「詩人・石原吉郎のみちのり」を改めて 「シベリア抑留とは何だったのか」(岩波ジュニア新書)
またまた読みたい本がー。twitterで見かけたが、調べると2009年発売なのだった。「シベリア抑留」の過酷な体験に根差した詩やエッセイで知られた石原吉郎の詩は若いときに読んでいる。だが、もう30年も前に死去していたのですね。そんなことを今ごろ知るなど、いやはや月日が過ぎるのが早い。それを実感しています。以下は本の紹介ですー。
強制収容所を生き延び,その体験から戦争と人間を見つめ続けた詩人・石原吉郎.彼を軸に抑留の実態と体験が人に与えたものを描く.
強制収容所を生き延びた詩人・石原吉郎は,戦争を生み出す人間の内なる暴力性と権力性を死のまぎわまで問い続けた.彼はシベリアでいったい何を見たのか?抑留者たちの戦後を丹念に追った著者が,シベリア抑留の実態と体験が彼らに与えたものを描きだす.人間の本性,私たちが生きる意味を考えさせられる1冊.
■内容紹介
「シベリア抑留って何? いつの時代の話?」
「石原吉郎って誰? 何をやった人なの?」
この本を手にとったジュニア世代の多くが,先の反応を抱いたとしても不思議ではないでしょう.戦後60数年がたち,詩人・石原吉郎が亡くなってからもう30年以上がたっているのですから.
私もこの連載を読み始めたとき,同じことを思いました.「シベリア抑留」という言葉は知っていましたが,抑留生活が実際にどんなものであったのか,収容所で人々がどんな思いを抱いて生きていたのか,まったくといっていいほど知りませんでした.さらに言うならば,終戦ののちも抑留生活が続き,この本のカバーに描かれた興安丸が日本人抑留者の最終梯団を乗せて帰国したのが,日本が神武景気にわいた1956年だったことも知りませんでした.
日本海をのぞむ港町に住んでいた老婦人に最近きいた話です.ラジオで興安丸が近海を通るニュースが流れると,村の人々が漁師に頼んで船を出してもらったそうです.そして沖にでて,興安丸にむかって叫んだそうです.「○○はおらんかー!」,「△△を知らんかー!」と.どの人も抑留されたまま帰ってこない父親や夫,息子の姿を探してのことでした.一人ひとりに戦争があったことがしのばれました.
詩人・石原吉郎は,復員後シベリアの強制収容所(ラーゲリ)での体験と向き合い,生き延びた自分自身を深く問いつめながら,戦争や収容所を生み出す「人間」の内なる暴力性や権力性を死ぬまで見続けた人でした.彼がシベリアで何を見たのか,また彼の人生を軸に抑留の実態と体験が戦後,人々に何を与えたのかを,ていねいな取材で描き出した著者は,人間の本性に迫るだけでなく,私たちが生きる意味についても深く静かに問いかけてきます.
本書が,シベリア抑留を知るにとどまらず,「あの戦争がなんだったのか」を考え,いまなお悲惨な体験を内に秘めながら生きている人がいることに思いをはせるきっかけになることを願ってやみません.
■金原瑞人さんご推薦!
石原吉郎はあの世で、おれの詩におれの人生を重ねて読めといっているのか、重ねて読むなといっているのか、この本を読んで考えてしまった。しかたがない、また、石原吉郎の詩を読もう。
■文月悠光さんご推薦!
悲惨な抑留体験と向き合い続けた石原吉郎。丹念な取材により、彼の実像と戦後日本に残る深い傷跡が浮かび上がる。彼が絶望のさなかに掴んだ詩の言葉は、現代を生きる我々の心をも揺さぶる。今こそ手に取ってほしい名著だ。
■編集部より
戦争の記憶は遠くなり、シベリア抑留のことも、まして石原吉郎のことも、まったく聞いたことがないという人もいるでしょう。けれども、この本はそれでもなお、あなたに関係がある本です。ここに書かれていることは、私たちがいま生きているこの現在に、まっすぐつながっているからです。
戦争の、あるいは戦後の歴史について知ることが重要ではないと言いたいわけではありません。むしろ石原吉郎がそこで何を見たのかーーシベリアの過酷な強制収容所を生き延びて、戦後の日本に帰国して見たものは何だったのか、それをぜひ知ってほしいと思います。
収容所での耐えがたい苦しみを、「誰かが背負わされる順番になつていた「戦争の責任」を自分が背負つたのだ」ととらえた石原の思いは、戦争の記憶を置き去りにして前に進もうとする日本社会のなかで、取り残されていきました。かといって忘れ去るにはあまりにつらい経験を抱えていたことは、周囲との断絶を生み、帰国後の石原はそのことにずっと苦しみました。
あの経験は何だったのか。人間性を剥ぎ取られ、人としての尊厳が奪われていくような環境で、それでも人間であろうとするということはどういうことか。石原吉郎は、極限状態を生き延びた記憶を忘れることなく、人間の暴力性や権力性を深く見つめて、言葉をつむいだ人でした。「人間とは、加害者であることにおいて人間となる」という言葉を残しています。その姿勢が、一方では加害の歴史を忘却する戦後の日本社会との距離を生み、一方ではシベリアの収容所と変わらないような人間の姿を、ようやく戻ってきた祖国のなかにも見出すことになりました。
「人を押しのけなければ生きて行けない世界から、まったく同じ世界へ帰って来たことに気づいたとき、私の価値観が一挙にささえをうしなった」
いまの社会は、石原がこう書いた時から、どれほど変わっているでしょうか。苦しみの歴史から目を逸らさず、そのきびしさを自分にも向けて、誠実に生きようとした石原吉郎について知ること、その作品に触れることは、むしろいっそう大事になっているのではないかと思います。(岩波ジュニア新書編集部 須藤建)
『シベリア抑留とは何だったのか――詩人・石原吉郎のみちのり』(2009年3月)の刊行から5カ月たったある日、本文中に「ソ連抑留関係略図」の掲載をご許可くださった村山常雄さんから『シベリアに逝きし46300名を刻む――ソ連抑留死亡者名簿をつくる』(七つ森書館)が送られてきました。シベリアに抑留後、帰国を夢見ながらかなわず、凍てつく大地に今も眠っている46300名の名前を掘り起こし、名簿をご自分も抑留者であった村山さんは長い長い時間をかけて作成しました。その経緯を描いた1冊です。数字の大きさにもたじろぎますが、そこにあったのが命であったことを想像すると、しばらく身震いが止まりませんでした。多くの人が命を落としたシベリアの極限状況のなかを詩人・石原吉郎は生き延び、1953年に復員します。国のために戦い、捕虜となって抑留され、ようやく帰国した石原たちを待ち受けていたのは、しかし「希望」ではなく「絶望」でした。石原は日記に「人を押しのけなければいけない世界から、まったく同じ世界へ帰って来たことに気づいたとき、私の価値観が一挙にささえを失った」(「日記2」1974年)と綴ります。戦後も「絶望」と向き合い続けた石原は、その思いを詩や文章に表し、人間の内なる暴力性を問いただしていきます。そして石原以外の抑留者のなかにもまた、その体験を残そうとする人がいました。戦争がおわり、豊かさに満ちたこの国で、平和を享受する私たちは、彼らの言葉から何を受けとれるのでしょうか。まずは真摯にむきあい、そしてページをめくりながら、その答えを考えてほしいと思います。
(岩波ジュニア新書編集部 山下真智子)
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