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「霧降文庫」

2026年8月13日 (木)

「セロ弾きのゴーシュ」の変形か   人気絵本「どうぞのいす」

絵本「どうぞのいす」を読んだ。「クレヨンハウス」主宰の落合恵子さんがエッセイ『明るい覚悟』で推薦している絵本22冊のうちの一冊だ。わすか31頁の「物語」だが、童心に帰ることができた。〈これは何かに似ているぞ〉ーと、思ったら、「わらしべ長者」の変形かもと。いや、「セロ弾きのゴーシェ」の変形かもと。ウサギが木の根元に自分が制作した「どうぞ」のいすを置いたところ次々と動物たちがやってくる。クマ、キツネ、リス。そこでめいめいがそこにある食べ物をいただくが、「後から来るものに悪い」と考えて、代わりの食べ物を置いていく。どんぐり、はちみつ、やきたてぱん、そして、くり。最初の「ロバ」はその間、いっぱいの「どんぐり」をいすに置いておいたつもりで、おひるねしている。目覚めたら、それが「栗」に変わっている。「あれれぇーどんぐりって、くりのあかちゃんだったかしら」とつぶやくのがミソか。もっとも、結語は「まさか!おひるねが、すこしながすぎたんですよね」ー。いやはや、短いけれと、おもしろい。ネットで検索していたら、確か「100万部」も出ているという。初版は1981年11月。日光図書館で借りたこの絵本は2008年2月で、すでに「79刷」もー。そんな人気があるのもうなづける展開だ。 

 

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2026年8月11日 (火)

「世界の中の日本」を捉え直す     加藤陽子「となりの史学ー戦前の日本と世界ー」

確か半月ぐらい前の朝日新聞の書籍広告で知った「となりの史学」ー。加藤陽子さんと言えば、著書『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(2010年 小林秀雄賞)で知られる。というか、日本学術会議の新会員候補に推薦されたが、菅内閣から理由も示さないまま、任命を拒まれた6人の学者のひとり。満州事変から太平洋戦争へという政治、外交、行政、軍部の分析には定評がある。その彼女の最近の著書ということで読みたくなった。発刊は2025年5月。もう一年は過ぎていたのだね。若いと思っていた加藤さんだが、今年春に定年退職し、東大名誉教授に。もうそんな年齢なのかとやや驚く。この本、日光図書館から借り出して読み始めているところですー。

(以下はウィキペディアから)

2013年成立の特定秘密保護法には反対し[2]、また、2014年には立憲デモクラシーの会の呼びかけ人の一人となった[9]2020年には、日本学術会議の新会員候補に推薦されたが、他の5名の候補とともに、内閣総理大臣菅義偉によって任命を拒否された[2][10]2026年3月31日、東京大学を定年退職。その後、東京大学名誉教授。

以下は「本やタウン」の本の紹介。



となりの史学

戦前の日本と世界

毎日新聞出版 加藤陽子(日本近代史) モリナガ・ヨウ 





価格2,200円 (本体2,000円+税) 発行年月 2025年05月
判型 四六判
日本近代史をはじめ、隣接領域である西洋史、東洋史、グローバルヒストリーなど世界史の面白さを堪能。歴史学者と手描きイラストルポライターによる類を見ない画期的な一冊!なぜ戦争は避けられなかったのか。日本近代史の視点で世界史を横断し、「世界の中の日本」を捉え直す。私たちは今、何をすべきか。

第1章 日中の戦争観―歴史認識を問い直す[日本と中国1](海の向こうは… 世界の中の日本と中国『国境を越える歴史認識 日中対話の試み』―1;重慶で私も考えた 中国重慶の国際会議で触れた中国研究の最前線『国境を越える歴史認識 日中対話の試み』―2 ほか)


第2章 競存から緊張へ変化した日中関係―私たちは今、何をすべきか[日本と中国2](苦難の中の日中関係 対立と共存『対立と共存の歴史認識 日中関係150年』―1;日中関係、どこからやり直すか 『対立と共存の歴史認識 日中関係150年』―2 ほか)


第3章 西洋と東洋を結ぶ架け橋へ―何が日ロ関係を転換させたか[日本とロシア](ロシアが残した日本史への刻印 『日ロ関係史 パラレル・ヒストリーの挑戦』―1;花も実もある日露関係 拮抗する二国関係において「真実ならざるもの」を見抜く『日ロ関係史 パラレル・ヒストリーの挑戦』―2 ほか)


第4章 明治日本はイギリスに何を求めたのか―日本人の英国観の変遷[日本と英国](一つに収斂しない日英関係の姿 『日英交流史 1600‐2000』全5巻―1;ギャップに満ちた日英関係 『日英交流史 1600‐2000』全5巻―2 ほか)


第5章 東アジアの国際情勢にみる日独関係―「同盟」の真のかたちとは[日本とドイツ](東アジア情勢のPhoto_20260811221101 中で語られる日独関係 『日独関係史 一八九〇‐一九四五』―1;日独関係における相互イメージ 『日独関係史 一八九〇‐一九四五』―2 ほか)



 

2026年8月10日 (月)

自堕落な役人が事件では凄腕を    藤沢周平「霧の果て 神谷玄次郎捕物控」

藤沢周平全集第13巻は「獄医立花登手控え」が中心だが、この「霧の果て 神谷玄次郎捕物控」もある。第13巻の後半がこれ。これも積読のままで読んだことはなかった。が、いざ読み始めたら、これも面白いこと。ことに主人公、八丁堀の同心、神谷玄次郎の自堕落なふだんはやる気のないお役人ぶりの一方、事件についての抜群の推理力という組み合わせがなんともいえない。さらに玄次郎のこの性格には幼い頃の一家の悲劇も影を落としているー。藤沢周平があえてそういう設定をしたのだろう。「よろずや平四郎活人剣」から藤沢周平の時代物を手にする毎日だが、まぁ、こんな日々もあってもいいかなと。この「霧の果て」は文庫本にもなっているのだね。

霧の果て 新装版

神谷玄次郎捕物控Photo_20260810001401
文春文庫 ふ1ー47文藝春秋藤沢周平759円(本体690円+税)

発行年月
2010年09月 判型 文庫
北の定町廻り同心・神谷玄次郎は14年前に母と妹を無残に殺されて以来、心に闇を抱えている。仕事を怠けては馴染みの小料理屋に入り浸る自堕落ぶりで、評判も芳しくない。だが事件の解決には鋭い勘と抜群の推理力を発揮するのだった。そんなある日、川に女の死体が浮かぶ―。人間味あふれる傑作連作短篇集

 

2026年8月 9日 (日)

若き小伝馬町の獄医が「難事件」を解決   藤沢周平「獄医立花登手控え」

「よろずや平四郎活人剣」が面白かったので、次に積読だった「獄医立花登手控え」へ。たまたま全4巻の最終巻が第13巻に。高原の居間で扇風機の心地よい微風を受けながら手にしている。この物語もまた展開が面白く次々と。その第4巻を読み終えるところだ。柔術の達人で江戸は小伝馬町の獄の医者という設定がうまい。その獄を主舞台に物語が推理小説のように展開していく。この推理小説風というところが、「よろずや平四郎活人剣」とは大きく違った点だ。「犯人はだれか?」。読み手にそう思わせながら進む手法もさすがの「藤沢周平」と感心してしまう。第4巻はあと1話のみ。ナガサキから81年のきょう8月9日(日)にも読み終えるだろうー。さらに第1巻、第2巻、第3巻もかー。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『獄医立花登手控え』(ごくいたちばなのぼるてびかえ)は、藤沢周平による日本時代小説連作短編集シリーズ。「青年獄医立花登」(せいねんごくいたちばなのぼる)と題して『小説現代1979年1月号から1983年2月号に連載、改題して講談社より1980年から1983年にかけて全4巻が刊行された。叔父を頼り東北の小藩から江戸へやってきて伝馬町牢屋敷にて獄医を務めることとなった若い医師が、囚人たちにまつわる事件を得意の柔術と推理で次々に解決していく姿を描く[1]

あらすじ

東北の小藩出身の若い医師・立花登は、江戸で活躍するという叔父の医師・小牧玄庵に憧れて江戸へとやってくる。しかし、その叔父は実際には酒に溺れ妻の尻に敷かれた流行らない医者であり、居候した叔父の家では下男扱いで口やかましい叔母とその娘・ちえにこき使われ、さらに叔父が帰郷時に「幕府の御用にあずかる」と吹聴していた小伝馬町の獄医の仕事までも押し付けられることとなる。若き医師・登は、この獄医の仕事を通して出会う「訳あり」の囚人たちにまつわるさまざまな事件を、身につけた起倒流柔術の妙技とあざやかな推理で次々に解決していく[1]

 

2026年8月 8日 (土)

「新生日本のために先駆けて散る」  傑作「戦艦大和ノ最期」(吉田満)

「戦艦大和ノ最期」については数日前にも書いているが、きょう8日(土)、はこの作品について、作者・吉田満が語っている貴重な肉声を聴いたので再び内容を深めてアップへ。毎週土曜昼のNHKラジオ番組「保阪正康が語る昭和人物史」から。全3回のうち8日が2回目。「戦艦大和ノ最期」の執筆動機について。沖縄特攻作戦で大和が沈没したのは1945年4月。3千人以上いた乗組員のうち9割が海の藻屑と消えた。生き残った吉田がこの作品を書いたのは、それから半年後。クライマックスは艦内の士官ルームでの殴り合いの論争だ。海軍兵学校卒の「職業軍人」と学業半ばで海軍士官となった「学徒兵」の両グループがこの無謀な特攻作戦をめぐり、お互いの立場から論争を繰り広げる。論争は結局、海軍兵学校卒で吉田と同年代の21歳の大尉の言葉で鎮まる。「俺たちは新世日本のために先駆けて散る」。戦中派の彼が戦後を生き直すため、その体験を第3者の視線で、わずか1日で「筆の走るままに書いた」という作品だ。3回目は「敗戦記念日」の来週8月15日(土)にある。ウィキペディアによると、この本の「刊行経緯」が興味深い。1946年12月に雑誌「創元」創刊号に掲載される予定だったが、GHQの検閲で全文削除となり、ゲラ刷りが没収されたという。全文削除については私も知らないでいた。「決定稿保存版」は1974(昭和49)年だったという。 Photo_20260808140401

2026年8月 7日 (金)

2021年に講談社学術文庫で新訳出版  「一外交官の見た明治維新」(アーネスト・サトウ)

Photo_20260807154601『一外交官の見た明治維新』(アーネスト・サトウ) 読んでいたと思っていたが、いやはやこんな大事な本なのに考えたらまだ読んでいなかったー。これはぜひものだと。いずれ日光図書館経由で借り出そうと思う。

幕末の日本に、好奇心や冒険心が強く、何より人の懐にすっと入り込む青年外交官がいた。英国外務省から派遣されたアーネスト・サトウ(1843~1929)である。彼が晩年に書いた回顧録「一外交官の見た明治維新」は、読者をあの時代に連れて行ってくれる。

 ■アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』(1921)

 サトウはロンドン生まれ。日本の「佐藤」とは関係がなく、欧州大陸系の姓だという。日本に興味を持ったのは全くの偶然からだ。兄が借りてきた本にあった日本の記述に魅せられ、外務省の通訳生に応募した。

 1862年に日本の地を踏んだときはまだ19歳だった。来日して6日目に、薩摩藩士による英国商人の殺害、すなわち生麦事件が起きる。そこから先は通訳として、薩英戦争、四国艦隊下関砲撃など多くの重要事件の現場に居合わせた。

 事件を描くサトウの筆致は、まるで冒険活劇だ。生麦事件の賠償を求めるため、鹿児島湾に赴いた英国の軍艦に、40人ほどの薩摩藩士たちが乗り込んできた。彼らは交渉団ではなく、暗殺団だった。〈領主と惜別の盃(さかずき)を交わしてからやってきたのであり、イギリスの官人を不意打ちしてできるだけ多くを手にかけ、特に重要人物を殺すつもりであった〉(鈴木悠訳)。暗殺の企ては成就しなかったが、賠償交渉も進まず、号砲が突然鳴って戦闘が始まった。

     *

 英国人たちが薩摩の船から略奪を働いた場面も、隠さず描いている。〈我々は一斉に押収した船へと殺到し、掠奪(りゃくだつ)をはじめた。私は日本の火縄銃と黒い円錐(えんすい)型の軍帽(陣笠)を持っていったが、軍人の一部は一分銀や二分金などのお金を発見した〉

 「それまでの日本にはなかったリアリズムの文体です。サトウが船に乗っていなかったら、薩英戦争で何が起きたのかを、こんなに迫力ある文章で読むことはできなかった」。そう語るのは作家の辻原登さんだ。歴史小説「陥穽(かんせい) 陸奥宗光の青春」(日本経済新聞出版)で、サトウの回顧録を資料の一つとして用いた。

     *

 小説でサトウは、主要人物の一人にもなっている。陸奥と議論し、伊藤博文とテーブルを囲む。「サトウも若かったが、陸奥や伊藤も若かった。彼らが出会うことで歴史が動く。サトウの回顧録がなかったら、小説の組み立ては難しかったかもしれません」

 優れた回顧録は、時代の空気をそのまま伝えてくれる。全編を貫くのは、当時の日本に吹いていた攘夷(じょうい)の嵐だ。

 サトウは、すべての武士が血に飢えていたわけではない、としながらも、彼らの恐ろしさを書いた。〈ひとたび日本人が外国人を血祭りにあげると決意したときには、その仕事がかなり手際よく遂行されたということも事実である〉。ときに拳銃すら役に立たないのだと。

 サトウにも2度、危険が降りかかった。1度目は旅の宿に「蛮族を出せ」という者たちが剣を手に現れた。同行者が追い払ってくれたが、2度目は本当に襲撃された。戊辰戦争のさなか、公使パークスに従い、天皇謁見(えっけん)へ向かう途中で襲われた。護衛の侍が何とか斬り伏せた。

 明治維新史が専門の町田明広・神田外語大学教授は「当時の日本人は、基本的にみなが攘夷派でした」と言う。ただ、それは二つの路線に分かれており、通商条約をすぐに破棄して外国人を追い出す「即時攘夷」と、当面は貿易で力を蓄え、後の攘夷に備える「未来攘夷」があった。軍事力の差を見せつけられてからは未来攘夷が優勢になるが、下層の武士たちは違った。「外国人は斬るべきだという狂信的な人たちはいなくならなかった。理論でなく感情としての攘夷は、通商条約に天皇の勅許が出てからも存在した」

     *

 読んでいてやや鼻につくのが英国人たちの尊大さだ。艦隊を見せつけ、日本人に恐怖を与えることを当然とする。町なかで声を張り上げ、西洋人の威厳を示す。軍事力を背景にした「砲艦外交」の一断面であろう。

 「技術力、軍事力がこれだけ違えば、上から目線になるのも当然だ」と町田さんは言う。サトウも最初はそうだったが、日本人と付き合うなかで変わっていったという。「たまたま鎖国があったから西洋に遅れたが、すぐに追いつくだろうと考えるようになった。それはサトウに限らず、当時の西洋人一般に言える。日本は最大のパートナーか、さもなければ最大のライバルになると多くの人が考えた」

 歴史はまさにその道をたどった。日英同盟を経て、日本は対米英戦争へとなだれ込んだ。それは形を変えた攘夷だったのかもしれない。(有田哲文)

     ◇

 戦前は検閲により完全な翻訳がなく、1960年に岩波文庫の坂田精一訳が出て、広く読まれるようになった。2021年に鈴木悠の新訳が講談社学術文庫から刊行された。サトウの評伝としては、萩原延壽(のぶとし)著「遠い崖――アーネスト・サトウ日記抄」(全14巻)がある。

 

2026年8月 6日 (木)

「全編4行のツィートで」というのがいいね   丸山健二「生きるとは闘うことだ」(朝日新書) 

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落合恵子さんのエッセイ「明るい覚悟」を半分ぐらい読んでいる最中だが、そこで彼女が紹介している著書で気になる本が何冊かある。その中のひとつが、「生きるとは闘うことだ」という勇ましい本。調べると、朝日新書で2017年に発刊されていた。本の紹介では「全編4行のツィートで」とある。その作り方が気にっている。ただし、「本やタウン」で検索すると、品切れかなのか、現在、取り扱っていないとのことだ。手軽な新書なので、買い求めようと思ったのが。日光図書館経由で栃木県内のどこかの図書館にあるだろうから、そこから借り出すことはできるだろう。それにしても、丸山健二は若い頃に読んでいるが、いつからか、ぷっつりと縁がなくなった。「この機会に丸山健二本に親しんだらどうか」、そういうシグナルかもしれないー。

生きることは闘うことだ

朝日新書 608 朝日新聞出版 丸山健二 

価格 792円(本体720円+税) 発行年月 2017年03月 判型 新書

自分の人生を生きるのに誰に遠慮がいるものか──。個人とは? 社会とは? 家族とは?国家とは? そして、孤独とは? 社会の偽善を看破し、全篇4行のツイートで「生きる意味」を問う、孤高の作家のプロテストソング。魂の言霊、ここに誕生!
人生が楽しいなどとは幻想だと、なぜまだわからないのか。理不尽かつ残酷なこの世で生者であらんとするなら、いかなる困難も排して未来へ駆けこんでゆくための情熱が必要だ。群れずに生きる作家のプロテストソング。

1 個人と社会の闘いとは(個人とは;社会とは)
2 家族や国家を過信してはならない(家族とは;国家とは)
3 精神と心を育むものとは(精神とは;心とは)
4 孤独を恐れてはならない(孤独とは)

 

 

 

 

2026年8月 5日 (水)

被爆者たちの惨劇に思わず声を失う    肥田舜太郎「広島の消えた日ー被爆軍医の証言ー」

 同人誌「序説第32号」(2025年9月1日発行)からー。8月6日を前にして、やはり肥田舜太郎医師の証言を伝えたい。肥田さんには映画監督・鎌田ひとみさんとの共著「内部被曝の脅威」という本もあったのだった。肥田舜太郎さんが亡くなってからもう5年以上も経つかも知れない。「内部被ばく」の脅威などについて講演した肥田さんを迎え、主催者である足利のジャズ喫茶「オーネット」で隣り合わせで歓談したことも。今晩はその生前の短いが大切な「交友」を思い起こしながら、愛用するドイツワイン「Madonna」で一杯の時を過ごそうかとー。

身も凍る『広島の消えた日―被爆軍医の証言』

 「核」が実際に使われた場合の恐ろしさについて、その一端を以下に紹介したい。ご承知の広島原爆についてだ。原爆投下当時、陸軍広島病院の軍医中尉だった肥田舜太郎さん(1917年~2017年)は、原爆投下前夜、急患のため、郊外に往診に行っていた。そのため、奇跡的に助かっているが、それから軍医として、広島中心部へ向かう。そのとき逃れてくる被爆者たちの惨状についての描写はなんとも目をそむけたくなるむごいものだ。肥田さんは現地で治療にあたり、その後、6千人を超える被爆者を診察してきた被爆医。日本被団協原爆被爆者中央相談所理事長などを務めていた。

 広島の惨状などは肥田さんの著書『広島の消えた日―被爆軍医の証言』(1982年5月 日中出版)『同 増補新版』(2010年3月 影書房)に詳しい。広島原爆については『黒い雨』(井伏鱒二 新潮文庫)が広く知られているが、最近でも『「黒い雨」訴訟』(集英社新書 小山美砂 2022年7月)といった労作も発刊されている。だが、この肥田さんのなんともいえない生々しい文章に出会うのはめったにないことだろう。

 『広島の消えた日』によると、当時28歳だった肥田さんが広島原爆に遭ったのは、広島郊外の戸坂村の患者の家の病人の腕をとって注射をしようとしていたとき。すぐに「巨大な爆圧の嵐」に遭い、その家の二間続きの何枚かの畳を飛んで奥の仏壇にいやというほど叩きつけられた。中心部の広島陸軍病院に戻ろうと、借りた自転車で向かっている最中の模様が以下のように記されている。「身も凍る」という言い方があるが、まさにそれを思わせる描写だ。少し長いが引用したい。

 私は突然、岩陰から急に現れた人影を見て急ブレーキをかけた。自転車がきしんで跳ねて、踊って、草むらに投げ出された。痛みをこらえてはね起きた私は道路の真中に立つその姿を見て思わず息を呑んだ。それは、「人間」ではなかった。それは、ゆれ動きながら私に向かって少しずつ動いてくる。人間の形をしていたが全体が真黒で裸だった。裸の胸から腰から無数のボロ切れがたれ下がり、胸の前に捧げるようにつき出した両の手先から黒い水が滴り落ちている。その顔は、ああ、それは顔なのか。異様に大きな頭、ふくれあがった両の眼、顔半分まで腫れあがっ上下の唇、焼けただれた頭に一すじの毛髪もない。私は息を呑んで後ずさりした。ボロと見たのは、人間の生皮、滴り落ちる黒い水は血液だった。男とも女とも、兵隊とも一般人とも見分けるすべのない焼け焦げた人間の肉塊が引きはがれた生皮をぶらさげてそこにあった。まだ少しは眼が見えるのか、私に向かってうめき声をあげながら両手を差し出して、よろけ、もつれて二、三歩足をいそがせたが、それが最後の力だったのであろう。その場にばったり倒れてしまった。駆け寄って私は脈をとろうとした。しかし、手を触れる皮膚らしいところはその肉塊の腕にはどこにも残っていなかった(中略)とにかく、広島へ急がねば、と自転車を立て直して進みかけた私の足はその場に釘づけになったまま、動かなかった。焼けて、焦げて、ただれて、生皮のはがれた血の滴る群像が道いっぱいにひしめいて、うごめきながら、行く手をふさいでいたのである。立っている人、寄り添っている人、いざる人、はらばう人、どの姿にも人間を意識させる何一つのしるしはなかった(『広島の消えた日―被爆軍医の証言』123頁~124頁)。

戦後64年にわたって6千名を超える被爆者の診察・治療に携り、今なお放射能の内部被曝の危険性を追究し続ける元軍医である著者が、精神主義のはびこる戦争末期の軍内部の状況と、広島での原爆被爆・救援体験を克明に綴った第一級の証言手記、待望の復刊(旧版:1982年、日中出版刊)。新版発行に際し、放射線障害や差別に苦しむ戦後の被爆者たちの苦難や、“被爆医師”としての自らの歩み、平和への願いを新たに書き下ろした「被爆者たちの戦後」(約40頁)を増補。

〈著者略歴〉
肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)

1917年、広島市生まれ。
1943年、日本大学専門部医学科卒業。1945年8月6日、原爆被爆。直後から被爆者救援・治療にあたり、2009年の引退まで被爆者の診察を続ける。1953年、全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)創立に参加。全日本民医連理事、埼玉民医連会長、埼玉協同病院院長、日本被団協原爆被爆者中央相談所理事長などを歴任。1975年以降、欧米を中心に計30数カ国を海外遊説、被爆医師として被爆の実相を語りつつ、核兵器廃絶を訴える。またこの間、アメリカの低線量放射線被曝に関する研究書等を翻訳、普及に努め、内部被曝の脅威を訴え続ける。

著書  『広島の消えた日』(初版:日中出版、1982年)、『ヒロシマ・ナガサキを世界へ』(あけび書房、1991年)、『ヒロシマを生きのびて』(あけび書房、2004年)、『内部被曝の脅威』(鎌仲ひとみとの共著、ちくま新書、2005年)
訳書  『死にすぎた赤ん坊』(E・J・スターングラス著、時事通信社、1978年)、『放射線の衝撃』(D・W・ボードマン著、自費、1991年/08年よりPKO法「雑則」を広める会発行)、『死にいたる虚構』(J・M・グールド著、斎藤紀との共著、自費、1994年/08年よりPKO法「雑則」を広める会発行)、『内部の敵』(J・M・グールド著、高草木博らとの共著、自費、1999年)

(本書刊行時点)Photo_20260804194901

 

2026年8月 3日 (月)

ピエロと熊のロードムービー「オレゴンの旅」  落合恵子さんが「明るい覚悟」で推薦絵本

「明るい覚悟」で落合恵子さんが推薦している絵本22冊のうちの一冊。「オレゴンの旅」。ネットでのAI回答はそれなりにていねいに。 これによると、公共図書館で比較的に探しやすい絵本だとある。私も日光図書館経由で借りに行こうと思っています。たまには絵本もー。以下はAI回答の「オレゴンの旅」です。Photo_20260803230201

絵本の基本情報

『オレゴンの旅』という作品

  • 書名:オレゴンの旅
  • 文:ラスカル
  • 絵:ルイ・ジョス
  • 訳:山田兼士
  • 出版社:セーラー出版(その後、らんか社などのリストにも掲載)(library.ome.tokyo.jp)

図書館のおすすめリストや「人生の1冊の絵本」といったブックリストにもたびたび登場していて、子どもだけでなく大人にも向けた“旅”の絵本として紹介されています。(hokkaido.sla.gr.jp)

🌲 どんな内容の絵本か

細かなストーリー全文は紹介できませんが、ブックリストの説明から分かるポイントをまとめると(hokkaido.sla.gr.jp)

  • アメリカ北西部オレゴン地方を舞台にした“旅”の物語
  • 自分は何を求めて旅に出るのか、というテーマが根っこにある
  • 壮大な自然の中を進むイメージが強く、大人になっても忘れにくい印象的な絵と構成
  • 「やがて大人になる子ども」と「かつて子どもだった大人」の両方に向けた本として位置づけられている

物語としての起伏だけでなく、「生き方」や「こころの転機」というキーワードと一緒に紹介されているのが特徴です。(hokkaido.sla.gr.jp)

📚 手に取るには

公共図書館の蔵書リストに多く載っているので、日本の図書館では比較的探しやすい一冊です。(library.ome.tokyo.jp)
最寄りの図書館サイトで「オレゴンの旅 ラスカル」などで検索すると、在庫状況が確認できる可能性が高いです。

 

https://www.youtube.com/watch?v=DccAzM3oW5Q

 

 

 

2026年8月 2日 (日)

腕が立つ浪人者がとにかく魅力的だ  藤沢周平全集第十八巻「よろずや平四郎活人剣」

藤沢周平の時代物「よろずや平四郎活人剣」ー、このところ、一話、二話と読んでいる。全24話あるが、これまでお読み終えたのは21話まで。あと3話を残すのみ。「これはドラマになるほど面白い物語だなー」と、思っていたら、やはりテレビドラマになっていたのだね。1998年~1999年。もう四半世紀前になるのかー。これは知らなかった。この題名「よろずや平四郎活人剣」と、さらに「腕に覚えあり」という題名でもドラマ化されているようだ。DVDになり、TSUTAYA書店などで借りられるようならぜひと。とにかく痛快このうえない。近くこのDVDを借りに行ってみようと思う。そう思わせるほど、魅力的な時代劇だ。改めて藤沢周平の筆さばきに感心することしきり。以下はネット検索で見つけたこの物語のさわりだ。

藤沢周平Photo_20260803220501 原作の時代小説「よろずや平四郎活人剣」をドラマ化。人気シリーズ「腕におぼえあり」に続く新シリーズ。ニュータイプのヒーロー神名平四郎の活躍を描く痛快娯楽時代劇。(1998年9月11日~1999年3月12日放送、全24回)◆第1回「辻斬り」。旗本・神名家の次男・平四郎(高嶋政伸)は、道場仲間の明石半太夫(村田雄浩)、北見十蔵(松重豊)とともに道場を開くため家を出る。途中、すれちがいざまに若い侍が切りつけてくる。その様子を木陰から奥田伝之丞(榎木孝明)がうかがっていた。平四郎が遅れて道場に到着すると北見だけがおり、明石が道場を開くための金を持ち逃げしたという。今さら神名家に帰ることもできず、平四郎は大家・与助(坂上二郎)の長屋に住み込むことに。そして当面の生活費を得るため「よろず揉めごと仲裁」の商売を思いつく。

より以前の記事一覧

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