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社会時評

2016年2月 3日 (水)

「3・11ユートピア」の見方  池澤夏樹の落胆の向こうへ

 

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 池澤夏樹は、かなり疲れを覚えているようだ。というか、現状に落胆の色を隠せない。今も10万人の核災避難者が故郷を追われて暮らしているのに、経済原理とプラスで原発は次々と再稼動、その現実にため息をついている。ふだんの彼はもっと前向きな希望を指し示す。それだけに2日付朝日新聞夕刊コラム「終わりと始まり」のトーンの暗さよ。これだけ力を落としたかのような彼の文章はあまり目にしていない(私の場合だが)

 

 

 「3・11」から5年。もちろん、いわゆる「災害ユートピア」が直後に生まれ、次第に通常に、日常に戻っていく。それはそれで当然だと思う、いつまでも「ユートピア」は続かない。でも、それを体験したことは、さまざまにそれぞれの個に大きな核を残していく、それは必然だ。だから、「一時の幻想に過ぎなかったように思われる」、そういう池澤夏樹の見方にすぐに与しない。

 

 ただ、川内原発、高浜原発の再稼動という現実に立ち会うと、そういう冷静な見方も仕方がないのかもと。だが、この再稼動は自公政権が演出しているものであり、世の中の空気を示しているものではない。経済原理の独裁がそのまま姿を示しているが、どっこい、2015年夏の国会前の声も含め、そう簡単に撤退をしてはいられない。

 

 ただ、彼にそういう感覚を誘い出したろうソキュメンタリー映画「それでも僕は帰る~シリア 若者たちが求め続けたふるさと~」。原題は「ホムスへの帰還」という。それを私も観たい。 (以下は、そのコラム「抵抗する若者たち シリアの希望はどこに」の結語だ)

 

 
2011年、ぼくたちは震災を機に希望を持った。復旧に向けて連帯感は強かったし、経済原理の独裁から逃れられるかと思った。五年たってみれば、「アラブの春」と一緒で一時の幻想、「災害ユートピア」に過ぎなかったように思われる
 

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(以下は朝日新聞デジタルから 2日夕刊「文芸・批評」コラム)

去年からずっと見たいと思っていた映画をようやく見られた。

 「それでも僕は帰る~シリア 若者たちが求め続けたふるさと~」、原題はあっさりと「ホムスへの帰還」。

 シリアの中部にあるホムスという都市でアサド政権に抵抗する若者たちを撮ったドキュメンタリーである。

 見終わって何時間たっても映像が頭の中で渦を巻いている。場面が断片的によみがえり、いくつもの疑問が噴出する。それが今の状況と呼応してもっと大きな疑問になる――なんで世界はこんなことになってしまったのか?

     *

 チュニジアジャスミン革命を機に、二〇一一年からアラブ各国で独裁的な体制への反抗運動が高まった。人はこれを「アラブの春」と呼んだ。

 ホムスで若い人々が抗議運動を始めた。率いるのがアブドゥル・バセット・アルサルート。「ぼくはアジアで二番のゴールキーパーだ」というとおり、サッカー選手として国民的な人気があった。それがデモの先頭に立ってアサド政権の退陣を求める。

 こいつが超かっこいい。

 十九歳。美青年で、扇動的な演説がうまく、自作の詩に節をつけて歌うのがまた見事。内容から言えば革命歌なのだが、政権打倒を歌い、団結を歌い、不屈を誓い、アッラーを讃(たた)える。それがアラブの哀愁を帯びたメロディーに乗る。

 実写の映像が見る者を引き込む。群衆の盛り上がりと熱気が伝わる。

 しかし、政府軍はデモの参加者を無差別に大量に殺し始めた。演説と歌と踊りとプラカードの平和的なデモの訴えは真っ向から暴力的に否定された。

 政府軍は反抗的な地域の住民を強引に追い出し、町を封鎖して無人化しようとした。

 若者たちは武装蜂起に踏み切る。

 監督タラール・デルキは早い段階でバセットのカリスマ性に着目し、彼を中心にしたドキュメンタリー映画を作ろうと決めたらしい。バセットの友人のオサマが半ば専属のカメラマンになって彼の活動を撮ってネットに流す。

 蜂起の後は映像は戦闘場面になった。敵は正規軍だから戦車から狙撃兵まで何でも揃(そろ)っている。建物は次々に破壊され、脱出しようにも一本の道を渡ることができない。

 この映画はその場その場の実写を繋(つな)ぐだけで、全体状況がなかなか読めない。しかしよく撮ったと息を呑(の)むような場面の連続。物陰から出てカメラを向けることは撃たれる危険に身をさらすことである。英語では「撮る」も「撃つ」もshootという同じ言葉だ。

 バセットたちは圧倒的な敵に包囲されて動きが取れない。移動には家々の壁をぶちぬいて作った通路を使う。表通りに出れば撃たれる。

 実際に人が撃たれて倒れる場面もあるし、負傷者の運搬や即席の手術の場面も、大量の死者を埋葬する場面もある。棺(ひつぎ)が足りないから白い布で包んだだけの死体が無数に並ぶ。

 フィクションならば我々はこの種の場面に慣れてしまっている。しかしこれはフィクションではなくファクトだ。不器用で不細工な、ブレとピンぼけの映像。時系列に沿った編集だが、場面の間の時の経過がつかみにくい。

 ある段階でカメラ担当のオサマは政府軍に捕まって消息を絶った。しかしその後も誰かがその時々カメラを手にして撮った。監督のチームが現地に入ることもある。編集は抑制が利いているが、素材の力が圧倒的。

 外部の支援を求めてバセットは下水管を伝って脱出する(後で下水管は政府軍の手で爆破された)。支援はなかった。僅(わず)かな希望と共に、まだ包囲された人々のもとへ彼は帰って行く。

 その後のことはわからない。

 一つ気になるのは、誰がバセットたちに資金を提供したかということ。外国の個人の寄付という言葉があったが、信じるわけにはいかない。それは受け取っていい金だったのか。彼は国際政治の駒ではなかったのか。

     *

 シリアは「アラブの春」が最もこじれたケースだ。今も激烈な内戦が続き、国民は続々と国を逃れて遠い土地へ向かっている。自国民を平然と大量に殺し、都市を廃虚にする政府のもとで暮らすことはできない。エジプトでは軍がムバラクを見放したが、シリア国軍は今もアサドに従っている。

 社会が大きく揺れる時、人はそこに希望を見出(みいだ)す。チュニジアの政権が倒れた後で、エジプトやリビアやシリアの抑圧された人々は希望を持った。だが民主的な安定した政権に移れたのはチュニジアイエメンだけだった。

 二〇一一年、ぼくたちは震災を機に希望を持った。復旧に向けて連帯感は強かったし、経済原理の独裁から逃れられるかと思った。五年たってみれば、「アラブの春」と一緒で一時の幻想、「災害ユートピア」にすぎなかったように思われる。

2015年3月 2日 (月)

この外国紙の記事は非常に鋭い  「イスラム国」人質殺害事件

 いやはや、きちんとした記事、すじが通った論理です。国内のメディアでは今まで私としては読んでいない見方です。説得力もありますね。シェアします

 

上記のようにFACEBOOKに書いたのでした。FACEBOOKでたまたまシェアされたこの記事を読んで、えらく共感。なので、ぜひ、このBLOGにも掲載したいーそう思い、以下に転載したします(転載不許可となったら、仕方がないがー)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150226-00128242-kana-l14

ヤフーニュースです

時代の正体 「イスラム国」は問う 議論も起こらず懸念 英経済紙「エコノミスト」特派員 ディビッド・マックニールさん カナロコ by 神奈川新聞 2月26日(木)12時14分配信 .

時代の正体 「イスラム国」は問う 議論も起こらず懸念 英経済紙「エコノミスト」特派員 ディビッド・マックニールさん ディビッド・マックニールさん  

政治家が持ち出す自己責任論、そして責任が問われない政治家-。英経済紙「エコノミスト」特派員、ディビッド・マックニールさんは、そうして肝心なことが論じられないこの国の先行きが心配でならない。過激派組織「イスラム国」による邦人人質事件は、海外から向けられる奇異のまなざしをあらためて浮かび上がらせてもいる。  

 後藤健二さんが殺害された時、米ホワイトハウスは声明を発表し、オバマ大統領は「後藤健二さんは報道を通じ、勇気を持ってシリアの人々の窮状を世界に伝えようとした。われわれの心は後藤さんの家族や彼を愛する人々とともにある」と、ジャーナリストである彼をたたえました。  

 一方、安倍晋三首相は「テロに屈しない」「テロリストたちを決して許さない」とは言いましたが、後藤さんへの評価は一切口にしなかった。  このことは私たち外国特派員に「安倍首相は後藤さん自身のことは大して気に掛けていなかった」という印象を強く与えました。興味があったのは、殺害されたのが後藤さんだったということでも、危険を冒してでも中東で何が起きているのかを世界に伝えようとしたジャーナリストだったということでもない。「日本人だった」ということだったのです。  

 安倍政権が憲法9条を改正し、戦後70年にわたって築き上げた平和国家を変えようとしているというのは、誰もが知るところです。殺害された後藤さんの映像が公開された翌日、安倍首相は自衛隊による在外邦人の救出に向けた法整備の必要性を主張しました。安倍政権は人質事件を根拠にして一連の政策を推し進めようとしているのだ、と私は思いました。

 事件後、日本では「自己責任」だとして、後藤さんと湯川遥菜さんを批判する声が上がりました。海外メディアにとっては理解し難い反応ですが、仮にそれが日本特有の考え方とするなら、なぜ、政治家の責任は追及されないのでしょう。  安倍首相は「国民の命、安全を守るのは政府の責任。その最高責任者は私」と発言しています。政治家として事件をめぐっての対応は適切だったといえるのでしょうか。

 日本政府は、後藤さんが中東で拘束されている事実を知っていた。にもかかわらず、中東地域を歴訪して「イスラム国と戦う周辺各国を支援する」と演説し、総額2億ドルの人道支援を発表しました。イスラム国が2人の殺害を予告したのは、その直後です。  日本人が人質に取られている状況下で、支援を公に表明することが適切だったとは私には思えません。

   自己責任論は政治家にとっては非常に有利に働きます。政治家自身は追及されることはなく、責任逃れができる。何をしようとも無罪放免というわけです。  安倍政権の責任も含めて、今回の事件で何が起き、政府はどう対応したのかを分析すべきだと私は思います。

  ■批判勢力なく  最も懸念しているのは、人質事件後、日本が今後、テロを含めた国際情勢にどう対処していくのか、議論がほとんど起こらないことです。なぜか。理由の一つに、メディアが機能していないことが挙げられます。  安倍首相や彼が影響力を持つ保守勢力は、右翼思想の人たちに多く支持されていますが、メディアにも同様のことが言えます。読売新聞や産経新聞、複数の週刊誌は右翼的な声に支配されており、議論を交わす状況を阻んでいるように見えます。  安倍政権がメディアに直接、圧力を与えたという証拠はありませんが、「右翼」や「ネット右翼」と呼ばれる人々が一般市民を威圧する空気を政権が自らつくり出しているように思うのです。

   私自身、戦争犯罪や従軍慰安婦、南京大虐殺などの記事を書くと「ネット右翼」から強いバッシングがありますが、驚いたのはそのこと自体ではありません。  外務省には外国特派員らの担当者がいますが、昨年12月、担当者が各特派員らに「慰安婦のことを取材する際は、今まで取材してきた人ではなく、この学者を取材してください」と言ってきたのです。外務省が取材相手を勧めてくることなど、過去に例がないし、あり得ないことです。

   安倍政権の支配力は強く、それに対抗できるだけの勢力も存在しない。いまや日本は右翼思想に包まれている。今回の事件で政府の責任を追及しない、議論が起こらないというのは、こういった問題が潜んでいるからだと思います。

  ■列強のリスク  安倍首相は日本を軍事的にも政治的にも世界規模の影響力を持つ「列強」にしようとしています。このまま突き進めば、憲法を改正し、有志連合に加わり、テロとの戦いに自衛隊が派遣されることになるでしょう。その先にはどんな事態が待っているのでしょう。  米国と同盟関係にある英国はかつて「テロとの戦い」を推進しました。

 イラク戦争では国民の反対があったにもかかわらず、米国とともに武力行使に踏み切った。  しかし、武力行使の根拠となった大量破壊兵器はイラクに存在しなかった。そして2005年にはロンドン同時爆破事件が発生し、国民が犠牲になりました。  日本は英国のように米国と強い同盟関係にある国を目指しているのかもしれません。米国とともに歩んでいく道を進もうとしているのかもしれない。それは必ずリスクを伴います。

   考えてみてください。そもそもなぜ、日本人がイスラム国に殺されなければならなかったのでしょう。私はアイルランド人ですが、アイルランド人は一人も殺害されていません。なぜなら、アイルランドは中東諸国のどこかの国や勢力に肩入れすることをせず、戦争にも参加していない。軍隊も送らず、シリアも攻撃していないからです。  中東諸国は日本を尊敬していました。先の大戦で国家を破壊されたが、自力で発展を遂げ、経済大国に上り詰めた。そういった日本に対して敬意を表す親日派は多かった。しかし、そのイメージも変わろうとしています。  

 外務省はすでに海外渡航の制限をかけ始めています。今後、そうしたことが当たり前のようになるでしょう。日本のパスポートを持っているというだけで、テロの対象になり得るのです。  代償を支払わなければならないのは政治家ではなく国民なのです」

 。私には日本人の妻との間に3歳の息子がいます。代償の支払いをさせられるのは私の子どもであり、あなたの子どもたちです。  政府が推し進めようとしている政策は、私たちの子どもたちが代償を支払ってでも果たすべきものなのでしょうか。今回の事件は、そういった重い課題を突きつけているのだと思います。

 ディビッド・マックニール アイルランド出身。ジャーナリスト、上智大講師。2000年に来日し、現在は英紙「エコノミスト」「インディペンデント」などに執筆。49歳

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2014年7月 2日 (水)

ブランドをむざむざ捨てた代償  斎藤美奈子さんは相変わらず切れが良い

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集団的自衛権の行使とは「大国と結託して他国に戦争をしかける権利」のことだと、もっとハッキリいうんだった。

 

半世紀以上かけて築いた「戦争をしない国」のブランドをむざむざ捨てた代償は、私たちに跳ね返ってくる。どこか遠い戦地の話じゃないのである。

 

相変わらず、切れが良い斎藤美奈子さん(東京新聞2日、「本音のコラム」集団的自衛権行使容認に物申す)

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