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詩人

2015年12月21日 (月)

「詩と思想」コラム「詩人の眼」 3月号原稿を20日に送稿ー。

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この2、3日間は、月刊詩誌「詩と思想」のコラム「詩人の眼」の作業に集中。締め切り日の20日ぎりぎりで編集委員会に送信~(3月号から半年間、担当筆者になる、その第一回目)。その一部をFACEBOOKへ。誌面になるのは来春なので、さわりだけ。私が愛読している「詩と思想」の宣伝も兼ねてー。

「詩と思想」2016年3月号 「詩人の眼」原稿 
(2015年12月20日)

「事件」・・・・新しい何かが突然に
                        黒川純

私たちは、今、いや、今も、「事件」でいっぱいの世の中にいる。それも表層でも深層でも。飛び込んでくる事象だけでなく、眼を大きく見開くことで視えてくるそれも。あれから5年目を迎える東日本大震災・福島第一原発事故、それはもちろん、芸能人の最新スキャンダルも、暴力的な政治変動も、さらに個人的な決断も「事件」だー。スロヴェニア生まれの思想界の奇才と呼ばれる、スラヴォイ・ジジェクは『事件! 哲学とは何か』で、これらをあげたうえで、事件の定義のひとつを示す。「事件とは、すべての安定した図式を覆すような新しい何かが突然に出現することだ」、あるいは「事件とは、何よりも原因を超えているように見える結果のことである」と。

 

「原因を超えているように見える結果・・・・」の例として、『事件!』は、恋に落ちた例をあげる。これなどはだれもが胸に手を当てれば、「なるほど!」に。「私たちは特定の理由、(彼女の唇、あの微笑み、など)で恋に落ちるわけではない。 すでに彼女に恋しているから、唇やその他が私を惹き付けるのだ。だから、恋愛もまた事件的である。恋愛は、事件の結果が遡及的にその原因あるいは理由を決定するという循環構造の好例である」

 

 

「新しい何かが突然に出現する・・・」、その典型的な場面に2015年秋、私はたまたま立ち会っている。というか、私の体感をそのまま言葉で明らかにした素晴らしいスピーチを会場で聴いた。東京・代々木公園で開かれた「9・23 さようなら原発さようなら戦争全国集会」。檀上で、上野千鶴子(東大名誉教授)は、感慨深そうに、それでも、「一語一語」をていねいに、いわば、この時代を「総括」した。「70年安保」(もう45年前にもなる!)に関わった彼女はメモを片手にこう語っていた(これで全体の5分の1強かー。続きは、「詩と思想」3月号でー笑いー)。

 

2014年10月29日 (水)

「3・11以後」の詩の講演へ  栃木県現代詩人会で

 

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 黒川純(富岡洋一郎のペンネーム)は、詩人をきちんとやりますー。『栃木県現代詩人会』(会員約70人、とか)から詩についての講演を依頼され、12月7日の「研究会」(宇都宮)で、やることにしました。

 創刊40周年記念号『序説第21号』(私が事務局)の黒川の詩「『懐かしい未来』の方へ」を読んだ同詩人会理事のひとりが推薦したのがきっかけ。いったんは(忙しいことなどもあり)断ったのですが、〈この機会に詩を通した3・11を視つめる機会になるのでは?〉、そう思い直していたところ、本日、依頼状が届いたので、考えつつ、承諾することに。

 仮題は「『3・11以後』の詩を問う」。かなり大げさな題ですが、三陸ボランティアも含めて、「3・11以前と3・11以後の詩のありかたは変わるべきだし、変わらねば」と、思い、話し、試作してきたので(成功したかどうかは別にして)。県内の詩人たちに向かって講演するといったことは、おこがましいが、私が「学ぶ」機会にもなると思うので、蛮勇を。

 新聞記者時代にカルチャーセンターなどで「犯罪・事件報道」や「「街づくり」「職業への向かい方」などをテーマに講演したことは何度かあるが、詩についてはほとんどないので(東北に出向いて「3・11東日本大震災詩」のパネリストをやってはいるのだがー)、しっかりした視点からのレジュメつくりがこれから待っている(また、仕事をつくってしまった~苦笑い~)。

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2011年11月 2日 (水)

詩と平和をー九条の会・詩人の輪 5日に北上の日本現代詩歌文学館で集い

Dscn5344 (5日に日本現代詩歌文学館で開く「輝け9条!みちのくのつどい」を伝えるチラシ)

輝け9条! みちのくのつどい

何よりも詩と平和をー九条の会・詩人の輪

< 全国通算13回目 >

    2011年11月5日(土) pm1:00開場
       1:30開会~4:30 資料代:1,000円

日本現代詩歌文学館講堂
岩手県北上市本石町2-5-60(TEL0197-65-1728)
(JR東北新幹線北上駅下車 徒歩20分)

当 日 の プ ロ グ ラ ム 予 定

◎詩群読:おくにことば憲法九条―北上編―
小原麗子・児玉智江・佐藤春子・渡邉満子 ほか

◎パネル・トーク「大震災のこと、平和憲法のこと」
*トーク前に北上ケーブルテレビ放送の詩の映像あり
斎藤彰吾(詩人・岩手県北上市在住・元北上市図書館館長)
みちのく赤鬼人(詩人・宮城県石巻市在住・弁護士)
黒川純(詩人・栃木県日光市在住・元新聞記者)
佐相憲一(詩人の輪よびかけ人)

◎詩の朗読
東梅洋子(岩手県北上市)・照井良平(岩手県花巻市)
佐藤文夫(千葉県佐倉市)・堀内みちこ(東京都品川区)

◎うた
山中満子(こ風呂敷の会・北上市)

◎閉会の言葉:渡邉眞吾(詩人・岩手県北上市在住)
◎閉会の言葉:鈴木太郎(詩人の輪事務局長)
◎司会:照井良平/荒波剛

*協力:こ風呂敷の会(北上・憲法風呂敷)

『九条の会』・詩人の輪のお誘い
「九条の会」アピールに賛同する詩人の輪

ご参加のお願い

みなさまの日ごろのご健筆に敬意を表します。
 すでにご承知かと思いますが、井上ひさし、大江健三郎ら九氏による「九条の会」が発足し、「アピール」が発表さ
れました。そのなかで、憲法九条を守り、生かすために、所属する分野で賛同者をひろげることがよびかけられてい
ます。すでに発足記念講演会も開かれ、六七六名の賛同者一覧も公表されました(「アピール」および賛同者一覧は
別紙同封)。
私たちも、より多くの詩人の声をつなぐために「『九条の会』アピールに賛同する詩人の輪」を立ちあげようと考えまし
た。そこで、より広い詩人のみなさまに、ご賛同いただきたいと思っております。ぜひともみなさまの声と力をお寄せく
ださるようお願い申します。
返信用の葉書を同封いたしました。「詩人の輪」へのご参加、今後の活動などについての、ご意見をお聞かせくださ
い。なお、返信はFAX、Eメールもご活用ください。
また、運営資金はみなさまの寄金をもってまかないたいと考えています。失礼を省みず郵便振替用紙を同封させて
いただきましたので、お志をお寄せいただければ幸いです。

                                            2004年9月1日

 よびかけ人 葵生川玲 青木はるみ 秋村 宏 浅井 薫 浅尾忠男
         有馬 敲 安藤元雄 茨木のり子 大崎二郎 甲田四郎
         小海永二 小坂太郎 小森香子 佐相憲一 芝 憲子
         嶋岡 晨 白石かずこ 杉谷昭人 宗 左近 土井大助
         中 正敏 野田寿子 福中都生子 黛 元男 ワシオト・トシヒコ

事務局 荒波 剛 鈴木太郎 美異亜 赤木比佐江 宮本勝夫

連絡先〒170‐0005
東京都豊島区南大塚1‐60‐20 第3協立ビル 詩人会議内
        電話・FAX03(3946)2191
ホームページhttp://www18.ocn.ne.jp/~shijinwa
e-mail kyujou-sijinnowa@bird.ocn.ne.jp

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  • 2011年7月18日 (月)

    流れ着いた海岸の向こうへ 詩人を偲んで・清水昶ノート(4)

    「銃眼に火の眼をこめて失速した日を狙う」

    「荒れた胸でささくれる怒りを踏みしめ」

    「明後日へと深い林を遊撃する」

     いずれも春の終わりに亡くなった詩人・清水昶(あきら)の詩集『少年』(1969年)の「眼と銃口」にある詩句だ。「1969」、世の中は騒乱にあり、学生の反乱が続いていた。その時代の気分を示す語句が随所にみられる。その選ばれた言葉と言葉が紡ぐ空気、というか、気分というかー。学生時代の下宿で読んでいたとき、「ふーむ」と溜息をつきながら、その世界に魅せられた。

     その清水昶について、昨夏、3回にわたって「小論」(実際はノートなので、今回は「清水昶ノート(4)」に)をブログでアップしてきた。その先をどうしようかと、考えているうちに時が過ぎた。ところが、6月1日、ツイッターで実兄の詩人、清水哲男さんが清水昶の訃報を伝えた。「えっ!」と驚いたのは当然。清水昶は私の青春時代のひとつの記憶でもあったからだ。

     そんな気分を『現代詩文庫 清水昶詩集』(思潮社・初版1973年)の解説「喪失の青春」(中嶋夏)がほぼ伝えている。

     「それにしても、読者とは如何に作品の裡に己れの投影と近似値を見出そうと務めているものかー。たとえそれが大いなる幻想、あるいは独断であったとしてもだ。私はこの人の詩に心惹かれる第一の原因も、この人の詩が<判る>という単純な事実に尽きるのかもしれない」

     私自身は中嶋さんのように単純に「判る」わけではない。清水昶の詩は、とくに初期の詩は、茨木のり子さんや山之口貘さんのような詩(読み込めばすんなり入ってくる詩)と違い、膨大な言葉の世界から選び出した材料を縦横に散りばめたうえで、ガラス細工のように組み立てられた迷路のような詩だからだ。

     だから、詩句のひとつひとつに魅せられる一方で、全体が示すイメージを名画のように鑑賞していた。つまり、詩句から立ち上る雰囲気に共感を覚えていた。実際、彼が初期に示した抒情、それも暗い抒情を漂わせた機関銃から吐きだすかのような詩は、<そう、そんな思いでいるー><そのように感じているんだー><そんな言葉が欲しかったのだー>、といったことで受け取っていた。

     ただ、それをさらに読み込んでいる先の中嶋夏さんの解説を読んでみると、その詩の雰囲気に魅せられたわけも、それなりにわかってくる。彼は「眼と銃口」について、こう解説する。「この詩を始めとする彼の初期の詩篇に顕著なのは<喪失の青春>という主題であり、またその地点に決着をつけて改たな地平線を獲得せんとする<未来性>にあったように思われる」。今になって思うと、たぶん、私もそのように受け取っていたのだと思う。

     ということで、敬愛していた詩人・清水昶さん(晩年は居酒屋であびるほど酒を飲んでいた彼の姿を見かけたというが~)の冥福を祈りながら、詩「眼と銃口」(16行)をアップしたい。今晩は清水昶さんを偲んで一杯やることに。

     詩 眼と銃口

               清水昶

    熟した未婚から顔をあげるわたしは

    奢れる雪に凍えるまぼろしの党員となり

    銃眼に火の眼をこめて失速した日を狙う

    ゆらめく敵は人間ではなく

    人影のようにざわめくかん木の林であり

    遠い夏にねばるあなたをおしひらきわたしは

    バラや野苺の棘に素足を裂いて

    荒れた胸でささくれる怒りを踏みしめ

    明後日へと深い森を遊撃する

    用心しようわたしも死ぬのだ

    水の笑いに老いた父のようにではなく

    遊撃をゆるめた脚ではねる鉄の罠に噛まれ

    血潮のめぐる空の下あなたの愛を

    ナイフのようにわが冷肉につきたてたまま

    死ぬならば

    神無月の朝に死ぬ

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    2011年3月10日 (木)

    どうやったら心地いい歌をうたえるかってことを 浅川マキの世界(8)

    ガソリンアレイ直訳すると、「ガソリン路地」となりますが、第二次世界大戦後のアメリカでは、町外れの路地でティーンエイジャーが、粗末なガレージに入り浸り、ジーンズの膝をオイルで汚しながら愛車に手を入れる風景が日常化していました(ネット検索から)

    Dscn0736 (歌「ガソリン・アレイ」も収録されている2枚組みCD「MAKI Long・Good-bye」)

     浅川マキ=あたしは、とりあえず非常に好きなんです、演歌って

     五木寛之=好きだから、やっぱり憎むところが出てくるんじゃないか

     浅川マキ=あたしは憎んでないわ

     『ロング・グッドバイ』(浅川マキ、他 白夜書房)にある五木寛之と浅川マキの対談「たとえ五人の聴衆のためでも」のやりとりのひとつだ。これを紹介したのは、浅川マキがジャズやブルースに魅せられていたことは、よく知られているが、演歌も好きだったことは意外と知られていないからだ(かもしれない~)。

     それも、あの、というか、戦後の演歌を代表する、美空ひばり。ジャズとブルースと演歌~。その三大話が、浅川マキの口から語られる場面がある。彼女のエッセイ集『こんな風に過ぎて行くのなら』(石風社)の「あの娘がくれたブルース」に。

     「黒人のなかから生まれたジャズは途方もないものである。だから、それは聞いてすぐにわかると言うものではなく、深く、そして次元は高い。それは、わたしなどが口にする事すら畏れ多いのかも知れないのだが。東京で暮らし始めた頃、三畳の下宿の電蓄でビリー・ホリディの『身軽な旅』を聞いていた。そのうたは、黒人の女の体温に違いなかった。麻薬で死んでいったソニー・クラークのピアノも好きだった。それはいま思うと、まだ子供のころ、あの北陸の町に流れていた美空ひばりの『越後獅子の唄』と同じように、わたしのどこかに陥ちて行ったのだった」

     浅川マキと美空ひばりについて云えば、『ちょっと長いブルース 君は浅川マキを聴いたか』(実業之日本社)の「浅川マキ問題」(新内秀一)に、こんな見方が出ている。「浅川マキのライブに行ったことのある人とない人の違いの一つは、彼女が美空ひばりの歌を歌うということを知っているかどうかではないだろうか」と(私はライブに行っているが、そのことは知らなかった~)

     新内秀一はこの後で、寺山修司の『日本童謡集』での寺山の見方を示す。「すぐれた童謡は長い人生に二度あらわれる。一度は子供時代の唄として、二度目は大人になってからの唄としてである」。続けて、つまりということなのか、「浅川マキにとって美空ひばりの唄はすぐれた『童謡』なのだろう」という。

     う~ん。なんとなく、そういうことか、というような気もするが、もう少し違った言い方があってもいいかも知れない。というのは、『ロング・グットバイ』で、浅川マキの若い頃からの親友だったという歌手・亀渕友香が、面白いエピソードを語っているからだ。

     小題「マキのああいう世界は、ただ好きなだけでは表現できないですから。なかなかあの世界に飛びこむ勇気は誰もないですよ」。そこで亀渕友香がこう証言している(「証言」という云い方は大げさだが、でも、貴重な話しだと思う)

     「当時、歌の友達は私ぐらいだったですけど、『隙間のないくらいきちっとしている歌は、たぶん面白くないよね、どうやって言葉の言い方を変えていくか、削っていくかと、いう作業をしていかなくちゃね』って、そういう歌のことはいつも話していました。どうやったら心地いい歌がうたえるかってことを。誰も信じないかも知れないけど、マキは美空ひばりさんの歌がすごくうまくて、そのとおり歌える人なんです。『美空ひばりはこういう風にうたうけど、私はこういう風にうたうのよ。そこが美空ひばりの美空ひばりたる所以なんだけど、そうじゃない風にしないと面白くない』って。マキのルーツは演歌ですよ」

     ということを書いていたら、横浜・野毛のジャズ喫茶のことを思い出した。もう10年以上前、当時、今の朝日新聞「be」の「うたの旅人」と少し違うが、当時の神奈川県版で、一枚の絵から物語を紡ぐ企画記事が続けられていた(今はどうなっているのか、知らないが)。

     そのとき、その一枚の絵から、美空ひばりの歌を追いかける必要があり、その周辺の取材で、横浜の街を歩き回った。そこで、確か、戦後すぐのひばりのヒット曲「東京キッド」か、「悲しき口笛」をとりあげたことがある。

     ひばりを追っているうちに、(どういう経緯か~)野毛の(戦後の焼け跡闇市の発祥地といわれた)ジャズ喫茶にたどりついた。そのお店は、もちろんジャズ喫茶なのだが(お酒も飲ましたからジャズスナックか)、閉店と同時にその店は美空ひばり一色になるからだ。

     マスターが大のひばりファン。毎晩、お店が終わると、ひばりアワーになり、ひばりのレコードが回っていた(そういえば、その店で、「横浜的」「ジャス的」「野毛的」」など、著書多数の評論家・平岡正明の背中も見たことがあった~)

     ジャズとひばりは縁が深い~。そういえば、私も浅川マキと同じく(おこがましいといわれそうだが)~、コルトレーンが大好きだ。若いときはマッコイ・タイナーやキース・ジャレットもよく聴いていた。同時に、美空ひばり(「例えば、「港町十三番地」)も、都はるみ(例えば、「小樽運河」)も、八代亜紀(例えば、「舟歌」)の演歌も好きだ。

      ということで?(今回は「ガソリン・アレイ」をアップしたかったので~)。リズムがいいのは、もちろんだが、最初のフレーズが妙に印象に残っている(今もだが~)

    ガソリン・アレイ

           日本語詩・浅川マキ

    (1番のみ。以下略)

    何もかもか うまくいかなくてさ

    毎日毎日が

    これじゃ 俺らが生きてる事さえ無駄な気がしてきた

    帰ろう

    俺らが生まれた あのガソリン・アレイへ

    帰ろう

    細い路地の あのガソリン・アレイへ

     

     

    2011年3月 9日 (水)

    あるいは旅そのものが人生の通奏テーマとしてあった 浅川マキの世界(7)

    +Dscn0731 (CD「MAKI Long Googーbye」にプラスされている浅川マキの貴重な写真冊子集) 

     浅川マキの「最初で最後のオフィシャル本」という『ロング・グッドバイ 浅川マキの世界』(白夜書房)には、「追悼 浅川マキ」と題して、加藤登紀子と、もうひとりの文筆業の2人が書いている。その文筆業の追悼文「ちょうど一冊の本のような完全犯罪」がすごくいい。

     わずか5頁足らずなのだが、文章のすべてに緊張感があり、無駄なフレーズがない。それも、書いているのが、1979年生まれなのだから、驚きだ(浅川マキが最も知られたのは1970年代。とすると、まだ生まれてもいないということに)

     その筆者は五所純子。「エッセイと批評と創作のあいだをぬうような言語で雑誌・書籍に寄稿多数」とある。その追悼文に、いくつかの魅力的な指摘があるが、そのひとつはこんなようだ。

     「浅川マキは『夜があけたら一番早い汽車に乗るから』(夜が明けたら)という歌を、闘争の明け暮れから次の場所へ流れ出ようとする気分として響かせた。この時期に限らず、浅川マキにとって流れること、移ろい、あるいは旅そのものが人生の通奏テーマとしてあったことは、巡業先のホテルの一室で息をひきとる結果を待たずとも、歌そのものに、言葉つかいに、活動の軌跡を読み取ることができる

     いや、大変な筆力だ。というか、浅川マキの見方として、(私としては、自分がうまく表現できないことを)すごくうまく描いている、そう思える。以下のこんな見方も新鮮だ。

     「浅川マキが渡りつづけた場所はどこにも、歌い続けたものはどれにも、溜息と倦怠とともにほの暗い人間のドラマが息づいていた。クリーニングとロンダリングとジェントリフィケーションそれまで暮らしていた人々が暮らせなくなったり、それまでの地域特性が失われたりすることがある社会現象の激化する現在にあって、浅川マキは悪所の気配に身をとどめる黒い天然記念物のようだったかもしれない

     浅川マキを指して、「悪所の気配に身をとどめる黒い天然記念物のようだったかもしれない」といった表現は、ほとんど詩句だ。

     短いエッセイの結びもいい。余韻を残す締めくくりだ。浅川マキの最後の時代に彼女の歌に寄り添ったライターらしい筆だと思う。まぁ、30代というのは、頭も体もエンジン全開というとき。それを改めて確認させられるような一文だった。

     「彼女がビリー・ホリディにあてた言葉を、今度はあたしが浅川マキにたむけてみる。『時は流れて、すぐに忘れてしまうだろう。でもこのひとすじの声がわたしをどうしようもなくしてしまうのだ』。亡くなるたった数週間前、2009年12月、毎年恒例となっていた新宿PITINNの年末ライブで浅川マキはアンコールのかわりにこう言ったー緊張感のある日常をどうぞ!」

     「浅川マキにとって流れること、移ろい、あるいは旅そのものが人生の通奏テーマとしてあった・・・」。浅川マキは、確かに、そういう言い方が似会う。そんな歌のひとつが「にぎわい」だ。

    にぎわい

           作詞・浅川マキ  作曲・かまやつひろし

    (1番のみ。2、3番略)

    ほんの少しばかり 遠出したくなった

    今夜のおれは 何処へ行くのだろうか

    車の揺れるのに 身を任せながら

    想い出さずには いられなかった

    ちょうど この港がにぎわってた

    あの頃のことを

    2011年3月 8日 (火)

    マキの中に確かな自由を見たのかも 浅川マキの世界(6)

    Dscn0725 (「最初にして最後の浅川マキ・オフィシャル本!!」という『ロング・グッドバイ』2011年1月・白夜書房

     浅川マキの「最初で最後のオフィシャル本」だという『ロング・グッドバイ』(浅川マキ 他著・2011年1月・白夜書房)を、ようやく読むことができた。浅川マキのエッセイ、人物論、五木寛之ら、さまざまな著名人との対談、浅川マキ論、加藤登紀子らの追悼文、山下洋輔らの関係者インタビューなど。303頁もある魅力的な一冊だ。

     <おっ!、これは知らなかった><えっ~、そうだったのか>。というような文章がいつくもある。私は浅川マキその人というより、浅川マキが唄う歌が好きで、聴いてきた。人物像については断片的なことしか知らなかった。

     せいぜい、彼女が書いた『こんな風に過ぎて行くのなら』(石風社・2004年7月第2刷)を読んでいたぐらい。浅川マキの人となりについて、それなりに知ったと思えたのは、この『ロング・グットバイ』からかもしれない。

     私自身の関心のせいもあるが、この本で、注目したのは、作詞家・喜多条忠のインタビュー記事だ。小題は「『人はどんなことをやっても自由に生きられるんだ』ということを教えてくれた存在です」。喜多条はミリオンセラー「神田川」の作詞家で知られるが、浅川マキは「古くからの身内に近い仲間という感じ」だったという。

     その喜多条のインタビューに「よく『70年代前後の学生運動をやっていた学生に、なぜ浅川マキが受けたのか?』と聞かれますが、ぼくはこういうことだと思うんです」と、以下のように語る下りがある。

     「ぼくも全共闘のはしくれでデモに行っていましたが、マキがあの時代に支持されたというのは、マキの中に確かな自由を見たのかもしれない。観客のほとんどが学生でしたから、まもなく世の中に出て行くけどどうなるかわからない。しかし、自由は獲得できるものだということを、見事に具現化している人がいる。しかも女で、そういうマキの存在を真近に見て、具体的な自由を一瞬垣間見るというようなところがあったんじゃないかと」

     「娼婦の中に凄い自由を見つけるってことがあるじゃないですか。マキはそういう意味で感覚的に娼婦的なところがありました。ステージで言う『よくきたわね』『今日はいい男が多いから、いい夜になりそうね』、とかね。独特の自由さが感じられました。その頃の学生は自由を求めてデモに行くんだけど、現実の重みに打ちのめされて帰ってくる。実際には機動隊に負けてばかりでしたから」

     この語りで、最も納得できるのが、「しかも女で、マキの存在を真近に見て、具体的な自由を一瞬垣間見るというような」というところ。私がコンサートを聴いたのは一度だけだったから、「真近に見て」というのでなく、もっぱらレコードで聴いてだが。

     そして、小題にもなっているところが以下の語りだ。

     「何か当時の気分をすべて包み込んでくれるようなキャパシティ、包容力を浅川マキの歌に感じたのかもしれませんね。『人はどんなことをやっても自由に生きられるんだ』ということを教えてくれた存在です」

     そう、なげやりで、はすっぱで、けだるそうで。ほの明るく、繊細で、懐かしく。たまには力強く。そんな感じでも、「人生、なんとかなるさ~」的な雰囲気が。というか、当時の言葉でいえば、どこか、ぶっ飛んでいるというか。そうした歌詞やリズム・メロディ。それに魅かれていたのだと思う。

     そんな歌に「ジンハウス・ブルース」(作詞・浅川マキ)がある。歌詞は1番から5番まであるが、中でも4番がいい。1番と合わせてアップへ。

    ジンハウス・ブルース

                 浅川マキ

    (1番)

    近よらないでよ

    わたしの側に

    だって わたしは いま

    罪に溺れてるからさ

    おごってよ 誰か

    ジンを一杯さ

    (4番)

    ねぇ どこかいないの

    アルコール密売人がさ

    密売人だったら

    まさしく友達さね

    だって わたしは いま

    罪に溺れてるわ

    2011年3月 4日 (金)

    生き続ける者こそ無残にも 森田童子の方へ(5)

    Dscn0671_2 (「森田童子がラストワルツを唄う闇の空に向けて・・・」 磯山オサムの詩「ラストワルツ」・『序説 第14号』)

     森田童子のCD「ベスト・コレクション」を送ってもらった詩人、磯山オサムクンが、森田童子についての大事な手紙も送ってきた。私もうっかりしていたのだが、磯山クンは私が事務局をしている同人誌『序説 第14号』(2007年6月)に詩「ラストワルツ」を発表していたのだった。そのことも伝える手紙だった。

     磯山クンの詩は大きくは「まぼろしの夜のまつり」。6つのパートに分かれており、その5番目が「ラストワルツ」。35行あるその詩「ラストワルツ」の最後の2連はこうだ。

    森田童子がラストワルツを唄う闇の空に向けて、大鳥がステップの準備

    風にサーカス隊のテント

    アン・ドウ・トワー

    大鳥とその子供たちが舞う

    ミカ星太郎が舞う

         闇が二重にテントを覆い大鳥が唄う

         森田童子が唄う、

         叫び声で唄う。

         「勝者は死者」

         「勝者は死者」

         叫び声のラストワルツが聞える

     もう4年も前になるがそうだった~。「勝者は死者」「勝者は死者」。そのフレーズが気になった詩だった。それを思い出した。森田童子の「ラストワルツ」を主軸にした詩だ。「孤立無援で沈黙を切るタカハシカズミ」とか「ヒラオカマサアキは後見人にロウ・タケナカと思える肖像画を首から下げ」などのフレーズもある。

     つい先日、永田洋子死刑囚が病死したことが報じられた。その死について、ウーマンリブの旗手だった田中美津が朝日新聞の夕刊コラム(2月25日付)に「永田洋子死刑囚の死に 女でありすぎた彼女」を寄稿している。

     そのエッセイが興味深いことは、すでに伝えているが、さらに、その指摘の見事なことも挙げないといけないだろう。すでに田中美津の今回のエッセイについて、「一級品の小説と言ってもよい」と高く評価しているブログもある(私もそのブログに感心し、コメントを寄せていることもあり、彼女の死については、いずれ書かねばなるまい)。

     突然、このことを書くのは、磯山クンの手紙がそれに関してのものだったため。手紙では、こうしたためてある。

    「ラストワルツを唄うのは『生きのびた永田洋子』。ダンスの相手は森恒夫。詩の『勝者』は、死を選んだ森恒夫とタカハシカズミです(死んだもの勝ち・・・・?)。生き続ける者こそ、無残にも、ラストワルツを唄わねばならないのです。当然、森田童子も、私もです

     そうか、詩「ラストワルツ」は、あの連合赤軍事件を背景にしたものだったのか。私はもっと、単純にめざそうとした夢が敗れた若き日、つまり全共闘時代の挽歌だと受け取っていたのだが~。

     ということで、すでに森田童子の「ラストワルツ」は一度、この「森田童子の方へ(2)」でアップしているのだが、改めてアップへ(2度アップすることは私としては、自分に禁じているのだが。この際だから、いいということに。名曲だし~)。 

      

     

     

    2011年2月27日 (日)

    心の底の何かを引き剥がず 森田童子の方へ(4)

     Dscn0622_2 (なんと!「昭和なつかしニッポン・フェア」で並べられていた『全共闘』 初版2003年5月・河出書房新社)

      「全共闘のイメージはまだ残っているらしくて、理念の展開力とか突出力とか行動力とかを期待したり恐れられたりしている人もいるようだ。でも、何かやればやったで、また誰にも理解されずに孤立していくのかなって考えるだけで、もうかなりメゲルよね」

      「そう、そんな気分が蔓延しているんだろうね。誰も何も言わない情況が続いている。だから世間のある部分では、団塊の世代を指して、期待はずれとか、エネルギーがないとか、めざわりだとか、勝手なことをいうようになっている」(いずれも『全共闘』・茜三郎、柴田弘美の共著から)

     浅川マキの最初にして最後のオフィシャル本という『ロング・グットバイ 浅川マキの世界』が入荷したというので、27日、今市の書店に受け取りへ。ふらっと、店内を歩いていると、「昭和なつかしニッポン・フェア」のコーナーがあった。

     『ちゃぶ台の昭和』『思い出のリカちゃん』『竹久夢二のおしゃれ読本』などが並べられていた。その中に、なんと~、『全共闘』もあり、びっくり。というか、のけぞってしまった。<そうか、全共闘は、昭和なつかしのニッポンなのか>と。

     もともと、「森田童子の方へ」というものをアップする場合、いろいろな哀しいことがあったであろう学園闘争に触れることになるだろう、そう思ってはいた。それは彼女の代表曲をさらにアップしてから。そう思っていたが、1970年前後の学生運動が「昭和なつかしのニッポン」になっているのを知ったからには~(なにしろ、懐かしになってしまうのだから)。

     ということで、友人のナガシマクンも磯山クンも私に紹介している『球根栽培の唄』をアップすることに。童子は7枚のアルバムを出しているが、ウィキペディアによると、この歌は最後の「狼少年 Wolf boy」(1983年)のアルバムに収められている(私は初期かなと思ったのだが~)。

     全共闘時代を歌ったと思われる「球根栽培の唄」だが、その当時からもう10年以上も過ぎたところでのアルバムなのだ。いや、それからかなりの季節が過ぎたところで歌われ、聴かれたところがポイントかもしれない。というのも、例のブログ「森田童子研究所」のエッセイ・評論で、こんな鮮やかなエッセイを読んだからだ。

     「前衛的パンクバンド『非常階段』」によるレコードレビューから。森田童子研究所によると、「転載にあたっては、JOJO広重さんから許可をいただいた」というから、その評論だ(この「砂時計主義」での転載で問題があったら、連絡をください)。以下は童子の最初のアルバム「グッド・バイ」について、JOJO広重さんの見方だ。 

     「友人の自殺をきっかけに歌いはじめたという森田童子は、75年にこの衝撃的なアルバム『グット・バイ』でデビユーする。透き通るように清い声、学生運動が敗北した後の時代を生きる「若者」の空漠感を象徴的に描いた歌詞、真っ黒のサングラスと中性的なルックスは、消えゆく70年代の重さと、80年代の空虚な明るさの裏に潜む暗い本質を凝縮したような、聞く者の心に突き刺さる歌と相まって、非常に鮮烈なシンガーとして歴史に名を刻むことになる」

     「球根栽培の唄」では「ぼくはどこまでも ぼくであろうとし」とか「ガリ版刷りのアジビラが風に舞う」、あるいは「孤立無援の命が燃えて」など、当時を知る、いや体験した者には、なんともいえない感覚を、いやでも思い起こさせる。「心の底から何かを引き剥がす」、「球根栽培の唄」は、そうした詩だ。

     JOJO広重さんは、さらに以下のような見事な解説をしてみせる。ただし、私には「心の底の何かを引き剥がす」までは、そうだろうと思うが、それに続く「強烈な淋しさ」については、えっ、そうかな?、という反応になってしまう(それを、何といったらいいのかな?~)。

      「歌の中に心の痛みを歌ったシンガーは多いが、森田童子のように、だれもが若かったことを思い出させるような、心の底の何かを引き剥がす強烈な淋しさを感じさせる歌手は他には存在しない。今生きていることの嘘臭さ、自分という存在の空っぼさ、友人や恋人との別れや喪失感を一度でも感じることの出来た人間なら、森田童子の歌に、自分の内側の大切にしておきたい気持ちの何かを発見することが出来たのである」

    2011年2月21日 (月)

    青春とは決して甘ずっぱいものではない  森田童子の方へ(3)

    Dscn0522 (つげ義春「海辺の叙景」の最後の場面 『つげ義春コレクション 李さん一家 海辺の叙景』ちくま文庫から)

      「ねじ式」などで知られる劇画家・つげ義春の作品に「海辺の叙景」がある。その最後のコマは見開きで、それこそ「ドン」という感じで、いささか驚かされる。その絵のなんと印象的なことか。夏の雨の日の海辺だが、なんだか、どんよりと、重ぐるしい空気が漂っている。どうしてなのか?

     作品が掲載されている『つげ義春コレクション 李さん一家 海辺の叙景』(ちくま新書 2008年12月 第一刷)で、夏目房之介が、それなりに解説している。

     「『海辺の叙景』を人物ドラマとして見れば、ほのかな男女のやりとりが淡々と続く小品である。ところが作品全体からは、男女が世界から脅されて微妙に揺らめいているような印象すら受ける。その秘密は表現的にいうと人物ドラマと風景描写のせめぎあいにあるようだ(中略)吹きだしゼロの、風景が優位になった場面では暗欝で脅迫的な印象すら受ける。ラストでは『いい感じよ』という女の肯定的なセリフにもかかわらず、真っ黒くなった人物とセリフが、鉛のような稠密な風景に呑まれてしまうのである」

     作品の発表は今から40余年も前、『ガロ』1967年9月号という。高野慎三の解題によると、つげ義春はこの作品にある種のメッセージを与えているという。

     「(つげ義春は)執筆直後に貸本マンガにみられるセンチメンタルな青春ものは嘘のかたまりである。青春とは決して甘ずっぱいものではない、というような意味のことをもらしている。したがって、『海辺の叙景』は、当時の貸本マンガに顕著だった青春賛歌への反論とみられぬこともない」と。 

    雨のクロール

            森田童子

    夏の川辺に 二人は今日別れる

    ぼくは黙って 草笛吹いた

    ウフフフ~ ウフフフ~

          君は花がらのワンピースおいて

          静かに涙色のまぶしい水の中

          ウフフフ~  ウフフフ~

    雨に君の泳ぐクロールとってもきれいネ

    雨に君の泳ぐクロールとってもきれいネ

          夏がめぐりめぐってもぼくは決して 泳がないだろう

     森田童子の「ベストコレクション」CDを送ってくれた詩人・磯山オサムクンは、この「雨のクロール」について、「ほっとする」と、短い感想を書いていた。確かに、流れるようなスキップを踏むようなメロディだ。それだけに、私にしても、そんな、心がなごむ印象を抱く(最初のうちはだが~)。

     そして、曲を聴き終えたら、なんだか、突然、つげ義春の「海辺の叙景」のラストシーンを思い浮かべた。詩の「川辺」と「海辺」の違いはあるが、明るいようでいて、もの悲しい。そんな両義性がある矛盾した空気に満ちている。そんな感じから、「海辺の叙景」の印象的なシーンを思い浮かべたのだろう。

     それにしても、森田童子のこの詩の不思議さ。ここでも「ぼく」「きみ」と歌っているが、詩では「とってもきれいネ」といった女性特有の言葉が使われていて、それはさらに哀しみにも似た響きを与えている。

     {雨のクロール」でうたわれている君は彼女だが、実はぼく(という彼女)という構図でもある。その君という彼と別れる場面だが、最後に突如、一転。「とってもきれいネ」とうたったクロールを、決して泳ぐまいと誓う。クロールをうまく泳いでみせた彼を永遠に失ってしまっただろう喪失感を、自らを縛る誓いで、その思いを伝える情感あふれる歌だ。

     あくまでも透明な美しい声。そして弾むようなメロディ。ところが歌の方は結局、残酷な結末を迎えた場面で締めくくる。最後のフレーズを、哀しみを吹き払うかのように、あえて強がって歌いあげる森田童子ー。これも「青春賛歌への反論」ともいうべき歌なのだろう。熱いファンがいた(今もか?)というのも、うなづける一曲だと思う。

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