夫は北海道兵の沖縄戦を取材し、全267回の連載にまとめた。それから60年、今も分厚い新聞スクラップが、兵士たちの墓碑銘の塊に見える。妻の清水藤子さん(79)=北海道月形町=はそう語る。
夫・幸一さんが北海タイムスで連載「あゝ沖縄」を始めたのは1964年4月1日だった。延べ1835人の兵士や民間人らが登場し、そのほとんどが死ぬ。
沖縄県によると、太平洋戦争末期の沖縄戦で死亡した北海道出身者は1万807人。約12万人が犠牲となった沖縄県に次いで、都道府県別で2番目に多い。3番目の福岡県は約4千人だ。
沖縄県平和祈念資料館などによると、沖縄で戦った日本軍第32軍の主力である第24師団に北海道出身者が多かったことが背景にある。1939年に満州で編成された第24師団だったが、兵員補充は第7師団(旭川)によって担われた。44年に沖縄に移動。45年4月1日、米軍の沖縄本島上陸を迎えた。
連載時は敗戦からまだ19年。帰還したことに自責の念を感じ、口を閉ざす人も多かった。幸一さんは、全道を訪ね歩き、手記の収集や証言を収集。「パスポート」を取得し、72年の本土復帰前の沖縄にも渡航し、関係者を訪ね歩いた。
《やがて平和な時がきたら、雪の降る北海道へ一緒にいくべよ》
連載は一人で執筆した。
《半田は、穴の中でうつぶせになって死んでいた。手りゅう弾自決。(中略)函館の留守宅に、妻と三人の子供を残して》(80回 半田上等兵自決)より
《ようやく朝方、死体のかたづけが終わる。いままで死体がころがっていたところに、みんなは疲れたからだを横たえた》(214回 死のゴウ)より
《「やがて平和な時がきたら、こんな焼け野原は捨てて、雪の降る北海道へ一緒にいくべよ」(中略)娘たちも、兵隊も、そんな日は、もう再びないことを、知っていた》(23回 勇ましい女子義勇軍 道産子を励ます)より
記事は米軍が「ありったけの地獄をあつめた」と称した沖縄戦を、現場の兵士一人ひとりの目線で描く。一方で、沖縄住民たちとの極限下での交流にも紙幅をさいた。
文末には、「戦記係」と称した遺族窓口を記載し、読者からの問い合わせや情報提供にも対応したという。連載には必ず、「戦没一万八十五柱の霊にささぐ」(原文まま。「柱」は当時の戦死者数)と添えた。
幸一さんの執念を「弔いの気持ちがあったのではないか」と、藤子さんは推し量る。
戦時中、幸一さんは旭川の第7師団にいた。予備役再教育係として、召集した兵士を前線へ送り出す任務だったという。「自分が送り出した兵士が沖縄で死んだのではないかという思いを抱え、道産子兵士の死に際を遺族に知らせたいと思ったのでは」と藤子さんは言う。
退職後は釣りや山菜採り、読書をして過ごしたという幸一さんだが、時折、スクラップを眺めては、ぶつぶつと何かをつぶやいていたという。
北海タイムスが98年に廃刊し、幸一さんは2006年に死去。「あゝ沖縄」は藤子さんの手元に残ったスクラップだけとなった。「自分の手元にだけ置いておくのは、苦しすぎた」
藤子さんは昨年、悩み抜いた末、書籍化を決める。
知人で郷土史を研究する楠順一さん(69)らの協力を得て17年に、40万字を超えるスクラップの全てを文字に起こし、ブログでインターネットにアップしていた。
その作業は約2年に及んだ。途中、文字起こしを担当した男性の一人は戦場の凄惨(せいさん)な描写に、精神的にめいるほどだったという。
ブログは注目を集め、遺族らから感想などの投稿が寄せられるようになる。沖縄の遺骨収集をするボランティアグループが、ブログから遺族の住所をたどり、戦没者ゆかりの手紙を返還できた事例もあった。
ただ、藤子さんには、日記のように描かれた記事が「沖縄での敢闘が美談のように読まれかねないのでは」という不安があり、書籍化に踏み切れないでいた。
22年2月のロシアのウクライナ侵攻が思いを固めた。連日報じられた地上戦で兵士が銃を撃ち合う姿が沖縄戦に重なった。
出版への資金150万円はクラウドファンデングで調達。昨年12月27日。1千部の自費出版にこぎ着けた。12月27日は幸一さんの命日だった。
本のタイトルは連載と同じ「あゝ沖縄」。591ページに及ぶ。ブックカバーには6月に北海道で咲く「エゾノリンゴ」をあしらった。藤子さんがスケッチしたものだ。「エゾノリンゴは6月の道内でわっと咲いて、パラパラと散る。鎮魂にふさわしいと思った」
藤子さんは3月、「あゝ沖縄」を持ち、初めて沖縄の地に赴いた。幸一記者が取材した場所を訪問し、沖縄県平和祈念資料館などに献本。藤子さんは「夫の記者として最大の仕事を沖縄に納めた」と話した。
沖縄戦で組織的な戦闘が終結した6月23日は、沖縄慰霊の日。きょう79回目を迎える。(佐々木洋輔)
「道産子たちの沖縄戦記 あゝ沖縄」は、清水幸一著、月形歴史研究会編。出版元のかりん舎やインターネットで購入できる。税込み2970円
[BOOKデータベースより]
昭和二十年八月、日本は無条件降伏した。だが彼らの帰還の道は閉ざされていた!北支派遣軍第一軍の将兵約二六〇〇人は、敗戦後、山西省の王たる軍閥・閻錫山の部隊に編入され、中国共産党軍と三年八カ月に及ぶ死闘を繰り広げた。上官の命令は天皇の命令、そう叩き込まれた兵に抗うすべはなかったのだ―。闇に埋もれかけた事実が、歳月をかけた取材により白日の下に曝される。
序章 蟻の兵隊たち
第1章 終戦
第2章 密約
第3章 軍命
第4章 偽装解散
第5章 死闘
第6章 壊滅
終章 真実