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「霧降文庫」

2024年9月14日 (土)

♪昔の名前で出ています♪を思い出したー   10年前の「霧降文庫」、facebook提供  

きょう9月14日(土)、facebookを開いたら、自動的にアップされているだろう「思い出」のページが飛び込んできました。眺めると、10年前の古書店図書室「霧降文庫」(日光霧降高原)のウッドデッキの書棚をチェックする常連のともだち二人の様子だった。10年後、2024年秋の今もこの光景はそのままです。まるで「時がそのまま」といった思いがしました。                                                  

10年前のこのとき、特集「懐かしい未来に向けて」を組んでいたようだ。書棚には、民俗学者・宮本常一に分け入った「旅する巨人」、佐藤優と確か鎌倉孝夫だったか、その対談集「マルクス」、大友克洋の名作コミック「気分はもう戦争」(今も私の居間には「気分はもう戦争」の大ポスターが貼られています)ーそれに「沖仲士の哲学者」で知られるエリック・ホッファーの「魂の錬金術」などがある。                                                 

それがわかるが、いずれも、古書ファンが買い求めており、今は手元にありません。ふと、なぜか?、「♪昔の名前で出ています♪」-という歌謡曲のフレーズを思い出した(笑い)そうそう、「霧降文庫」は今も土日祝日オープン(正午~夕方、ときどき「臨時休業」しますがー)。さぁ、「読書の秋」本番へ。霧降高原へどうぞー。

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2024年9月 8日 (日)

8日(日)の「霧降文庫」は臨時休業ですー   宇都宮の甲状腺エコー検診視察で

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2024年9月 5日 (木)

印象深い三四郎を論じた「漱石の悲しみ」   18の講演を編んだ『司馬遼太郎 全講演 4』

いよいよ「司馬遼太郎 全講演4 1988ー1991」(朝日文庫)を手にPhoto_20240905214701 。初版は2003年、手にしているのは2011年第5版。411ページあるが、講演とあってすらすらと。「ポンペ先生と弟子たち」、「義務について」、「秦氏の土木技術」、「新島襄とザヴィエル」など18の講演がある。中でも「漱石の悲しみ」が特に印象深い。その一節ー。「漱石の本領はやはり、晩年の作とか、『三四郎』でしょう。明晰な文体で書かれ、しかも退屈しない。『三四郎』は非常に高度な文学であるという意味で申し上げたのではありません。しかし、『三四郎』というのは、いま読んでもおもしろうございますー」。

 

「三四郎」でよく知られる会話も。熊本から東京に行く列車の中で、「日本はどうなるんですか」と三四郎が聞くと、広田先生(第一高校教授)は「滅びるね」と言う。その下りもあるが、「そうか」と思ったのは司馬の「三四郎」評価。「三四郎」について、「よくこの時代にこういう明るくて、しかも意味がよくわかる、そして人間の何事かまで迫る文章を書けたと思います」と。確か若いときに「三四郎」は斜め読みしているが、「人間の何事かまで迫る文章」だと思って読んでいるわけではない。それもあり、この講演に促されるように、今でも手軽に手にできる「三四郎」を再び読みたいなと〰️

2024年8月19日 (月)

鋭く歴史に切り込む新刊新書「大東亜共栄圏」   「日ソ戦争」など三冊の新書を同時に

たまたま三冊の中公新書の読書を同時にスタートさせた。いずれもTwitterにアップされていた「読書案内」に触れて。ネット本屋「本やタウン」経由TSUTAYA今市店で入手した。最初に今春4月25日発刊「日ソ戦争」(麻田雅文)、さらに2022年7月発刊「大東亜共栄圏」(安達宏昭)へ。

とくに「大東亜共栄圏」は3分の2まで読んだところだが、泥沼の戦争が続く中国との外交交渉やフィリピン、ビルマなど、東南アジア各地域の独立問題などについての重光外相と東條首相の考え方などをめぐる論述が興味深い。すでに鋭く歴史に切り込む労作だという印象があるが、最後まで読み通してからきちんと評価したい。

さらに初版は1995年夏だが、今春再刊された「オッペンハイマー」。評判の映画を観たいと思っているが、なかなか機会がないので、ともあれ本だけでもと。どれも第二世界大戦、満州、太平洋戦争、核、原爆、ポツダム宣言に絡んだ軍事本。今年もやってきた暑い八月の空気とウクライナ戦争、ガザの戦闘がこうした軍事問題に向かわせているのかどうか?さらに出版元はどこか知らないが、「ナチス前夜」という魅力的なテーマの新書が発刊されているはず。これも近く手にしたいー。 455654556_7928940133901431_5413068805422

2024年8月15日 (木)

カナダからやってきた小6の孫娘に「旅のラゴス」を推薦    「どくとるマンボウ青春記」や「伊豆の踊子」などをプレゼント

カナダで暮らす娘が小6と小1の姉妹を連れて、夏本番の日光霧降高原へ。上州に暮らす姉夫婦と合わせて5人が一台のマイカーで。日光の「天然かき氷」を味わってから我が家へ。昼飯に定番の「ざるうどん」と自家製「コロッケ」をふるまった。小6の長女が最近、父親に勧められて「二十四の瞳」の映画を観て、本も読んだという。その流れで私の愛読書「旅のラゴス」(筒井康隆)をプレゼントしようとしたが、あいにく書棚になかった。なので、ぜひ、いつか読んで欲しいと伝えたうえ、「どくとるマンボウ青春記」(北杜夫)、「遠野物語」(柳田国男)、「伊豆の踊子」(川端康成)の3冊を贈った.その夜に「旅のラゴス71bjkgqp1l_ac_uf10001000_ql80_ 20201220194635695719_502fd357b80a2867b25 M86998584577_1 」を買い求めたという連絡があったー。もっとも題名を「聞き違えたようで、連絡からは「旅のロゴス」と書いてきたが(笑い、確かにロゴスのほうがわかりやすいがー)。それにしても、一番読んで欲しかったのは「旅のラゴス」。高度な科学の世界がいつか変わり、「空間転移」などの超能力も発揮できるいわば懐かしい別の世界が舞台。その世界を南から北へ旅する青年ラゴス、その彼が、あるときは旅人して、あるときは奴隷に、あるときは王国の王様になる。あるいは学者になり、探検家にもなっていくー。学びながら、何かを求めていく過程で有為転変のさまざまな人生経験を重ねていく。それをぜひ味わって欲しいなとー。

2024年8月12日 (月)

「自らの分身を彼女は殺した」   「田中美津さんを悼む」に過去記事を思い出した

きょう12日の朝日新聞「文化」面で上野千鶴子さんが「ウーマンリブって?田中美津さんのことよ 田中美津さんを悼む」という記事を寄稿していた。見出しは「思想に与えた肉声 女の自由を求め日常で戦った」ー。そこに彼女の足跡について、こんな紹介もしている。


「連合赤軍のアジトに行ってそこから引き返した。『永田洋子はわたしだ』と宣言して、連赤裁判の傍聴に足を運んだ」

その田中美津さんと連合赤軍、永田洋子について、ずいぶん昔にBLOGに書いたことを思い出した。調べてみると、なんと、13年も前の2011年3月5日だった。東日本大震災・福島第一原発事故の直前だ。その冒頭を引用してみると、いかに田中美津の視点が優れていたか。上野千鶴子さんもいかに田中美津に共感していたかもさもありなんと。

(以下は「霧降文庫」から抜粋)
2011年3月 5日 (土)
「自らの分身を、彼女は殺した」 永田洋子死刑囚の死について

田中美津の「女でありすぎた彼女」。「彼ら京浜安保共闘はその後、観念に手足をつけたようなマッチョな『赤軍派』と合体し、『連合赤軍』となる。そして合体相手の自称革命家の男たちに認められたい一心で、永田は完璧に、政治的に革命的に振舞おうとした。そんな<どこにもいない女>として生きようとした。彼女はおのれ以上に「ここにいる女」の匂いを漂わせる8カ月の身重の女を、アクセサリーに執着する女を粛清せねばならなかったのだ。そう、彼女は男並みを目指すには『女』でありすぎたのよ」

 この文は、ウーマンリブの中心的活動家だった田中美津のコラム「永田洋子死刑囚の死に 女でありすぎた彼女」(2月25日・朝日新聞夕刊)の最後の部分だ。このコラム全体について、「一級品の小説と言ってもよい」と、評価しているブログ「食うために生きるー脱サラ百姓日記」があるが、私もそう感じている。とくに彼女の結びのワンフレーズは、すごいと思った。感覚と分析と論理が、ひとつの言葉に凝縮されている、それを思わせる。結びはこうだ。

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2024年7月29日 (月)

もし自由に資料を集めさせ、自由に「日露戦史」を書かせていたらー  『司馬遼太郎全講演3』「小村寿太郎の悩み」

司馬遼太郎全講演(全5巻)の(1)、(2)、(3)巻まで読んだが、さすがに繰り返すような話が出始めてきているのを感じた。それもあり、(1)巻のときのようなある種の知的興奮はかなり薄れてきている。それでも各巻とも、「おや、これは知らないぞ」「こんな解釈もできるのだね」というところはところどころに。きょう7月29日(月)に読み終えた(3)巻で言えば、「記録」の大事さについて。東日本大震災や福島第一原発事故について、「もうそんなことは知りたくもないし、聞きたくもない」「そんなことを知ってどうなるのか」「記録を伝えることでどんな役に立つのか」といった趣旨のことを話すことを聴いたからなおさら。以下の司馬遼太郎の文章を紹介しておこうと思った。(3)巻の「小村寿太郎の悩み」について。ご存じのように小村寿太郎は米国のポースマスでロシアのウィツテとの講和会議に臨み、「貧しい講話」を結んだ。それについての講演だ。司馬のこの見方が正しいかどうかはやや疑問符もつく。ただ、司馬的な情報把握、事実確認、歴史判断は必要だろうと思わせる。

 

全講演(3)によると、日露戦争について、日本陸軍は全10巻の「日露戦史」を残している。参謀本部の編纂だ。「あれはいくらですか」と聞いたら、その当時の雑誌一冊の値段だった。番頭さんは「あれは紙くず同然でして」と言っていた。税金でつくった本だが、それもそのはず、内容は「土木工事の日記のような記事。価値観は何にもない」と書いている。そのうえで以下のように話したという。 

もし資料を自由に集めさせ、自由に日露戦史を書かせたならば、私は太平洋戦争は起こらなかったと思っています。なけなしのポケットマネーで日露戦争をやり、きわどいところで勝ったとはいえ、しょせんロシアにとっては辺境での出来事です。ポースマス条約は、たしかに戦勝国としては考えられないほど貧しい条約でした。賠償金もロシアは出すつもりはなかった。文句があるならもっとやるぞというのがロシアの姿勢で、あれが限度でした。そのことが書かれていれば、日本は太平洋戦争のようなことはしなかった。国民はだまされてましたね(略)小村寿太郎は精一杯やって、しかし、小村寿太郎は日本を出るときに覚悟していました。帰ってきたら家は焼かれ、石を投げられるだろうと。なぜかと言えば、新聞その他が国民を煽っていたからでした。この戦争は大いに勝った。だから、ロシアから領地をふんだくれ。樺太のみか沿海州もまでふんだくれ。賠償金は何億ドルもらえる。これを言ったのは、東京大学法学部の6人と学習院の教授であります。これを新聞が書き、民衆が踊る。7人の扇動者は何の資料も持たずに、これだけのものが取れる、これだけのものをロシアがノーと言うなら、もっと戦争を継続せよという決議案まで政府に提出した。それをまた新聞は載せる。民衆は何も情報を持っていませんから大騒ぎとなり、そんな状況にあって小村寿太郎は貧しい講話条約を締結した。その締結の日、日比谷公園で大会が行われて、そのあたりは火がつけられました。内相官邸も襲われました。民衆のパワーですね。私はこう考えています。日本の帝国主義はこの瞬間から始まった(以下、略)20231112160528090586_fc517236d717431a0b2

2024年7月27日 (土)

追いかける店主から盗んだ魚を抱えて必死に逃げる子猫    『アタゴール物語』の「ヒデヨシ」を思い起こしました

9784594095048 わっはっは 加工しているだろうが、それでも笑えるー、漫画家・ますむらひろしの「アタゴール物語」の主人公となることが多いとんでも猫というか、エネルギーいっぱい、「マグロ泥棒」の場面がひんぱんに登場する「ヒデヨシ」を思い起こしたー。そういえば、しばらく「アタゴール物語」に触れていない。たまには無茶苦茶なヒデヨシの性格、言動が憎めないその物を手にしないといけないかも。確か、最近は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を描いているはずだがー。facebookともだちがアップしていたのを、拝借した泥棒猫の画像です~。

 

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2024年7月25日 (木)

勝ち負けが同じになったところでゲームセットー   『レヴィストロース講義ー現代世界と人類学ー』

かなり長く積読だったこの本、『レヴィストロース講義ー現代世界と人類学』(平凡社ライブラリー)。2005年初版。レヴィストロースが招かれて、1986年4月15日、16日、東京で3回の講演をした。その講演と質疑応答を収めている。最初は1988年に「サイマル出版会」が発行したようだ。それから17年後に平凡社が改めて発行している。そうか、考えたらこの講演からもう40年近くも経っているのかーと驚くことしきり。というのも、内容は今読んでも新鮮だからだ。レヴィストロースの有名な『野生の思考』『親族の基本構造』は、難しいのでいつも途中で挫折しているが、この講演は意外とすんなりと読むことができた。特に印象的だったのが、第二講「現代の三つの問題ー性・開発・神話的思考」の「未開人はなぜ開発を拒むのか」。その中にある事例だ。読んでいて、びっくりというか、「えー!、そんな発想もあるのか」と思ったので。以下にぜひ紹介したい、

私たちから見ると欠陥、あるいは欠如と見えるものも、彼らにとっては人と人との関係、人と自然の関係を考える独自のやり方なのかもしれないのです。一例をあげましょう。

ニューギニア内部に住む人びとが、宣教師からサッカーを教えられ、これに熱中しました。ところが、彼らのどちらかのチームが勝つことでゲームを終わらせるのではなく、双方の勝ち負けの数が同じになるまで、何試合も続けたというのです。彼らにとってゲームとは、私たちのように勝利者が決まったところで終わるものではなく、敗北者が生じないことが確実になったところで終わるものなのですー。

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2024年7月24日 (水)

「あういう格好をしていては天皇家の将来も長くはない」   『司馬遼太郎 全講演 1 1964ー1974』

このエピソードひとつを知っただけでも、この本『司馬遼太郎 全講演 1 1964ー1974』(朝日文庫)を読んだ価値があるなと思ったほど、興味深い話でした。右から左までさまざまな天皇論があるが、その一言の重さにはなかなか及ばないかもー。


以下、そのエピソードを16行で紹介しますー。M62300410696_1

天皇の本質とは、繰り返して申し上げますけど、「だれよりも無力である」ということであります。つまりは皇帝はおろか、王ですらもなくて、天皇家はずっとその家系が続いてきたことになります。ところが明治維新を迎え、天皇の本質が変わっていきます。これはむしろ天皇にとっては非常に不幸だったのではないか。このことについてはひとつのエピソードがあります。

大正天皇のご生母で、柳原二位局(やなぎはらにいのつぼね)という方がいらっしゃいまして、この方は実家が公家でした。公家ですから、在来の日本の天皇の本質というものを、皮膚感覚で知っておられたのでしょう。自分の旦那さんである明治天皇が軍服を着て、サーベルを吊って、白い馬に乗っているのをごらんになり、おっしゃったそうですね。

「あういう格好をしていては天皇家の将来も長くはない」

明治国家という要請ということがありました。天皇が憲法上の権力を持ったということを、このエピソードは鋭く風刺しています。

 

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