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大震災

2016年3月 5日 (土)

あの日から5年 東日本大震災  「霧降文庫」でスタート

       
 本日5日(土)から古書店図書室「霧降文庫」で、3月企画「あの日から5年、東日本大震災」がスタートしました。2月いっぱい、冬季休業していたので、オープンするのは1カ月ぶりです。
 
 佐々木中らが論じる「思想としての3・11」、あるいは鷲田清一と赤坂憲雄が語る「東北の震災の想像力」、詩集「ガレキのことばで語れ」、辺見庸の「眼の海」や「瓦礫の中から言葉を わたしの<死者>へ」など。
 
 そうそう大事な詩論もありました。京都の詩人、河津聖恵さんの「3・11」を論じた最新刊の「パルレシア 震災以降、詩とは何か」、私が感心して読んだ「8・15と3・11ー戦後史の死角」(笠井潔)もあります。
 
 4日、日光市の本屋さんに出掛け、「東日本大震災のコーナーは?」と、店員さんに聴いたところ、「?」マークの表情に。「あとう1週間で3・11から5年、東日本大震災関連の最新本が欲しいのだが」、そう話した。
 
 というのは、広い店内を歩いても、「東日本大震災関連本」がどうにも見当たらないー。それで聴いたのだが、売り場でチェックを終えた店員さんは申し訳なさそうに「あいにくですが、文庫本に少々ありますが、単行本はほとんど見当たりません」。
 
 震災から半年、1年は、それこそ沢山の震災本が積み上げられていたが、あれから5年ー。街の大きな本屋さんでも関心を失っているというか、その手の震災関連本を前面に出す発想に欠けているようなのだ。
 
 5年という月日はそれくらい、いわゆる世間の耳目が別の方向へ。大災害の、膨大な死者の、風化ー、それを思わせる小さなエピソードのひとつだろう。<それだけに「霧降文庫>による「あの日から5年 東日本大震災」の企画はぜひともやらねばならない>。そう改めて思ったのでした。

 
 そろえたのは約70冊。土、日、祝日の午後1時~日没。☎0288-25-3348 日光市所野1541-2546です。お気軽にお越しください。
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2015年9月15日 (火)

雑巾、雑巾、雑巾の「床下」へ 日光市災害支援ボランティアセンター

 

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 災害支援ボランティアへ。大雨被害で日光市でもボランティアセンター(通称・ボラセン)が立ち上がり、その3日目の15日、「日光市災害支登録ボランティア」である私も今市地区の被災者宅へ。大変な床上浸水の被害に遭ってしまったのでした。「そのときは、もうナイアガラの滝のようでした」、と、がっくりの家人。前日に続いての継続支援で、そこに手を挙げたのは、午前9時にセンターに駆け付けたボランティア。そのうち、静岡県から2人、山梨県から1人、そして、地元日光の私の4人が、ひとつのグループで。

 

 依頼内容と住宅地図を片手に日光市のボランティアセンターから旧今市地区へ。車は「浜松ナンバー」、ナビは地元の私。15分ほどで現地に到着した。「こんにちわ、日光市災害支援ボランティアセンターから」。それもそこそこに、ボランティアたちは、とにかく清掃、清掃、清掃ー。この日の大半は「地下作業」・・・。家人によると、この家は2階建て84坪(277平方m?)。その家の床下の泥水出し。泥といえば、東日本大震災の際、石巻で「泥バスターズ」をやって以来。といっても、ここでは、床下に潜り込んで、雑巾がけ、雑巾がけ、ヘラ出し、タワシ、雑巾がけー。数十本の雑巾があっという間に真っ黒と。

 

 まさか、床下の清掃とは。と、思っていたら、山梨県からの「熟練」のボランティアがしっかりとヘッドライトを持参。それも予備も。被災者宅の懐中電灯と3本・3人が暗い「地下」へ。前日は11人人のボランティアが床下・床上・ゴミ出しに精を出していたことがわかる状態ではあった。だが、まだまだ手つかずのところも。そこはヘラですくい、雑巾で拭い、ブラシをかけ、さらに雑巾がけを。家具の清掃も含め、作業は終了の午後3時まで。「地上」のボランティアは、バケツで上がってくる雑巾をきれいにして、再び「地下」へ手渡す役だったのです。

 

 静岡県の若い2人は「ボランティアは初めて」、とはいえ、率先して汗をかく仕事へ。「東日本大震災があったのに、ボランティアが初めてとは?」。雑巾がけをしながら、私が聴くとー。38歳の若者は手を休めずに「その東日本大震災で三陸に駆け付けられなかった、そのことが心残りだったのです」と、話してくれた。

 

 「そろそろ50分だから、休憩・休みにしようぜ~」。地元の私がその声をかける役をしたのだが、午後になると、彼氏彼女たちはなかなか手を休めない。玄関周りをきれいにする一方、靴底のカビも丁寧にふき取っておりました。実に熱心なその仕事ぶりを横目に、私だけ、「休み時間の一服」をしていたのでありました(笑い)。

 

 それにしても、家人によると、当日は腰の上まで浸水した。中身が入っていたドラム缶がごろごろと流れてしまう激しい水流だったという。家人は万一を考え、マイカーは「高台」に避難させていた。それに「家のここまでは来ないだろう」と。ところがー。滝のような水が押し寄せ、近くの市役所支所に避難した。でも、戻ってみれば、大変な床上浸水に遭っていたのだ。

 

 被災者宅は、この日の15日、清掃もようやく峠を越えたよう。そのため、災害支援はいったん「終了」ということにしたが、実際は、まだまだやるべき復旧作業は残っているのが実状だ。でも、この家では「うちはここまできたが、まだまだ被害に遭っている方がいるので、ぜひ、そちらの支援へ」。そうした他者への配慮、気づかいをも含めた「作業終了」の確認ではありました。

 

 
 さぁ!、次は、「山場」の国会へ、国会正門へー!(・・・私の「晴耕雨読」はいつになったら取り戻せるのか?・・・)
 

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2013年9月14日 (土)

届いた秋を美味しく 陸前高田の詩友から秋刀魚たちが

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岩手県陸前高田の「詩友」からどっさりと秋が届いた。この季節なら、なんといっても秋刀魚。保冷ケースいっぱい10数匹も。なので、ご近所におすそわけへー。1dscn3064 

 もちろん、私も。大根がなかったので、急きょ、このためにだけ、買い物へ。焼いて、大根をおろして、醤油を。ーいやはや、さすがの本場ものー。美味しいことー。

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 秋刀魚を肴に、お酒は奈良の吉野杉の「樽酒」。うっすらした香り、すっきりとした飲み口、くせがないーなど、私のお気に入りだ。これに秋刀魚焼きとくれば、もう~なにおか、いわんやですー。

2013年4月28日 (日)

「『コミュニティFM日光』に向けて」第一回懇話会  話題さまざまに日光霧降高原・砂時計家で

1dscn0273 「『コミュニティFM日光』に向けて」第一回懇話会、霧降高原「砂時計家」で。10人強ほどの参加者を見込んでいたが、27日の昨夜は出たり入ったりで、計18人がー。

                                                  

敏腕レコード店経営家、八木沢雅夫さんが、1980年代に3年間続けた「『FM宇都宮WAVE(ウェーブ)』の軌跡」を当時の新聞記事とともに、またこの3月まで「FMレディオベリイ」のパーソナリティだったフジコさんが北関東のFM事情などを「報告」。それらをきっかけに、座談会的にFM論議が続いた。

                                                   

放送歌の著作権料、まちづくりとFM...、第三セクターやNPOといった運営主体、災害放送とFM、行政とFM、ネットラジオについて、日光観光とFM、県外各地の事例など、話題があっちにこっちに飛んでいったがー。

                                                         

1年間、「日光ウェーブ」を担当し、卒業したばかりのフジコさんの慰労も兼ねていたので、「おでん」や参加者それぞれの手づくり料理(これが美味しかった~)での吞み会も。

                                                   

19時すぎから始まった懇話会の最後は「夜も更けて」に~。学び、語り、食べ、呑み、交流(初対面の人も複数ー、自己紹介だけでも、なんと1時間~)した有意義な時間だった。

                                                     

だが、この課題については(全国には二百数十局もある「コミュニティFM」が、栃木県内にひとつもない~)、いずれにしろ、もっとたくさんの情報や知識、方法などを知る必要があることは、私も含めて参加者の多くが感じたことだったー

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  • 2012年6月13日 (水)

    完成を祝い合い、「輪」になって踊り合った  被災者の寄合場「歌津迎賓館」(下)

     災害支援「チーム日光」が現地の仮設住宅で暮らす人たちの助っ人も得ながら、つくりあげた被災者たちが明日に踏み出すための建物「迎賓館」。5月23日の完成式では、アイヌのシャーマン、アシリ・レラさんの神事あり、唄い手・チグリハーブの歌あり、舞踏家・塙寛子さんの舞踏あり、あるいはアシリレラさんのユーカラありと、おごそかであったり、なごやかであったり。そんな時間があっという間に。

     「チーム日光」からはもう何日も現地で作業を続けた組、2泊3日のマイクロバス組、当日の日帰り組、さらにレンガ積み作業や建物づくりの指導者たちなど、さまざまなボランティアが歌津に集合した。それも栃木県を中心に北海道、秋田、福島、埼玉、東京などからも。

     寒い冬での作業を含めて(「チーム日光」のメンバーは屋外のテント生活が基本)、ようやく建物が完成し、南三陸町に引き渡すことができたことで、わたしたちも地元の人たちも喜びひとしお。その23日の夜は「カンパイ~」で始まり、軽音楽の調べにのせられるように、みんなで輪に。踊る~、踊る~、踊る~。楽しい時間が過ぎていった。(それから半月以上にもなるが、記録も含めて、アップすることに)

    Dscn9118 (「チーム日光」が仮設住宅で暮らす被災者のみなさんと一緒に記念のパチリ=5月24日Dscn9069 (カンパイ~。迎賓館の完成を祝い、23日夜は笑顔、笑顔、笑顔ー)

    Dscn9077 (みんなで輪になって踊る~。その歌のままの完成式の夜の宴だった)

    Dscn9086 (それにしても音楽の力は大きい~。アシリ・レラさんは「二風谷はもっとすごいー」と)

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    (完成した「迎賓館」の前でくつろぐ仮設住宅のお母さんたち=5月23日)

    Dscn9150 (歌津から日光へ。わたしたちのバスに「さようなら」と手を振る歌津のお母さんたち)

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    (たまには私も入ったみんなの記念写真もアップすることに。どこにいるか、わかりますか?)

    Dscn9121

    2012年6月12日 (火)

    「3・11」から1年3ケ月のこの日に 鎮魂詩「三陸の海の底で」黒川純

    ;「3・11」から1年と3カ月になった。その鎮魂詩も掲載した「別冊 おなご 30号」が届いたので、それを掲載することに。わたしとしては初めて意識して書いた鎮魂詩だ。詩そのものは、今春に送っている。が、編集作業が遅れたことで、冊子発行はこの6月になってしまったという。

    「別冊 おなご」は、岩手県北上市の詩人、小原麗子さんが主宰する「麗ら舎読書会」が毎年発行している冊子。岩手県を中心とした詩人たちが寄稿している。わたしもその仲間の一人だ。読書会は「千三忌」を催しており、麗子さんは太平洋戦争で犠牲になった千三さんの「墓守」を自任している。

    Dscn9332_2 Dscn9334_2

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    鎮魂詩 三陸の海の底で     

                      黒川純

    そのとき語っていたこと

    語りたかったこと

    語ろうとしたこと

    語るべきだったこと

    もう語るにも語れないでいる

    悔みだけが人生だとしても

    準備する時間がなさすぎた

    わたしのあなた あなたのわたし

                                                        

    どうしたらその声が届くのだろうか

    大蛇のような大波に流されて巻きこまれ

    引き込まれて落ちながら海原に押し出された

    2011年3月11日のそのとき

    ひとりびとりの犠牲者にあしたがあったのに

    だれも視たことがない大波に引き裂かれ

    手も足も

    眼も耳も

    口さえも縛られた

                                            

    だから

    幻聴のように響いてくるのか

    歴史がやってきた一瞬の悔みを伝えて

    だれかが そう問いかけるのだ

    いや

    だれかではない

    海底の光と影の境界で漂っているあなたが

    わたしやわたしたちに向かって

    ざわざわと

    そう ざわざわと

    古代がめくれあがった冷たい海底から

    もう取り戻せない悔みを取り返したい

    ほんとうの死者になりきれない

                                           

    夢の中であなたがそうささやいたから

    理不尽な哀しみの海に降りてゆき

    涙で視えない瞳をそっと閉じてやり

    漂う身体にじっと光の焦点を当ててやろう

    眩しい輝きが海底から海面を突き破り

    たなびく雲にその姿が乱反射する                                        

    もくもくと立ち上るその雲をスクリーンに

    生きていればいつか願いがかなったときの

    あなたが満面の微笑みで登場する

    そんなことを夢想したい

                                            

    そのとき

    あなたは一瞬だけ

    瞳いっぱいの涙を

    ぽろぽろと溶かすかもしれない

    あなたをさらった潮の流れで

    今はただキラキラとあくまで蒼く輝く

    三陸の海の底で

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    2012年5月29日 (火)

    作業は「落成式」直前まで丁寧に続けられた   被災者の寄合所「歌津迎賓館」(中)

     南三陸町の被災者のための集会場「歌津迎賓館」の落成式は23日午前10時から。神事、挨拶、建物引き渡し式、歌や舞踏のイベント、さらに宴と続いた。が、実は建物が完全に完成したのは前日の22日夕方。それまで部屋の椅子や扉や軒下の調整など、さまざまな作業が続いていた。

     いや、当日の23日朝まで続いていた作業も。建物入口を入ったすぐ、左右の壁面は日光の絵師・香川大介くんが懸命に制作を続けていたが、最終的に完成したのは、実に23日午前8時過ぎ。一心不乱に絵筆をふるうさまは、やはり芸術家。妥協を許さないその仕事ぶりに感心するばかりだった。

     ということでこの連載?の(中)は当日までの作業などについて、写真特集で。次は最終回の(下)。そこで当日の宴の模様や地元の人たちとボランティアがふれあう表情などについて報告するとしよう。

    Dscn8982 (歌津迎賓館内で行ったアイヌのシャーマン、アシリレラさんによる神事=23日)

    Dscn8839 (「四方」の壁面はひとつひとつ丁寧に手造りされた約1300個のレンガで)

    Dscn8834  (周りの椅子をすえつけるなど、完成直前の作業が続く歌津迎賓館内=22日)

    Dscn8880_2 (中央の「いろり」の横面に彫られた波と白魚、こんなこまやかな作業も)

    Dscn8821 (日光の絵師、香川大介くんの仕事が終了したのは当日の23日午前8時過ぎだった)

    Dscn8841 (歌津迎賓館内の椅子造りは落成式前日の22日いっぱいまで続いた)

    Dscn8830 Dscn8831 (歌津迎賓館入口の扉は「チーム日光」の小坂憲正代表の作品。過日、「小杉放菴記念日光美術館」の企画展に出品した作品だ。写真の上が表、下が裏)

    Dscn8888 (23日午前10時から始まる落成式には当日参加のメンバーも含め、10数台が日光など栃木県や秋田県、福島県、北海道などから続々と歌津へ)

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    2012年5月25日 (金)

    集会場完成、ライブで祝い合う 被災者の寄合所「歌津迎賓館」(上)

    Dscn9125 (災害支援「チーム日光」が地元の人力も得て完成させた集会場「歌津迎賓館」の味のある看板)

    Dscn9126 (「歌津迎賓館」の扉は「チーム日光」の小坂憲正代表が仕上げた作品。自身の個展に出品した作品のひとつだ)

    Dscn8950(集会場の寄贈書を手に災害支援「チーム日光」の小坂憲正代表・左と南三陸町の佐藤達朗教育長、中央は伊里前契約会の千葉正海会長=23日)

    Dscn8882 (「竪穴」集会場、「歌津迎賓館」の内部。すべて手造りの木造の重厚な建物に仕上がった。内壁のレンガもひとつひとつ型枠による手造り。その数、ざっと1300個にものぼった)

    Dscn8912 (扉を開けると、右左の壁に絵師・香川大介の獅子の作品が。訪れる人たちはその大胆な構図と精密な絵筆に驚くことだろう)

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    Dscn9054 (23日の落成式では屋外ライブが予定されていたが、小雨で急きょ、屋内に。トップは首都圏から駆けつけた歌手・チグリハーブ。最初に会場全体で「ふるさと」を合唱。さらに心にしみる彼女自身の唄を次々。ただし、会場内の私語のざわめきが気になった)

    Dscn8994 (ライブの二番手は東京から駆けつけた舞踏家・塙寛子さんの舞い。テーマも解説もない舞いだったが、私には死と再生と救済の物語のように受け取れ、不覚にも?、涙が。会場内でも涙をぬぐう姿があちこちに)

    Dscn9063 (落成式の神事をつかさどったのは北海道・二風谷に暮らすアイヌのシャーマン、アシリレラさん。ライブではアイヌの貴重なユーカラも語ってくれた)

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    (当日の全体の模様は栃木県の地元紙、下野新聞24日付で)

    東日本大震災の津波被害に遭った宮城県南三陸町で、ボランティア団体「チーム日光」(日光市)が建設を進めていた「竪穴住居」型集会所が完成し、23日に落成式を開いた。仮設住宅で暮らす被災者も集まり、喜びを分かち合った。町は今後、住民間交流や復興計画を話し合う場として活用する予定だ。

     集会所内で開かれた落成式には、同町の佐藤達朗教育長も参加。チーム代表の小坂憲正さん(44)から寄贈書を手渡され、「心のこもった贈り物をありがとうございます」と感謝した。

     その後、小坂さんに竪穴住居の建築技法を伝授したアイヌ民族の祈祷師・アシリレラさんが、慰霊祭を執行。バンドによるライブなども披露され、式典を盛り上げた。

     津波で親族27人を失った主婦及川時子さん(70)は「素晴らしい建物をつくってくれたのだから、悲しみは今日までにしたい。前を向いて生きたい」と涙をこらえた。

     チームは同町歌津地区の仮設住宅敷地内に集会所がないことを知り、無償での建設を決意。冬暖かく夏涼しい上、「原点回帰」の意味合いも込めて、竪穴住居型(50平方メートル)を選択した。

     復興の鍵となることを願い、「歌津迎賓館『鍵』」と命名。小坂さんは「被災者の心と笑顔をつなぐ拠点になってほしい」と願っている。

    2012年3月 6日 (火)

    そのとき何が起きたかを伝えるだろう  鎮魂詩 三陸の海の底で・黒川純

    Dscn1262 (360度ともガレキの世界になってしまっていた岩手県陸前高田市気仙町=昨春)

     「3・11」」まであと5日。昨春から震災詩を書いてきたが、気がつけば、鎮魂詩を意識的に書いてはいなかった。初めて書こうとしたのが、この「三陸の海の底で」。震災と原発をテーマに編まれ、今春、発行予定の『別冊 おなご』(岩手県北上市の「麗ら舎読書会」)に送った詩だ。以前にもアップしたが、あれからまもなく1年になる。犠牲者たちひとりびとりに向け、再びこの詩を伝えたい。

    鎮魂詩 三陸の海の底で

               黒川純

    そのとき語っていたこと
    語りたかったこと
    語ろうとしたこと
    語るべきだったこと
    もう語るにも語れないでいる
    悔みだけが人生だとしても
    準備する時間がなさすぎた
    わたしのあなた あなたのわたし

    どうしたらその声が届くのだろうか
    大蛇のような大波に流されて巻きこまれ
    引き込まれて落ちながら海原に押し出された
    2011年3月11日のそのとき
    ひとりびとりの犠牲者にあしたがあったのに
    だれも視たことがない大波に引き裂かれ
    手も足も
    眼も耳も
    口さえも縛られた

    だから
    幻聴のように響いてくるのか
    歴史がやってきた一瞬の悔みを伝えて
    だれかが そう問いかけるのだ
    いや
    だれかではない
    海底の光と影の境界で漂っているあなたが
    わたしやわたしたちに向かって
    ざわざわと
    そう ざわざわと
    古代がめくれあがった冷たい海底から
    もう取り戻せない悔みを取り返したい
    ほんとうの死者になりきれない

    夢の中であなたがそうささやいたから
    理不尽な哀しみの海に降りてゆき
    涙で視えない瞳をそっと閉じてやり
    漂う身体にじっと光の焦点を当ててやろう
    眩しい輝きが海底から海面を突き破り
    たなびく雲にその姿が乱反射する

    もくもくと立ち上るその雲をスクリーンに
    生きていればいつか願いがかなったときの
    あなたが満面の微笑みで登場する
    そんなことを夢想したい
    そのとき
    あなたは一瞬で永遠の
    瞳いっぱいの涙で
    そのとき何が起きたかを伝えるだろう
    あなたをさらった潮の流れで
    今はただキラキラとあくまで蒼く輝く
    三陸の海の底で

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  • 2012年2月 2日 (木)

    取り戻せない悔みを取り返したい 鎮魂詩「三陸の海の底で」黒川純

    Dscn1231 (大震災から3週間後の岩手県陸前高田市気仙町。津波で道路標識が水平近くに傾いていたー=2011年3月下旬)

    鎮魂詩ー三陸の海の底でー

                            黒川純

     
    そのとき語っていたこと
    語りたかったこと
    語ろうとしたこと
    語るべきだったこと
    もう語るにも語れないでいる
    悔みだけが人生だとしても
    準備する時間がなさすぎた
    わたしのあなた あなたのわたし

    どうしたらその声が届くのだろうか
    大蛇のような大波に流されて巻きこまれ
    引き込まれて落ちながら海原に押し出された
    2011年3月11日のそのとき
    ひとりびとりの犠牲者にあしたがあったのに
    だれも視たことがない大波に引き裂かれ
    手も足も
    眼も耳も
    口さえも縛られた

    だから
    幻聴のように響いてくるのか
    歴史がやってきた一瞬の悔みを伝えて
    だれかが そう問いかけるのだ
    いや
    だれかではない
    海底の光と影の境界で漂っているあなたが
    わたしやわたしたちに向かって
    ざわざわと
    そう ざわざわと
    古代がめくれあがった冷たい海底から
    もう取り戻せない悔みを取り返したい
    ほんとうの死者になりきれない

    夢の中であなたがそうささやいたから
    理不尽な哀しみの海に降りてゆき
    涙で視えない瞳をそっと閉じてやり
    漂う身体にじっと光の焦点を当ててやろう
    眩しい輝きが海底から海面を突き破り
    たなびく雲にその姿が乱反射する

    もくもくと立ち上るその雲をスクリーンに
    生きていればいつか願いがかなったときの
    あなたが満面の微笑みで登場する
    そんなことを夢想したい
    そのとき
    あなたは一瞬だけ
    瞳いっぱいの涙を
    ぽろぽろと溶かすかもしれない
    あなたをさらった潮の流れで
    今はただキラキラとあくまで蒼く輝く
    三陸の海の底で

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