『一外交官の見た明治維新』(アーネスト・サトウ) 読んでいたと思っていたが、いやはやこんな大事な本なのに考えたらまだ読んでいなかったー。これはぜひものだと。いずれ日光図書館経由で借り出そうと思う。
幕末の日本に、好奇心や冒険心が強く、何より人の懐にすっと入り込む青年外交官がいた。英国外務省から派遣されたアーネスト・サトウ(1843~1929)である。彼が晩年に書いた回顧録「一外交官の見た明治維新」は、読者をあの時代に連れて行ってくれる。
■アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』(1921)
サトウはロンドン生まれ。日本の「佐藤」とは関係がなく、欧州大陸系の姓だという。日本に興味を持ったのは全くの偶然からだ。兄が借りてきた本にあった日本の記述に魅せられ、外務省の通訳生に応募した。
1862年に日本の地を踏んだときはまだ19歳だった。来日して6日目に、薩摩藩士による英国商人の殺害、すなわち生麦事件が起きる。そこから先は通訳として、薩英戦争、四国艦隊下関砲撃など多くの重要事件の現場に居合わせた。
事件を描くサトウの筆致は、まるで冒険活劇だ。生麦事件の賠償を求めるため、鹿児島湾に赴いた英国の軍艦に、40人ほどの薩摩藩士たちが乗り込んできた。彼らは交渉団ではなく、暗殺団だった。〈領主と惜別の盃(さかずき)を交わしてからやってきたのであり、イギリスの官人を不意打ちしてできるだけ多くを手にかけ、特に重要人物を殺すつもりであった〉(鈴木悠訳)。暗殺の企ては成就しなかったが、賠償交渉も進まず、号砲が突然鳴って戦闘が始まった。
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英国人たちが薩摩の船から略奪を働いた場面も、隠さず描いている。〈我々は一斉に押収した船へと殺到し、掠奪(りゃくだつ)をはじめた。私は日本の火縄銃と黒い円錐(えんすい)型の軍帽(陣笠)を持っていったが、軍人の一部は一分銀や二分金などのお金を発見した〉
「それまでの日本にはなかったリアリズムの文体です。サトウが船に乗っていなかったら、薩英戦争で何が起きたのかを、こんなに迫力ある文章で読むことはできなかった」。そう語るのは作家の辻原登さんだ。歴史小説「陥穽(かんせい) 陸奥宗光の青春」(日本経済新聞出版)で、サトウの回顧録を資料の一つとして用いた。
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小説でサトウは、主要人物の一人にもなっている。陸奥と議論し、伊藤博文とテーブルを囲む。「サトウも若かったが、陸奥や伊藤も若かった。彼らが出会うことで歴史が動く。サトウの回顧録がなかったら、小説の組み立ては難しかったかもしれません」
優れた回顧録は、時代の空気をそのまま伝えてくれる。全編を貫くのは、当時の日本に吹いていた攘夷(じょうい)の嵐だ。
サトウは、すべての武士が血に飢えていたわけではない、としながらも、彼らの恐ろしさを書いた。〈ひとたび日本人が外国人を血祭りにあげると決意したときには、その仕事がかなり手際よく遂行されたということも事実である〉。ときに拳銃すら役に立たないのだと。
サトウにも2度、危険が降りかかった。1度目は旅の宿に「蛮族を出せ」という者たちが剣を手に現れた。同行者が追い払ってくれたが、2度目は本当に襲撃された。戊辰戦争のさなか、公使パークスに従い、天皇謁見(えっけん)へ向かう途中で襲われた。護衛の侍が何とか斬り伏せた。
明治維新史が専門の町田明広・神田外語大学教授は「当時の日本人は、基本的にみなが攘夷派でした」と言う。ただ、それは二つの路線に分かれており、通商条約をすぐに破棄して外国人を追い出す「即時攘夷」と、当面は貿易で力を蓄え、後の攘夷に備える「未来攘夷」があった。軍事力の差を見せつけられてからは未来攘夷が優勢になるが、下層の武士たちは違った。「外国人は斬るべきだという狂信的な人たちはいなくならなかった。理論でなく感情としての攘夷は、通商条約に天皇の勅許が出てからも存在した」
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読んでいてやや鼻につくのが英国人たちの尊大さだ。艦隊を見せつけ、日本人に恐怖を与えることを当然とする。町なかで声を張り上げ、西洋人の威厳を示す。軍事力を背景にした「砲艦外交」の一断面であろう。
「技術力、軍事力がこれだけ違えば、上から目線になるのも当然だ」と町田さんは言う。サトウも最初はそうだったが、日本人と付き合うなかで変わっていったという。「たまたま鎖国があったから西洋に遅れたが、すぐに追いつくだろうと考えるようになった。それはサトウに限らず、当時の西洋人一般に言える。日本は最大のパートナーか、さもなければ最大のライバルになると多くの人が考えた」
歴史はまさにその道をたどった。日英同盟を経て、日本は対米英戦争へとなだれ込んだ。それは形を変えた攘夷だったのかもしれない。(有田哲文)
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戦前は検閲により完全な翻訳がなく、1960年に岩波文庫の坂田精一訳が出て、広く読まれるようになった。2021年に鈴木悠の新訳が講談社学術文庫から刊行された。サトウの評伝としては、萩原延壽(のぶとし)著「遠い崖――アーネスト・サトウ日記抄」(全14巻)がある。
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