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脱原発

2024年12月11日 (水)

この人が作詞者だったのかーと知る    「今は白い花咲く」の「原爆を許すまじ」

初めて知りました。どのような機会に知ったのかは覚えていないが、確か小学生のときから歌っていた。だが、この年になるまで作詞者は知らないでいた。今日の朝日新聞「ひと」欄で知る。浅田石二さん。もう92歳なんだね。なんだか年長の旧友に突然、時を超えて会ったような。今でも思うが、途中の「今は白い花咲く」という表現が印象的な歌だなと。 Photo_20241211215801

(ひと)浅田石二さん 日本被団協に力を与えた歌「原爆を許すまじ」の作詞者

2024年12月11日 5時00分0

写真・図版
浅田石二さん

 米国の水爆実験に揺れた70年前、この歌が反核運動を奮い立たせる。広島・長崎の被爆者は悲しみと怒りを胸に歌い、大衆も口ずさんで全国へ広がった。

 ♯ふるさとの街やかれ/身よりの骨うめし焼土(やけつち)に/今は白い花咲く/ああ許すまじ原爆を/三度(みたび)許すまじ原爆を/われらの街に――

 東京南部の町工場で働く22歳の時、労働者や学生の「うたごえ運動」に呼応して筆を執る。日中戦争前夜に生まれ、太平洋戦争後の焼け跡を生きた文学青年。「戦争は二度と嫌だ。国家は信じられない」。そんな心情を韻律に込めた。

 原爆の被害は占領軍の報道規制が解けるまで知るよしもなく、アサヒグラフの特集に衝撃を受けて想像力を働かせた。ビキニ事件で静岡の第五福竜丸が被曝(ひばく)した直後、2番の歌詞は「われらの海に」、国際平和を希求する精神から4番は「世界の上に」で締めくくった。

 その2年後、日本原水爆被害者団体協議会が結成される。孤立や差別に苦しむ被爆者が団結し、核廃絶を訴える声を一つにするのを支えた。ノーベル平和賞の授賞式に臨んだ田中熙巳(てるみ)代表委員(92)も「団歌と言っていい」と感謝する。

 待望の受賞が薄れゆく戦時の記憶を呼び覚まし、日本そして世界中で考え行動する契機になればと願う。戦後80年へ伝えたい。「いつの時代も、戦争による死者のことが忘れられた時に新しい戦争が始まる」と。

 (文・写真 田井良洋)

     *

 あさだいしじ(92歳)

 

2024年11月29日 (金)

どこまで市民運動に助けられてきただろうか   樋口英明元福井地裁裁判長が栃木アクションで

Photo_20241129183701 1 先入観について

  皆さんこんにちは。元裁判官の樋口です。

名古屋から新幹線「のぞみ」に乗ろうとしたら、新幹線が動いていなかったのです。やっと動き始めても1時間半の遅れがありました。東京に向かっている途中で「東北新幹線も遅れている」との情報が入り、東京駅での乗り換え時間も考えると「絶望的かな」と思ったのです。ところが、東北新幹線が遅れていたおかげで、その遅れていた新幹線に全く待つことなく乗ることができました。皆様をやきもきさせた分、皆さんに役立つ話をしなければと思っています。

ここに集まられた方はほとんどが脱原発の強い信念をお持ちの方だと思います。脱原発派に正義があることは明らかです。原発はトイレ無きマンションといわれますが、近づくだけで20秒で死んでしまうような毒物を10万年以上にわたって後世に残すことが許されるわけがないのは当然のことです。トイレどころの話ではないのです。原発が倫理に反するのは明らかです。しかし、倫理観のない人に倫理を解いても極めて効率が悪い。

今日私がお話しするのは「原発の危険性」の話です。倫理観のない人でも危険性は分かるはずです。今日皆さんにお話しするのは、皆さんの周りの人に伝えることができるわかりやすい原発の危険性の話です。

  昨日、大谷翔平選手が2年連続で3回目のMVPを取りました。その大谷選手の座右の銘は「先入観は可能を不可能にしてしまう」です。「プロ野球では、ましてや大リーグでは二刀流は不可能である」という先入観が多くの選手の才能の芽を摘んできたと思います。しかし、高校時代の佐々木監督も日本ハムの栗山監督もそのような先入観を持っていませんでした。それで、大谷選手は大きな飛躍ができたのです。

脱原発にとって、一番の敵、障害物は何かというと、原発回帰に舵を切った政府でも、電力会社でもないのです。一番の敵、障害物は私たちの心の中にあるものです。脱原発においても第一の障害は「国が進めている以上、原発は必要なのだろう」という先入観です。「我が国は民主主義国家であり、正常な選挙が行われている。そこで選ばれた国会議員が国民の安全を考えないわけがない。総選挙でも原発のことが争点にならなかったのは原発が安全だからだ」と若い人達は思っているのです。これも先入観です。「原子力規制委員会は福島原発事故の教訓を受けてできた組織だから、それなりの厳しい審査をしているはずだ。原子力規制委員会が許可をして現在動いている原発はそれなりに安全だ」これも先入観です。「裁判官とか、大臣とか、重い責任を負っている人は、それなりの見識、責任感、賢さを持っているはずだ」という先入観。これらが脱原発の敵であり、障害物だと思います。

 その中でも一番の強敵は何かというと、「原発問題は難しい問題だ」という先入観です。これは脱原発派であろうが、原発推進派であろうが、無関心な人であろうが、全員が、「原発問題は難しい問題」だという先入観を持っています。しかし、それは間違っています。私は実際に原発訴訟を担当して原発問題は決して難しい問題ではないと確信したのです。

2 原発問題の本質は2つだけ

  原発問題は極めてシンプルです。分かってほしいことは2つだけです。たった二つだけです。①一つ目は、原発はどんなときでも人が管理し続けなければならないということです。管理しないと暴走するのです。②二つ目は暴走した場合の被害はとてつもなく大きいということです。この二つだけなのです。

3 原発は人が管理できなくなると暴走する

  原発は、自動車とか、家電とか、あるいは火力発電所とは全く違うのです。何かトラブった時、地震でも、火事でもいいので、トラブった時をイメージしてください。例えば自動車を運転していてトラブりました。車を止めて、JAFを呼べば、それで終わりです。家電でも同じです。扇風機を回して、なんか音がおかしくなったら、コンセントを抜いたら終わりです。火力発電所でも、地震が来たら火を止めれば終わりです。新幹線でも停電したら止まって安全になります。これが私たちの常識なのです。だけど原発だけはそうじゃないのです。原発は止めるだけではダメなんです。止めた後も、水と電気で原子炉を冷やし続けないといけないのです。停電してもメルトダウン、断水してもメルトダウン。原発は私たちの常識が通用しないのです。

 福島原発事故では、何が起きたかと言うと、原子炉が地震や津波で壊れたのではないのです。地震で外部電源が断たれ、津波で非常用電源が断たれました。すなわち、単に停電しただけで、原子炉を冷やすことができなくなってしまい、原発が暴走したのです。「全電源喪失」というと、何か凄いことが起こったのではないかと思ってしまうけれど、単に「全面的に停電しました」というだけのことです。

4 暴走したときの被害はとてつもなく大きい

停電したことで、原子炉を冷やすことができなくなって「東日本壊滅」の危機に見舞われたのです。福島第一原発の吉田所長も2号機の格納容器が破裂するだろうと思って、東日本壊滅を覚悟したのです。

しかし、考えられないような数多くの奇跡があったことで「東日本壊滅」を免れたのです。数多くの奇跡のうち一つでもなければ東日本は壊滅していたのです。ぎりぎりで東日本壊滅を免れたとはいえ、「原子力緊急事態宣言」は今も続いています。337平方キロメートルの土地が帰還困難区域として立ち入りが禁止されています。337平方キロメートルと言ってもお分かりにならないと思います。この宇都宮城址公園の9千個分です。尖閣列島の50個分です。

5 本質が分かれば結論が分かる

①人が管理し続けなければ暴走する、②暴走したときの被害はとてつもなく大きい。このようなものはほかにはないのです。我々の常識が通用しない技術です。

①、②の二つを理解しているかどうかで最近の動き、例えば、老朽原発が許されるかどうか、自民党政権の「敵基地攻撃能力」の政策は正しいかどうかも分かるのです。また、原発訴訟の判決が正しい判決かどうかも分かるのです。

6 老朽原発について

   現政権は、原発の本質がわかっていません。これまで原発は40年ルールというのがあって、40年間の稼働とするのが原則だったのです。このルールは当時の民主党、自民党を含む全政党が一致して決めたものです。ところが岸田政権は、このルールを変えてしまいました。そもそもなぜ原発は40年間しか動かしたらいけないのかは原発の本質が理解できると分かるのです。50年前の自動車に乗っている人もいますが、誰もそれをだめだとは言わないでしょう。なぜかというと50年前の自動車に乗っていても、トラブったらエンジンを止めてJAFを呼べば解決するからです。家電が故障してもコンセントを抜けばそれで解決します。

古い原発は古い大型旅客機に似ているのです。50年前の大型旅客機に乗りたいと誰も思わないはずです。飛行機は、原発と同じように、人が管理し続けないといけないのです。

ちょっと想像してみてください。50年前の飛行機を操縦していたら、突然燃料漏れが生じました。何とかして近くの飛行場まで行って緊急着陸しなければならない。何とかして近くの飛行場まで行けたのですが、その時に緊急着陸しようと思ったら、高度計が壊れていた。しかたがないので目測で着陸しようとしたら、その時に車輪が出ないということに気がついた。このように老朽化するということは、いわゆる想定外のことが次々に起こるということが想定されるということなのです。

原発はよく止まります。裁判所が止める時もありますし、原子力規制委員会の審査に時間がかかる場合もあります。その止まってる間や動いていない期間は40年に含まれないということで期間制限を外そうとしています。これは根本的におかしな話です。我々も眠ってる間も老化していきます。40年ルールを外すということは、人が管理し続けないといけないという原発の本質を理解していないということです。

7 コスト論は正しいか

経済界はすぐにコストの話を持ち出します。私が担当した大飯原発差止訴訟においても関西電力は「原発が止まるとその分火力発電所の燃料代として石油や天然ガスを輸入しなければならないから貿易赤字になってお金が失われる。国富の流出や喪失になる」と主張しました。

それに対して、私は、「この問題について国富の流失や喪失の議論があるが、たとえ大飯原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしてもこれを国富の流出や喪失と言うべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根をおろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」と判決に書きました。この考えは全く変わっていません。原発に関してコスト論は論じるべきではないのです。

しかし、相手方は極めて執拗にコスト論を言ってきます。そこまで言うのなら、売られたけんかは買わないわけにはいかないということでコスト論を論じてみます。

東京電力の年間の利益は約2500億円程度です。福島原発事故の経済的損失は、健康被害が一切なく健康被害について賠償の必要がないことを前提に最も控えめに見積もっても25兆円です。25兆円を2500億円で割ると100になる。つまり、一つの事故で巨大企業の100年分の利益が吹き飛んでしまうことになる。このような発電方法のコストが安いといえるわけがないのです。

仮に、東京電力の福島第一原発ではなく、ここから60キロメートル東にある日本原子力発電株式会社の東海第二原発が福島原発事故と同規模の事故を起こした場合、地域の不動産時価等が福島とはまったく異なることから、25兆円を遥かに超える660兆円余の経済的損失を生じると試算されています。我が国の予算総額は約110兆円ですから、6年分の予算が飛ぶことになります。我が国は確実に破産するのです。また、福島原発事故で吉田所長が覚悟したように2号機の格納容器が爆発した場合の経済的損失は約2400兆円であったと試算されています。我が国は破滅します。

これらの金額を聞いただけで、原発の問題が尋常でない問題であることは明らかです。原発の問題はエネルギー問題でも、環境問題でも、人権問題でもあります。しかし、この数字は原発問題が国の存続の問題、つまり原発問題が基本的には国防問題であることを示しています。

8 原発は自国に向けられた核兵器  

ロシアとウクライナの戦争で原発問題が国防問題であることがますます明確になりました。ロシアとウクライナの戦争で最も重要なことはロシアがウクライナのザポリージャ原発を攻めたということなのです。「攻めるぞ」と脅されただけでウクライナは明け渡すしかないのです。ウクライナが原発を守るために大砲をぶっぱなした途端に、ロシアから大砲とミサイルが飛んできます。それが原子炉に当たったら終わりだし、電気施設に当たっても冷やせなくなって終わりだから、ウクライナは抵抗することができない。従業員も、逃げ出したくても、たとえ逃げ出すことができたとしても、逃げ出せない。なぜなら自分らが逃げ出すと、原発が管理できなくなって暴走するからです。だから逃げ出せない。進退窮まることになるのです。原発の存在は、防衛上、最も不利なのです。

日本は54基もの原発をしかも海岸沿いに並べてしまったのです。その時点でどの国と戦争しても勝てません。原発を動かそうという話と敵基地攻撃能力を持とうという話は矛盾するのです。あえてこのことを説明すると、岸田さん達は「テロリストや仮想敵国が日本の原発を狙うことはない」というテロリストたちに対する高い信頼を持っているということです。それ以外に合理的な説明ができないのです。

原発は自国に向けられた核兵器です。それを除去するのに何十兆円という膨大な防衛費も難しい外交交渉も不要です。自国に向けられた核兵器を除去することは、「豊かな国土を守り次の世代に受け継がせよう」とする意思さえあれば簡単に踏み出せる道です。

9 原発差止訴訟の本質  

原発も難しい問題だ、ましてや原発訴訟はとてつもなく難しい問題だと誰しも思いがちです。これも先入観です。

家が倒れたりするような強い地震ではなくても停電や断水は生じます。だから配電や配管の耐震性を高めるのは難しいのです。しかし、原発では配電や配管の耐震性が問題となります。そこで、大飯原発の訴訟における原告住民の言い分は「大飯原発の敷地に強い地震が来ると、原発は耐えることができずに事故になります。どうぞ我々を守ってください」というものです。これに対して、関西電力は次のように答えました。「大飯原発の敷地に限っては強い地震は来ませんから安心してください」。この電力会社の言い分を信用するかしないかが原発差止訴訟の本質です。本質さえ分かれば何も難しい問題ではありません。

10 脱原発への展望 

2024年は1月1日の能登半島地震の衝撃から始まったといえます。震源地である能登半島先端部にある珠洲市やその西隣の輪島市では極めて多くの家屋が倒壊しました。隆起は最大5メートルにも及び海岸線が遠のいたことで、福井県の面積より狭かった石川県の面積が福井県を上回ることになったのです。そして、その震源地に珠洲原発が建てられる予定だったのです。もし、そこに珠洲原発が実際に建設されていたとしたら、福島原発事故を上回る事故となっていたでしょう。28年間にも及ぶ住民の粘り強い反対運動に感謝しなければなりません。

実はそれだけではなかったのです。元日の能登半島地震で一番強い揺れを記録した志賀町富来とぎ地区は志賀原発の当初の立地予定地であったのです。しかし、富来地区の住民の反対によって、富来から約10キロ南に現在の志賀原発が建設されたことが志賀町のホームページに紹介されています。富来では震度7でしたが、志賀原発の敷地では能登半島地震の揺れは震度5強にとどまったのです。それでも復旧に2年半を要するような被害を被ったのです。震度5強の上には、震度6弱、震度6強、震度7があります。震度7に襲われた富来に志賀原発が建設されていたら福島原発事故に続く悲劇は避けられなかったはずです。

一体我々はどこまで市民運動に助けられてきたのでしょうか、我々は一体どれだけ幸運に恵まれてきたのでしょうか、果たしてこの幸運はいつまで続くのでしょうか。政府や電力会社はそして我々もいつまで幸運に頼るつもりなのでしょうか。

多くの人が早期に我が国のすべての原発を止めて脱原発を実現することは極めて困難あるいは不可能だと思い込んでいます。しかし、私はそうは思っていません。

今日お集まりの多くの方々のうちのほんの一握りの人でも良いのです。その人が私の話を聴いて「原発の危険性」が分かったのなら、そのことをあなたの大事な人、二人に伝えてください。嫌いな人に伝える必要も、3人に伝える必要もありません。その際、「あなたも私の話が分かったのなら、あなたの大事な人二人に伝えてください」と言ってください。そうすれば1年以内に1億2000万人の人に伝わります。そのことをお願いして私の話を終わります。ご清聴ありがとうございました。

 

しました。隆起は最大5メートルにも及び海岸線が遠のいたことで、福井県の面積より狭かった石川県の面積が福井県を上回ることになったのです。そして、その震源地に珠洲原発が建てられる予定だったのです。もし、そこに珠洲原発が実際に建設されていたとしたら、福島原発事故を上回る事故となっていたでしょう。28年間にも及ぶ住民の粘り強い反対運動に感謝しなければなりません。

実はそれだけではなかったのです。元日の能登半島地震で一番強い揺れを記録した志賀町富来とぎ地区は志賀原発の当初の立地予定地であったのです。しかし、富来地区の住民の反対によって、富来から約10キロ南に現在の志賀原発が建設されたことが志賀町のホームページに紹介されています。富来では震度7でしたが、志賀原発の敷地では能登半島地震の揺れは震度5強にとどまったのです。それでも復旧に2年半を要するような被害を被ったのです。震度5強の上には、震度6弱、震度6強、震度7があります。震度7に襲われた富来に志賀原発が建設されていたら福島原発事故に続く悲劇は避けられなかったはずです。

一体我々はどこまで市民運動に助けられてきたのでしょうか、我々は一体どれだけ幸運に恵まれてきたのでしょうか、果たしてこの幸運はいつまで続くのでしょうか。政府や電力会社はそして我々もいつまで幸運に頼るつもりなのでしょうか。

多くの人が早期に我が国のすべての原発を止めて脱原発を実現することは極めて困難あるいは不可能だと思い込んでいます。しかし、私はそうは思っていません。

今日お集まりの多くの方々のうちのほんの一握りの人でも良いのです。その人が私の話を聴いて「原発の危険性」が分かったのなら、そのことをあなたの大事な人、二人に伝えてください。嫌いな人に伝える必要も、3人に伝える必要もありません。その際、「あなたも私の話が分かったのなら、あなたの大事な人二人に伝えてください」と言ってください。そうすれば1年以内に1億2000万人の人に伝わります。そのことをお願いして私の話を終わります。ご清聴ありがとうございました。

 

 

2024年11月16日 (土)

エッセイ 「認識不足だった泊原発訴訟の重大さ  反省から脱原発の市民運動へ」

Photo_20241116004401 朝日新聞地域報道部・通信部OBOG会原稿

地域取材・通信部思い出集(仮題) 2024年11月14日(木)

認識不足だった泊原発訴訟の重大さ

反省から脱原発の市民運動へ

業界紙、地方紙を経て朝日新聞に入ったのは1988年春。札幌報道部の道警グループ司法担当に配属された。司法記者クラブを拠点に札幌地裁と高裁、札幌地検と高検、各弁護士事務所を訪ね歩いた。裁判長忌避を特ダネにした「北海道じん肺訴訟」、各社に出し抜かれた「原野商法提訴」。「接見交通権訴訟」などに取り組んでいたことも思い浮かぶ。抜いたり、抜かれたりの日々。「君は特ダネ記者なのかね、それとも特落ち記者なのかねー」、整理のベテランにいじられたのもこのころだ。

 

札幌高裁では岡本健裁判長の判決を聴く機会がよくあった。その岡本裁判長が還暦を機に依願退官し、板前に転身し、居酒屋店主になった。1993年のことで、静岡に向かう新幹線の電光掲示板で知り、びっくり。「直接、人に喜んでもらえる仕事をしたくなった」という。著書に『今やらんとあかんのや』があるが、「そんな人生の選択もあるのだねー」と感心したことを覚えている。

 司法担当として、何よりも忘れられない裁判がある。「泊原発運転差し止め訴訟」だ。泊原発訴訟は北海道電力が泊村に建設中の1号炉(57・9万KW、加圧水型、1989年6月運転開始)の運転をやめさせようと、1988年8月31日に札幌地裁に起こした。1986年4月のチェルノブイリ原発事故のため、世界各地で反原発の機運が盛り上がっていた。2011年3月11日の福島第一原発事故以降、国内各地で原発訴訟が相次いでいるが、この当時、原発の運転差し止めを求めた民事訴訟はまだ珍しかった。

泊頑発訴訟は1120人が原告登録した。北海道から離れて7年目に釧路支局長へ。当時、快く企画取材に応じてくれた専修大北海道短大教授の森山軍治郎さん(2016年11月、74歳で死去)が代表原告5人のひとりだった。「泊原発の廃炉をめざす会」に寄稿した「遺稿」によると、弁護士を立てない「素人裁判」だった。それを思い出した。確かに、泊原発訴訟の取材では弁護団ではなく、特に世話になったのは、当時の札幌地区労議長(いや、事務局長だったか?)の重野広志さん(2007年8月、70歳で死去)だった。

泊原発訴訟のキイワードは「環境権」と「人格権」だった。それを鮮明に覚えている。原発がかなり危ういものであることは承知していたが、私も「安全神話」にからめとられていたことは否めない。ドキュメンタリー映画『10万年後の安全』で描かれているように原発の放射能汚染は気の遠くなるような後世代までそのつけを負わせてしまうこと、原発事故が起これば、社会のシステムが転換してしまう途方もない破壊と被害をもたらすことなど。振り返ると、泊原発訴訟が問いかけたそうした重大さについての認識が不足だったと言わざるを得ない。

その反省と市民団体取材の経験から「定年後は市民運動へ」と決めていたこともあり、3・11後に発足した超党派の市民団体「さよなら原発!日光の会」(会員約100人)の代表を引き受けた。もう12年も続く。東海第二原発の現地視察に貸し切りバスで行ったことがあるが、車内で「泊原発訴訟の取材を担当したが、今思うと、原発問題に対する姿勢の甘さがあった。その反省からこうした脱原発運動へ」。そのように伝えたが、その思いは今も変わらないー。

提訴に立ち合った泊原発訴訟は1999年2月、札幌地裁が原告側請求を棄却し、敗訴に終わった。しかし、2011年11月、1201人が泊原発の1号~3号炉の運転差し止めや廃炉を求めて札幌地裁に提訴。つい2022年5月31日、同地裁は「原告らの人格権が侵害されるおそれがある」として、運転差し止めを命じた。舞台は札幌高裁に移っており、私の脱原発運動の原点とも言える泊原発訴訟はまだ継続中だ(富岡洋一郎)。

 

2024年11月11日 (月)

たくさんの観客が「素晴らしい映画でした」と   ドキュメンタリー映画「モルゲン 明日」日光上映会

10月26日(土)に日光市中央公民館中ホールで開いたドキュメンタリー映画「モルゲン 明日」(坂田雅子監督 上映時間71分 2018年制作)日光上映会(無料)には日光市民など45人が参加した。上映アンケートに26人が回答を寄せてくれたが、「素晴らしい映画でした」、「予想以上に中身が詰まった映画でした」とか、「もっとたくさんの人たちに観せたい」という異口同音の声が何人から寄せられた。

それもそのはず。上映終了後に会場のあちこちから拍手が沸き起こっていた。私もそうだが、観た人たちの大半が原発ゼロを決めたドイツを描いた「モルゲン 明日」に感動していたようだった。それが上映アンケートでも示されていた。アンケート結果を以下に紹介します。Photo_20241116204601

2024.10.26 映画「モルゲン明日」(日光市中央公民館中ホール) 

アンケート結果 (回収 26通)注、複数回答や未回答あり

   1 講演会を知った方法

        会の送付チラシ        

        個別配布チラシ        

        ウェブサイト         

        新聞記事           

        知人の紹介          

        その他 5(新婦人1、市広報1、生協2)

   

   2 映画の難易度

           よく理解できた         13

           ほぼ理解できた         10

           あまり理解できなかった    1

           難し過ぎた          1

           物足りなかった        0

           その他            0

 

3 映画の内容

        大変参考になった      11

        参考になった        12

        あまり参考にならなかった   1

        つまらなかった        0

        その他            0

 

   5 原発は今後どうすべきか

           すぐにでも廃止       15

           再稼働せず徐々に依存度減   6

           原発は必要、再稼働すべき   0

           その他            2

      

   6 1123日のパレードに

           参加する           8

           参加したいと思う       3

           今回は参加しない      12 

4 感想、意見  

・ドイツのメルケル首相は素晴らしい。地震大国・日本に原発は要らない。将来が不安である。

・このことについてしっかり勉強したことがないので、どうすべきか学び考えていきたいと思った。

・福島の原発が片付くこともできないのに、また再稼働しようとする日本にがっかりしている。映画はとても良かった。

・ドイツの運動のダイナミックさに圧倒された。個人の意思を表明するという民主主義の根本が根付いていて、その点で日本の遅れを感じさせられた。

 ・こんな重要なことを一部の科学者に任せているなんて。一人一人の認識 子供達への教育…13年たっても何の解決もできないフクシマ。多くの人に見て欲しい。

・市民の力、政治の大切さが強調された素敵な映画でした。貴重な機会をありがとうございました。

・素晴らしい!たくさんの人に観てもらうにはどうすればいいのか?

・原爆被災者の会がノーベル賞を受賞しました。継続は力を示しました。一人一人の力は小さくとも、合わされば大きなエネルギーを発揮する証明ともなりました。              

・やはり「廃炉の問題」はドイツでもとても大変だと思った。「廃炉の問題」ができるようになるまで、再稼働は許せない!!

・感動した。意見交換の時もその余韻にしたっていたが、映画とも原発とも関係ない発言が長々と続いて一気に冷めたのが悔しい。

・ドイツの原発廃止までのプロセスに関心があったので、概ね知ることができたので良かった。では私たちはどのように倣えるか?もっともっと多くの市民が自覚し行動に移ることを願います。市民活動が弱い日本?でどのように動いていけるか?

・とても感動しました。感謝してます、特に坂田監督へLOVE

・もっと大勢の人に観ていただく方策を何とか。

・ぜひ多くの皆さんに観ていただけるようなき機会を作っていただけたらと思いました。

・予想以上に中身が詰まったすばらしい映画だと思った。

・とても良かった。

・たいへん考えさせられる映画でした。

                  参加者年代          

         40代 2

         50代 1                 

         60代 3             

         70代 9                

         80代 2              

                                          

         

 

60年以上も前から原子力の危険性を言及していた  「沈黙の春」のレイチェル・カーソン  

「沈黙の春」で名高いレイチェル・カーソンが原子力の危険性について言及していたー。というには、初めて知りました。t留学者・ハイデッガーが原子力の、核の危険性について早くから語っていたというのは、承知していたが、環境問題で名高い官女も。Facebookで流れていので、すぐにシェアしました。その高木道郎さんの記事を下記に示します(高木さんにはBLOGにもアップしたことを伝えます)。

1960年代に環境問題を告発したアメリカの生物学者がいました。
環境問題・環境保護といった思想は彼女からはじまりました。
レイチェル・カーソンはすでに原子力の危険性についても言及しています。
✿「放射性物質による環境汚染は、あきらかに原子力時代と切り離せない側面です。それは核兵器実験ばかりでなく、原子力のいわゆる「平和」利用とも切っても切れない関係にあります。こうした汚染は、突発的な事故によっても生じますし、廃棄物の投棄によっても継続的に起ってもいるのです。私たちの世界に汚染を持ちこむという問題の根底には道義的責任——自分たちの世代ばかりでなく、未来の世代に対しても責任を持つこと――があります。まだ生まれていない世代にとっての脅威はさらに計り知れないほど大きいのです。彼らは現代の私たちがくだす決断にまったく意見を差し挟めないのですから、私たちに課せられた責任は極めて重大です」(by レイチェル・カーソンの遺言/上遠恵子訳)
✿「1963年(亡くなる前年)10月、カーソンは、サンフランシスコでのシンポジュウムで「環境の汚染」という講演をしています。化学物質による汚染ばかりでなく、放射性物質による汚染について警告を発しています。54年(現在からだと61年)も前の警告は、原発事故を経験した現在にも迫ってきます」(by 上遠恵子/レイチェル・カーソンの翻訳者&研究者)
はじめて読んだレイチェルの作品は『潮風の下で』でした。
✿「その島は、静かに忍び足で東の入江をよぎってきたたそがれよりもほんのわずか深い影に包まれていた」
という書き出しは、すぐに私を夢中にさせました。
彼女が描いてみせる海のなんと豊かで繊細なことでしょうか。
海で展開されるさまざまな生き物たちの物語。
しかし、そういう海の物語を紡ぐうちに
彼女はそんな素晴らしい世界が危機に瀕していることを知り
当然のなりゆきのように環境問題という新たな課題に向き合ったのです。
あまり知られていませんが
彼女が未来の環境問題として懸念していたのが放射能汚染でした。
そして、不運にも彼女の予見は的中してしまったのです。
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2024年11月 9日 (土)

「原発政策、いまこそ転換」「政策転換、再エネ推進」  栃木アクション2024まであと半月ですー

さようなら原発!栃木アクション2024まであと半月ー。11月23日(土)13時~宇都宮城址公園。メインスピーカーに樋口英明元福井地裁裁判長。14時~宇都宮市内2・2キロの脱原発パレードへ。「原発政策、いまこそ転換」、「政策転換、再エネ推進」、「原発廃炉、今すぐ廃炉」等のコールで。 Photo_20241109223401 Photo_20241109223402

2024年10月31日 (木)

1973年のオイルショックから始まった原子力大国   「フランスで原子力はなぜ受け入れられたか」

10月26日(土)に日光市中央公民館中ホールであったドキュメンタリー映画「モルゲン 明日」上映会後に開いた「意見交換会」。そこで「ドイツの隣国、フランスはなぜ原発大国なのか?」という質問があった。「核保有国だから」、「巨大電力会社があるから」、「チェルノブイリ原発事故の被害がほとんど及ばなかったから」など、いくつかの説明があったが、どうも包括的ではなく、説得力も今ひとつ。このため、ネット検索したところ、いくつかの論考を見つけた。そのひとつが「フランスで原子力はなぜ受け入れられたのか」。少し古い2016年4月18日の記事だが、「確かになるほどねー」と思えることが。。BLOG「霧降文庫」に転載させてもらおうと思いますー。

(以下は、GEPR編集部からの記事です)

フランスで原子力はなぜ受け入れられたのか

2016年04月18日 14:00



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(写真)フランスの農村地帯にあるシボー原発

原子力に対する懸念と批判は世界的に著しい。それは福島事故を起こした日本だけではない。どの国も容認はしているが、全面的な賛成が多数を占めない。ところがフランスは全発電量の4分の3を占める原子力大国で、その政策に世論の支持がある。

なぜ可能になったのか。フランスの政策を紹介した興味深い文章を紹介したい。米公共放送のPBSのディレクターコラムだ。日時は明示されていないが、おそらく2001年頃の古いものと推定される。総じて現状は変わらないが、福島原発後、オランド社会党政権は原発の割合を近日中に50%以下に下げる目標を掲げている。また核廃棄物の処分場も、フランス北東部のピュールに決まったが建設は難航している。(毎日新聞記事「最終処分場計画で苦悩するフランスに重なる明日の日本」

フランスは科学者の権威が強く、国民の冷静さも影響した。ただし後半で示されるように、核廃棄物の処分の問題ではもめている。日本にも参考になるだろう。

(以下抜粋)

フランスはなぜ原子力エネルギーを好むのか

PBS(サイト)

シボー原発が稼動すれば、フランスでは56の原子炉が動き発電の76パーセントを担うことになる。(訳者注・2002年に同原発は稼動)

アメリカとは違ってフランスでは原子力発電所エネルギーが受け入れられている。シボーの人は、誰もが、選ばれたことを喜んで、懸念を示さなかった。原子力発電所は、仕事と富を運んでくる。

フランスの原子力活用の政策は、1973年の中東から始まったオイルショックにさかのぼる。OPEC(石油輸出国機構)諸国が、原油の値段を4倍にした。当時のフランスは大半が石油で、化石燃料はなかった。

歴史上最も包括的な原子力エネルギーの促進計画が立案され、実行された。次の15年間でフランスは56の原子炉を建設し、電力需要を担い、他の国に電力を輸出するまでになった。しかし、驚くべき事に後述する一つのことを除いて、激しい反対はなかった。なぜだろうか。

フランス人の科学への敬意

フランス・エネルギー省のクロウド・マンディル事務局長は三つの理由を挙げた。

第一に、フランス人の独立志向だ。移ろい安い他地域、特に中東諸国の石油に依存することはフランス人に耐えがたいという。フランス人に聞くと、誰もが「石油がなくガスがなく石炭がなく、そのために選択肢がないからだ」と即答するそうだ。

第二に、文化的な要因がある。フランスは、巨大な集権的プロジェクトを歴史的に好む。という。「原子力が好きなように、高速鉄道や音速ジェット機をフランス人は好き」という。その結果、技術者や科学者の社会的地位が高く、米英で弁護士が行政やビジネス界で多いように、理系教育を受けた人が行政機関など、さまざまな場で活躍している。

第三に、フランス政府、関係諸機関が、原子力のリスクと同様に経済的利益があることを強調し、人々に利益を認知させたことにあるという。広告の機会は多く、フランスの原発は市民を見学に誘い、年600万人が訪問する。

その結果、どの世論調査でも3分の2の人が原子力発電の推進を強く支持している。ただし心理学者の調査によれば、米国と同じように、フランスの市民も原子力に関して同じように不安など否定的な印象を持っているが、文化的、経済的、政治的諸要因で、政府の推進政策を支持する結果になっているという。

シボーの市民に話を聞くと「原子力には特別な技術が必要だ。チェルノブイリ事故を起こしたロシア人は責任を果たしていなかった」「確率の上ではダムでせき止められた川の流域の方が危険だ」(フランスの水力は12%)という答えが返ってきた。

使用済み核燃料問題のつまずき

しかし、使用済み核燃料問題の処理問題はうまくいかなかった。フランスは核燃料サイクル政策を採用し、その減容とプルトニウムの利用を考えた。高レベル廃棄物の量は、4人家族が20年生活したとして、たばこ一本分の容積にすぎない。官僚たちは70年代、簡単に処分場の候補地が見つかると考えていた。「原発を作ることは誇りに思われたが、処分丈は拒否された。経済的利益はあまり考慮されなかった」という。

議会と行政府は相談し、1990年国会内に特別委員会をつくり解決を委ねた。モーリス・バタイユ議員が委員長になった。「フランスはアングロ・サクソン系の国と違って行政府の権威が強い。行政が議会に依頼するということは、問題解決の手がなくなったということだった」とバタイユ氏は言う。

バタイユ氏は反対派と話し合い、官僚達が間違っていることを理解した。官僚達は、補助金を払い、説明すれば、解決すると思っていた。しかし反対は感情的なものだった。

「フランス人にとって大地に埋めるということは、感情的で、神話の世界にまでさかのぼるような拒否感を生んでいた。地下は死者を埋葬する場所であり、神聖な意味を持っていた。土壌と地球を汚すようなイメージを、反対派は抱いていた」という。

官僚達は「永久に埋める」という言葉を使い、そうしようとしていた。バタイユ氏はその言葉を使わず「処分地」を「保管地」と言い換え、「一時的に置き」また「将来は取り出せることが可能」という形にした。

この変更は感情的なものではないという。最終的な手を離すという事ではなく、いつでも取り出せるようにして、政府の関与を明確にした。また100年以内には、核廃棄物の放射能を減らす技術も開発される可能性があるとされるためだ。そしていくつかの実験施設をつくってデータを集め、2006年までに最終処分地を決める予定だ。もし決まらなければフランスの原子力促進政策は止まってしまうと、関係者は述べた。

(翻訳・構成 石井孝明)

(2016年4月18日掲載)

 

2024年10月25日 (金)

日光で26日(土)14時~「モルゲン 明日」上映会   原発ゼロのドイツを描いたドキュメンタリー映画

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●このところ、身辺が忙しく、宣伝がおろそかになっていたので、遅ればせながらー。あす26日(土)14時~日光市中央公民館中ホールで。原発ゼロを決めたドイツを描いたドキュメンタリー映画「モルゲン 明日」上映会があります。2018年制作、坂田雅子監督、上映時間71分。無料。主催「さよなら原発!日光の会」、後援「さようなら原発!栃木アクション」、日光市、日光市教育委員会ー。


●原発をめぐって、各党の主張は推進から廃止まで大きな幅がありますが、ご承知の通り、ドイツは福島第一原発事故の教訓から、原発ゼロを決めました。そして、実際に昨年2023年4月15日に原発ゼロを達成しています。今は風力、太陽光、バイオマスなどの再生可能エネルギーの拡大に取り組み、国際環境NGO「Foe Japan」の今年5月1日の報告によると、現在ドイツは、発電量の再生可能エネルギーに占める割合は60%近くになっています。2030年には80%へ、2035年には再生可能エネルギー100%を目標にしています。

●逆に福島第一原発事故で手痛い目に遭ったにもかかわらず、日本は、これまでの原発抑制から原発推進へ大きく舵を切っています。ドイツの脱原発の道は「長い歴史」があることは知られておりますが、日本との違いには何があるのか、このドキュメンタリー映画で学びたいと、「さようなら原発!栃木アクション」幹事会で選定し、県内7会場で五月雨式に上映会を開催しています。日光会場もそのひとつです。11月23日に宇都宮城址公園に集まり、脱原発を呼び掛ける第9回の「さようなら原発栃木アクション2024」がありますが、その本番に向けたプレ企画の位置づけです。

●「モルゲン 明日」についての印象的なコメントをひとつ紹介します。それは「モルゲン 明日」公式㏋に掲載されている、弁護士で映画監督の河合弘之さんのコメントです。iいかに貴重なドキュメンタリー映画であるか、わかるコメントです。以下ですー。

「涙が出ました。感動の涙と悔し涙です。私の映画『日本と原発』、『日本と再生』で描き得なかった前史(ドイツの脱原発、自然エネルギーの)と、未来図(使用済核燃料の処理、自然エネルギー100%への展望)が描かれています。日本とドイツの違いがよくわかりました。しかし、私たちも、近い将来、ドイツに追いつけると思います

 

2024年9月25日 (水)

会報「げんぱつニュース第51号」を印刷ー     映画「モルゲン 明日」告知などA4版12頁

9月25日(水)は、「さよなら原発!日光の会」の会報「げんぱつニュース第51号」の印刷や整理、宛名づくりなどで丸一日を費やした。A4版12頁。あす26日(木)に発送作業、27日(金)に発行という日程だ。日光市民活動支援センターの印刷室で輪転機を使い。計150部。A3版一枚に4頁を印刷するので、一部はA3版3枚でできあがる。その150倍なのでA3版を450枚を使ったことになる。印刷代は900円もしないー。

 

印刷室での作業はだいたい1時間ぐらい。印刷が高速なので、手早く刷り上がる。それを紙折り機で折り込んで終了。いつもはトナーが使い終わったり、コピー用紙が印刷機に詰まったり。けっこう作業を中断することがあるが、きょうはそんなトラブルもなく終えた。市民活動支援センターの担当者はふだんからのともだちだったので、コーヒーに呼ばれながら、スマホのラインの手ほどきを受ける時間も。自宅に戻り、3枚のA3版を順番に入れ込んで完成させた。ただし、会報の宛名のチェックに時間がかなりかかり、結局、午前零時までかかってしまった。

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2024年9月21日 (土)

11月23日(土)宇都宮脱原発パレード、本格的呼びかけ    「栃木アクショ2024」本番チラシ4万枚を配布へ

Photo_20240921202501 脱原発を呼びかける「第11回 さようなら原発!栃木アクション2024」(11月23日・土曜日、実行委主催)。そのフライヤーが完成し、本日9月21日(土)、実行委員会に参加する各団体に手渡された。いよいよ、宇都宮城址公園に集い、13時から集会を開き、14時から宇都宮市内をパレードしながら、脱原発を呼びかける秋恒例の脱原発イベントが本科的にスタートする。


今回のフライヤーは栃木アクションの「本番チラシ」と呼んでいる。本番のプレ企画として、脱原発を決めたドイツを描いたドキュメンタリー映画「モルゲン 明日」上映会を9月中旬から11月上旬まで栃木県内7都市で開く。このプレ企画でも総計4万枚をつくったが、この「本番チラシ」も4万枚を印刷している。

 

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