむ君の第一詩集を「序説叢書第一巻」として、位置づけることにしました。今後、他の同人による「序説叢書第二巻」、「同第三巻」・・・が待たれます。そのトップバッターである磯山おさむ君の「第一詩集」が詩を愛するたくさんの人たちの手に渡ることを願っています。

 (「序説」編集委員会事務局、黒川純)

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   インディーズの発刊なので、ふつうの流通ルートではなく、磯山くんの独自路線に応答してくれた書店や古書店、珈琲店、あるいはJazz喫茶店などに置いてもらっている。例えば、地元・茨城県の川又書店県庁店(水戸)、もっきりや(水戸)、笠間の家(笠間)など。ほかには知る人ぞ知る模索舎(新宿)、それに古書店のインディーズそのものである霧降文庫(栃木県日光市)など。発刊日は2017年11月1日。きょう11月19日に「霧降文庫」には、10冊が入荷(一冊定価税込1000円)、詩に親しむ人たちの手に渡ってくれればと、願っています。

(おいおい、詩集の作品をこの「霧降文庫」BLOGにもアップする予定です。乞うご期待ー)。

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2017年8月25日 (金)

表現の周辺 9    「序説第24号」冨岡弘

 

Img_4001 表現の周辺9    冨岡 弘

 最近の世界情勢を見たとき、混沌とし且つ自信のない不安定さを内在させた各国の苦悩が見え隠れする。そんな世界の片隅で生きている私にも当然のごとく心理的影響はある。世界に対して言いようのない漠然とした不安感が私の一部となってきていて、同居している。この種のものは、私が長年生きてきて初めて感じるもので、老いを少しずつ日々蓄えている自分にとって、世界の事を気に病んでも仕方がないと重々承知してはいるもののやはり気になる。世界の今後に関して知りたくなるのだ。確かな思想など全く見当たらない、正に混沌だけが闊歩するつかみどころのない世界。明るい未来などといった光明を見出す術もない閉ざされた世界。それが今の私の世界感である。そんな重い足かせをかけられてしまった如くふさぎがちな私の好奇心に、いくらかの気持ちの整理のきっかけを与えてくれたのが、エマニュエル・トッドの「グローバリズム以後」という本であった。副題が「アメリカ帝国の失墜と日本の運命」となっている。非常に解りやすく、私のようなど素人にも頭にすんなりと入ってくる。読みやすいのである。これは朝日新聞がトッド氏にインタビューしたものをまとめた本で、1998年から2016年までの18年という長い年月に及んでいる。最近、エマニュエル・トッドの名を知る人は多くいるはずで、本の帯にも印刷されているところのトランプ勝利を予見した人物で、グローバリズムの終焉そして国民国家への回帰の潮流をいち早く予想した人として注目をされている。とにかくこれだけ解りやすく世界や先進国の苦悩そして戸惑いを浮彫にしているのは見事である。例えば米国については、

 

「米国の指導層が、自らを米国だけでなく世界の主人だと思い、米国の国民さえも上から見るような時代でした。帝国とはそうしたものなのです。論理的には帝国には、支配する中核部分があります。しかし、その中核に属する一般の人々は、必ずしも特権的な地位にない。

 ソ連という帝国の中で、そのシステムに一番苦しんでいたのはロシア人でした。周辺の人々はまだ少しましでした。つまり米国の場合も、米国人自身が、その帝国支配にとても苦しめられてきたのです。」とある。

 

2008年のリーマンショック以後アメリカ帝国の失墜の速度は増々加速したはずであるが、それ以前から既に兆候あったことを具体的にこの本は取り上げている。

 

「米国社会では、大学教育まで受けていない大衆層だけでなく、もっと上の層、本当の中流を構成している人たちまでもが、自由貿易についての意見を変えています。米国は大統領がだれになるにしても、大きく方向を変えようとしているのです。

 今、不可逆的な転換点にあるのだと思わせる指標があります。昨年(2015年)、ある人口動態調査が明らかになりました。それによると、45歳から54歳までの米国の白人の死亡率が1999年から上昇しているのです。」

さらに

「こうした上昇は、おそらく自殺や麻薬、肥満といったことが原因でしょう。それはとくに高等教育を受けていない、中等教育までの人たちへの打撃となっています。

 米国の社会全体が苦悩の中にあります。自由貿易、生活レベルの低下、絶え間のない構造改革がもたらした経済的な不安定、高齢になったときに何が起きるか分からないという退職後の不安。それらが、多くの人にとって耐えがたい状況を現実に作り出しているように見えます。」

 

トランプ現象は、こんな背景からきているのだと納得してしまう。アメリカの危機的状況はまだまだ続くであろうとトッドは予想している。

 そして次にヨーロッパに目をやると、EU離脱問題で騒がれた英国の自国回帰については、二つの理由を上げている。一つ目は、

 

「英国の場合、トランプ現象に当たるのはEU離脱問題ですが、そこではむしろ外国人嫌いが原動力になりました。あまりにたくさんの移民を受け入れることへの拒否反応です。しかし、それを外国人嫌いと呼んでいいのかどうか。だって、人々には自分の土地にやってくる人たちについて意見を持つ権利はあるわけですから。

 だから、外国人嫌いというのは良い言葉ではないでしょう。むしろEU離脱をめぐって、英国でも民族とか国民という問題が優先課題になったと言うほうがいいかもしれません。」

 

国民国家への回帰現象に関して、移民問題を取り上げている。二つ目の理由として、元々英国の歴史に内在している階級社会についてこう述べている。

 

「英国社会は平等ではありません。階級の違いがある。話す言葉の発音も違う。私は、大衆の話す英語があまりよく分かりません。それに、グローバル化にともなって経済的な不平等が拡大していた時期、英国では社会的人種差別が広がっていきました。教養があまりない大衆を「chav]なんていう言葉で差別していたこともその例です。米国やフランスでの事例よりずっと激しかった。」

 

そんな社会的差別を受けた人々が、グローバル化の波にのり経済的恩恵を受けたであろうEU残留賛成派エリートに反発したのだ。さらに

 

「不平等に寛容な英国でも19世紀末には、労働者たちは労組と労働党へと組織されていきました。そして政治制度が変化しました。エリートへの社会的敬意にも限界があるのです。

 英国で見られたことは、エリートへの敬意が保たれるのは、指導者がある程度の国民の安全をきちんと示しているときに限られるということです。これはグローバル化への批判の重要な点です。」

 

グローバル化という世界の潮流に巻き込まれて足元の生活が脆弱化してしまった結果、大衆層の不満・苛立ちがエリート層に牙を向けることとなり、EU離脱にいたった。

 

「離脱に投票したのはふつうの人たちです。大学教育は受けておらず、イングランド北部、南部、中部の大衆的な地域に暮らす人々。これに対して、左翼に限らず、高等教育を受け、高級紙の(ガーディアン)を読み、親EUの人たち。この人たちは、離脱という結果に慄然としました。その驚きのほどと言ったら!私の長男は英国で暮らし、英国民になっていますが、彼によると、国民投票のあと、大学人たちは激しい憤りぶりだったそうです。」とある。

 

明らかにEU離脱の動揺と怒りはエリート層の中にあり、階級社会に慣らされ不平等に寛容であったはずの英国大衆層の反逆による結果が離脱という選択になったのだ。(ここで英国の階級社会について少し触れておきたい。大まかに三つに分けられるらしい。上流階級・中流階級・労働者階級である。パソコンで検索すると、上流階級は、王室・貴族・地主・資産家でオックスフォード大学やケンブリッジ大学に進学するのが一般的。中流階級は、ホワイトカラーで大学に進学するのはこの階級以上に属する人たちであると考えられている。労働者階級は、義務教育を終えるとすぐに社会に出るのが一般的で、大学に進学するのは稀です。もちろん、労働者階級も学業成績次第でオックスフォード大学にも進学できる。これらのことが本当ならば、日本人の私には少し理解しかねる。マジかと言いたい。)

ヨーロッパでは、移民の流入というなかなか解決が難しい問題を抱えていることは、我々日本人の誰もが承知しているはずだが、実際、流入の数が膨大なためどうしても内向きになってしまう現状も理解できる。加えて英国では、階級社会という背景が歴史的に存在しそのことが微妙に影を落としている。

 

「人々が絶対に妥協できない限界があります。国の領土という自分たちが暮らしている空間の中での最低限の安全。だから、移民についての危機が最終局面を開くに至っているのだと思います。」

 

断っておくがトッドは移民反対の立場をとっていない。ある程度の移民は望ましいと言っている。移民は社会に活力をあたえるし、人口問題にも貢献する。その量に問題があり、さらなる問題は、受け入れるすべての社会の条件が同じではないということもより問題を複雑にしている。

 

「移民問題に対しては一般的な解というのはありません。とにかくイデオロギーからは離れないといけない。  

 私は、イデオロギーというのは人間の原始的な精神の形の焼き直しだと思うのです。原始的な共同体の価値観は、二元的な構造を持っていました。私たちと彼ら、白と黒、という具合に。しかし移民問題は、賛成か反対かではないのです。一定程度の移民は必要だけれども、それを賢く管理、運営することも必要だからです。多すぎてはいけないし、だれでも、どんなふうなやり方でも、というのはいけないのです。」

 

トッドは、決して理想論を語っていない。かなり冷静に語っている。それは彼がフランス生まれでヨーロッパの現状を深く観察し認識した上での現実的発言だと思う。移民問題は簡単ではなく、受け入れ国の住民との摩擦は避け難いことで、人道的観点からすれば無制限に受け入れた方がいいに決まっているが、数が度を超えれば様々な問題が派生することは、容易に想像できる。受け入れ国の国民は内向きになり排他的になりがちで、どうしても大衆層も巻き込んで自国ファーストの風潮に傾いてしまう。

グローバル化に関して、トッドはこんなことを提言している。

 

「高等教育を受けた人たちが、自分の国の人々のことをほったらかして、この惑星全体をながめようとしたり、自分たちが世界中のすべての人と連携しているのだと考えたりすることをやめることです。そうすれば、民主主義は地に足のついた、適切なものとなるでしょう。責任ある、理にかなった、節度ある民主主義。

 そうならなかったら、想像しうるのは社会の崩壊、無秩序のモデルだけです。それはグローバル化ではありません。無秩序への回帰であり、社会の粉砕であり、暴力の高まりです。」

 

彼はグローバル化を単純に否定しているのではなく、たぶん節度あるグローバル化を願っているのだと思う。それとエリートに対して地に足のついた展望を持つことへの期待を語っている。(彼にとっての究極のグローバル化とは、識字率が世界に行き渡り教育レベルが一致したときに達成されるもので。経済自由主義を指すのではない。どちらかというと経済的な側面で使ってしまいがちである。実は私もそんな使い方をしてしまっている。歴史をうごかすのは教育であると、教育の重要性を上げている。そして民主主義ついては、まず普遍的な識字運動であり、だれもが読み書きできるようになることであると。そこが最低ラインでそこが出発点なのだろう。)

 私は以前から、論理的根拠も乏しいながら、現在進行中の(経済的側面に偏った)グローバル化が世界の人々にとって本当に必要なのか疑問に思うことがある。経済的格差の拡大が生じただけではないかと近年指摘されることが多いい。しかし一方でグローバル化が魔法の言葉のように、肯定的に受け止められてきたことは否定できない。だがトッドはグローバリゼーション・ファティーグ(グローバル化疲れ)という英語を最近よく使うらしい。ほころびが目立ちはじめていることをうかがわせる。生態学者の今西錦司の棲み分け理論というのがあるが、人類も棲み分けを一部取り入れてもいいのではないかと思うことがある。グローバル化により全てが平たんに均されることなど永遠にない。何故なら国・民族による数百年いやそれ以上の歳月を費やして築いた文化を、強引にミックスさせても決してうまく均一に馴染むはずがない。インターネットの普及による情報のグローバル化のスピードと、人間が元来抱えている心にまつわる部分(文化)を、同軸上に並列させてしまうわけにはいかない。パソコンのCPUの速さに心は追いついていないのが現状である。

 最後に、トッドは日本に関してどんなことを言っているのかというと、

 

「日本は、安定していますが、老いつつあります。そして、安定しているけど疲れている米国、安定しているが縮んだロシア、解体しつつある欧州、次第に不安定になっていく中国が形

作る新しい世界の中で、日本はかつてないほど経済的、軍事的安全にかかわる構造的な問題の解決を迫られています。」

 

確かに、日本を取り巻く状況も、北朝鮮の核問題、中国の南沙諸島の軍事化問題、本当に距離的にみても近所で起きていることなので、最悪、戦争という文字が見え隠れすることがあり、今後も危うい緊張状態が続くことに間違いない。昨年、序説23号で島尾敏雄の戦争体験を基にした小説「出発は遂に訪れず」を取り上げたのは、そんな近年の日本のまわりで起きている騒がしい状態が継続していることに危機感があったからで、よく日本人は平和ボケだといわれるが、ボケたままで居られるような日本であればいいのだが。うまく近隣諸国と摩擦なくスムーズにいくとはおもえない。世界はどこか方向性を見失った船のようで、どんな港に着くのか皆目予想しづらいのが現状であろう。しばらく世界は摸索の時代に入った様にみえる。トッドは保護主義に戻ることが世界の安定化の一つの方法だと推奨しているが、はたしてそうなのか経済に疎い私には判断しかねる。いずれにせよ、トッドの書「グローバリズム以後」が、現代の世界を読み解くのに大いなるヒントを与えてくれた事に間違いない。私は、はなはだ感謝している。

 

 

     あとがき       冨岡 弘

 家庭菜園のことを少し書きたい。四月下旬庭の片すみ四坪ほどを耕しました。まず土作りからです。冬に燃やした薪ストーブの灰と鶏糞を丁寧に土とブレンドし、二週間ほどなじませました。五月の連休に種まきと苗の移植をしました。植えた種類は全部で十一種類です。ナス・ピーマン・エダマメ・シュンギク・ニラ・バジル・モロヘイヤ・オクラ・ネギ・キュウリ・ゴーヤです。狭い割に結構植えられるものです。六月一日現在収穫できたのは春菊だけですが、これから夏に向かって徐々に収穫が増えることでしょう。だけど本当のことを言いますと、収穫量はどうでもよくて、花をながめるごとく野菜を観賞するのもありかと、本音はそこにあります。

 連休中のホームセンターの菜園コーナーは、めちゃ混みで、どこの家でも同じようなことをやっているのだと思うと、平和のありがたみをかみしめたしだいです。テレビでは、北朝鮮のミサイル、アメリカの空母の報道が連日ながれていますが、庭先だけは平和そのものなのが不思議でたまりません。客観的に見たとき、実は我々は非常に危うい世界に生きていて、いつ何時どうなるか分からない、薄氷の上にいるのです。

 はなしは急にぶっ飛ぶが、私は宇宙について考えることが好きです。最新の宇宙物理学によりますと、宇宙空間に存在するダークエネルギーの力により、(ダークエネルギーにかんしては、存在することは確かなことであるのだけれど、現在のところ、まだまだよく分かっていないようです。)宇宙空間は益々膨張していて、観測でもそのことは裏付けられています。膨張の加速はましているのです。このまま加速膨張していきますと数千億年後には、星と星の間隔はそうとう遠く離れてしまい、結果、宇宙は冷え切ってしまいます。そう絶対零度の宇宙が出来上がるのです。その時生物はいないのでしょうし、勿論人類もです。宇宙的に考えたとき我々の未来は決して明るくないのです。たぶん今までの人類の努力これからの努力も無に帰するのです。そう肝に銘じて過ごしていけば、地位・名誉・お金だけに縛られてしまう人生にならないですむはずです。少しお説教がましくなりました。ちなみに新興宗教にも全然興味ありません。

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2017年8月24日 (木)

恐竜と青春  SF小説「竜の眠る浜辺」

 

Img_4200 SF青春小説「竜の眠る浜辺」 山田正紀

 

相変らず展開が豊かー、相変わらずというのは、もともと彼・山田正紀の初期SFである『神狩り』や『弥勒戦争』などで、のけぞったほど。物語が魅力的なのは言うまでもない。ただ、最後の展開は、このテーマにしては、意外と静かというか、行くべきだろうところの世界へ。ある種の青春SFかな。と思っていたら、SF作家の新井素子さんも「青春小説と評し、ネコまで青春している」と書いたとか。

 

 と、「あとがき」で確認していたら、作品が最初に出たのは、なんと1986年11月の「徳間文庫」。今から30年以上も前になる。私が手にしているこの「ハルキ文庫」にしても、1998年11月第一刷り。これも20年近い前・・。書店で買い求めてそのままになっていたが、買い求めた当時の書棚をなんとなく覚えてはいるのです。それにしても、こんなに「積読」になっていたとはー。驚きでもあります。

 

 作品の全体の空気は、「あとがき」で本人・山田正紀が書いています。

こんな言い方です。

「自分でいうのも何だが、私はもともと性格の悪い、悲観的な人間なのだが、この作品を書いたときには、めずらしく人生を肯定する気持ちになっていた。その気持ちがこの作品にあらわれているのではないかと思う。だからこそ愛着があるのだろう」

(折々の状況 2017その4)

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2017年8月23日 (水)

相変わらずの筒井康隆ワールドでしたー。 「モナドの領域」

 
Img_4198 法廷論争はわかりやすかったが、最後のテレビ問答は、わからんかったー。いずれもしても「神」を主人公に、古今東西の哲学を机の中から引き出し、ぐいぐいと読者を引っ張っていく、相変わらずの筒井康隆ワールドでしたー。「モナドの領域」(新潮社、2016年2月15日、4刷)
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2017年8月21日 (月)

 「叙時詩」に向かって吹く風 詩の<現況>についての私的メモ  

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「叙時詩」に向かって吹く風

詩の<現況>についての私的メモ

 

                黒川 純

 

 それぞれの方法で「詩の風」をー

 

 「現代詩この1年」を回顧しなくても、最初の一行のその大事さ、大切さについて、詩人という詩人たちは承知していることだろう。今回の表題を与えられてから、月刊誌「詩と思想」や詩誌から文芸誌に移行しつつある季刊誌「コールサック」はもちろん、私にしては、たくさんの今年の詩を意識的に味わってみた。だが、その一行で読み手を振り向かせる、「おっ!」「ふむー」、「その先は?」と思わせる、そんな詩は少なかったように思える(私の場合はだがー)。私もその一行にこれまでも熱心ではなかったので、大きなこと、えらそうなことは言えない。それはじゅうじゅう承知の上で、そんなことを言ってみたい。それでも、昨年秋から今秋までの「詩と思想」各号の頁をめくると、「読者投稿作品」にそれらの宝石が散らばっていたように感じた。とくに毎回のように選ばれている佐々木漣の作品などはその見本のようだ。

 

弾丸になった一羽の鳥が空腹のまま/霧の中を飛んでいく/さらば真実、と切った空気(略)暮らしの中でトリアージは日常的に行われており/しかし、それが誰の手によるかが問題で(略)涙を今日一日の塩分にしなければならないと/握り飯一口もない、海岸で、立ったまま絶命 する者

 

 この作品「まだ霧は晴れていない」は2016年5月号に登場した。4連約45行の各連である行ごとに魅力的な比喩が飛び交っている。ことに「暮らしの中でトリアージは日常的に行われており」などは、その一言で昨今の社会をぎゅっと詰めた一行だな、とうなずいた。

 選者の河津聖恵さんは「選評」で、この佐々木漣の作品について、「詩の中から現在の社会へ向かおうとする風がある」としているが、さらに5月号の投稿作品全体についても、「いくつかの作品に『詩の風』を感じてうれしかった」と伝えている。その「詩の風」についての語り口が思わず、ミクロの詩論になっていたので、今度は私がうれしかった。以下のような問い掛けだ。

 

 「もちろん、『詩の風』とは、現実に吹く風ではない。いわば『異風』だ。読む者の言葉の秩序にひやりと触れる沈黙の風。あるいは読む者の自己と感情のあいだを、微細にひらき鋭利に吹き抜ける無の風。かたくつきつめた『私』がそれぞれの呪法で風をおこし、風は書く私をつきぬける。やがて読む『私』、そして全ての『私』を解体し、凍りついていた不可視の全体をめぐらせるー、そんな異風たちの春をまつ」

 

 こうした佐々木漣の作品を象徴にした「一行」に魅かれるのは、私個人の詩の体験が懐かしい記憶としてたちのぼってくる、よみがえってくるー、それがあるのだろう。というのも、私の詩の「原体験」は、1970年前後。前半は、大学の「フォークソングクラブ」のメンバーとして。リアルタイムでフォークルの「イムジン河」、高田渡の「自衛隊に入ろう」、はしだのりひことシューベルツの「風」」を聴いたり、弾いたりしていた。

 後半は、マスプロ教育粉砕やベトナム反戦などの「全共闘」へ。沖縄返還協定を中心テーマに、「デモからデモへ」の季節。吉本隆明の「固有時との対話」、「転位のための10篇」、さらに清水昶(あきら)の一連の詩、例えば「男爵」、「眼と銃口」、「夏、涙なんてふりはらえ」などを熱心に読んでいた。

 とくに詩集『朝の道』の代表作だろうと言える「夏のほとりで」などは、その典型だ。手元にある1973年2月第一刷の『清水昶詩集』(現代詩文庫)、そこから、とりだしてみると、やはり佐々木漣の空気と重なっているように感じられる。

 

 明けるのか明けぬのか/この宵闇に/だれがいったいわたしを起こした/やさしくうねる髪を夢に垂らし/ひきしまる肢体まぶしく/胎児より無心に眠っている恋人よ 

 

Ⅱ 「震災以後、詩とは何か」と「民主主義って何だ?」

 「現代詩この1年――」といっても、この3年ほど前まで私は東日本大震災ボランティアだった(それを機会に「防災士」に)。今は、市民団体「さよなら原発!日光の会」代表であったり、「戦争させない総がかり日光市民連合」共同代表であったり。なので、ごく自然に関心は大震災、脱原発、戦争法がらみの詩へ。その問題意識については、今年の「詩と思想」前半期の「詩人の眼」で連載させていただいた。その方面からの「回顧と展望」といえば、第一に先にもあげた河津聖恵さんの詩論集『パルレシア 震災以後、詩とは何か』(2015年12月15日 思潮社)、これを示さねばならないだろう。

戦争法もそうだが、あれから5年半余も過ぎる東日本大震災・福島第一原発事故にからまって生まれている幾多の詩の中に、私たちの胸にすとんと落ちる詩がどれほどあったのか?。私もそう思ってきたが、これまでの詩の多くが、「自己救済」で終わってしまったのではないか?。河津さんもそう指摘したうえ、「だが、3・11以後、一気にこの社会の言葉を完全制覇してしまった無関心や無力感を突き破って、別な現実に触れようとしない。しかし、普遍的な真実とは、現実や事実そのものに留まるものではなく、それらを突き抜ける非現実的な力を必ずもたらすものなのだ」と。そして、ほとんど全力で(そのように感じられる)以下のように提起する。私はその呼び掛けに、深く同感している。

 

 「今、新しい比喩こそが待たれている。一気に別な現実の輝きに触れることで、水の濁りを突き抜け、他者との共感の通路を創造しうる比喩が。その結果、この汚れていくばかりの絶望的な現実が、別の意味合いを帯びてくるような神話的な、宇宙的な比喩が。詩本来の想像力で、消えゆこうとする現実の空をふたたび押し広げ飛翔するための比喩が。汚い現実と化していくこの悲しい世界を、人間の痛みが極まる一点から、鮮やかな虚構へとめくり返す比喩が。・・・・・」

 

 と、このようなまっとうだが、「創造的」な呼びかけに答えられる詩はそうかんたんに生まれないだろう(私もその一人だがー)。それでも、社会・政治運動の面から別の「かたち」で生まれたとも思っている。2015年秋、戦争法強行採決の際、シールズ「自由と民主主義のための学生緊急行動」(SEALDs)たちが、国会正門前で盛んにコールしていたフレーズがそれだ。「戦争法反対」という決まりきったコールだけではなく、「民主主義って何だ?」という呼びかけに、参加者が一斉に「これだ!」と応じる。この応答形式のコールは、現状を正面から突くと同時に、非常に新鮮な響きだった。問題に深く向き合うことから生まれたコールだろう。こうした視点をずらした、意表を突いたフレーズは、詩の世界に対するひとつの大きな「ヒント」になるのではないか。

 

 

Ⅲ 言語の裂け目と積まれた「悲しみと怒り」

 

 「3・11以後、詩とは何か」にからんで、今回の注文で読み進めた詩論で考えさせられたのが、『純粋言語論』(瀬尾育生、五柳書院)。2012年7月発行なので、すでに4年が過ぎるが、現在進行形の指摘だと思えるのが、以下の視点だ。

 

 「人間の心が負った傷を、人間の言語のなかに回収して終えることはできない。そうではなくて、事物の語り出しは本質的に人間の言語の中に回収不可能だということをあらわにする必要があるのです。人間の言語に裂け目をつくって言葉を外に向かって開き、それを事物とつなぐ。その傷口から、何か別の伝達が入り込んでくる通路をつくる。そのための不連続や断片化ということが、重要な詩的な技法・語法になるはずです」

 

 視点として挙げた「回収不可能な言語」についての展開は、「日本における前衛詩の開拓者にして祖である」(中村不二夫 エッセイ集『詩の音』)とされるその暮鳥と白秋について論じた瀬尾さんの詩論「山村暮鳥と北原白秋」の結びにある。

 

 キイワードの「人間の言語に裂け目をつくって言葉を外に向かって開き・・・」を視野にして、今年のわたしが読んだ原発詩でいえば、『コールサック』第86号(2016年6月)にある

みうらひろこの「゛までい゛な村から」だ。累々と「フレコンバック」の山が続く「までい」・「丁寧」な村と呼ばれた福島県飯舘村の現状を伝えながら、心の鏡を映した詩ではある。だが、そこを一つ飛び越えた詩だ。というのも、私もほぼ1年前、市民団体「原発いらない栃木の会」の企画で福島第一原発周辺の町村や南相馬市などを「視察」する機会があった。フレコンバックが連なる山について、思わず「まるで『万里の長城』だね」と、息を呑んだ。この詩は断片化や不連続ではないが、現地の視えない空気・心を見事に「かたち」にしてくれたと思えるからだ。

 

フレコンバックと呼ばれる/除染で出た汚染土を詰めた黒い袋が/累々と、道しるべのように積みあげられています/までいの村に、までいに積まれているのです(中略)この黒い袋の中味は/故郷を失った人達の/悲しみが詰まってます/人々の怒りではち切れそうです

 

Ⅳ 「叙時詩」の可能性について

 

 今年のノーベル文学賞は、あのボブ・ディランへ。世界を驚かしたこのニュースだが、「コールサック」に連載中から注目していたエッセイ詩論『詩のオデュッセイア』(コールサック社)がそのニュースを先取りするように、この秋(2016年10月9日初版)発刊された。副題がなんと、「ギルガメシュからディランまで」。著者は、朝日新聞の看板コラム「天声人語」も担当したことがある高橋郁男さん。名文記者がそこまで詩にぞっこんだとは思わなかったこともあり、熱心に読ませてもらった。

 小題の「『叙時詩』の可能性」だが、抒情詩でも叙事詩でもなく、あくまで叙時詩

という分野?について。高橋さんは第7章「戦後・冷戦から『滅亡の危機』の時代へ」で、ディランの「風に吹かれて」をとりあげ、「その時代の姿・かたち・肖像を詠い、映す『叙時詩』、それぞれの詩の世界で、歌い手と詩句と旋律が奇跡的な出逢いをした時に、時空を超えた一曲が生まれる」とした。さらに第8章「詩の世界での不易と移ろい」で、ローマの諷刺詩を引き合いに、叙時詩について、このように位置づける。

 

「叙事詩でも抒情詩でもなく、その時・その時代の様・肖像を詠った詩を、仮に『叙時詩』と名付けてみた。『時』は、時間、時刻の他に、時代、年代、時世などの意味も併せ持つからだ。その時代の社会事情や出来事を取り上げて評するという点では、近・現代のジャーナリズムの時評や諷刺的なコラムの先駆けのようでもある」

 

 その「叙時詩」について、著者・高橋さんは、『コールサック』第85号(2016年3月)の「小詩集 風信」の中で、「なるほど、いかにも」という詩句を示している。

 

・一一から五年/愚行 というには生ぬるく/傲慢 というには物足りなく/軽率 というには軽すぎ/拙速 というには甘すぎて/卑怯 というには食い足らず/鉄面皮 というには鉄に申し訳ないような/幾多の咎めの言葉も恥じ入る/「再稼働」というものが始まった

 

 冒頭に私が魅かれた佐々木漣の詩を紹介したが、ここまで書いてきて、彼の詩にシンクロするのは、提示される最初の「一行」の新鮮さ、詩句の断片化と不連続、言語の裂け目、それによる独特で懐かしい文体、さらに時代を切り開いていく詩、いわばここで言う「叙時詩」的な空気も私が感じ取るからなのだろう(本人はそのような気で書いているとは思っていないがー)。さらに以下に示す「原初の息吹と呼吸」を、そこに視るからではないか。

 最後のポイントは「特集 現代詩――批評の全景」(「詩と思想」 2016年9月号)にある「若手世代と熟年世代の二極化」(小川英晴)から。「すぐれた詩にはみな意識下の巨大な世界を内包しているものだ。そして、それが読み手の心を打つ。それにすぐれた詩にはどこかに原初の息吹があり呼吸がある」という。<なるほどー>と、そう思わずにいられない視方だ。その詩論にある以下の視点を紹介し、編集委の注文である「回顧と展望」にはかなり遠いだろう個人的な「詩の<現況>についての私的メモ」の結びにしたい。

 

 詩人は自らの意識下の力を借りて詩を書き、自らの文体を創る。おそらくその文体にも自ずと品格は宿るのだろう。作品には意識するしないにかかわらず書き手のすべてが現れる。空海は「声に実相あり」と言ったが、詩人にあっては「文体にこそ実相あり」ということが言えるように思う。声明を唱えて身につまった負の力を拭い払うように、詩人はひたすら詩を書くことによって、自らの混沌を吐き出してゆくしかない。(了)

 

 初出 月刊詩誌「詩と思想」1、2月合併号(2017年1月) 「現代詩この1年――回顧と展望」

 

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2017年8月10日 (木)

今週は11日と12日少し 古書店図書室「霧降文庫」

Photo
 コミュニケーショスペース古書店図書室「霧降文庫」の今週は11日 (金)と12日 (土)の15時までオープンしています。
時間は正午~夕方まで。〒321-1421 栃木県日光市所野1541-2546 ☎0288-25-3348.
 

 12日(土)からお盆休みで。群馬へ帰省です。最も13日(日)の夕には日光に戻ってくる予定ですがー。
 
 来週の土曜日の19日は、「県民ネット」(戦争法の廃止と立憲主義の回復を求める栃木県ネットワーク 加盟52団体)の討論集会があり、これも臨時休業に。20日(日)は、再開するつもりではあるのですがーさて?。
 
 26日(土)は、午前中が「さよなら原発!栃木アクション」会議、午後は「原発いらない栃木の会」会議へ。なので、臨時休業です。27日(日)は、オープンできそうです。
 
 あした11日は、「霧降文庫」の本棚づくりへ。「日曜大工」的な楽しい?作業がありますから、可否も味わいつつ、汗も流しませんか?・・・~。薪割りもやらないといけないのでした!。
 
 とはいえ、9日は晴れたものの、7月下旬の「梅雨明け宣言」からずっと、小雨模様が続いております。ぴかっとした夏本番の太陽が恋しい霧降高原ですー。
 
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2017年8月 6日 (日)

小詩篇 その細く清らかに汚れたもの達と共に   磯山オサム

 

小詩篇

その細く清らかに汚れたもの達と共に

 Img_4001_2

 1 道端にジプシー

 

ゲキカラの冷シンス

98から17の帰らない未来

シンデシマウヒト

「橋の欄干手を振れば」

通りゃんせも出来ない

海の色 陸の色

ナミダスルヒト

 

現在もある 

ありあまる消えた旅

SNSの離反は

走るハシル樹に会えるのだろうか

 

息を止めてテフウキン

言葉にならない記憶も

ジプシーの人・道の人

花咲く花のネコ

花散る花のネコ

時を切る希望の続き

旅のネコ・旅の人

ずっといとおしく すべていとおしく

千里のかよい路

ジプシー

道端にジプシー

空に残っている

 

 

  2 ホタル売り

 

月の影が薄いので

里の道を抜け ホタル売りに出る

 

街は光を止めて死に向かうから

小さな命を

朴の葉で作った小箱に入れて

売りに出る

 

まもなく世情が脱皮します

回想を無視して永遠を求めます

 

ホタル

ホタルと声をあげる

 

月の影が薄いので

もうすぐ消える光を

小さな箱に入れて

ホタル売りに出る

 街に 

 光を売りに出る

 

 

 3 その細く清らかに汚れたもの達と共に

 

たくさんの未来がシンダので

ぬれたバスストップ

雨の色を夜ノ森に投影している

過ぎた春を指折って数えている

 

独り子の生きる森の

清らかな孤独

動くことの無い

自らの意思ではなく汚れた命に

耳を澄ます

 

夜の発車ベル

海から風が吹いて三月が始まるので

再び春を数えている

指折っている

 

細く清らかに汚れて生きる

声の無い

たくさんの命

 

眼を閉じ

ぬれたバスストップ

汚れたもの達と共に生きるために

春を数えている

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2017年8月 2日 (水)

折々の<状況>その(3)  『序説』第24号

 

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      折々の<状況> その(3)

                  富岡洋一郎

 

 決議文、呼びかけ、お願い、市民団体の会報の記事や連絡、レジュメ、会則づくり、議事案、議事録・・・ときおり短い書評―。この1年の「折々の<状況>」は、活動してきたさまざまな局面でどうしても書かねばならないという文章を記す機会が特に多くなってきた。

昨冬から今春の間に、市民団体「アースディ日光」の事務局長や「横根高原の自然を守る日光市民の会」の事務局、それに親しい日光市議の後援会代表などを務めるようになった。これまでも脱原発社会をめざす市民団体「さよなら原発!日光の会」代表や戦争法廃止をめざす市民団体「戦争させない総がかり日光市民連合」の共同代表も務めていた。

そのため、会議や集会が次々とセットされ、さらにときおりデモも。私がめざす「晴耕雨読」とは縁遠い日々を送ってきた。そろそろ「許容量」を超えそうだとも感じている日々だ。だが、考えてみれば、そうした走りながら過ごし、その場面に即応し、〈悪戦苦闘?〉している現実そのものが今の時代の「折々の<状況>」ではないのか?―。

ということで、今回はこの1年の間に会報やfacebookなどのSNSMLや封書などさまざまな手段・方法で書いてきたそのものを示すことにした。これも日本ばかりか、世界的にこれまで以上に先が読めない、不透明な時代のひとつの「記録」になるのではないかと思っている。以下は時間を追って順に記した、いわばドキュメントといえるかもしれないー。

 

 

原発再稼動に盲進していく愚かな政策に強く抗議する

「さよなら原発!日光の会」第5回総会・決議

 

 劇作家・平田オリザさんは、海外で福島第一原発事故について話をするとき、「約16万人の難民が発生した」と説明しているという。放射能汚染で居住地を去らざるをえなかった、帰る場所を失ったという意味で広義の難民だ、そうとらえるべきだと強調している。

膨大なその難民を生み出した福島第一原発事故当時18歳以下の福島県民を対象にした甲状腺検査では、今年3月末までに、173人ががんの疑いがあるとされ、そのうち131人が手術でがんと確定している。賠償・除染・廃炉費用については、これまで11兆円とされてきたが、賠償だけで8兆円、除染が4兆円、廃炉費用が8兆円と、総額21・5兆円に膨らむ見込みとなった。「原発のコストは安い」の虚構はすでに天下に明らかだ。

それでも川内原発(九州電力)、伊方原発(四国電力)を再稼動させ、さらに原子力規制委は6月20日、運転開始から40年を超えた高浜原発1、2号機(関西電力)の20年延長を認めた。福島第一原発事故後に運転開始から「原則40年で廃炉」の制度ができたが、早くも「例外」となった。美浜原発3号機(関西電力)の20年延長も認可し、「原則40年」ルールの骨抜きが進む。また、核燃サイクルの根幹であった高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)が破綻したが、その反省もなく、11月30日、政府会議は、今度はより実用化に近い実用炉の建設方針を公表し、疑問だらけの「高速炉開発」に突き進もうとしている。

ところが、朝日新聞が10月15、16日に行った世論調査では、「再稼働反対」5

7%、「再稼働賛成」29%。「ただちにゼロにする」、「近い将来ゼロにする」を合わせると、「原発ゼロ」は7割以上に達し、「もう原発はいらない」というのが民意だ。実際、東京電力柏崎刈羽原発の再稼動が争点となった10月16日投開票の新潟県知事選では、再稼働慎重派の無所属新人候補が、自民党推薦候補を破っている。

眼を国外に転じると、11月22日、ベトナムが福島第一原発事故を受けて「日本からの原発輸入の撤回」を決めている。台湾では、9年後の2025年までに既存の原発をすべて停止させることにしたという。その英断について、台湾経済相は「原発をめぐる台湾の民意は東日本大震災を機に大きな変化があった」ためだと言い、大事なことは「放射性廃棄物の問題を子孫に残さないために、どのような政策が必要なのかということこそを考えるべきなのだ」と語っている。

 こうした原発ゼロをめざす政策こそ、この日本が真っ先になすべき決断だったはずだ。原発の「安全神話」は崩壊し、膨大な難民を生み出し、子どもたちなどの健康に不安を与え、経済的にも引き合わず、子孫たちに処理できない放射能廃棄物などを押しつけるー。何よりも日本は地震国であり、第二の「福島第一原発事故」が起きないという保証はない。

それにもかかわらず、原発再稼動に盲進していく愚かな政策が続けられ、12月8日には、川内原発1号機を再稼動させた。東日本大震災後の新規制基準のもとで、定期検査に入った原発の運転を再開させるのは今回が初めてだ。私たちは、その川内原発の再稼動に怒りを込めて強く抗議する。同時にこれらの政策を止めさせる運動を粘り強く進め、脱原発をめざす数多くの仲間・市民とも連帯し、原発のない社会・脱原発社会を実現させることについて、大いに力を尽くすことをここに誓い合う。

以上、「さよなら原発!日光の会」第五回総会の総意において決議する。

2016年12月10日。

 

 菅谷昭・長野県松本市長の記念講演会に市民180人が耳を傾ける

 

 「さよなら原発!日光の会」第五回総会記念講演会は2016年12月10日(土)午後2時半から日光総合会館大会議室で開き、会場いっぱいの市民180人が菅谷昭・長野県松本市長の講演に耳を傾けた。当日は、若いお母さんたちもぜひ参加して欲しいため、託児室(無料)を設け、講演中、10人の子どもたちを預かった。

松本市にトンボ返りする松本市長の講演時間は約2時間。菅谷さんはプロジェクターで映し出したスライド40枚を使って、チェルノブイリ原発事故後、5年半に及んだ現地・ベラルーシでの医療活動やベラルーシの国家としての手厚い健康対策などを解説した。福島原発事故を受けた子どもたちの健康保養なども組み込んだ松本市の独自の取り組みなども紹介し、参加者の真剣な質疑にも約30分にわたって丁寧に答えた。

会場の「図書コーナー」で管谷さんの著書・『原発事故と甲状腺がん』(幻冬舎ルネサンス新書)、『これから100年放射能と付き合うために』(亜紀書房)、『子どもたちを放射能から守るために』(亜紀書房)の3種・55冊を用意したところ、すべて「完売」された。「放射能問題」に対する関心の高さを改めて浮き彫りにした頒布会となった。記念講演会はチャリティとして行われ、益金の大半、3万円を「3・11 甲状腺がん 子ども基金」に寄贈する。さらに「チェルノブイリ・福島医療基金」と「未来の福島こども基金」もそれぞれ5000円の計4万円を寄付に回すことに決めた(富岡洋一郎

(初出 「さよなら原発!日光の会」会報「げんぱつニュース第30号 2017年1月10日」

 

そういえば、丸100年―、『ロシア革命 破局の8カ月』(岩波新書)

 

そういえば、丸100年でした。10日ほど前が初版日だった『ロシア革命 破局の8か月』(岩波新書 池田嘉郎)。2月革命からレーニンの10月革命まで、自由主義者たちの「奮闘と挫折、そして新たに生まれたもの」。主演級が第三次まで臨時政府の首相を務めたケレンスキー。
 同書によると、四次にわたった臨時政府の38人の元大臣のうち、亡命先で死去したのは、21人。最後まで生き延びたのは、ケレンスキー。はじめはフランスに亡命し、第二次大戦中の1940年にアメリカに移住。いくつもの回想記を書き、1970年にニューヨークで89歳で死んだ、という。(これは初めて知りましたー)
 ニコライ二世の退位のドラマから始まり、デレビドラマにもなりそうなドキュメンタリータッチの232頁。昨日、たまたま書店で手にしたのだが、面白さに惹き込まれー。100年前にタイムスリップできました~。著書は1971年生まれ、専門は「ロシア近現代史」の東大大学院准教授。この手の世界の新たな書き手が登場してきたことがわかる新書です。

(初出 BLOG「霧降文庫」2017年2月1日)

 

 

「さよなら原発!日光の会」新電力自主講座

自然エネルギー社会づくりに向けた市民によるエネルギー自治

 

電気の自由化で雨後のタケノコのように全国各地で生まれた新電力。そのひとつに近い将来、自然エネルギー100%をめざして設立された電力会社・生活クラブエナジー(東京都中央区)があります。「脱原発・自然エネルギー社会づくりに向けて市民によるエネルギーの自治をすすめ、持続可能な未来をつくります」。3・11以後、その理念で、各地の生活クラブ生協などがつくりました。生活クラブ生協栃木の専務理事が、その生活クラブエナジーの現況について、福島第一原発事故の経験や生活クラブの「エネルギー7原則」などから語ります。脱原発・原発に頼らない電力について知りたい市民にピッタリの自主講座です。お気軽にご参加ください!

(初出 「さよなら原発!日光の会」自主講座 フライヤー 2017年2月22日)

 

 

福祉の世界から飛躍する「正義の味方」ー阿部かずこさんを応援してください

 

 左腕を折りながら、「戦争法廃止」を求める集会・デモに参加する、市議として忙しい身なのに、あえて福島第一原発事故で被害を受けた現場や仮設住宅を訪ねて助言する、今年春に新たにオープンした「新・市民活動支援センター」の説明会に参加し、日光市に注文をつける・・▼阿部さんの活動の一端ですが、各種の市民運動の集会でも進んで受付や司会を引き受けるなど、「縁の下の力持ち」です。その阿部さんとは、2014年春、平木ちさこさん(県議)が日光市長選に立ったときからの縁。市議会で「平木派」をつくるつもりで、私も市議選に挑みましたが、私は苦杯。阿部さんはなんとか議席を得ました。以来、彼女の精力的な「東奔西走」に眼を見張っています▼阿部さんは看護師の世界からスタートして、今や日光市の市民団体の拠点となっている「市民活動支援センター」設立について提言したうえ、誕生・運営にもあたってきました。ケマネージャーの資格を活かせる福祉の世界の「プロ」でもあります▼そばにいると、阿部さんの行動力、判断力、先見性がよくわかります。なによりも「正義の味方」です。2018年春の日光市議選では、その彼女の再選に私も力を尽くします。みなさんも、どうぞ、阿部かずこさんを応援してやってください。(「阿部かずこと未来を想う日光市民の会」 代表・富岡洋一郎)

(初出 阿部かずこと未来を想う日光市民の会 会報「通信 みつばち001号 2017年2月」

 

 

持続可能な愛と連帯と平和な社会・世界を創るー、「アースディ日光」会則

 

 (名称及び事務局)

第1条 本会は「アースディ日光」と称する。事務局を栃木県日光市所野1541-2546に置く。

(区域)

第2条 会の対象区域は、日光市及び栃木県周辺区域とする。

(目的)

第3条 本会は、地球を愛する市民の力を集め、これまで培ってきた知見や実践や構想を踏まえた「メッセージ」を日光市、栃木県、全国に力強く発信・共有することで、多様な命が共に生きる、環境に優しく、持続可能な愛と連帯と平和な社会・世界を創ることを目的とする。

 (活動内容)

第4条 会は、前条の目的を達成するため、以下の活動を行う。

(1) 持続可能な愛と連帯と平和な社会・世界を創る活動

(2) イベント「アースディ日光」の開催活動

(3) その他 本会の目的に沿った活動

(以下、略 2017年3月20日)

 

 

序説第24号連絡 「きょうこそ、みんなに序説の連絡をしよう」

 

4月1日の「選抜決勝戦」を聴きながら、「序説第24号」の連絡を書いておりました。新春から「きょうこそ、みんなに序説の連絡をしよう」と思っておりましたが、毎日、雑用ー市民運動の会議や集会・デモ、薪割り、ベランダ補修などに追われ、それがかないませんでした。恐縮です。

 最初に事務局・富岡から「私事」について、ひとつ、ふたつ。

●ご承知のように富岡・黒川は、昨夏、腰椎すべり症で済生会宇都宮病院に約1カ月入院、この春でそれから8カ月。この3月は半月間、県営だいや川公園で毎日のように1時間の散歩へ。目標は3・20「さようなら原発 全国集会」の集会・デモで、代々木公園から渋谷駅まで「完歩」すること。結局、拡声器を片手に1・3㌔を完歩することができました。「自分をほめてあげたい」-笑いー

●その2 月刊詩誌「詩と思想」(「序説」準同人の長島君が装丁しています)2017年1、2月合併号・特集「2016年度・回顧と展望」で、巻頭詩論のひとつ「『叙時詩』」に向かって吹く風 詩の<現況>についての私的メモ」(約2600字)を掲載しました。今回の序説第24号でも転載するつもりです

●その3 霧降高原では「キリフリ谷の芸術祭」というのが、毎年6月にあり、今年で3回目。詩人・黒川純も今年初めて誘われました。6月11日(日)と6月25日(日)の、いずれも13時~15時、ベランダを会場に「詩・歌朗読会 こんにちは 未来」を開催します。詩人、歌人、声楽家、舞台役者などが「舞台」に。みなさんも時間がありましたら、「霧降文庫」にも(「序説」の会員に限ってだけ、特製カレーと珈琲をサービスしますー笑いー)―以下略―。

(初出 「序説第24号連絡」部分 2017年4月2日) 

 

自由にものが言えない疑心暗鬼の監視社会となることは認めない

「戦争させない総がかり日光市民連合」決議

 

 犯罪を計画段階で処罰できる「共謀罪」(組織的犯罪処罰法改正案)-、衆院で本格審議に入っているが、私たちは、捜査手法の拡大による警察権力の強化によって、市民生活に対する「監視」が強まり、警察のさじ加減で、ある日突然、普通の市民が容疑者にされかねない物騒な共謀罪法案に、断固反対であることを内外に強く訴えていく。

政府は東京五輪を控え、「テロ対策は喫緊の課題」として、「テロ等準備罪」という名称にした。だが、その看板を掲げながら、当初の政府の条文にテロの定義も文字もなかった。法案の本質がテロ対策ではないことが明らかだ。また、国際組織犯罪防止条約(TOC条約)締結に必要だと強調するが、国連の「立法ガイド」の執筆者が「テロ対策は条約の目的ではない」と明言している。一方、テロ対策だ、治安対策だ、と言われれば、「それなら賛成だ」となりがちだが、日本はすでにハイジャック防止条約、爆弾テロ防止条約、核テロリズム防止条約など、13の国際条約を結んでいるのだ。

問題なのは、共謀罪法案が成立すると、「内心を処罰」できる論理が可能になることだ。行為や結果を中心として処罰してきたこれまでの犯罪観を一変させ、行政の施策への反対やあらゆる権利運動が処罰対象になる。

計画を処罰するために捜査手法も大きく変化するのは必至だ。立件するには、盗聴が不可欠となる。携帯電話、FAXはもちろん、FacebookTwitterlineなどのSNSで「その計画を知っていた」だけで捜査対象になる。現行の盗聴法を背景に共謀罪の疑いがあれば、捜査を名目にそれこそ盗聴し放題になる。

 歴史上、悪名高い治安維持法は、1925(大正14)年に公布され、1929(昭和3)年の改正でこれまでの左翼思想の取り締まりに加え、労組なども捜査対象になり、戦争に反対する人々も強権が使われた。1941(昭和16)年に新・治安維持法が施行されると、拡大解釈で宗教団体、言論機関、歌人・詩人・俳人なども弾圧された。

安倍政権は2013年に「特定秘密保護法」を成立させ、2015年9月に自衛隊の海外での武力行使を可能にする「戦争法」を強行採決した。「殺す、殺される」ことが起こりうる現地・南スーダンに自衛隊を派兵した。今、さらに共謀罪法成立にやっきだ。「治安維持法」、「軍機保護法」、「国家総動員法」と、戦時法制を次々と整備していった戦前に重なる危うい状況にある。一方で、「戦争ができる国」に反対する市民活動、権利運動が活発化している。共謀罪はこうした風潮を押さえつける狙いがありありだ。

 戦争法の廃止と立憲主義の回復を求め、昨春発足した「日光市民連合」は、盗聴、密告が横行し、「目立ったことをすれば監視される」と、私たち市民を萎縮させ、自由にものが言えない疑心暗鬼の監視社会となることは認めない、そして、「戦争への流れ」に向けた「戦時体制」の構築を阻むため、「戦争法廃止」はもちろん、物騒な「共謀罪」についても断固反対であることを、ここに強く内外に言明する。

以上、「戦争させない総がかり日光市民連合」第2回総会の総意において決議する。

2017年5月20日

 

何のために闘うのか?! 『左翼の終焉と21世紀型大衆運動のゆくえ』

 

何のために闘うのか。権力のためか。自由のためか。民主主義のためか。結局行き着くところは、シンプルに個人の尊厳と誇りのためだと言うことができるのではないか。

(初出 facebook富岡洋一郎  2017年5月20日)

 

 

最後に「どんでん返し」の「希望」がー『夜の谷を行く』(桐野夏生)

 

全299頁の絶望的な展開の最終頁に、「どんでん返し」の「希望」が。「連合赤軍事件」の女兵士をテーマにした『夜の谷を行く』(桐野夏生)。

啓子は大きな息を吐いた。長い間、心に仕舞っていた秘密から解放された。しかし、解放は新たな枷を作るかもしれない。一度も持ったことのない、希望という慣れない感情に、啓子はまだ戸惑っている

(初出 facebook富岡洋一郎 2017年6月6日)

 

 

 

facebook頁などSNSの活用へ 「横根高原の自然を守る日光市民の会」呼びかけ人会議レジュメ

 

1. 当面する確認事項

 反対署名の集約の特徴と筆数の確認について

 署名の提出方法について

 陳情審査に向けた、市議会議員への働きかけについて

 今後の取り組みについて

・スケジュール

1日光市長への要望書提出の時期と方法について

2日光市9月議会への対応について

3第三次反対署名行動について

・活動内容

1横根高原現地視察会の継続について

2先進的な再生可能エネルギー規制条例の研究と視察

3鹿沼の仲間との連携について

4横根高原の講演会設定について

5呼びかけ人の拡大について

 

・連絡体制と広報について

1呼びかけ人など、ネットでの連絡体制の強化について

facebook頁やBLOGtwitterなどSMS活用について

3「市民の会」HPの創設と活用について

(2017年6月13日)

 

 横根高原メガソーラー発電所建設反対署名」の記者会見ご出席のお願い

 

 私たちは日光市足尾と鹿沼市にまたがる前日光県立自然公園の「横根高原」に計画されているメガソーラー発電所について、建設反対を掲げ、4月6日に発足した「横尾高原の自然を守る日光市民の会」です。建設反対署名活動を進めてきた結果、5月16日に、6931筆となり、同日、その第一次反対署名を添え、日光市議会議長に陳情書を提出いたしました。

 

 6月14日にはさらに第二次反対署名を加え、総計1万788筆となったことを伝えながら、再び、日光市議会議長に提出いたしました。これらを受けた当日の日光市議会産業観光常任委員会は全会一致で、陳情の採択を決めました。19日に日光6月市議会最終本会議が予定されておりますが、私たちの陳情内容を受けた意見書が採択される見通しだと思っています。

 

それらを受けた記者会見を当方で設定させていただきました。当会の共同代表や反対署名呼びかけ人らが参加し、これまでの反対運動の経過や運動の狙い、今後の方向などについて説明させていただこうと思っています。さぞやお忙しい日々かと推察しておりますが、ぜひ、記者会見に参加・取材・報道していただければ、幸いに思います。(2017年6月16日)

 

 

宇都宮二荒山神社前の「安倍政権弾劾街頭演説会」へ

 

 6月15日(木)の「6・15共謀罪強行採決成立」を受けて、「19日行動」をどのようにすべきか、福田洋吾事務局長と連日、協議してきましたが、最終的に19日(月)は、「日光市民連合」として、同日17時半~18時半、宇都宮二荒山人社前で開く「安倍政権弾劾街頭演説会」に参加することにしました。

 当日は、午前10時から、日光市議会最終本会議があり、「共謀罪」と「横根高原」の二つの陳情について、討論が予定されています。これに参加したうえ、15時から日光総合会館中会議室(安川町)で、本会議での陳情採択を受けた「横根高原大規模発電所建設計画反対運動について」の記者会見がセットされています。共同代表、呼びかけ人のほか、「日光市民連合」「さよなら原発!日光の会」の会員のみなさんもぜひ、御参加くださるよう、お願いします。

(初出 「さよなら原発!日光の会」ML 2017年6月16日)
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2017年8月 1日 (火)

「僕らの社会主義」  生きていくヒントがいっぱい

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山崎亮 ちょうどその頃、マルクスの『資本論』が英語に翻訳され、モリスはこれを読んで非常に大きな影響を受けた。ただし、それ以前にモリスはラスキンの影響を受けていたし、間接的にカーライルの影響も受けていた。さらにイギリス社会主義の父と呼ばれるロバート・オウエンの影響も受けている。だから、マルクスからレーニンにつながるような流れではなく、独特の社会主義思想を生み出した。こうしたイギリス社会主義の流れは、現在のイギリス労働党にも受け継がれています・・・・
 
  國分功一郎  ひと口に社会主義と言っても、いろいろあったんですよね。たとえばモリスが提唱したような審美派の社会主義とか、あるいはキリスト教社会主義とか、社会主義そのものはマルクス主義以前から存在したわけです。ところがー、これはこの対談の核の一つとなる問題だと思いますがーそれがロシア革命の成功を経て、次第にボルシェビズムと同一視されるようになった。
 モリスの著作も戦前の日本では非常に熱心に読まれていましたよね。特に大正期の末から昭和の初めにかけては『芸術的社会主義』として、大々的に受容された。翻訳も数多くなされたし、研究書も出版されていた。1934年のモリス生誕百年の際には、丸善書店において「モリス誕生百年祭記念文献絵画展覧会」が催され、それに合わせて『モリス書誌』や『モリス記念論集』も出版されています。新聞雑誌にも多くの記事が掲載された。
 この事実は割と知られているかもしれませんが、芥川龍之介が東京帝国大学文科大学英文学科を(20人中2番の成績で)卒業するにあたって提出した卒業論文は「ウィリアム・モリス研究」です・・・・・。
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(折々の<状況> 0025 その1)

2017年7月22日 (土)

序説』第24号(95頁)が同人に。総会は7月29日、発行は8月1日

 
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 創刊から43年目の同人誌『序説』第24号(95頁、編集委事務局、栃木県日光市)が届きました。発行日は8月1日(定価500円)なのだが、同人(首都圏、関東地方と東北地方に暮らす10人)にはその1週間ほど前に着くように。ベテランの仲間のデザイナー(群馬県太田市)が工程通りに完成させてくれました。
 その「序説」総会は来週の7月29日(土)~30日(日)、日光霧降高原で。毎年、各地の旅館やホテルなどに泊まり込み、同人が喧々諤々の時間をすごしております。
 今年の総会会場は事務局が置かれている「霧降文庫」で。泊まりは霧降高原のペンション。このところ、不透明さがますます増してきた「世界」と「序説」などについて、語り合うことになるでしょう。
 
 

より以前の記事一覧

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