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社会時評

2023年7月 3日 (月)

宇都宮地区労の軌跡 歌を忘れたカナリアたちへ  元宇都宮地区労事務局長・田中一紀さん編・著

「宇都宮地区労Photo_20230703225501   の軌跡 歌を忘れたカナリアたちへ」。さまざまに指導を受けた元宇都宮地区労事務局長・田中一紀さん(宇都宮在住)の「編・著」という303頁の新刊本が寄贈で送られてきた。発行は2023年6月23日、「有限会社アートセンター・サカモト」(宇都宮)から発行、定価2200円。「はじめに 地域労働運動を切り開いた先輩・同志に捧げる」、「敗戦直後の労働運動、労働組合の状況」、「労働者の権利と宇都宮地区労の役割」と続き、さらに「杤木新聞争議」、「下野新聞争議」はもちろん、「全金カコ闘争」、「太陽舎・中央プリント争議」「日清製粉工場閉鎖反対闘争」など、当時の代表的な争議状況がわかる「第一章 争議と地区労」へ。まだ読み始めたばかりだが、大変に貴重な労作であることがわかる。今週はこの一冊をきちんと読むことにしますー。

2019年3月13日 (水)

いびつな「国策産業」の破綻 「ゴジラとアトムーその一対性―」(加藤典洋)から

1img_0195 いびつな「国策産業」の破綻

「ゴジラとアトムーその一対性―」(加藤典洋)から

 

 いちいち「ごもっとも」、そう言いたい論考だ。加藤典洋(私はかとうてんよう、と呼んでいたが、かとうのりひろなのですねー)の「政治・社会論集」として刊行されている『日の沈む国から』(岩波書店、2016年8月4日 第一刷)。2019年春の今もでもその通りだと思う指摘は、2年半前の論考だったーそれを知ったのは、この本の小論「ゴジラとアトムーその一対性」を読んでから。小論といっても199頁から246頁にかけての47頁もある論考だ。

 その指摘、「原発が原爆のコインのふたつの裏側にすぎないこと」、「戦後の日本社会が抱える大きな問題が福島第一原発事故を契機に露頭した」、これらはもう世間に広く知られてきている。しかし、「平和利用は国策プロジェクトの別名にほかならない」といった言い回しは、承知はしていても、新鮮だ。また、原発は「必要があれば、日本が核武装できる技術的ポテンシャルを確保するため」といった指摘も「必要があれば」という一言を加えるだけで、さらに説得力を持つ指摘になっている。

 なによりも、以下の指摘、見方は、その一言が福島第一原発事故の示す歴史的位置づけをわかりやすく示したもので、「確かにそうだね!」と言いたいところだ。

言いたいことはこうだ。福島第一原発事故は、戦後日本の政治が隠し持ってきた意図を体現させてきた「原子力産業」の危うさをあっと言う間に赤裸々にしたこと、核燃サイクル政策も含めて、その政治的、社会的、経済的な「総体」がぶっ飛んだ、あるいは、総体のもろさが露呈し、そこに世間の人たちが感づいた、気づいたこと(加藤典洋は、「破綻」という言葉を使っているがー)。

そして、「この社会のしくみでは、いかんぜよ」。そのように私や私たちの目線、姿勢、構えが変わってきた、さらに「これは何とかしないといけないな」、というように、さまざまな社会事象にかかわり、「転換」のための手段を何らかのかたちにしようとする場面に立ち会うようになってきた^そのように言えるのではないか。3・11福島第一原発事故から8年(もう8年!)が過ぎ、今、私の周りを見渡すと、それが現実の姿になってきているー。

 

(以下は、加藤典洋の「ゴジラとアトムーその一対性」から)

「平和利用」という原子力産業について、「市場原理を度外視した、いびつな『国策産業』とさせてきた原因であり、今回の事故は、その総体が、破綻を来した図にほかならかったのである」。

 

 

 

 

 

 原子力の「安全神話」の崩壊は、原発が原爆と同じコインの二つの裏側にすぎないことを明らかにしたのだが、そのことを通じて、一つには原爆投下の問題が何一つ解決されていないこと、そこに被爆者の問題、原爆による死者の問題、さらには戦争の死者をめぐる問題までが含まれていることを教え、もう一つには、そのことを含んで、このことの背後に控える戦後の日本社会の抱える問題が、相当に大きなものであるということ、それがこの事故を契機に露頭したのであることを、私たちに示唆しているのである。

 

 「平和利用」は、さまざまな矛盾をそこに抱え、隠しもつことでここまで日本社会が育ててきた国策プロジェクトの別名にほかならない。それは、表向きは資源にとぼしい日本のエネルギー政策の根幹である。そのシンボルとして国は当初から夢の技術としての核燃料サイクル政策を基本に据えてきたー中略―核燃料サイクルによるプルトニウムの確保、原子力技術、企業・産業のしくみを通じて、つねに必要があれば日本が核武装できる技術的「ポテンシャル」を確保するためのー国民に合意をはからないまま遂行してきたー「国策」の基幹部分であった。

 

 平和利用は軍事利用の隠れ蓑となる。それが「平和利用」政策のそもそもの起点から内奥深く埋め込まれた秘密であり、日本における原子力産業を、ほかの一般の産業とは隔絶した、秘密主義で、市場経済の原理を度外視した、いびつな「国策産業」とさせてきた原因であり、今回の事故は、その総体が、破綻を来した図にほかならかったのである。

(折々の状況 2019年3月13日)



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2016年2月 3日 (水)

「3・11ユートピア」の見方  池澤夏樹の落胆の向こうへ

 

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 池澤夏樹は、かなり疲れを覚えているようだ。というか、現状に落胆の色を隠せない。今も10万人の核災避難者が故郷を追われて暮らしているのに、経済原理とプラスで原発は次々と再稼動、その現実にため息をついている。ふだんの彼はもっと前向きな希望を指し示す。それだけに2日付朝日新聞夕刊コラム「終わりと始まり」のトーンの暗さよ。これだけ力を落としたかのような彼の文章はあまり目にしていない(私の場合だが)

 

 

 「3・11」から5年。もちろん、いわゆる「災害ユートピア」が直後に生まれ、次第に通常に、日常に戻っていく。それはそれで当然だと思う、いつまでも「ユートピア」は続かない。でも、それを体験したことは、さまざまにそれぞれの個に大きな核を残していく、それは必然だ。だから、「一時の幻想に過ぎなかったように思われる」、そういう池澤夏樹の見方にすぐに与しない。

 

 ただ、川内原発、高浜原発の再稼動という現実に立ち会うと、そういう冷静な見方も仕方がないのかもと。だが、この再稼動は自公政権が演出しているものであり、世の中の空気を示しているものではない。経済原理の独裁がそのまま姿を示しているが、どっこい、2015年夏の国会前の声も含め、そう簡単に撤退をしてはいられない。

 

 ただ、彼にそういう感覚を誘い出したろうソキュメンタリー映画「それでも僕は帰る~シリア 若者たちが求め続けたふるさと~」。原題は「ホムスへの帰還」という。それを私も観たい。 (以下は、そのコラム「抵抗する若者たち シリアの希望はどこに」の結語だ)

 

 
2011年、ぼくたちは震災を機に希望を持った。復旧に向けて連帯感は強かったし、経済原理の独裁から逃れられるかと思った。五年たってみれば、「アラブの春」と一緒で一時の幻想、「災害ユートピア」に過ぎなかったように思われる
 

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(以下は朝日新聞デジタルから 2日夕刊「文芸・批評」コラム)

去年からずっと見たいと思っていた映画をようやく見られた。

 「それでも僕は帰る~シリア 若者たちが求め続けたふるさと~」、原題はあっさりと「ホムスへの帰還」。

 シリアの中部にあるホムスという都市でアサド政権に抵抗する若者たちを撮ったドキュメンタリーである。

 見終わって何時間たっても映像が頭の中で渦を巻いている。場面が断片的によみがえり、いくつもの疑問が噴出する。それが今の状況と呼応してもっと大きな疑問になる――なんで世界はこんなことになってしまったのか?

     *

 チュニジアジャスミン革命を機に、二〇一一年からアラブ各国で独裁的な体制への反抗運動が高まった。人はこれを「アラブの春」と呼んだ。

 ホムスで若い人々が抗議運動を始めた。率いるのがアブドゥル・バセット・アルサルート。「ぼくはアジアで二番のゴールキーパーだ」というとおり、サッカー選手として国民的な人気があった。それがデモの先頭に立ってアサド政権の退陣を求める。

 こいつが超かっこいい。

 十九歳。美青年で、扇動的な演説がうまく、自作の詩に節をつけて歌うのがまた見事。内容から言えば革命歌なのだが、政権打倒を歌い、団結を歌い、不屈を誓い、アッラーを讃(たた)える。それがアラブの哀愁を帯びたメロディーに乗る。

 実写の映像が見る者を引き込む。群衆の盛り上がりと熱気が伝わる。

 しかし、政府軍はデモの参加者を無差別に大量に殺し始めた。演説と歌と踊りとプラカードの平和的なデモの訴えは真っ向から暴力的に否定された。

 政府軍は反抗的な地域の住民を強引に追い出し、町を封鎖して無人化しようとした。

 若者たちは武装蜂起に踏み切る。

 監督タラール・デルキは早い段階でバセットのカリスマ性に着目し、彼を中心にしたドキュメンタリー映画を作ろうと決めたらしい。バセットの友人のオサマが半ば専属のカメラマンになって彼の活動を撮ってネットに流す。

 蜂起の後は映像は戦闘場面になった。敵は正規軍だから戦車から狙撃兵まで何でも揃(そろ)っている。建物は次々に破壊され、脱出しようにも一本の道を渡ることができない。

 この映画はその場その場の実写を繋(つな)ぐだけで、全体状況がなかなか読めない。しかしよく撮ったと息を呑(の)むような場面の連続。物陰から出てカメラを向けることは撃たれる危険に身をさらすことである。英語では「撮る」も「撃つ」もshootという同じ言葉だ。

 バセットたちは圧倒的な敵に包囲されて動きが取れない。移動には家々の壁をぶちぬいて作った通路を使う。表通りに出れば撃たれる。

 実際に人が撃たれて倒れる場面もあるし、負傷者の運搬や即席の手術の場面も、大量の死者を埋葬する場面もある。棺(ひつぎ)が足りないから白い布で包んだだけの死体が無数に並ぶ。

 フィクションならば我々はこの種の場面に慣れてしまっている。しかしこれはフィクションではなくファクトだ。不器用で不細工な、ブレとピンぼけの映像。時系列に沿った編集だが、場面の間の時の経過がつかみにくい。

 ある段階でカメラ担当のオサマは政府軍に捕まって消息を絶った。しかしその後も誰かがその時々カメラを手にして撮った。監督のチームが現地に入ることもある。編集は抑制が利いているが、素材の力が圧倒的。

 外部の支援を求めてバセットは下水管を伝って脱出する(後で下水管は政府軍の手で爆破された)。支援はなかった。僅(わず)かな希望と共に、まだ包囲された人々のもとへ彼は帰って行く。

 その後のことはわからない。

 一つ気になるのは、誰がバセットたちに資金を提供したかということ。外国の個人の寄付という言葉があったが、信じるわけにはいかない。それは受け取っていい金だったのか。彼は国際政治の駒ではなかったのか。

     *

 シリアは「アラブの春」が最もこじれたケースだ。今も激烈な内戦が続き、国民は続々と国を逃れて遠い土地へ向かっている。自国民を平然と大量に殺し、都市を廃虚にする政府のもとで暮らすことはできない。エジプトでは軍がムバラクを見放したが、シリア国軍は今もアサドに従っている。

 社会が大きく揺れる時、人はそこに希望を見出(みいだ)す。チュニジアの政権が倒れた後で、エジプトやリビアやシリアの抑圧された人々は希望を持った。だが民主的な安定した政権に移れたのはチュニジアイエメンだけだった。

 二〇一一年、ぼくたちは震災を機に希望を持った。復旧に向けて連帯感は強かったし、経済原理の独裁から逃れられるかと思った。五年たってみれば、「アラブの春」と一緒で一時の幻想、「災害ユートピア」にすぎなかったように思われる。

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