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懐かしい未来

2016年1月14日 (木)

「ワンルームオフグリッドワークショップ」 「日光の会」が2月に自主講座

Photo  「さよなら原発!日光の会」の2月の公開自主講座は「ワンルームオフグリッドワークショップ」。実際に部屋の電気がソーラー発電で点くように工夫してしまう。

 

 日程はもう決まっており、2月27日(土)15時~17時。今市の日光市民活動支援センター第一会議室で。スライドかプロジェクターか、を使いながら、自主講座形式で。

 

会員はもちろん、一般の市民の参加も自由。無料。「日光の会」が自主的に行う講座です。そのオフグリッドの典型的な記事が日経で。以下に紹介します。http://www.nikkei.com/article/DGXMZO83691220W5A220C1000000/

 

当日の講師は、小久保裕史さん。

略歴は以下の通り。小久保さんの「軌跡」だけでも自主講座になりそうです。

 トランジションタウン栃の木コアメンバー。2000~2012年まで看護師として病院に勤務する。スローの思想を広める辻信一氏の本との出会いをきっかけにこれまでの生き方変えていきたいと思い退職。その後安曇野パーマカルチャー塾、赤目自然農塾に通い持続可能な生活について学ぶ。2013~2015年まで環境文化NGOナマケモノ倶楽部理事を務める。2013年から2年間埼玉県立高等技術専門校にて建築大工の技術を学び在校中第2種電気工事士の資格を取得。2015年から自分の生活の一部屋をオフグリットにして生活する。

そのオフグリッドの典型的な記事が日経で。以下に紹介します。http://www.nikkei.com/article/DGXMZO83691220W5A220C1000000/

 

■毎日がキャンプみたい

生活に使う電気を太陽光パネルと蓄電池でまかなう下野さんの家
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生活に使う電気を太陽光パネルと蓄電池でまかなう下野さんの家

 「電気が使える。洗濯をしよう」。2月初旬、下野智子さん(38)は青空を仰ぐと、150ワットの洗濯機(脱水時は300ワット)のスイッチを入れた。一家の暮らしで使う電気は、すべて太陽の恵み。自宅屋根に並ぶ計870ワットの太陽光パネルと容量約10キロワット時の鉛蓄電池だけでまかなう。薪(まき)をくべて風呂を沸かし、食事は薪ストーブの天板やオーブンで調理をする。ご飯は「ぬかくど」と呼ばれる手作りのコンロで炊く。量を調整したもみ殻に火をつけるだけの“全自動”だ。「毎日家でキャンプしてるみたいです」

 昨年11月末、この家に移り住んだのは、下野雄司さん(44)、智子さん夫妻と2人の子供(7歳と5歳)の4人家族。実際の生活に必要な電力消費のデータをとり、ライフスタイルの可能性を探る名古屋大学の高野雅夫教授らの「実験」でもある。今のところ夫の雄司さんは仕事の都合で、元の自宅がある同県知立市に残り、週末に家族の元へ通うという生活。こちらも「実験中」だ。

太陽光発電システム。電気はバッテリーに蓄えられ、直流24Vとインバーターを通した交流100Vの2系統で利用している
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太陽光発電システム。電気はバッテリーに蓄えられ、直流24Vとインバーターを通した交流100Vの2系統で利用している

電気を使っているものはパソコン、精米機、インバーターなど。薪や太陽熱温水器を最大限利用して電気を使わない暮らしをしている。冬の間は外の棚が冷蔵庫代わり(右下)。
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電気を使っているものはパソコン、精米機、インバーターなど。薪や太陽熱温水器を最大限利用して電気を使わない暮らしをしている。冬の間は外の棚が冷蔵庫代わり(右下)。

■電気、余ってます

 下野さん宅の暮らしで電気を使っているものは、洗濯機、精米機(300ワット)、ノートパソコン(30ワット)、プリンター(65ワット)、モバイルルーター、タブレット端末、携帯電話への充電(8ワット)、薪ストーブのファン(14ワット)、3~30ワットのLED照明が16個。高野教授が今月調べた結果、今のところ1日当たり510ワット時(1時間平均約20ワット)程度しか使っておらず、電力は余っているのだ。

 冬の今は外気温が低いため、勝手口の外に作った棚を冷蔵庫代わりに使っている。春になったら30ワット程度で稼働する省エネタイプの冷蔵庫を購入する予定だ。夏も比較的涼しく、熱に電気を使わない暮らしができる田舎は、都会に比べてオフグリッド生活に有利。毎月の電気代は0円だ。

下野家の電気はすべて太陽の恵み
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下野家の電気はすべて太陽の恵み

■正念場は梅雨時か

 太陽光パネルの発電能力は晴れた日以外は極端に落ち、雨や雪が続くとほぼゼロになる。蓄電池容量から3日ぐらいはしのげるが「梅雨時の停電はおそらく避けられない」と高野教授。実際1月に雪が降り続いた時は、家族そろって一時近くのお寺に避難した。夏は冷蔵庫が必要だが、薪ストーブのファンは回さなくていい。日照が長くなるのでLED照明をつける時間は短縮できる。工夫して乗り切るしかない。一家の実験生活はこれからが正念場だ。

 家電の中で電力消費が大きいのは、電気を熱に変えて利用するエアコン、ドライヤー、炊飯器、電気ポットなど。冷蔵庫のように24時間稼働しているものもトータルの負担は大きくなるが、今のところ下野さん宅にはこれらの家電製品がない。智子さんは「特に節約を意識しているわけではありません。なければないで何とかなるので、慣れてしまえば不自由は感じません」。

街明かりがないので夜7時でも外は真っ暗。3wのLED照明2つ(左上)でもまぶしいぐらいだ
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街明かりがないので夜7時でも外は真っ暗。3wのLED照明2つ(左上)でもまぶしいぐらいだ

■都市では「部分オフグリッド」を

 電力消費の少ない下野さん宅のシステム導入費用は約80万円。都市部で不自由のないオフグリッド生活を実現しようとすると、200万~400万円程度の出費は免れない。「節電のコツは、太陽光パネルの前に太陽熱温水器を導入するなど、できるだけ熱に電気を使わないこと。まずは家庭菜園で野菜を作るように、少量でも作った電気を自分で使ってみては」と高野教授は提案する。テレビだけ、居間だけなど、一部の電力だけを自給する「部分オフグリッド」なら都市部でも可能だ。東日本大震災の直後には東京でも計画停電を経験した。「電気を自分で作る暮らし」は災害にも強く、どこか安心感がある。

 また再生エネルギーの固定買い取り価格は、来年度も引き下げられる方向だ。昨年9月には九州電力が設備の調整能力が不足しているとして、太陽光発電の買い取りを一時保留する混乱もあった。今後の売電の有効性は不透明だ。

約2週間分の薪(写真上)と油圧式手動薪割り機を使う長女の歌子ちゃん
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約2週間分の薪(写真上)と油圧式手動薪割り機を使う長女の歌子ちゃん

■コストより生き方

 どれぐらいの電気が必要なのか、それはコストの問題というより「生き方の問題」と高野教授は話す。下野さん宅では、余った電気を有効活用するため、電気自動車に改造した軽トラックを導入することも検討している。名古屋大学は3年間データを取りながら今後の可能性を探る。

 オフグリッド生活には薪が必需品だ。お風呂もご飯も暖房も。「お金を使わない日はあるけど、薪を使わない日はありません。バッテリーより残量が気になります」と智子さん。雄司さんも「この家に帰ってくるたびに、薪集めや薪割りが欠かせません」。

 最近、油圧式の手動薪割り機を購入した。力が要らないので、子供たちも手伝ってくれる。不便だからこそ楽しめることもある。

(名古屋編集部 小園雅之)





3・11の3月は「ロケットストーブづくりワークショップ」にしようかな?と。「ともだち」の役員に名人がいることだしー。あっ、三月は中旬に代々木公園脱原発10万人集会があるのでした。ロケットストーブは春から初夏か。ドキュメンタリー映画「福島のつぶやき」の自主上映会もやりたいし、チェルノブイリ事故で医療活動をしていた松本市長も呼びたい。いろんな企画が考えらる。それも電力自由化の自主講座もか?

2016年1月13日 (水)

東日本大震災や原発事故を機に ロケットストーブの夢



16a(写真図は、ネットから転載したもの。「ロケットストーブ 写真」で検索したら、最初の方に掲載されていたためと、その構図がわかりやすいので)

私の「ともだち」である、朝日新聞の斎藤健一郎記者が、また面白い記事を。「土管を再生、ロケットストーブの夢 49歳脱サラ起業」という記事だ。私も個人的に関心があり、FACEBOOKでは「ロケットストーブ」のグループに入って少し経つところ。いずれ、脱原発市民団体「さよなら原発!日光の会」の自主講座でロケットストーブづくりをやったらいいのではないか?とも。なので、斎藤記者の記事をそのまま掲載することにー。こんなことはめったにないのだが、非常にためになるので。
 

 
 ドラマ「下町ロケット」が人気を博したこの冬、愛知県常滑市にも「ロケット」に情熱を注ぎ続ける男がいた。大企業を辞めて生み出したのは、役割を終え、放置されていた常滑焼の土管を使う「ロケットストーブ」。男もストーブも、熱く燃えている。  ゴーッ。縦にした常滑焼の土管から、熱風が噴き出す。くべた廃材が勢い良く燃え、上昇気流が起こす音からロケットストーブと呼ばれる。鍋を置けば煮炊きができ、網を置けばサンマもイモも焼ける。  一斗缶やペール缶を燃焼筒にするのが一般的だが、この「とこなめ土管ロケットストーブ」は常滑焼の土管を使う。「保温効果と断熱効果が抜群」。開発した同県大府市の金田寿正(かなだとしまさ)さん(49)は自信を見せる。
 
 東証1部上場のデンソー(本社・愛知県刈谷市)の営業マンだった。東京勤めのころ東日本大震災があった。無力感にさいなまれながら見るテレビの向こう、東北の被災地で雪が舞う。一斗缶に廃材を放り込み、火の前で手をこすり合わせる人の姿があった。  その頃、ロケットストーブの存在を知る。手作りできて灯油も電気もいらず、調理もできる。だが、構造が単純なだけに最適な燃焼効率を得るのは難しい。学生時代に物理を学んだ金田さんは研究にのめり込んだ。  まもなく愛知に転勤。故郷の大府周辺の駐車場や空き地に転がる常滑焼の土管が目についた。蓄熱性、耐火性が高そうだ。ロケットストーブの燃焼筒に使えないか――。常滑市の窯元を一軒一軒回り、敷地内で野ざらしになっていた「過去の遺産」を買い集めた。  実験を重ねた。土管は火に直接かけると割れるので、内側に断熱材を入れた。長すぎても太すぎてもうまく燃えない。断熱材の素材、土管の長さ、太さを幾度も変えて試した。
 
 50歳の節目を前に去年5月、26年間務めたデンソーを退職。家族は反対した。「不安はいっぱい。でも退路は断ちました」。災害で電気もガスも失われた時、ロケットストーブが多くの人の力になると信じた。  去年秋、3年かけて納得の形にたどり着いた。高さ72センチ、直径25センチの重厚なあめ色ボディー。燃焼効率が良く、ほとんど煙が出ないため、店頭でバーベキューに使う飲食店や、境内で落ち葉を焼く東京の寺からも注文が入る。ただ、重くて持ち運びにくく、価格も4万8千円と安くはない。  土管での試行錯誤を生かし、鋼の薄い板を使う約5キロの携帯型も開発。価格は1万6800円からにした。環境に優しい製品に贈られる去年のロハスデザイン大賞にも選ばれた。  ロケット発射時のかけ声にちなみ、金田さんは代表を務める工房を「LIFTOFF」(リフトフ)と名付けた。発射は成功。「一家に一台」の夢に向け、飛び続ける。(斎藤健一郎)
 
     ◇  〈ロケットストーブ〉 まきストーブの一種で米国が発祥。高温になった燃焼筒内に上昇気流が生まれ、勢い良く熱気を吸い上げる。従来のまきストーブより燃焼効率が良く、廃材や枯れ木も燃料になる。身近な素材で作れることもあり、東日本大震災や原発事故を機に関心が高まった。

2015年12月 3日 (木)

地球的次元とローカル性と客観と主観 さまざまな「メディアと社会」

 Img_5450 2日と3日と、上、下で2頁にわたってアップされた朝日新聞の「メディアのこれから」がいい!。計12人の論者がそれぞれの専門分野を背景に、それぞれの視点から、メディア、とくに新聞とネットについて、その関係などについて、語っている。よく読むと、「玉石混交」といった感じだが、何人かは「さすが」「なるほど」「そうか」といった指摘、批判、提案、提起があった。
 
 以下にあげる千葉大の広井良典(よしのり)さんの「地球的次元とローカル性」などは典型だ。それに「里山資本主義」で知られる藻谷浩介さんの事実からの判断。とくに日本の生産年齢人口(15歳~64歳人口)などは、「そうなのか-」といったところだ。記事によると、1995年から2015年までの20年間に、1000万人、12%も減っているのだという。初めての人口減社会に。そのことは承知しているが、生産年齢人口がこんなに劇的に減っているとはー。と、なんとなくわかるが、数字を示されると、「えっ」と驚いてしまう。
 
 
 もっときちんと次はBLOGや他の媒体で書こうと思うが、これらの論は、単に「メディアのこれから」といったテーマに限定されるのではなく、「社会のこれから」まで含んている。それくらい今、メディア、新聞とネット、今私が打っているFACEBOOK、さらにTWITTER、BLOGの価値や役割、位置づけが大事に。とくに「これはいいね」と思ったのが、「地球的次元とローカル性と」。書いた人の経歴を見たら、「ポスト資本主義」の著者でもありました。「さすがー」と言いたい。
 
(以下は朝日新聞デジタルからの引用です)
 
地球的次元とローカル性と 
千葉大教授・広井良典(ひろいよしのり)さん  
 
戦後の日本社会において、新聞は、国民の「教科書」として機能してきた。諸外国に比べ、際立って大きな発行部数もそのことを示している。実際、新聞は学校の教科書などよりもはるかに大きな影響力をもち、人々の「共通の話題」の土台ともなった。
 
 かつて政治学者のベネディクト・アンダーソンは、近代社会において見知らぬ人に同胞意識が育まれ、「想像の共同体」としての国家が形成されるにあたってメディアが決定的な役割を果たしたと論じた。つまりメディアと国民国家の発展はパラレルな関係にあり、発行部数の大きさは、日本社会の集権性あるいはナショナルな統合の強さを反映したものと言えるだろう。
 
   以上のような日本社会の求心性は、実のところ“国を挙げての拡大・成長”という時代構造と表裏の関係にあった。こうした状況がいま根本から変わりつつある。
 
 本質的な意味をもつのは次の二つの構造変化だろう。一つは「グローバル化とローカル化」の潮流である。特に後者への対応、つまりローカル・メディアの発展という方向は、地域再生とも関わる大きな課題である。
 
  もう一つは「ネット」との関係だ。この場合、情報媒体がネットに移っても、コンテンツ(報道内容)の作成や提供においては相変わらず新聞社等が大きな役割を担っていることを忘れてはならない。こうした点や、霞が関の政策立案能力や情報収集力が相対的に低下している状況の中で、新聞社等には政策の「シンクタンク」的機能の強化が求められるのではないか。大学との連携もここで課題になっていくだろう。  
 
 最後に「第二のソーシャル・ブレーン」という視点に触れたい。近年、人間が社会の中で互いに影響を与えあうことが脳の進化に決定的な意味を持ったとする「ソーシャル・ブレーン」という理解が生まれている。だとすれば、グローバルに影響を与えあうネット空間等において、「第二のソーシャル・ブレーン」とも呼ぶべき新たな「意識」や情報空間が形成されつつあると考えることは不可能ではないだろう。
 
 それは地球的公共意識といった次元にまで至る可能性をもつ半面、“ネットムラ社会”というべき様々な分断を増幅させるベクトルをも持っている。一方でローカルな場所性に着地しつつ、他方で個別の集団を超えた公共性への志向を併せもつようなメディアのあり方と、その原理となる思想がいま求められている。

2015年11月23日 (月)

とんぼをとることで自分自身を生産している 岩波新書「資本論の世界」

Img_5305 「つまり、どんぼを生産するというとおかしいけれど、とんぼをとることを通じて彼は自分自身を生産している。それだから、労働が楽しい。子供が、かりに、文章を自由に駆使出来れば、今日一日何を作ったか~~~~~あるいはわれわれの眼から見れば、何をこわしたか~~~~を、今日一日の生きてきた記録として書くでしょう。子供が、ふすまに制作した絵を見ていますと、未開人の制作と同じで、稚拙ながら芸術を感じさせることがあります。全力投球で、しかもピカソにでもなってやろうなどというみみっちい気持がないから、かえって芸術になっている。未開人の制作物と似たところがあります」   。

1966年11月初版。今から半世紀前に発刊された岩波新書だが、さまざまな刺激を受けることができる。これまで下宿を転々としたり、転職や転勤をしたりで、東日本を引っ越しすること10数回。それを重ねるうちに、この本、『資本論の世界』(内田義彦)を、どこかに失っていた。が、つい最近、ご近所の「ともだち」と世間話をしているうちに、「資本論」で盛り上がり、借用することに。この本は、講談調というか、小さな教室で語り掛けるような語り口が魅力的だ。第5章の「相対的剰余価値」、第六章の「資本と人間の再生産」が最も力の入ったところだが、私は第四章の「労働と疎外」がすんなりと。その展開を懐かしく読んだ。その中でも、ここがいいね!が、上記に挙げた文章だ。
  私は20代から30代にかけて、労働と制作、労働と仕事、遊戯と労働について、「資本論」を中心にその仕組み、構造、背景を追いかけていた。それを1970年代から80年代にかけて、自分たちの同人誌『序説』に「労働論ノート」として連載するほどだった(確認してみたら、第5号から1981年の第12号まで8回連読で掲載していた。その連載をきっかけに労働業界紙に入り、その後、地方紙、中央紙へ。計35年間の記者生活をスタートさせている)。それほど、「労働」が当時の大きな<課題>だった。『自動車絶望工場』(鎌田慧)や『国家のなかの国家』(熊沢誠)などを手がかりに、仕事の傍ら、暗中模索し、メモに残していた。そのことを「資本論の世界」を読み進めながら、想い出したのだ。その「労働論ノート」、未完のままだが、さて、どうしよう?-(2015年11月23日 折々の<状況>その37

2015年11月20日 (金)

またお目にかかる日をたのしみに 「人間の性 三島由紀夫の言葉」

Img_5293 折々の<状況>その36
「またお目にかかる日をたのしみに」 
 
  新聞の新刊本案内にあったので、本屋さんに寄る機会があったら、買い求めようと思っていた。それがたまたまきょう20日だった。新聞を斜め読みした後、手に取って、少し読み始めると、これがなかなか面白く、すでに半分以上の110頁に。
 
 今年が生誕90周年、死後45年、作家・三島由紀夫の新書『人間の性 三島由紀夫の言葉 至極の名言集』(新潮新書 佐藤秀明編)。発行は・・、めくってみたら、そのきょう11月20日。いかにも新刊本だと思わせるぴかぴかの新書だ。「霧降文庫」の12月は「三島由紀夫特集」をやろうと考えていたので、それも併せて手にしたのだ。

 
  名言集だが、これまで読んだところでは、私にとっては、それほど名言があるとは思えない。ところどころに、それなりに魅せられる文句があるのだが、それを反芻し、「ともだち」に紹介したいほどでもない。だが、「Ⅱ 世間の理」のうちの「人の間に悪意は潜む」の章?にあった以下の文章は、特に「なるほど~」、と思わされた。人と人の距離感、関係性の取り方を、挨拶の微妙な言葉の中で例示しているからだ(と、私の場合ではー)。
 
(以下は本文から)
 
「またお目にかかる日をたのしみに」  これは押しつけがましくない、よい結びの文句です。約束を強いない。再会を必ずしも約さない。人生でもう二度と会う日はないかもしれないが、この前会ったときはたのしかった、という気持が言外にあふれている。人生に対して、他人に対して、欲張った望みを持ちすぎない、という、聡明で清潔な人柄が溢れている。腹八分目で、少し物足りないぐらいのところが、人生の最上の美味なのです。「またぜひお目にかかりたいと思います」 という結びは、少し脅迫じみている。「おわりの美学」(「女性自身」昭和41<1966>年2月14日~8月1日)
 
  
 いつもいつもそれぞれが元気な一日ばかりでもない。その面で、いつか、再見できる、出会えることがあればいいね! そんな柔らかな構え方、それが、「またお目にかかる日をたのしみに」、なのではないか。<またいつか、そんなときがあったときは、前のようににこやかに、なごやかに>。肩の力を抜いたそんな問いかけ方に、無理にその人の心に踏み込んでいかない、思いやることができるその人の魅力的な心性が溢れている(ということを、実際の場面で、私がやれるかどうかは別にしてもー笑いー・・・でも、以上のようなことを知っておくことはいいのではないかと)。
(2015年11月20日、BLOG「懐かしい未来」)

2015年11月 8日 (日)

災害時簡易トイレつくり  実り多い段ボール箱講習会

「災害時段ボール型簡易自家製トイレ」、その講習会がきょう15日、霧降自治会館でありました。阪神大震災でも東日本大震災でもそうだが、災害時になくてはならないのが「トイレ」。それを手持ちの段ボール箱でつくってしまおうという、いわば、霧降自治会主催の自主講座だ。

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 講師は日光市社会福祉協議会職員。日光地区の自治会でこの講座を行うのは、霧降自治会が初めて。そのためか、同協議会日光支所長も同行し、「視察」?も。用意するのは・・・●段ボール箱3つ●カッター●マジック●線引き●ガムテープ●ひも。さらに「トイレ」の中に入れる●ビニール袋●新聞・・・●砂もあればいいとも。ふ~む、材料は九つなのか~。

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 1時間半、ご近所の自治会の人たちとワイワイガヤガヤと。講師はプロジェクターと資料でも説明し、2人一組のあちこちのグループを応援。参加者はいずれも汗も流しながら完成させました。けっこう大変(でも、一度覚えてしまえば、楽に作れると思う)基本は座る際に箱がへこまないため強度作り。ここでは段ボールをカットして三角柱を2本つくること。実際に使うことはめったにないとは思うが、水洗トイレも使えないときは、これは大事になる。

  「使用後」のものは「可燃ごみ」扱いだという。災害時はもちろん、キャンプや高速道路の渋滞、山登りなど、さまざまな場面で応用が効くのではないかと。非常に学ぶことが多かった実践編の防災講座でありました。
市販ではひとつのキットで5000円というのが、あるそうな。それなら自分でつくるほうが愉しくもあり、よほど自家製がいいね!と。「災害用簡易トイレ」をつくりたい方は私に問い合わせを(笑い)

2015年10月29日 (木)

古民家再建プロジェクトへ  作業はこれから先、まだまだ

Img_4309 日光市郊外の古民家再建プロジェクトに行ってきましたが、作業はまだまだこれから。1年かかるか?、3年かかるか?。。。・
 
戦略を立て、じっくりとじわじわとやるっきゃないのだろう。本日の午後はご主人も含め、8人が整理のボランティアや見学視察で交流しておりました。
 
それにしても大きい。とっさに「ゲストハウスがいいね!」と思いました。あっ・・・預かっていたミニ椅子を持っていくことを忘れておりました。Kさん、またの機会にー。

2015年9月20日 (日)

政権による国民に対するクーデターだ  折々の<状況> その(36)

Img_3293_2 折々の<状況> その(36)

今回は、安倍政権による私達国民に対するクーデターだ。国民の声、大勢の民意をないがしろに、無視、しりぞけ、国民が歴史的にこれまで合意してきた平和憲法の解釈を強引にねじ曲げ、「黒」を「白」と言い張り、詭弁に詭弁を積み重ね、混乱に混乱を重ねて、強引に通した。

 

 もともと砂川事件最高裁判決の全文のどこにもないのに、この判決に集団的自衛権の根拠があるとする白々しさ、身勝手さ。我田引水ではなく、我田引憲といえる、その強引さ。憲法学者、元内閣法制局長官、元最高裁判事らの違憲の指摘も、知らぬ存ぜずで通す、その厚かましさ。そんな道理が通らない、論理がない、聴く耳を持たない、なんというごう慢で、謙虚さがない、自分勝手で手前みそな、その政治判断、政治手法、というか、政治技法とでもいうべき政治手段が許されるわけがない。説明を重ねれば重ねるほど、法案が必要とされる根拠がひとつひとつ崩れていった。
                                     

「ホルムズ海峡の機雷掃海」も、「邦人が乗船する米艦擁護」も。「説明が二転三転し、この法律がなぜ必要なのか分からなくなった」.と指摘したのが、衆参両院で210時間以上に及ぶ審議を見たという朝日新聞国会担当キャップ、山田明宏記者。20日朝日新聞13版総合3面の3ページ「視点 役割を放棄した言論の府」で、こう振り返っている。つまり、法案が必要とされる理由が、次々と消え去り、空中分解していった。法案のその内容の空虚さ、ご都合主義、不都合さ、欺瞞さ、国民はそれに気づき、不安を覚え、反対の行動を全国各地で起こしたのだ。

                                       
 世界の主要な国の中で、世界に誇れ、世界に働きかけられる、世界各地で起きる紛争で、その仲裁役になる資格があるノーベル賞候補の平和条項、世界の各国に好イメージで親しまれている大切なアイデンティティ、それによってアフガニスタンの人々を支援している「ペシャワール会」(私も会員のひとり)など多くの国際的なNGOが敵視されず、信頼されてきていた。その背景になっていたのが、平和条項だった。

 

 それをかなぐり捨てることで、現地のNGOが無用な危険にもさらされる。それを承知していてはいても、戦争病が宿命である米国の助っ人に駆けつけ、助っ人になろうという。戦争をしない国、戦争を否定する国から、戦争がやれる、戦争ができる、あたりまえの国になっていこうとする。アジアで最も平和的な国の基本的な姿・形を無残に変えていく。立憲主義と平和主義と民主主義を踏みにじるこの戦争法案は、いずれ、私達国民の手で葬り去ることになるだろう。

                                           
 その力は怒るべきことを新鮮な言葉で示した高校生や大学生などの若者、これまで表に出ることをためらってきていた裁判官や憲法学者、子どもを守りたい若いお母さんたち・ママたちなど、新しい流れが歴史の舞台に登場したことで露わになった。こうしたふつうの市民や専門家も立ち上がらせた国会正門前のこの数カ月のうねり、市民の心、その民意が示している。街頭と国会が反響、交差することで、国民主権が、私たちが国の主人であることが意識され、明確にされた。市民は、国民は、その主権を蹂躙した与党の論法や運営を知り始め、不安から批判へ、批判から抗議へ。そのようにさらに高まった与党への怒りは、これからも潮の渦のようにさらに増殖してゆくことだろう。
                                   
 
 私たちはあきらめない、屈しない、へこたれない。なんとしても、これから安倍政権を打倒していく、その闘いはこれからスタートする。まずは、次の国政選挙で、戦争法案に賛成した議員一人ひとりを必ず、絶対に惨敗・落選に追い込む、その運動を国民的規模で行わねばならない。奢る平家久しからず。必ずそうなるだろうし、そうしていくことに。「悪い政治家を国会に送り出すのは、投票しない善良な市民たちだ」。米国の警句では、国会ではなくワシントンだが、「それが胸をよぎる」と。けさ20日の朝日新聞・「天声人語」は、政府与党の思い上がりはここに極まったとまで指摘し、この警句を引いている。

 

 中央紙がここまで政府のやり方に異を唱えることはまず珍しい。私の方はこう言うことにする。戦争法案に賛成した自公をはじめとした各国会議員にそんな判断をしたことを、国民の意思ではない選択をしたこと、それをきちんと後悔させる、悔やませてやる。そして、国会議員から惨敗したふつうのひとりの市民になってもらう。そして「安倍政治を許さない!、安倍政権を打倒していく!」

2015年8月24日 (月)

声を大に訴える「嬉しさ」が   戦争反対、宇都宮で2000人  

折々の<状況> その30

 「戦争反対」「憲法守れ」を笑顔で、大声で。「私たちが主権だ」、「私たちが国民だ」。「私たちが民主主義だ」・・・それらを伝えられる嬉しさが集会で、街頭にあふれた。そんな戦争法案反対集会街頭行動だった。

 

 主催者発表が「2000人」。しかし、現場にいると、それ以上に参加していたと思える集会とデモだった。23日、宇都宮城址公園での「平和憲法を守り戦争法案反対する栃木県民パレード」(栃木県弁護士会主催)。

 

天候も集会日和だったのと、参加者の熱気がかなりあったこと、若い人や中年参加者、働き盛りの市民の参加が目立っていた。プラカードにもさまざまな工夫が。それぞれの意気込みがわかる。

 なにより、「戦争反対」「憲法守れ」。それを大きく語ることができた喜びが。私は、先頭から最後列まで、写真を撮っていたが、笑顔が次々と。

 

 東京では、いよいよ「眠れる獅子」、国内最大のナショナルセンターである「連合」(682万人)が国会前集会を大々的に。主催者発表では市民も含めて1万4000人。反安倍で。いよいよ、流れがさらに反戦争法案へ。

 

 この戦争法案反対の潮の流れが変わったのが、憲法審査会で、3人の憲法学者がいずれも「違憲」と断じたとき。これは「えらいことになるなー」と、思っていたら、案の定だった。それに若者たち、それも20代、10代が立ち上がり始めた。60年安保、70年安保以来のことだ。

 

 さらにイメージとしては、民主党右派の思潮が主流と思える「連合」も加わったことで、一気に「打倒安倍」の風が。その流れに大きく向かうかどうか。いずれにしろ、組織労働者の大半は、反安倍で決まり、参院審議はさらに「熱気」を増すことは確実だ。

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2015年8月16日 (日)

署名をする人は<いい顔>でした  戦争法案反対街頭行動in宇都宮

Img_2553 折々の<状況> その30
 昨日・15日の日光に続いて、きょうも「戦争法案反対全国署名」の街頭署名活動ー。ただし、場所は宇都宮の繁華街、二荒山神社前。栃木県連絡会の共同代表である太田うるおう弁護士や県平和運動センター、社民党県本部、自治労県本部の役員など私も含めて、わずかに6人。そろそろと始めていたところに強力な助っ人が現る(飛び入りで)。
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 この広場で「レゲエの神様」と呼ばれているミュージシャンがやってくるので、家族でやってきたという、おおぬきさん。昨日も日光で同じ街頭署名をした仲間だが、ともに観光地の反応の悪さにがっくりしていたところ。結果的に前日の日光で「鍛えられた」ので、宇都宮ではさらに声掛けを。
 
 すると、意外にそれなりに。帰省や演奏会などでやってきた東京都、福島県、静岡県などの人たちが積極的に署名に応じてくれていた。最後は「頑張って」の激励も(おおぬきさんが署名をいただいた人は、30日の国会前の大集会にも参加すると言っていたといいう)。私とおおぬきさんの2人だけで27人の署名が集まりました(15日の日光は7人で21人)。
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 もちろん、戦争法案にかかわりたくないという様子を歩く姿で最初から示していた人が多かった。でも、署名に応じてくれる人もそれなりに。その人たちに共通するのは、<眼線>がしっかりしている、<眼線>にぶれがないというかー、いわば、ふだんの意思が顔の表情の<豊かさ>に示されている。これは例外がなかった。つまり、<いい顔>をしていたのです。
 
 戦争法案問題を危ういと思っている人は、ふだんの生活でも、いわゆるしっかりした姿勢で毎日を生きているのだろうなー、そう思わされたのでありました。この感じは、石巻や南三陸のボランティアで現地に入った際に、そこで出会った人たちと同じ感じ、雰囲気でありました。災害ボランティアたちは、それぞれ一様に<いい顔>をしていたのです。いや、ほんとー
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