池澤夏樹は、かなり疲れを覚えているようだ。というか、現状に落胆の色を隠せない。今も10万人の核災避難者が故郷を追われて暮らしているのに、経済原理とプラスで原発は次々と再稼動、その現実にため息をついている。ふだんの彼はもっと前向きな希望を指し示す。それだけに2日付朝日新聞夕刊コラム「終わりと始まり」のトーンの暗さよ。これだけ力を落としたかのような彼の文章はあまり目にしていない(私の場合だが)
「3・11」から5年。もちろん、いわゆる「災害ユートピア」が直後に生まれ、次第に通常に、日常に戻っていく。それはそれで当然だと思う、いつまでも「ユートピア」は続かない。でも、それを体験したことは、さまざまにそれぞれの個に大きな核を残していく、それは必然だ。だから、「一時の幻想に過ぎなかったように思われる」、そういう池澤夏樹の見方にすぐに与しない。
ただ、川内原発、高浜原発の再稼動という現実に立ち会うと、そういう冷静な見方も仕方がないのかもと。だが、この再稼動は自公政権が演出しているものであり、世の中の空気を示しているものではない。経済原理の独裁がそのまま姿を示しているが、どっこい、2015年夏の国会前の声も含め、そう簡単に撤退をしてはいられない。
ただ、彼にそういう感覚を誘い出したろうソキュメンタリー映画「それでも僕は帰る~シリア 若者たちが求め続けたふるさと~」。原題は「ホムスへの帰還」という。それを私も観たい。 (以下は、そのコラム「抵抗する若者たち シリアの希望はどこに」の結語だ)
2011年、ぼくたちは震災を機に希望を持った。復旧に向けて連帯感は強かったし、経済原理の独裁から逃れられるかと思った。五年たってみれば、「アラブの春」と一緒で一時の幻想、「災害ユートピア」に過ぎなかったように思われる。
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(以下は朝日新聞デジタルから 2日夕刊「文芸・批評」コラム)
去年からずっと見たいと思っていた映画をようやく見られた。
「それでも僕は帰る~シリア 若者たちが求め続けたふるさと~」、原題はあっさりと「ホムスへの帰還」。
シリアの中部にあるホムスという都市でアサド政権に抵抗する若者たちを撮ったドキュメンタリーである。
見終わって何時間たっても映像が頭の中で渦を巻いている。場面が断片的によみがえり、いくつもの疑問が噴出する。それが今の状況と呼応してもっと大きな疑問になる――なんで世界はこんなことになってしまったのか?
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チュニジアのジャスミン革命を機に、二〇一一年からアラブ各国で独裁的な体制への反抗運動が高まった。人はこれを「アラブの春」と呼んだ。
ホムスで若い人々が抗議運動を始めた。率いるのがアブドゥル・バセット・アルサルート。「ぼくはアジアで二番のゴールキーパーだ」というとおり、サッカー選手として国民的な人気があった。それがデモの先頭に立ってアサド政権の退陣を求める。
こいつが超かっこいい。
十九歳。美青年で、扇動的な演説がうまく、自作の詩に節をつけて歌うのがまた見事。内容から言えば革命歌なのだが、政権打倒を歌い、団結を歌い、不屈を誓い、アッラーを讃(たた)える。それがアラブの哀愁を帯びたメロディーに乗る。
実写の映像が見る者を引き込む。群衆の盛り上がりと熱気が伝わる。
しかし、政府軍はデモの参加者を無差別に大量に殺し始めた。演説と歌と踊りとプラカードの平和的なデモの訴えは真っ向から暴力的に否定された。
政府軍は反抗的な地域の住民を強引に追い出し、町を封鎖して無人化しようとした。
若者たちは武装蜂起に踏み切る。
監督タラール・デルキは早い段階でバセットのカリスマ性に着目し、彼を中心にしたドキュメンタリー映画を作ろうと決めたらしい。バセットの友人のオサマが半ば専属のカメラマンになって彼の活動を撮ってネットに流す。
蜂起の後は映像は戦闘場面になった。敵は正規軍だから戦車から狙撃兵まで何でも揃(そろ)っている。建物は次々に破壊され、脱出しようにも一本の道を渡ることができない。
この映画はその場その場の実写を繋(つな)ぐだけで、全体状況がなかなか読めない。しかしよく撮ったと息を呑(の)むような場面の連続。物陰から出てカメラを向けることは撃たれる危険に身をさらすことである。英語では「撮る」も「撃つ」もshootという同じ言葉だ。
バセットたちは圧倒的な敵に包囲されて動きが取れない。移動には家々の壁をぶちぬいて作った通路を使う。表通りに出れば撃たれる。
実際に人が撃たれて倒れる場面もあるし、負傷者の運搬や即席の手術の場面も、大量の死者を埋葬する場面もある。棺(ひつぎ)が足りないから白い布で包んだだけの死体が無数に並ぶ。
フィクションならば我々はこの種の場面に慣れてしまっている。しかしこれはフィクションではなくファクトだ。不器用で不細工な、ブレとピンぼけの映像。時系列に沿った編集だが、場面の間の時の経過がつかみにくい。
ある段階でカメラ担当のオサマは政府軍に捕まって消息を絶った。しかしその後も誰かがその時々カメラを手にして撮った。監督のチームが現地に入ることもある。編集は抑制が利いているが、素材の力が圧倒的。
外部の支援を求めてバセットは下水管を伝って脱出する(後で下水管は政府軍の手で爆破された)。支援はなかった。僅(わず)かな希望と共に、まだ包囲された人々のもとへ彼は帰って行く。
その後のことはわからない。
一つ気になるのは、誰がバセットたちに資金を提供したかということ。外国の個人の寄付という言葉があったが、信じるわけにはいかない。それは受け取っていい金だったのか。彼は国際政治の駒ではなかったのか。
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シリアは「アラブの春」が最もこじれたケースだ。今も激烈な内戦が続き、国民は続々と国を逃れて遠い土地へ向かっている。自国民を平然と大量に殺し、都市を廃虚にする政府のもとで暮らすことはできない。エジプトでは軍がムバラクを見放したが、シリア国軍は今もアサドに従っている。
社会が大きく揺れる時、人はそこに希望を見出(みいだ)す。チュニジアの政権が倒れた後で、エジプトやリビアやシリアの抑圧された人々は希望を持った。だが民主的な安定した政権に移れたのはチュニジアとイエメンだけだった。
二〇一一年、ぼくたちは震災を機に希望を持った。復旧に向けて連帯感は強かったし、経済原理の独裁から逃れられるかと思った。五年たってみれば、「アラブの春」と一緒で一時の幻想、「災害ユートピア」にすぎなかったように思われる。
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